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女神の玉座  作者: 天海りく
盗賊王の花嫁
64/67

七ー3

***


 剣先が眼前に迫ってきて、黒羽は咄嗟に身を退く。

 その動きまで計算していたデヴェンドラの追撃が的確に迫ってくるのを寸前で躱す。

(藍李にちょっと似てるな)

 相手の動きを計算し尽くしてその場の支配権を握るやり方は藍李もよくやる戦法だ。デヴェンドラは黒羽の動きや癖を確実に掴んで、先読みの精度は上がっている。

 黒羽は黒羽で、持ち前の直感と反射の早さで対応しているものの、主導権はすでにデヴェンドラにあった。

 受け身に回りながら、黒羽は反撃の隙を窺う。だがほんの少しでも攻撃を仕掛ける素振りを見せればことごとく躱されてしまう。

「くそっ!」

 肩口へ振り下ろされたデヴェンドラの剣を冥炎で受けたが、魔族の腕力には敵わず押し負けそうになる。

 体勢を崩す前に、黒羽は刀身から青い炎を吹き出させる。

「それは、妖刀ではないのか?」

 神剣を一振りして埃でもはらうかのごとく炎を波を軽々とけしさったデヴェンドラが、訝しげに眉根を寄せる。

「最初はただの妖刀だったんだけどな」

 自分の肉体と同じく冥炎も変質してしまっている。神剣でもってすら容易くは折れない妖刀はすでに別の何かなのだろう。

 しかし、物心ついた頃から側にある冥炎はなんであろうと愛刀であることに変わりない。

 黒羽はデヴェンドラが戸惑う隙を見て踏み込む。

 振り下ろした刃は受け止められる。

 デヴェンドラの持つ剣は、さっきまではあまり感じられなかった強い力が漲っていた。ロフィットが持っていた神剣よりももっと強大な力だ。

 さすがにこれは冥炎でもすぐに折られてしまう。

(神剣相手に連戦はきついな)

 ほんの少し前にロフィットと剣を交えたばかりで、冥炎はどこまで保つのか。

 デヴェンドラの切っ先が首筋を掠めて、黒羽は息を呑む。

 血と魂を捧げよという神の言葉に従って、命を奪いに来ているはずの剣に殺気がない。まるで猟師が獲物を捌くかのように淡々としている。

「……話はきいてもらえねえか」

 黒羽は冥炎を構えて、呼吸を整える。

 ここまで本気を出していなかったわけではないが、デヴェンドラとはまだ和解の余地があるのではと期待して霊力は多少は温存していた。

 だが、じわじわとデヴェンドラの剣は急所へと近づいて来ている。

 相手に隙があろうがなかろうが攻撃を叩き込んでいくしかない。

 貪欲な妖刀は黒羽が力を全開にするのにすぐさま気付いて食らい付いてくる。手元から剣の重みが消えていく。

 妖刀と自分の意識が混じり合って、互いの境界は淡く滲む。

(全部は、持って行かせねえ)

