第1話:俺と第二の人生
ということで、俺は死んでしまったのでしょうか?
真っ暗闇だった。本当に真っ暗。ただ、これが暗い環境にいるからの真っ暗なのか、目を閉じているからの真っ暗なのか。その辺りはイマイチはっきりしない。
そんな中で俺は、どうにも膝を抱えてうずくまっているような感じだった。まぁ、本当に感じでしかないんだけど。お腹にいる赤ちゃんのようなイメージというかそんな感じ。
うーん?
まったくもってよく分からなかった。俺は何で、こんな暗闇の中で赤ちゃんみたいにうずくまっているのか。
なんだったかなぁ? 経緯がいまいち思い出せない。十何連勤だかして、頭が熱したバターぐらいにどろどろに茹だって、上司に「は?」とか言われながら布団の中から欠勤の連絡をして……
で、どうなったかって話だけど。
何となくの予想はあった。夢っぽくないし、多分死んじゃったんじゃないかな、俺。
死にそうなほどに苦しかったもんなぁ。意識なんて本当とぎれとぎれだったし。その上で、昏睡状態だっていって救急車を呼んでくれるような人俺にはいないし。頼れる両親も友人も、恋人だって当然のごとくだーれもいやしない。
だから、あのまま俺は死んじゃったんじゃないだろうか。独りぼっちで、誰に看取られるわけでもなく。
……つ、辛い。俺の人生がどれほど価値が無かったのかを思い知らさているようで本当に辛い。あと、死んじゃった上で、特に後悔というか思うところが無いっていうのが、これはこれで辛い。むしろ、ちょっとホッとしちゃってるし。
あぁ、俺の人生って本当何だったんだろうなぁ……まぁ、考えてもしかたないか。考えないようにしよう。考えちゃうと余計に辛いしね。
それで、ここは一体どこなんでしょうかね。
死んだならここはあの世ってことなのだろうか。まさか天国なんてことはないだろうし、そうあって欲しくは無いなぁ。さすがに天国がこれじゃ、夢も希望も無さすぎるし。
だったら、ここは地獄? 暗闇の中、みじろぎも出来ずただ思考だけが虚ろに巡り続ける……ってなると、確かに地獄の責め苦って感じはする。でも、正直地獄って感じはしないというか。
なんでかって言われたら困るけど、しいて言えば本能……的な? いやまぁ、死にかけてるのに救急車じゃなくて上司に連絡しているヤツの本能って何だよって話ではあるけど。確かに生存本能は腐りきっているといって過言ではないのだけれども。
それでも感じるのだ。ここは地獄じゃない。天国でもありはしないが、少なくともここは終わりの場所じゃあない。
じゃあ、ここは一体どこなのか。そこに関しては相変わらずさっぱりだったのだけど……まぁ、それよりも、ね?
そろそろ行くとしましょうか。うん、何を言ってるんだろうね、俺。行くってどこへ行くのさ。我ながらさっぱり分からない。
それでも何故か、取り立て違和感は湧かないのだった。いや、俺の理性は疑問を呈しているのだけど、それこそ本能だろうか。知識としては知らずとも体は知っていると、そんな感じだった。
『ここ』はもう終わりなのだ、と。
『次』がお前を待っている、と。
だから、行かなければならないのだ、と。
ということで、ゴン。頭をぶつける。目の前だ。闇に頭をぶつける。あ、目の前って壁だったんですね。その上で、『次』へ行くことと、この行為の関係性って一体? そんな俺の疑問をよそに、俺の本能は俺に頭突きを続けさせる。
うん、けっこう痛い。えーとさ、なんなんですかね、俺の本能。今まで散々嫌な目に会ってきたのに、なんで死んでまで嫌な目に会いたがっているのだろうか。
文句は止まらず、しかし頭突きを止めることも出来なかった。俺の理性とは対照的に本能がそれを求めている。『次』を求めて、本能が俺の体を突き動かす。
なのでゴン、だった。ぶつける。ぶつけ続ける。何分経とうが、何十分経とうが。疲れを覚えて休息を挟みつつ、俺は頭突きを繰り返し続ける。
……やっぱりさぁ、ここ地獄なんじゃないですかね?
うんざりと俺がそんなことを思った時だった。
今までにない手ごたえ。壁を抜けた、そんな感触。
暗闇が音を立てて割れ落ちる。
うおっ、まぶしいっ! 俺は思わず目を細めた。暗闇の隙間からは目に痛いほどの光が差し込んできている。
とりあえず、目が慣れるまでじっとしていましょう。俺の理性はそう提案するのだが、冷血な本能によりあえなく却下される。
この先に『次』がある。だから、今は進め。
そう命令されて、俺はどうしようもなく光の先を求めるのだった。
さてはて、この先には何があるのやら。ここが地獄じゃないかと疑っている俺は、期待することなく『次』とやらに目をこらすのだった。
その時である。
ぬ、ぬおっ!? 突如襲ってきたのは、唐突な浮遊感だった。
な、なに? なんなの、これ? これは本能も望んでいたことではないらしく、俺の理性と初めての意見の一致を得る。浮遊感、怖い。で、俺があたふたしている中、これまた唐突だった。
メキメキとか聞こえた気がする。暗闇が全てはがれた。
なんかもう光の暴力といった感じだった。全方位から注がれる光の束。なんかもう、まぶしいとかわざわざ思うのがバカらしくなるような、そんな状況。
それでも俺は光の先に目をこらすのだった。本能に動かされ、得体の知れない『次』とやらを求めさせられ、俺は光の先の何かに意識を向け続ける。
光に目が慣れていく。ぼんやりと景色が浮かび上がってくる。そこで目に入ってきたのは……人間? みたいだけど、そうなの?
