第3話:俺と、春のラナ
『ど、どったの、ラナ?』
にわかに現実に感覚が引き戻されまして。俺は妙なことを言ってきたラナに、思わず尋ねかけるのでした。
アイツは良いやつって。
そのアイツとやらはどなたで、良いやつってどういう意味で?
『どうもこうも無いわよ。アレクシアだっけ? あの女よ。アイツは良いやつって話』
ラナは俺の前に座りながらに、そう答えてきましたが。
ほ、ほう。そうでしたか。しかし、へぇ。なんか珍しいな。って言うか、初めてかな? ラナがさ、人間のことを褒めるなんて。しかも、名前まで覚えているのだから、よっぽど好感を抱いているのだろうけど。
『良いやつって言ってるけど、その理由は?』
気になって尋ねかけます。ラナは満足そうに、尻尾を揺らしながらに答えてきました。
『あのウザイのを追っ払ってくれるから。他にある?』
あー、なるほど。確かに、ラナからすればね。アレクシアさんは、娘さんを追っ払ってくれている良い人のように見えるわけか。
『えーと、ふじんかいだっけ? あのウザイのが嫌そうにしてるやつ。そこに追っ払ってくれてるんだよね? 本当、アイツ良いやつ。私が遊んでやってもいいぐらい』
絶賛でございました。ただ、アレクシアさんを買っているというよりは、娘さんを心底嫌っているというのが大きいような気はしましたが。
何でコイツはこんなに娘さんのことが嫌いなのかねぇ。理解は出来ませんが、とにかく遊ぶのだけは止めて頂きたいところでした。魔術師とドラゴンの、ただのファンタジーな死闘になりそうですし。
しかし、あれですね。
ラナの発言にちょっとばかり気になるところがありましたが。
『ラナって、けっこう人間の言葉が分かるんだね』
『は?』
『婦人会とかさ。なんか、理解してるっぽいし』
娘さんが婦人会を嫌っているって分かっているのだから、会話の流れもある程度理解している感じがありますし。いつの間に、そんな語学を身につけられのでしょうか?
『そりゃ、アンタ。どんだけあのウザイやつの話を聞いてきたと思ってんのよ? 少しは分かるようになるわよ』
呆れた口調でそう答えてきましたが。
いや、え? なんか当たり前みたいな口調でしたが、分かるようになるものだろうか? 俺は娘さんのこともあって、理解したくてけっこうがんばったのですが。ラナにはそんな意欲は無いだろうに。
『興味も無くて流し聞きで、それだけ分かるようになったの? ……なんかこう、すごいなぁ』
素直に感心してしまいました。ラナさん、かなり頭が良かったりするんじゃないだろうか。少しやる気を出したら、あっという間に人間の言葉も字も理解してしまいそうでした。
で、俺の称賛を受け取ったラナさんですが。
『……まぁ、別にね? 興味が無かったわけじゃないし。あのウザイのがアンタと何を話しているのかって、気になって無かったわけじゃないし……』
なにやら素直には喜べないようでした。コイツ、微妙に難しい性格をしているからなぁ。何ごとかボソボソと呟きまして。そして、
『……でも、すごい?』
伏し目がちで、そんなことを尋ねかけてきました。何ですかね、その再確認は。よくは分かりませんが、はい、その通りで。
『すごい。俺はそう思うけど』
『……へへ、そ、そう? だったら、もっと言葉とか覚えてみよっかなー! 文字とかもさ、私だったら覚えられると思うしねー! えへへ』
結局のところ、かなり喜んでくれました。尻尾ふりふりで、表情もなんか笑顔っぽくて。こういうところがね。正直、カワイイと思わされてしまいますよねー、はい。
『……って、違うっ! それは本題じゃないしっ!』
で、なんか叫ばれて。
本題じゃないって、まぁ、そっか。
『えーと、アレクシアさんは良い人って話だったっけ?』
そう最初に声をかけられたはずですし。ですが、ラナの口から出たのは否定の言葉でした。
『それでも無くて。確かに最初はそう言ったけどさ、話したいことはそれだけじゃ無かったし』
