第11話:俺と一騎討ち
そして、いよいよ一騎討ちの時だった。
「では、始められませ」
使者のおじさんのそんな一言で、状況はあっさりと始まった。
俺は離れた場所から様子をうかがう。親父さんに使者のおじさん、それにハゲ頭さんと一緒になって、草原の少し高い位置から一騎打ちの経過を見守るのだった。
一騎討ちの始まりは向き合うところからのようだ。草原の中央にて、娘さんとクライゼさんがお互いドラゴンを従えて向き合っていた。
娘さんは鋭い目つきをして、毅然と胸を張って立っていた。意気込みは十分といった感じ。一騎討ちでも良い結果を出してくれそうな、そんな頼れる雰囲気が感じられるのだけど……えーと、従えるドラゴンを見なければって、そんな条件がついちゃうよなぁ。
アルバは変わらずだった。
相変わらず、人の声や物音に怯えている。本来のアルバが持つ、悠然とした力強さは欠片も感じられなかった。
観衆からも、あれで大丈夫かと疑問の声が出ているほどである。大丈夫じゃないです、はい。でも、もはやどうしようもない。
親父さんはひっそりと目を閉じていた。後は成り行きに任せるしかない。そんな諦めに似たものを俺は感じるのであった。
そんな不安を感じさせるラウ家の代表に対して、ハイゼ家の代表はまぁ正直立派だった。
クライゼさんはいたって自然体だった。勝負に緊張もなければ、高ぶりもしていない。そんな歴戦の態度。
従えるドラゴンにも浮ついたところは全くない。サーバスと言ったっけな。アルバと比べれば体格に優れているとはとても言えない。だが、居並ぶ観衆を気にするわけでも臆するわけでも無く、錯覚ではあるのだが、あるいはアルバよりも大きく立派に見えるような気がするのだった。
ほど無くして、娘さんとクライゼさんは騎乗した。そして、それぞれの背中を追うように、輪を描いて歩みを始める。
これがきっと一騎討ちの作法なのだろう。この歩みの中でタイミングを見て空に飛び立ち……そこで決着をつけることになるのだ。
娘さんもクライゼさんも大きな釣り針のついた長い棒を手に持っていた。これが勝負を決着させる武器だとのこと。
釣り槍なんて呼ばれていたような。ドラゴン同士の空中戦で役に立つようで、すれ違いざまに釣り針の部分を相手の騎手にひっかけ、そのまま虚空にさよならさせるためのものらしい。後は地面にさよなら、この世からもさよならと、そういうことのようで。
もちろん、今回の一騎討ちではそんな血なまぐさいことにはならないように工夫がされているらしい。釣り針は非常にゆるく棒に固定されているらしく、相手に針の先が引っ掛かったら衝撃で針が棒から離れるようになっているとのこと。
もちろん、釣り針が引っ掛かった場所によっては、多少血なまぐさいことにはなるだろうが……まぁ、地面に打ち付けられるよりははるかにマシなのは間違いない。
釣り槍を手にした娘さんは、鋭い目つきをしてクライゼさんをにらみつけながら回り続ける。一方のクライゼさんは泰然としながらも、娘さんの様子をしっかりと観察しながら手綱を引いていた。
いつしか観衆からは声が上がり始めていた。戦いの時を心待ちにして、また素晴らしい戦いを期待するそんな声。
声はすぐに歓声と呼べるほどになった。いつもは静かな草原が、波打つような歓声の渦に押し包まれる。
その時は唐突にやってきた。
クライゼさんが不意にサーバスを走らせた。飛び立つ前の助走行為。いよいよ状況は空中戦に移るというそんな合図。
娘さんもすぐに反応した。手綱を強く引き、いつもの大声でアルバをけしかけて……そして、そして……
時が止まったような、そんな感覚を俺は覚えた。
「アルバっ! どうして、何で……っ!」
娘さんが叫んでいる。困惑と焦燥のこもった悲痛な叫び。
アルバはまったく動くのを止めていた。
『アルバっ!』
思わず叫んだが反応は無かった。アルバは疲れたような目をしてピクリとも動かない。
歓声は戸惑いの声へと変化していた。何が起きたのかと、観衆は不審の目を娘さんとアルバへと注いでいる。
クライゼさんは飛び立つことを止めていた。ドラゴンを歩かせ、徐々にスピードを殺しながら、呆れたような目つきで娘さんのことを見ていた。
娘さんは叫んでいた。衆人の視線にさらされ、必死にアルバに呼びかけていた。
「動いて、アルバっ! お願いっ! 負けたくないのっ! 勝負させてよっ! お願いだから、アルバ、アルバっ!」
だが、アルバは応えなかった。
『アルバ……』
お願いだからと俺も言いたかった。娘さんのためにも、ここだけは我慢して飛んでくれと叫びたかった。