多分そうだ、人間。父親とその娘さんといった感じの二人。日本人ではまずないのではないか。服装も容姿もそうだ。どちらも何となく古めかしい西洋チックな上着に身を包んでいて、髪の色は少し茶色がかった金色、瞳は空の色を溶かしたような澄んだ青色をしていた。
で、その二人は何故か妙にはしゃいでいた。どうやら俺にとっての未知の言語の使い手らしく、何を言っているかはさっぱり分からない。ただ、はしゃいでいることは分かる。喜んでいることは分かる。特に娘さんらしき方は頬を紅潮させながら口早に俺に何事か声をかけ続けている。
それを見て、俺はなんかこう妙な気分になるのだった。なんでかって言えば、そりゃあ……ねぇ?
思わず俺は自分の人生を回顧した。そして、結論を得た。やっぱり、そうだよなぁ。無かったのだ。こんな嬉しそうな笑みを向けられたことなんて、俺の人生では一度として無かった。
まぁ、うん。それは置いておこう。なんだか無性に悲しくなったし。他に考えるべきことがあるっぽいし。
やっぱり考えるべきはこの状況だろう。テンション高めな親子がいる。どんな素性で、何故喜んでいるのか。そこも気になるところだったが、それも置いておくとしよう。他にもっと気になることがあるのだ。
なんか、デカくね?
目の前の親父さんと娘さんについてだ。人間なのだ。高くても二メートルを超えることはまずないのだが、俺の体感だと彼らの身長は二メートルどころですむ話ではなかった。
間違いなく巨人だ。俺からは彼らの上半身しか見えないのだが、その上半身だけでも軽く五十メートルは超えている気がする。
ふーむ? なにこれ。どうなってんの? ちょっとこの人たちおかしくない?
そもそもだけど、俺がいるこの場所は何? 浮遊感を味わって、たどり着いたこの場所。妙にぷにぷにして温かい。よくよく観察してみる。この場所は白っぽい肌色で、どうやら娘さんの腕につながっているようであり……ふむふむ。
手のひらだ、これ。どう理解してもそうだった。俺は娘さんの手のひらの上に乗せられている。
あのー、本能さん? これって、どういう状況ですかね? 答える声は無い。ここから先は自分で何とかしろってことですかね。まったく俺の元上司みたいな放任具合ですな、あははは。
って、いやいやいや。笑っている場合じゃない。ここはドコ? そして、この状況はナニ? まったくもって分からないのですが、誰か説明しては頂けないでしょうか?
そんなことを思っていると、娘さんがニコリと可愛らしく微笑んできた。あ、かわいい。なんて悠長に思っていられたのもつかの間。
娘さんの手が伸びてきた。俺が乗せられている方とは逆の手だ。あらためて恐怖する。でけぇ。紅葉のようなと言っていい可愛らしいおててなのだが、それが俺を握りつぶすのに十分なサイズがあるのだ。正直恐怖の対象にしかならない。
な、なにをしようとしておられるのでしょうか?
恐怖で身を固くする俺の頭に指が伸びてきた。ひ、ひねりつぶされる。そう恐怖したのだが結果は違った。というか、よく分からないものだった。
娘さんの指が離れていく。娘さんは何かをつまんでいた。それは俺の目には卵のカラのように見えたのだが……んん?
あれが俺の頭に乗ってたって、そういうことだよな? 何で? 何であんなものが俺の頭に乗ってたの?
不意に浮かぶイメージ。それは孵化するニワトリの卵。卵から外を望むヒヨコの頭には、名残りのように卵の欠片がへばりつき……んんん?
なんか、嫌な考えが頭をよぎったんだけど。目の前の二人が巨人なのだと、おかしな人間だなんて思ってたけど、おかしいのはもしかして俺の方なのでは? いやそれ以前に、俺ってあの……人間なんでしょうか?
俺は慌てて自身に目をやった。手を見て、足を見て、背中を……背中? 何で見れてるの俺? 首の可動域おかしくない? でも見れちゃう。で、おかしなものが目に入っちゃう。
よし、結論だ。
俺の手足はかぎ爪だ。俺の全身はうろこが生えている。背中には小さな翼にも見える一対の突起が生えている。背中の先には長い尻尾がでろり。で、俺の顔。なんか長いっぽい。前に伸びた口が見下ろせば視界に入ってくる。その長い口も当然のごとくうろこに覆われていたりする。
うーん、これはアレだ。俺もゲームはする。漫画もそれなりに見たりする。洋物ファンタジーもけっこう好き。そんな俺が思う、俺という存在についてだが。
まさかね、まさかだけどね。もしかしたらだけどね。でも、そうとしか考えられなくてですね。
俺……ドラゴンになってやしないでしょうか?