第10話:俺とそして当日
光陰矢の如しとは言いますが、来てほしくない日ほど体感早めに来てしまうようで。
様相を一変させたいつもの草原。居並ぶ観衆にそのざわめき。一騎討ちを前にして、静かな興奮が場を満たしている。
「はっはっは! めでたいですな! 天気にも観衆にも恵まれ、いやはや実にめでたいっ!」
とりあえずの感想がまぶしいなのはどうでもいっか。
高笑いを浮かべていたのはハイゼ家の当主であり、今回の事態の諸悪の根源であるミスター・ハゲ頭さんである。
俺は少し離れていた場所からハゲ頭さんを見ているのだが……うーん、やっぱり嫌味な感じだな。離れていても笑顔の裏にある悪意のようなものがありありと伝わってくる。
近くで接していたら、それはなおさらだろうか。親父さんは不快そうに鼻を鳴らした。
「ふん、そうですな。天気にも観衆にも恵まれたようで。まぁ、観衆に関しては、どこぞのどなたかが手を回した結果でしょうが」
親父さんは皮肉にそう言い放ったのだが、ハゲ頭さんの面の厚さには全く効果は無かった様子。
「はは、何をおっしゃいますのやら。昔日の名家ラウ家と我がハイゼ家の一騎討ちなのですぞ? 誰が招く必要も無く、人は集まるに決まっているではありませんか」
「白々しい。どうせ恥をかかせるのならば大衆の眼前だと、貴殿が手を回した結果だろうに」
悪意をにじませるハゲ頭さんに対して、親父さんも露骨に敵意を隠さない。このままだと先日のごとく派手な罵り合いにもなりかねないが、今日は中立的な人が一人いたりするのだった。
「ラウ殿、ハイゼ殿。そのような前哨戦は控えられよ。本日は、竜騎の任をどの家に託すかを決める重要な日なのですから」
垢ぬけて、身なりも立派で、声音にも知性がどことなく漂っている……そんなおじさんが一人この場にはいたのだ。この人がハルベイユ候の使者だとのこと。
使者のおじさんにいさめられ、親父さんは不承不承といった感じではあるが頷いた。
「正直言い足りない所はありますが、承知しました。では、使者殿。用件を進めていただきたい」
「もちろん。そのために私はここにおりますのです」
使者のおじさんは親父さん、ハゲ頭さん双方の顔を一度見まわして口を開いた。
「では、進めましょう。本日はハルベイユ候のご意思の元、両家には騎竜を用いての一騎打ちを行っていただきます。これはもちろん、両家共に承知はされているでしょうな?」
親父さんもハゲ頭さんも当然と頷き、使者のおじさんは再び口を開く。
「結構です。その上で、ラウ殿。この結果はハルベイユ候に伝えられ、貴殿の騎竜の任についてしかるべき判断が下される。そのことをご理解いただきたい」
つまり、負けちゃったらドラゴンには乗れなくなるし、当然ドラゴンを飼うことも出来なくなるよということだろう。
親父さんは不満はあるが仕方が無いといった感じでため息をつく。
「はぁ。そういった話になってしまっているのですからな。今さら、否とは言えますまい」
「了承されたということで話を進めさせていただきます。両家の騎手ですが、ラウ家からはサーリャ殿が出られるということでよろしいですかな?」
その場には親父さんたちの他に、残り二人の人間がいた。その内の一人であるサーリャ……我らが娘さんは緊張した面持ちで頷いた。
「はい。私がラウ家の騎手を務めます」
表情のわりには口調ははっきりしていた。緊張はあるが、自信もある。娘さんはそんな心情でこの場に臨んでいるのかもしれなかった。
「ははは、使者殿。ハイゼ家はクライゼを出しますぞ。貴殿も知っておられることでしょうな。当家が誇る、最高の騎手であります」
聞かれもしないのに、ハゲ頭さんはそう声高に自慢する。すると、残り二人の内の片方……背の高い男性が小さく頷きを見せた。
「クライゼと申す。今日はハイゼ家の騎手をつとめさせていただく」
クライゼさんは、無精ひげの目立つ、どこか暗い雰囲気のするおじさんだった。
ふーむ。強そうって感じはしないかな。体系も細身で、見た目で分かる威圧感は無い。でも、ハゲ頭さんがあれだけ誇らしく自慢して、親父さんが名前を聞くだけで勝てないと絶望した相手なのだ。ドラゴンの騎手として、強敵であるのは間違いないのだろう。
それは娘さんの態度からも分かるようだった。クライゼさんを見つめる娘さんは緊張の表情をより一層固くしていた。
一方で、クライゼさんに動揺の色は欠片も無かった。敵を間近にしているという感じは全く無く、娘さんのことを冷めた目で見下ろしている。
「貴殿が今代のラウ家の騎手殿か」
するりと、そんな言葉がクライゼさんの口をついて出た。娘さんは一瞬硬直して、慌てたように頷きを見せる。
「は、はい。私がラウ家の騎手ですけど、あの何か?」
「……多少は骨のある相手と期待していたのだがな」
「え?」
「いや、失敬。独り言だ。忘れていただきたい」
