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女神の玉座  作者: 天海りく
盗賊王の花嫁
61/67

六ー5

***


「あの野郎、どこ行きやがった……!」

 黒羽は一瞬だけ姿を見せたアデルを探して、やみくもに回廊を走り続けていた。しかし、いつまでたっても見つけられずに立ち止まり悪態をつく。

 そして周囲を首を巡らせて、あれだけ走ったというのにまるで景色が変わらないことに顔を顰める。

 こんなわけのわからない空間で漓瑞達とはぐれただけでも落ち着かないというのに、どこかにアデルがいるとなればなおさら焦燥が募る。

「戻った方がましか……」

 黒羽は先に進むべきか、それとも引き返すか来た道を振り返る。

 とにかく真っ直ぐに走ったはずなので、後退すればもといた場所へはもどれそうなのだが。

「こうなりゃ、どこ向かっても同じそうだけどな」

 いっそ右か左かにでも曲がるかと思いつつも、黒羽は体を反転させて来た道の奥へと目を凝らす。

 奥は暗く特に人影が揺れている様子もない。

 どうしたものかと何気なく一歩だけ戻ったとき、一瞬目の前が真っ白になった。そうかと思うと景色ががらりと一変した。

 今度は鬱蒼と木々が覆い茂る外だった。

「くそ、また飛ばされた……」

 舌打ちして、黒羽はふと景色に既視感を覚える。伸びきった木々や踝まで茂る下草はどことなく人工的で統一感がある。

 恐る恐る足を進めて見ると、黄色い薔薇の低木も見えた。さらに先に行けば、大きな大理石の水盆があった。

「あの商人の屋敷の中庭、か?」

 魔族のデヴェンドラと駆け落ちした令嬢ネハの生家である屋敷の中庭だ。だが屋敷は見えないので、よく似ていても同じ場所ではない。

 水盆に近づいて、黒羽は息を呑みすぐに駆けだす。

 浮いているのは睡蓮でなく、ひとりの女性だった。

「おい、大丈夫か!?」

 仰向けで眠っているかのように水に浮かぶ女性を抱き上げて、黒羽は体を軽く揺すって声をかける。

 体は暖かいを通り越して熱い。そこで彼女の体がまるで濡れていないことに気がつく。

「……あ」

 かすかな吐息と共にゆっくりと長い睫が重たげな瞼が上げられて、澄んだ茶色の目が露わになる。掠れただれ、と誰何する声が唇からこぼれ落ちた。

「監理局の黒羽です。もしかしてネハお嬢様ですか?」

 こんな所にいる人間の女性となれば、彼女しか思いつかなかった。

「監理局……デヴェンドラは、どこ? わたくしの、夫は……」

 ぼんやりとした瞳が徐々に焦点を結び、動揺に揺れる。

「いや、会ってないです。それより、体は? 動けそうですか?」

 熱があるのではないのかと顔を覗き込むと、彼女ははっとした顔をして身じろぎする。

「自分で動けます。あの、申し訳ありませんが……」

 黒羽の胸を軽く押した所でネハが不可解そうな顔をする。

「失礼なことをお訊ねしますけれど、あなた、女性で?」

「ああ。紛らわしい顔ですけど、女です」

 そういうことかと黒羽はうなだれてネハの問いかけにうなずく。

