俺と、アレクシアさんの野望(6)
昨日が快晴だったので、その分というわけでは無いしょうが。
今日は一面の曇り空でした。いや、曇り空でいられるのもそんな長くは無いのかな? 空気はひんやりとして、ホコリっぽく。すぐに雨景色に変わりそうな、そんな予感を覚える空模様でした。
そんな空の下、アレクシアさんは竜舎の前にいらっしゃるのでした。
数日ぶりですが、今日もまた一人で。俺の竜舎の前で、俺の顔を見つめていらっしゃいます。
一体、何の用事なのか。
表情を見ているとですね、何となく察することが出来るような気はしましたが。
「……やはり、私ではダメなのでしょうか?」
沈痛な面持ちでした。アレクシアさんは苦しげな声音をして、俺にそんなことをおっしゃいました。
あー、はい。少なくとも、明るい話題はありえないと思っていましたが。しかし、なかなか切実な問いかけと言いますか。昨日はまだ、気力は十分にあったような気がするのですが。
《何かありましたか?》
俺の問いかけに、アレクシアさんは暗い顔をして頷かれました。
「はい。いえ、何も無かったという方が適切かもしれません。貴方がいない場所でも、私は色々と努力はしたのです。しかしですが、まったく成果は上がらなかったので」
左様でございましたか。俺が見ていないところでも、色々とドラマは繰り広げられていたようで。その結果は、かんばしいものにはならなかったようで。
「……なかなかですね、上手くはいかなかったのです。いえ、むしろ逆に働くことも。私が何かしようとすると、同時に私の不出来さをさらすことになりまして。サーリャさんは、そんな私を喜んで面倒を見てくれて……はい、そういうことです」
アレクシアさんは、鬱々として経過を説明して下さいました。そ、そうでしたか。昨日、一昨日のようなことが繰り返されたようですね。
うーむ。でしたらまぁ、落ち込まれるのも仕方ないですよねぇ。アレクシアさんの今日の態度も納得がいきます。相当苦しい思いをされて来たに違いなく、だからこそ冒頭の切実な問いかけにつながるのでしょう。
アレクシアさんは、眉尻を下げながらに俺の目をじっと見つめてこられます。
「だからこそ尋ねたいのです。ノーラ? やはり、私ではダメなのでしょうか? 私などでは、サーリャさんに頼られ、甘えられるようなことは出来はしないのでしょうか?」
相変わらず、切実な口調でございました。そして相変わらずおもーい。
お姉さんぶりたいって、ここまで切実にならなければならない事柄でしたっけ? いや、本人がこう切実なのですから、そういう事柄なのでしょうけど。
もしかしたらですが。アレクシアさんは失敗するたびに、思い出したくない過去に直面させられている感じなので。そのことが、アレクシアさんの精神衛生に悪い影響を及ぼしているのかもしれません。
ともあれ、この状況のアレクシアさんに俺が伝えられること。伝えるべきこと。それは……うーむ。
《この状況で、貴女はとてもがんばられたと思いますが》
とりあえずです。素直なところを伝えさせてもらいました。娘さん圧倒的優位のこの状況でですね、良くがんばっておられると思いますけどね。
「……しかし、結局は失敗ばかりです。やはり私には……資格がないのでしょうか?」
アレクシアさんは自嘲の笑みを浮かべて、そんなことをおっしゃったのでした。し、資格? また妙な重たいフレーズを口にされて。
やはりと言いますか、相当心がやられていらっしゃるような。なぐさめるなんて称するのはおこがましいですけどね。俺は言葉を選びながらに、地面に文章をつづります。
《むしろ、資格があるのは貴女ぐらいのものでしょう。サーリャさんが信頼を寄せる女性の一番は、間違いなく貴女なのですから》
結局、ただの事実を記すことになりましたが。実際、娘さんは女性の中ではアレクシアさんを一番信用されているでしょうし。
「……本当ですか?」
精神状態が影響しているのか。疑心暗鬼なアレクシアさんでした。俺は大きく頷きを見せます。
《もちろんです》
この俺の言葉を受けて、アレクシアさんは「……はい」と小さく呟かれました。
表情からは、暗い影は消え去りまして。
アレクシアさんは何故か照れくさそうな笑みを浮かべられました。
「すいません。出来ればなぐさめてもらおうと甘えた気分で訪ねさせてもらったのですが。本当に、なぐさめて頂きまして。ありがとうございます」
あー、そんなつもりだったのですね。いえいえ、そんなそんな。お役に立てたのならば何よりです。
「……そうですね。サーリャさんが実際に私のことをどう思っておられるかは分かりません。しかし、あきらめるのにはまだ早いような気はします。ありがとうございます、ノーラ。私はもっとがんばりたいと思います」
で、そんな結論を得られたようで。
活気のある笑顔でそうおっしゃられるのでした。
良かった良かった。俺も笑みのような表情を思わず作ってしまいます。アレクシアさんは元気を取り戻されたようで。これで心折れることなく、引き続き戦いを挑まれることでしょう。いやぁ、本当に良かった……のか?