 ぎりぎりのところで黒羽は自分の意識を保ちながら、思い切り足を踏み込んで跳ぶ。

 デヴェンドラが真正面から受ける体勢を取るのを見ながら炎の濁流と共に突っ込んだ。

「無茶な真似を……」

 炎は消されて目前にはしかめっ面のデヴェンドラがいた。

 黒羽は勢いのまま斬りかかるが、切っ先は弾かれる。

 神剣がそのまま追ってくるのを低く身を屈めて躱し、そのままデヴェンドラの背後に回りこむ。

 足を払う黒羽の一閃は届かない。

 外した瞬間に後退する動作は間に合わなかった。

「っ……!」

肩から斬り落とさんと真上から振り下ろされた刃が黒羽の右肩を割く。浅くはなく血が吹いた。

 痛みはなかった。そのことに動揺しながらも、黒羽はデヴェンドラから間合いを取る。

「人ではないのか?」

 出血が止まり傷が浅くなるのを見たデヴェンドラが、不気味な物を見る眼差しで黒羽を凝視する。

「あたしにも、わかんねえよ」

 自分が一体どうなってしまっているのか一番知りたいのは黒羽自身だ。

 だが今はそんなことにかまっていられないと、黒羽はデヴェンドラが見せた僅かな隙を見逃さずに再び炎の波を起こす。

 攻撃はなかなか届かない。

 デヴェンドラの間合いに踏み込む度に傷が増えては消えていく。もはや自分でも一体どれだけ攻撃を受けたのか分らないほどだ。

「その魂と血肉ならば、神に捧げるに相応しいか」

 どれだけ傷ついても回復してしまう黒羽に、デヴェンドラが半ば感心した口調でつぶやく。

「相応しいもなにも、絶対にやらねえ」

 黒羽は目線だけ頭上に浮かぶ玉座へと向ける。

 デヴェンドラを止められるのはネハだけだろうが、彼女は意識がなく手が届かない。

「もう、ここまでだ。僕は僕のなすべきことを果たす」

 デヴェンドラがまとう空気が変わる。

 相変わらず殺意は感じ取れないが、ぶつけられれば人が耐えきれないほどの力を肌で感じる。

「駄目だ」

 黒羽が本能的に目の前の力に萎縮していると、冥炎がもっと力をつけ込んでくる。だが、もっと力を解放しなければ一瞬で塵芥になりかねないのもわかっていた。


――恐れないで。受け入れて。


 少女の声が耳奥でこだまする。

紅春こうしゅん?)

 朽ちかけた冥炎を復活させ、黒羽に己の魂を力として注ぎ込んで身罷った砂巌の公主であった少女の声に違いなかった。

 同じ事を命尽き果てる前に彼女は言っていた。だけれども、恐れずにはいられない。

 冥炎と同調しすぎれば護りたいために剣を握っているはずなのに、破壊衝動に支配されて自分が自分でなくなってしまうのだ。

(怖がってるから、駄目なのはわかってる)

 黒羽は息をひとつ吸い込んで柄をきつく握る。

 絶対に負けない。呑み込まれたりなどしてやらない。

「冥炎、お前はあたしだ」

 黒羽はそうつぶやいて体の奥底にまだ潜んでいる力を解放する。冥炎が意識の内側に潜り込んでくる。

 奪われるのでなく、掴み取る。

 刀身から青い炎がほとばしる。

 デヴェンドラが踏み込んできて、炎を払おうとするが全てかき消されることはなかった。

 冥炎と神剣の刀身が勢いを殺さずぶつかり合い、衝撃で空気が震え狼の遠吠えのような音が響く。

「馬鹿な……」

 折れるどころか欠けることのない冥炎に、デヴェンドラが目を見開く。

 炎の飛沫が飛び散る中、互いにぶつかり合った反動で一旦後方へと退き再び前進する。

 冥炎も体も今まで以上に軽かった。

 特に体は考える間もなく動く。魔族であるデヴェンドラの移動の速度、跳躍力、腕力になにひとつひけを取らない。

(でも、まだ足りねえ)

 それでもデヴェンドラに切っ先は届かない。技量が足らないのだ。

 力だけでは足りない。

 黒羽はデヴェンドラの神剣を持つ手に狙いを定めながらも寸前で躱されてしまう。

 疲労と霊力の消耗に一瞬、冥炎に意識を持って行かれそうになるのを踏みとどまり距離を取る。

 お互い後一寸足りない中、デヴェンドラが動く。

 黒羽は炎を押しだそうとして、ここへ来て受けたアマン課長の指導を思い出す。

 力を入れるばかりではいけない。

 黒羽はデヴェンドラの動きから目を離さずに、息を吐きながら入りすぎていた肩の力を緩めて刀身に炎を纏わせる。

 その間に目前まで迫って来ていた神剣の切っ先が、黒羽の動きを読み切れずに微かにぶれる。

 その一瞬の隙を見逃さずに黒羽は抑えていた冥炎の力を一気に解放し、神剣の刀身にぶつける。

 みしりと軋む音がする。

 そして天井高く吹き上がる青い炎の中に折れた刀身が巻き上げられて、そのまま燃え尽きた。

「ありえない、こんなことは……」

 そう呆然とつぶやいたのは、まっぷたつに折れた神剣を見下ろすデヴェンドラだった。

「……ここで、終いだな」

 黒羽自身も刀身を折るにまでいたったことに驚きながらも、安堵の息をもらす。


『その体が欲しい。デヴェンドラ、その者の魂を奪うのだ。これはもういらぬ』

 