ほうほう。そうでしたので。では、その本題とやらはいかに。俺が耳を傾けていますと、ラナは不意に不安そうな顔になりました。
『アンタだけどさ、また何か悩んでない?』
そう尋ねてくれました。
……本当、コイツはなんだかんだ言って優しいよなぁ。
『えーと、心配してくれたんだ』
『まぁね。なんか元気無さそうだからさ。気になるし、悩んでるんだったら話してみなさいよ』
俺って、恵まれてるよな。もう何度思ったのかは分かりませんが、そう思えるのでした。本当、恵まれてる。心配してくれる誰かがいるなんて、俺には不釣り合いな贅沢なのに。
『ありがとう、ラナ。心配してくれて、本当にありがとう』
とにかく感謝の気持ちを伝えたくて言葉にしました。ラナは少しばかり恥ずかしそうに言葉を濁らせまして、
『あぁ、もう。お礼は良いけどさ、それよりもアンタよ、アンタ。悩んでんのよね? ほら、さっさと言いなさいって』
再び問いかけてくれて。再びありがたくて。
そうだねぇ。
正直、悩んでいるわけではないのでした。ちょっと硬い言い方ですが、思索を深めているっていうのが適当でして。
娘さんが俺をあまり訪れてくれなくなりまして。ちょっとばかり考えるべきことが出来たのでして。
で、せっかくですからね。ラナが心配してくれているのに甘えてね。一つ尋ねさせてもらうことにしましょうか。
『じゃあ、一つ聞いていい?』
『よし。どんと来なさいよ』
『ありがとう。ラナってさ、何をしている時が幸せだったりするの?』
ラナは大きく首をかしげられました。
『なにそれ? そんなことが聞きたいの?』
『うん』
『悩み事と何か関係があるわけ?』
『大いに関係ありまして。よければ、是非』
『ふーん。じゃあ答えて上げるけど……幸せ……ねぇ? 楽しいってことで良いのよね?』
『まぁ、似たようなものかな』
『楽しいかぁ。そうねぇ……』
首をひねりながらにラナは答えてくれました。
『遊んでる時は楽しいと思うけど』
案の定の回答でした。俺はなるほどと頷きを見せまして、
『そっか。他には何かない?』
『他? 他ねぇ……アンタと話してる時はね。けっこうそんな感じだと思うけど』
恥ずかしそうに、そんなことを言ってくれました。
……ぬおー、なんか嬉しいな。自分と話すのが嬉しい。そう言ってくれる相手に、まさか出会えることが出来るとは。
『ま、まぁね? もちろんアルバともだけど。話すのは楽しいって、それだけの話だから、うん』
『うん、分かってる。ありがとう、ラナ。楽しいって言ってくれて嬉しいよ』
アルバと同様に、俺との会話も楽しんでくれている。それは本当に嬉しいことでした。本当、前世じゃあり得なかったことだからなぁ。気恥ずかしくも、心底嬉しいことで。
ラナも少しばかり気恥ずかしいようで。そんな感情を振り払うように、一つ大きな声を出されました。
『あぁ、もう! とにかくさ、答えてやったけど、どう? 役には立ったわけ?』
もちろんでございまして。
俺は感謝の思いで首をタテに振ります。
『十分。本当、ありがとうね』
『役に立ったんなら、まぁ良いけどさ。でも、何? 何を考えて、こんな質問してきたわけ? 一体何を悩んでんの?』
当然のラナの質問でした。まぁ、そりゃそっか。何が幸せ? なんて怪しげな質問。その根っこが気になって当然だよね。
『えーとさ、ドラゴンとしての幸せって何かって、ちょっと考えてて』
と言うことで答えたのですが。
ラナは眉根にシワを寄せて、怪訝な顔をするのでした。
『ドラゴンとしての幸せ? 私やノーラにとって楽しいことって話?』
『そうそう。そんな感じ。ドラゴンってどうすれば幸せになれるのかなぁって、ちょっと考えてて』
『ふーん。まぁ、アンタらしいっちゃらしいけど。変なこと考えてんのねぇ。どうすれば幸せになれるのか? そんなの、幸せだと思うことをすればいいじゃないのよ』
俺は苦笑したくなりました。確かに、まったくその通りで。でも、なかなかね。俺にはそれが許されないだろうしなぁ、うーむ。