クライゼさんはそんな風に言いつくろったけど……明らかな挑発ですよね、これ。
娘さんも挑発だと受け取ったらしい。青い瞳に敵意を浮かべてにらみつける。
「クライゼ殿の高名は私も聞き及んでいます。ですが、それが実際にはどれほどのものなのか。失望せずにすめばよいのですが」
お、おおぅ。娘さんにしてはなかなか過激な挑発である。だが、クライゼさんに意に介した様子は無い。挑発に反応することなく、黙って娘さんを見下ろしている。
「あー、前哨戦は控えていただきたいとお伝えしたつもりでしたがね」
使者のおじさんが苦言を呈す。そして、
「では、一騎討ちを初めていただきたい。両家の方々は準備に入られるようお願いします」
いよいよ開始ということらしい。
いやぁ、ついに始まるのか。いや、始まってしまうのか。正直あまり良い期待が持てなくて、心臓が嫌な感じにバクバク言ってるんだけど……本当、どうなってしまうんでしょうかね。
『ねぇ』
俺は声のする方へ首を向ける。ほとんど俺の真横だった。ラナが心底ヒマといった様子で草原に寝転がっている。
『……君さ、今の状況本当に分かってるの?』
一応説明はしたはずなんだけど、ラナのふるまいやら何やらには緊張している感じは一切無い。
『知らない。興味無いし』
返答はそんなだった。うーん、コイツは。まぁ、元から人間には興味が無いのだ。娘さんや親父さんがどんなに苦しもうが、また娘さんや親父さんから離れることになろうが、コイツにはどうでもいい話ではあるか。
『そんなことよりさ、聞きたいことがあるんだけど』
本人もそんなこと呼ばわりしてるしね。いやまぁ、仕方ないか。しかし、聞きたいこと。はて、ラナが俺にどんな質問をしたいのやら。
『何さ、聞きたいことって』
『これって、いつもの放牧じゃないのよね?』
『うん、そうだけど』
『私がアイツを乗せなきゃいけないとか、そういうことでも無いのよね?』
『アイツじゃなくて娘さんだけど、まぁ、その通りだよ』
『じゃあなんで私ここにいるわけ? うるさいし戻りたいんだけど』
人間の時だったら、俺は苦い表情をしていたに違いない。なかなか胃が痛くなる質問だった。俺が一騎討ちに期待出来ない理由が、その質問への答えに含まれているのである。
俺はラナから視線を外し。背後へと目を向ける。そこにいたのだ。一体のドラゴン。観衆の声に反応して、ビクビクと視線をさまよわせるアルバの姿がそこにはあった。
『……俺たちがいた方がアルバが落ち着くかもだってさ』
夜に親父さんと会ったあの日から、アルバのふるまいは目に見えてさらにおかしくなってしまっていた。
人の出す声、それに物音。それらにアルバは過剰に反応するようになっていた。終始ビクビクと耳をそばだてているような感じで、メンタルがかなりのところ壊れてしまっているような状態。
それでも、アルバには一騎討ちに出てもらわなければならない。
だからこその親父さんの苦肉の策だった。観衆の中でアルバが落ち着いていられるようにと、俺たちも一緒にアルバの側で待機させられることになったのだ。
『はぁ? 落ち着くって? なにそれ。だったら、家に戻してやればいいじゃん』
ラナが何でもないことのようにそんな意見をぶつけてくる。コイツ、本当に状況が理解出来てないな。でも正直、俺も気持ちは同じだった。
俺たちがいたところでアルバが落ち着きを見せることはなかった。多くの人間の姿、声、物音が俺たちの存在を忘れさせるぐらいにアルバの心を苛んでいるのだ。
もう小屋に戻してやった方がいいんじゃないか。アルバの様子を見ていると、自然とそう思えてくる。戦える状態なんかじゃないのではとも思えて仕方がない。
それでもアルバは選ばれてしまったのだ。そして、この日が来てしまった。
「アルバっ!」
アルバがビクリとして首を伸ばす。アルバの目は何かに怯えるように見開かれ、揺れていた。その視線の先にいたのは娘さんだった。娘さんがこちらにかけ寄ってきている。
「ごめんね、アルバ。人が多いもんね。ちょっと緊張してるかな?」
アルバに近寄った娘さんは心配そうにそんな声をかけた。うーむ、違うんだよなぁ。アルバが観衆を気にしているのはもちろんだけど、それ以上に気にして怖がっているのは……残念だし、なんか悲しいことだけど、娘さんなんだよな、うん。
アルバは身を固くして、ピクリとも動かなくなっていた。そんなアルバに娘さんは優しく声をかける。
「頼むよ、アルバ。今日は絶対に勝たないといけないの。だからがんばろうね」
なんていうか、見ていられなかった。娘さんの善意の一言一言が、アルバの精神を確実にむしばんでいる。
視線を外す。すると、遠くから親父さんがゆっくりと歩み寄ってきているのが見えた。いつになく静かな表情をしていた。何かをあきらめたような活力の無い静けさ。俺にはそんな風に見えた。
俺は思わず天をあおいで思った。
覚悟だけはしておく必要があるかもしれない、と。