「いえ、ごめんなさい。ここは、屋敷ではありませんよね」

 黒羽に体を支えてもらいながら水盆の縁に腰掛けたネハが、周囲を見渡す。生まれ育った当人が違うというなら、違うのだろう。

 黒羽はここまで来た経緯をかいつまんで説明する。

「あたしも仲間とはぐれて迷ってるんです」

「わたくしも、気がついたらここにいたので……」

 ネハが疲れたため息をついて、重たげに頭を振る。そのしんどそうな様子に黒羽は心配になる。

 服越しでもわかるぐらいにネハの体は熱を持っていて、大丈夫とは言いがたい。

「熱、あるんじゃないんすか?」

「熱いのだけれど、熱があるのとは少し違うと思いますの。あの、これからどうなさるのですか? 夫を捕らえに来たのでしょう」

 自分の身よりも伴侶のことを気にかけているネハに、黒羽は目を伏せる。

「それが、監理局の仕事ですから。今の所は窃盗と公務執行妨害、か? とにかく罪状自体はそんなに重くはないはずです」

 デヴェンドラは窃盗に際して怪我人も出さないように慎重を期していた。盗んだ物の由来もあれば、理由もあるのでそのあたりは上の方の判断がどうなるかだ。

「だけれど、魔族の投獄は長いのでしょう」

 ネハの問いかけに黒羽は無言でうなずく。

 寿命が長い魔族の投獄の期間は人より長い。窃盗ならば少なくとも十年以上は牢の中となるだろう。

「人間とは、生きてく時間が違うんすよね」

「わかっています。わかっているから、わたくしは夫と共にいることを選んだのです」

 意思の強いネハの瞳に、それにしてもと黒羽は思う。

(駆け落ちしちまう性格だよなあ)

 ネハの父親の話ではもっとおっとりとした令嬢かと思っていたが、実際は真逆の印象だ。

「ここを出られたら、親父さんやニディに会いに行きませんか? 親父さんはすっげえ心配してたし、ニディだって本当は寂しいんだと思います」

 ここから先、ネハの行き場は生家ぐらいしかない。できれば彼女の意志で戻りたいと思ってもらえないだろうか。

「……会いたいとは思います。できることならば、夫と一緒に会いに行ける日が来ればと。彼は、まだ彼のままでしょうか?」

「どういうことですか?」

 黒羽はネハの言葉の意味が分らずに訊ね返す。彼女にデヴェンドラが何をなさんとして、盗賊をしていたか知っているのかと確認を取られてうなずく。

「デヴェンドラは神の器となるのです。彼の肉体は神に捧げられ、魂はいずれ生まれ変わる。新しい世界で神は新たな肉体をデヴェンドラに用意してくれるはずだと」

 ふっと、黒羽の脳裏に漓瑞が玉陽で神の器になりかけたことを思い出す。

「止めなかったんですか。魂はいずれって、そんなのいつになるかも本当かも分らないのに」

 いつか生まれ変わると言っても、自ら死を選ぶことと大差ない。自分なら必ず止める。それこそ人間と魔族や神とは生きる時間が違いすぎて、いずれなどという曖昧な約束など待てない。

「デヴェンドラが幾度も生を繰り返しながら、やってきたことをたった二十年すら生きていないわたくしが、どうやって止められるというのです。わたくしには、ただ最後まで見守ることしかできないでしょう」

