第2話:俺と、春の近況(2)
「……サーリャさん。ノーラと言葉の練習をするのはいいですが、そろそろ行きませんと」
アレクシアさんから娘さんへの呼びかけでした。
娘さんは「ん?」と首をかしげた後で、「げ」と嫌な顔をされました。
あぁ、今日だったんですね。俺は娘さんの態度から、アレクシアさんの催促の詳細について理解します。恐ろしく嫌な顔をされていますが、でしたらまぁ、こんな表情にもなられますかね。
「……じゃあ、あの、私用事があるので。ノーラのことでその色々と」
娘さんは、そそくさとアレクシアさんから目をそらして俺を見つめられますが……娘さんや。アレクシアさんにそんな言い訳が通用するはずが無いでしょうに。
案の定、アレクシアさんは無慈悲に首を横に振られるのでした。
「ありません。そんな用事はありません」
「で、でも、ノーラに言葉を教えませんと……」
「それはいつでも出来るでしょうに。とにかく、領下の集まりです。婦人会の方に顔を出しませんと」
ラウ家の領地、その村での話なのですけどね。今日は、ご婦人方の集まりがあるようでして。アレクシアさんはそこに出席するように催促していて、娘さんはそれを死ぬほど嫌がっているのでした。
「い、嫌ですっ! 何度も行って分かりましたっ! あそこは私がいるべき場所じゃありませんっ!」
アレクシアさんをにらみつけられまして。猫とかだったら、全身の毛を逆立てていそうな。そんな、娘さんの嫌がりようでした。
言葉通りと言いますか、経験したからこその嫌がりようなのでした。この冬季にですが、娘さんは何度も婦人会に出席しておられまして。その度に、反発心を養って帰ってこられていたのでした。
「旦那がどうだとか、あの村の誰々がかっこいいだのなんだのっ! そんな話を聞かされたって、私困りますしっ! 愛想笑い浮かべてるしかありませんしっ!」
居心地が悪くて仕方がない。そう娘さんはアレクシアさんに訴えるのですが。
「仕方ないでしょう。領主の一族などですから。領民と親しんでおくことも必須の事項です。それに、ヒース様がそれを望んでおられるのですから。居候の私としては、家主様の意向には逆らえません。是が非でも、貴方は連れていきませんと」
どうしようもなく、娘さんの意向は却下されるのでした。
そもそもですが、娘さんは婦人会に出るのを以前から心底嫌がっていまして。その娘さんを、この冬いくどとなく出席させているのが、このアレクシアさんでした。
どうにも親父さんに頼まれたようでして。娘さんを婦人会に連れて行ってくれと。屋敷に引きこもることが無いようにしてはくれないかと。
そうなると、居候をさせてもらってもいれば、けっこう親父さんに好感を抱いているっぽいアレクシアさんなので。その頼みを断られるはずも無く。
結果として、娘さんにとってこの冬は試練の冬となったのでした。いや、それはこれからも続きそうですが。娘さんの懇願も、アレクシアさんに通じる様子は皆無なので。
進退極まった感じでした。
娘さんは俺に訴えかけるような視線を向けてこられます。
「の、ノーラ? ノーラもさ、私と言葉が話せるように練習したいよね? そっちの方が嬉しいよね? ね?」
え、えーと、それはまぁ。
そちらの方が俺にとっては嬉しいですが。でも……それは自然なことじゃないような気がしますし。
《いってらっしゃいませ》
娘さんの表情が絶望に染まるのでした。
「の、ノーラぁ……そんな? えぇ……?」
期待していたのにとそんな感じでした。
アレクシアさんは、肩を落とす娘さんの腕をガシりとつかみます。
「ほら、ノーラも領主の娘としての責務を果たすように言っていますから。さっさと行くことにしましょう」
「の、ノーラはそんなことは言ってませんからっ! それにやっぱりうわぁ……本当、行きたく無いよぉ……」
「大丈夫です。私もついていくのですから。二人で行けば、負担も二等分です」
「う、嘘ですっ! 毎度同じことを言って、それぞれがそれぞれに疲れきっちゃうだけじゃないですかっ!」
「……まぁ、正直私も行きたくなんて欠片もありませんが、仕方ありません。貴女もあきらめなさい。ほら、さっさと行きますよ」
「い、嫌だぁっ! 助けて、ノーラっ! ノーラぁ……!」
そうして、彼女たちは去っていきました。と言いますか、娘さんがアレクシアさんに引きずられるようにして、連れ去られていきました。
う、うーむ。ホントの本当に嫌なんですねぇ。陰キャ勢の俺も気持ちは分かりますが。まぁ、立場というのもありますし。領主の娘である娘さんには仕方なくともがんばって頂きたいところでした。
……しかし、静かになりましたね。
ただただ春の陽気がある感じ。暖かい風が、草原をなでて青空へと抜けていく。
変わったなぁと思うのでした。
ここでの生活がである。アレクシアさんが来て、本当に大きく変わりました。
娘さんが、俺の側で過ごすことが少なくなりました。
本当にねぇ。なんか、しみじみと思ってしまいます。
以前は、寝る時以外は四六時中側にいたのですが。今ではまったく、そんなことは無くて。
アレクシアさんの存在が本当に大きくてですね。娘さんが婦人会に出席されることもそうですが、それと関係して、領地の縫い物の集まりとか、結婚式の手伝いとか。そんなものにも頻繁に顔を出されるようになりまして。
そうでなくとも、アレクシアさんと外出することが多くなりました。遊びにということです。ここはど田舎でして、自然の絶景を楽しむぐらいしかないらしいのですが。それでも二人で出かけられて色々と楽しまれているようです。
そもそもですが、俺への用事が少なくなった感じもあります。アレクシアさんがいらっしゃる前は、俺は貴重な話し相手って感じでしたが。その相手は今では当然アレクシアさんとなったのです。相談ごとなんかもされているようでした。
本当、変わりましたねぇ。
あらためて、しみじみとしてしまいます。娘さんのリアル生活は大丈夫かなんて、差し出がましい心配をしたものですが。
娘さんは見事に人間としての充実を手に入れられたようで。心配していた俺としても、それは非常に嬉しいことでした。
……ですが、まぁね。
放牧地をボケッと眺めながらに思います。なんかね、夢が覚めてしまったような心地にありまして。
今まで、本当に娘さんと仲良く一緒に過ごせてきたと思うのですが。そして、それがいつまでも続くように錯覚していたのですが。
やっぱり、それは違うよね。
俺はドラゴンであって。
娘さんは人間であるのだから。
……やっぱり考えちゃうよなぁ。やっぱり考えるべきだよなぁ。
青空を眺めながらに思うのでした。
俺はこれから、どう生きていこうか。
『……アイツはいいやつ』
そんな俺へでした。
不意に近づいてきたラナが嬉しそうにそんな言葉をかけてきたのでした。