でも、言えなかった。アルバの疲れ切って、もはや何の感情も浮かんでいないそんな瞳。限界だったのだろう。この観衆の騒音にさらされて、ついにその時が来てしまったのだろう。
だから、言えなかった。飛んでくれなんて、口が裂けても言えなかった。
「……なんでよ。アルバ、アルバぁ……」
娘さんは倒れるようにしてアルバの背中に顔を突っ伏した。肩が震えている。ドラゴンの優れた耳に嗚咽の声がただただ漏れ伝わってくる。
いつしか草原は静寂に包まれていた。
「使者殿」
静寂の中、親父さんが声を上げた。使者のおじさんは予想外の自体に戸惑っていたようだ。慌てた様子で返事をしてくる。
「は、はい。ラウ殿、どうされましたかな?」
「ご覧の通りです。我が家に託された竜騎士の任、預けて頂いた三体のドラゴン、全てハルベイユ候に返上させて頂きたい」
親父さんは無表情で淡々とそう使者のおじさんに告げるのだった。内心はきっと……思うところは色々あるのだろう。でも諦めてしまっているのだろう。仕方ないと思う。俺も思うのだ。こうなってしまっては、もう仕方がない。
「……そうですな。それが適当でしょう」
使者のおじさんはそう肯定の返事を口にした。適当。それはそうだろう。アルバの背中にうずくまる今の娘さんを見れば、そんな返事になるに決っている。本当に残念だけど。
これで全てが終わった。
一騎討ちは一騎討ちと成り立つまでもなく、全てが決まってしまった。
そう俺は思ったのだけど。
「ははは。それはいささか早計と言うものではありませんかな?」
ハゲ頭さんだった。意外なほど静かに成り行きをうかがっていたハイゼ家の当主だったが、ここに来て妙なセリフを声に出してきた。
「早計……でしょうかな?」
使者のおじさんが首をかしげる。俺も同じ気分だった。早計ということはまだ結論を出すのは早いということを言いたいのだろうか? そんなことをよりによってハゲ頭さんが?
使者のおじさんに、ハゲ頭さんは笑顔で頷きを見せる。
「えぇ、そうですとも。竜にも体調や気分があれば、騎手についても同様のこと。今日は星の巡りが悪かったと、そういうこともあるでしょうからな」
「ふむ。しかし、そのような言い訳が戦場で通用するわけでもありますまい?」
「ははは、確かに。しかし、ラウ家は久方ぶりにドラゴンを扱ったのです。ドラゴンの調整法など、しょせんは慣れですからな。日が経てばすぐに出来るようになりましょう」
「それで早計という話に?」
「その通りで。今日はドラゴンを飛ばすことは出来ませんでしたが、それは時間が解決する程度の話。問題は空中でのドラゴンの御し方、相手の竜騎士との対し方。それを確認せずして結論を出すのはあまりにもったいない。あるいは将来の英雄の芽をつんでしまうことになりかねませんからな」
意図はさっぱり分からないが、何故かハゲ頭さんは娘さんへの擁護を朗々と並べ立てた。そして、それは使者のおじさんに響くものがあったようで。
「ふーむ、なるほど。それは確かに、そうかもしれませんなぁ」
「そうでありましょう? どうですかな、ラウ殿?」
まだ終わってなかった。希望はまだ失われていなかった。
そういうことになるのかもしれなかった。だが、親父さんの顔には喜びの色は一切無かった。
「その必要は無いでしょう。これが当家の実力。再考の余地は無いものかと」
「謙遜をおっしゃりますな。昔日の強豪であるラウ家の騎手ですぞ? いざ飛び立てば、素晴らしい働きを見せてくれるに違いありませんでしょうに」
「……ハイゼ殿」
ここまで親父さんは無表情だった。だが、ここに来て親父さんの目つきが目に見えて鋭くなった。
「恥をかかせるなら、一度では足りず二度。そういうことなのでしょうかな?」
「ふむ? ラウ殿。それは邪推というものですな」
「貴殿はまだ妻を私に奪われたとそう思っておられるのですかな?」
気になる発言だったが、それ以上掘り下げられることは無かった。ハゲ頭さんはその言葉に反応することなく、使者のおじさんに笑みを向ける。
「使者殿、ともあれ後は貴殿の決断次第。再戦となれば、ハイゼ家としても当然協力は惜しみませんが」
「……うむ」
使者のおじさんは思案するように黙り込み、すぐに頷きを見せた。
「早計だと、私は判断します。後日、貴殿らにはもう一度一騎討ちを行っていただききましょう」
こうして再戦が決まった。
ただ、これが良いことなのかどうか、俺には判断がつかなかった。
親父さんは憤然として立ち尽くしている。
娘さんはアルバの背中で未だに泣き伏している。