 ネハの言うことに、漓瑞を止められなかった黒羽が反論できる言葉は見つからなかった。

 止めることができないならば、ほんの短い間だけでも共に過ごしたいという気持ちも分らないでもない。

 かといって全面的に肯定できることでもなかった。

「わたくしは、この選択を後悔してはいません。後は、デヴェンドラが願いを叶えたかだけは見届けなくては……」

 ネハが無理に立ち上がろうとして、ふらつくのを黒羽は支える。

「無茶しないで下さい。どうやって出るかもわからねえのに」

 自分で言って黒羽はこの行き詰まった状況にやるせなくなる。

「もし、デヴェンドラの意志が反映されてのなら、わたくしの部屋方角に行けばよいのではないかと思うのですが」

 ネハがぐるりと辺りを見回して、現実の生家の庭を重ねて見るように目を細める。そして右手側を指差す。

「あっちか。しんどかったらすぐに言って下さい。あと、あたしからは絶対に離れないで下さい」

 黒羽はネハの直感に頼ることにして、彼女の手を引いて足を進める。

 覆い茂る木々で道の先は何も見えず少々不安になるものの、他に当てもないのでそのまま突き進む。

「……窓?」

 そして、辿り着いた先には屋敷でなく大きな窓がぽっかり浮かんでいた。窓の向こうは暗くて見えない。

 自分ひとりならば窓枠を乗り越えて中に入れるが、ネハを連れてとなると難しい。

「間違いなくわたくしの部屋です。中には誰もいわせんわ」

「見えるんですか? あたしには真っ暗でみえないんですけど」

 黒羽はネハを振り返り首を傾げる。

「ええ。わたくしにははっきりと寝台も調度品も見えます」

 ふたりで見える物がちがうとなると、ここを越えたらはぐれるかもしれない。

 道は見えているのに進めない。

「お前達、待て!」

 窓の前で困っていると、声がかかって黒羽は振り返って安堵のため息をつく。

「ロフィットさん、無事だったんすね。こっちネハお嬢様です」

 幾分表情の硬いロフィットに違和感を覚えながらも、背後のネハを示す。

「今すぐ剣を下ろして投降するように。抵抗すんなら、こちらも手加減しない」

「ロフィットさん……?」

 話が全く噛合わない。ロフィットの視線は黒羽にむいているものの、明らかに違う物を見ている。

「……仕方ねえ。力尽くでいかせてもらう」

 ロフィットが神剣を抜く。

「ロフィットさん! あたしです、黒羽です!!」

 声を張り上げても、ロフィットの戦意を帯びた目がかわることはない。

 まずい。

 黒羽はロフィットが踏み込んでくるのを察知して、冥炎を抜く。

 振り下ろされた刃を受け止める。ただ、戸惑いが勝って足を踏ん張りきれずに後ろに押される。

 みしりと冥炎の刀身が軋んで、黒羽は一度受け止めた力を緩めてロフィットと距離を取ろうとする。

 しかし、さすがに神剣の使い手とあってそう甘くない。

 ロフィットの間合いから抜ける前に、追撃がくる。

 脇から入り込んでそのまま腕を切り上げんとする刃を寸前の所で交わして、黒羽は体をぐらつかせながらも剣を構え直す。

「やべえな。どうすりゃいんだよこれ」

 実力は明らかにロフィットが上だ。剣を折られるか足や腕を潰されるか時間の問題である。

「大人しく投降する気はねえな」

 一体、彼には自分がどう見えているのだろうか。

 黒羽は困惑しながらも、防御に徹する。冥炎が神剣で簡単に折れないように変質しているとはいえ、本気で折るつもりならどこまで耐えられるかわからない。

 剣を受ける度に冥炎の刀身が軋んだ音をたてる。

 受けなければ自分が切られる。かといってこのままでは冥炎が折れる。

「これで折れねえなんて、いったいなんなんだこの剣」

 さらに神剣に霊力を乗せて刀身に叩きつけてくるロフィットがつぶやく。

 黒羽の方も想定以上に冥炎が持ち堪えていることに、驚きと不気味さを感じる。

 だが、これ以上は難しい。

 黒羽は弱めに炎を噴出させて神剣から冥炎を離そうとするが、瘴気に反応してかさらに神剣の浄化の力が強まる。

 折れる。

 そう思ったとき、不意にふたりの前に光の礫が飛んできて弾ける。

 目眩ましを喰らったふたりは反射的に目を閉じて退く。

 次に目を開けたとき、目の前のロフィットの神剣の刀身に紙が張り付いていた。

「なんだ、符か?」

 よく見れば細かい字が書かれたそれは、符術で使う符だった。

 符術を得意とするのはアデルだと、黒羽が思い出した時音もなく神剣がまっぷたつに折れた。

「嘘だ、ろ……」

 ロフィットが信じられないといった顔をした後に、はっとした顔で黒羽の顔を見る。

「ロフィットさん!」

 何か言いかけた所で彼は突然昏倒した。傍らに落ちていた彼の神剣はいつの間にか消えている。

「大丈夫ですか、ロフィットさん!」

 何度も名前を呼ぶがロフィットは目覚めない。呼吸はあって外傷はなさそうだった。

 眠っていた支局員や魔族と似た状態だ。

「……その方、無事でいらっしゃるの?」

 ネハが心配そうに近づいて来て、黒羽は曖昧にうなずく。ネハは不安そうな顔をしながら、窓の方へと目を向ける。

「子供がいましたわ。ニディよりも少しぐらい上の子がふたり」

「ふたり?」

 片方は間違いなくアデルだろうが、もうひとりは誰だ。

 黒羽はいつの間にかそよぎ始めた風に吹かれながら、窓の向こうを凝視する。

 今度は真っ暗闇ではなく寝台や調度品などが見えたが、それ以上のものは見当たらなかった。

 

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