 話し合いをするにもどうすればいいものかと黒羽が考えていると、神の声が響いた。

 かと思えば宙に浮いていた玉座が落下し、意識を失ったネハの体が投げ出される。

「畜生」

 黒羽は慌てて動こうとしたものの、急に足から抜けてその場に膝をつく。

「ネハ!」

 デヴェンドラが折れた剣を投げ捨ててネハが落ちていく場所まで走る。床に体が打ち付けられる寸前にネハは受け止められて黒羽はほっとする。

「主よ! 器は簡単に取り替えられるものではありません! ましてや人であるか魔族であるかすらわからない肉体になど」

 どこにいるかもわからない主神へと、デヴェンドラが戸惑いの声を上げる。


『我は不滅、我は永遠、わ、れ、は……』

 

 神の声の反響が不規則に大きくなったり小さくなったりしながらぶつりと途切れ、黒羽も何かがおかしいと気付く。

「なんなんだよ……くそ、体に力がはいらねえ」

 立ち上がろうとするにも全身が重たく、以前霊力を使い果たしたときと同じように動けない。

 ここから主神が現れでもしたらまずい。

 そう黒羽が焦り始めた時、ぎしぎしと縄が軋むような音が聞こえた。

「崩れる……」

 デヴェンドラがネハを深く抱き込んで庇う体勢を取り、何が起こっているのか分らない上に身動きが取れない黒羽は冥炎の柄を握り込むことしか出来ない。

 ばらばらと天井が、壁が剥がれ落ちていく。

 真白い空間は薄明かりの灯るどこかへと変貌する。最後の一欠片が落ちると、ぼやけていた景色がはっきりして緑と土の匂いが濃くなった。

「外か、ここ」

 木々の合間からうっすらと陽が射しているのを見上げて黒羽は目を細める。藍色に紫が滲んでいる空は夜明けか夕暮れなのかはわからない。

「黒羽さん!」

 ふと後ろから漓瑞に呼ばれて黒羽は驚くと同時に笑みを浮かべる。

「おう。無事だったんだな……って、てめえなんでここに!」

 漓瑞の後ろから現れたムスタファに黒羽は咄嗟に立ち上がろうするものの、できるはずもなく歯噛みする。

「黒羽さん、今、彼は我々と戦う気はないそうです。立てないんですか?」

 漓瑞が駆け寄ってきて心配そうに黒羽の顔を覗き込む。

「霊力使い切った時と似てるんだけど、なんか違うな。お前の方は何があったんだよ」

「色々と……後で話します」

 確かに今は込み入った話をしている場合ではないと黒羽は、ムスタファがデヴェンドラに向かって静かに歩いて行くのを見やる。

 ムスタファに戦意は見られない。ただ、デヴェンドラの顔は絶望に沈んでいた。

「ムスタファ、あなたがここにいるということは主はもう駄目だったのか」

「汝の役目はとうに終わっていた」

 デヴェンドラはうなだれ、腕の中のネハを無言で見つめる。

「……ならば、この子は魂を得られるのか」

「新たな魂を得られるだろう。あれはいただいておく」

 ムスタファはうなずき折れたデヴェンドラの神剣をみやる。

「ああ。僕にはもう必要のないものだ」

 ネハに目を向けたまま、デヴェンドラが力なくうなずいた。そして柄と半分の刀身が残る神剣をムスタファが拾い上げる。それはそのまま彼の手の中で消えた。

「まさか、ロフィットさんの神剣が目的だったのか?」

 黒羽は神剣を折られたロフィットのことを思い出し、近くにいるはずだと周囲を見渡す。少し離れた木陰で彼は変わらず意識がなく倒れたままだった。

「監理局の神剣は不純物が多い」

 ムスタファがそれだけ答えてふっと姿を消す。声をかける間もなかった。

「……ったく、なんなんだよ」

 ムスタファと戦闘にならなかったのはよかったものの、まったくわけがわからない。

 そうしてゆるやかに空が明るくなってきてようやく夜明けなのだと気付く頃、意識を取り戻した局員達や盗賊団の魔族が集まってきた。

 一触即発の緊張感が漲る中、デヴェンドラが投降を口にして事なきを得た。ネハも遅れて目覚めた後に、唯一ロフィットだけが目を開けなかった。

 


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