えー、アレクシアさんが、がんばると宣言した手前伝えにくくはありますが。
伝えた方がいいですよね? やっぱり他日を期しましょうよって。この状況で、アレクシアさんがお姉さんぶれる見込みはやはり薄いような気がしますし。
アレクシアさんが、これ以上精神的に不安定になるのはアレですしね。やはり伝えておくべきでしょう。いや、でも後日にした方が良いのかな?
なんだか、今すぐにも雨が降りそうですし。
今日は肌寒い一日ですので。昨日みたいにびしょぬれになってしまったら、今度こそ風邪を……って。
鼻先に落ちる雨粒。
雨だ。そう思った時には、にわかに雨足は強まりまして。
『あ、アレクシアさんっ!』
俺は慌てて首を伸ばすのでした。
何故と言って、アレクシアさんが雨に打たれながらに微動だにされていませんので。あの、ちょっと!? 何してるんですか、本当っ!!
上着の袖に牙を引っ掛けまして。そのまま、竜舎の中に誘導するのですが。アレクシアさん、さっぱり動かれません。その代わりではないのでしょうが、妙な笑い声がわずかに開いた唇からもれてきます。
「……ふふ、ふふふふふ……これぞ天の啓示ということで。お前にお姉さんぶるのは無理だと私に伝えているのでしょうか?」
そんなことをおっしゃっていますが、絶対に気のせいですから。天にどなたかがいたところで、多分そこまでヒマじゃないと思いますし。
とにかく、妙なテンションのアレクシアさんを、俺は無理やり竜舎に引きずりこみます。腕をくわえるようににして、何とかかんとか。あーあ、でした。一足も二足も遅かった。本当、頭のてっぺんからつま先までびしょぬれで。
慌てて魔術で風を吹かしますが、焼け石に水と言いますか。袖からは水がボタボタと垂れています。これは着替えないとどうしようもないよなぁ。
「……ノーラ」
ただ、当の本人は濡れていることなど気にされていないようで。淡々と俺の名前を呼んで来られましたが、あの、どうされました?
「……ふふ。せっかくですし、ここで一緒に暮らしますか?」
あかん。わけの分からないことを口に出され始めました。
表情自体はいつもとあまり変わらないのですが。内心かなりダメージを負っていそうですねぇ。この雨によって、にわかに得た活気がきれいに洗い流されたようで。それこそ啓示と言いますか、自身の未来を暗示されているように思われたのでしょうが。
……えーと、どうしましょう?
アレクシアさんの精神的ダメージも心配であれば、風邪を引かないかどうかも当然心配でして。
屋敷に戻ってもらって着替えてもらうのが一番なのですが。しかし、ここに外套も無ければ、これ以上ぬれずに帰れるような手段は存在せず。
本当、どうしましょう?
そうして、俺がひたすらに悩んでいるとでした。雨音に紛れて、女の人の叫び声が聞こえてきました。
「アレクシアさんっ! どこですかっ!」
この声は……娘さん? 娘さんですよね?
はいさ! ここです! ここですから! アレクシアさんの耳にはまだ届いていないようなので、代わりに俺がうなり声を上げて応えます。
しかし、いやぁ良かった。
娘さんが、アレクシアさんの居場所に気づいてくれて。これで、アレクシアさんも風邪を引く前に着替えることが出来るかな?
本当ね、一安心でありまして……って、それでいいのかね、これ。
またまたです。このまま行くと、またまたアレクシアさんが娘さんに面倒を見られてしまうことになりそうで。
そのことが、アレクシアさんの精神にどんな影響を及ぼしてしまうのか。そこが非常に不安でしたが。
ただ、娘さんの助けを借りないなんて選択肢は無いわけでして……うーむ。