五ー5
***
本局からの報告が届く頃、黒羽達はすでに鉱山に詰めていた。
少ないながらも妖魔がわき始めているということで、正午過ぎには目撃情報を元に四つの部隊に別れて妖魔の駆除にあたっている。
「このまま、夜営になりそうだな」
麓で黒羽は蛇の頭をもった四つ足の妖獣を切り捨て、山の向こうに日が傾き薄暗くなっている空を見上げる。
「そうですね。夜になればおそらくもっと増えるでしょう。とにかく、人里に出るのを防がなければ」
漓瑞が周辺に意識を研ぎ澄ませながら応える。
黒羽達は鉱山の中までは入っていない。麓で妖魔が人や家畜を襲わないように堰き止めることが第一で、深追いすることはない。
もうすぐ夜が来る。影の時間だ。
人の怖れや不安や寂しさを増長させる闇の中こそ妖魔達が活発に動き始める。
鬱蒼とした木々の合間を抜けて流れ込んで来る、乾いた熱い風に不快感を覚えて黒羽は目を細める。
すでに瘴気が皮膚に感じるほどたち上り始めていた。
「ここで神様が復活するのか……」
駆除活動中に藍李から届いたのは、鉱山に全てが集まっていることがあった。あまりにも簡素すぎる報せで、なにやら慌ただしさが透けて見えた。
「いやあ、まいりましたね。大丈夫言った手前、これはなあ」
アマン課長が先日道案内を頼んだ住人に言ったことを反省しながらやってくる。
「ここまでになるとは、あん時は分らなかったですから……」
かさりとアマン課長の背後の茂みが動いて、やたら尾の長い蜥蜴に似た妖魔が飛び出てくるが彼は動じることもなければそちらに目を向けることもなく剣を一閃させる。
(やっぱり強いなあ)
一応剣を構えてはいたものの、動くことなく終わった黒羽はアマン課長の動作に感心する。
「黒羽さん、群で来そうです」
漓瑞が手の甲から水を溢れさせつつ、茂みや木々の影に目を向ける。
「群だなあ」
忠告通り木の上やら茂みの上から毛のない四つ足の獣の形をした、仔猫ほどの妖獣がわらわらと襲いかかってくる。
青い炎であぶれば瞬く間に黒い靄にかわって妖魔達は消える。
どれもこれも強くはないが、この数の多さでは体力霊力の消耗に気をつけなければいけないだろう。
「大物出てくるとまずいか……」
まだまだ霊力に余裕があるとはいえまだ宵闇が迫る頃からこれではと、黒羽はひっそりとぼやく。
「神剣の応援もありますから、我々は妖魔の駆逐に専念しましょう。今の所、まんべんなく妖魔が出てるみたいで、ちょっと東側が手がたりないようなので私が行ってきます。引き続きここをお願いします。また夜になったら、状況に応じて配置など考えますので。では」
アマン課長はどうやら現況報告に来たらしく、黒羽と漓瑞に頭を下げて自分の持ち場へと戻っていった。
そして見る見る間に辺りは真っ暗になってきて、足下さえおぼつかないほどの暗闇に周囲が包まれる。中空には星と月がぽつぽつと見えていても、高く伸びた木々の枝葉が僅かな光さえ遮ってしまっていた。
少し後方へ目を向ければ野営が設置されている辺りに松明が灯って、そこだけ赤みが強い橙色の灯がぼうっと闇の中で浮いていた。
「少し後退しましょうか」
「そうだな……」
暗がりの方が感覚は鋭敏になるものの、地の利のない場所で周囲が見えないというのは危険すぎる。目が慣れてくるまでは、むやみに動かず退避場所を確認しておいた方がいい。
黒羽は小さな物音や気配を頼りに姿の見えない妖魔を斬りつつ、灯の方へと寄っていく。
だが、戻りかけた所で風が吹いた。
松明を吹き消すほどの突風だ。周囲は再び闇に沈み込む。少しでもと灯をと無意識のうちに空に目を向けるが、瞬いていた微かな星も、ほんの少し欠けた月も見当たらない。
「漓瑞」
視界が黒一色に塗りつぶされて何も見えない中、黒羽は漓瑞を呼ぶ。
「ここにいます」
返事が聞こえてほっとする。
「何が出てくんだか」
冥炎の柄をしっかりと握り込み、黒羽は皮膚で異変を捉えんとする。
しかし大きな音もなければ、風すら吹かない。近くにいる局員達の声も聞こえなかった。
そんな中、音もなく遠くに青い光がぽつりと浮かぶ。それはゆるやかに空へと昇っていく。
瞬く間に光は増えてまるで蛍火のように宙へ向かって飛んでいき、空を覆った。
初めて見るはぞの光景だというのに、妙な既視感があった。
「これは……地下水路」
その答を口にしたのは漓瑞だった。
足下に水はないが、確かにこの光景は監理局の地下水路だった。
ギィィと櫂を漕ぐ音まで聞こえてきて、黒羽はぎょっとして辺りを見回す。
「なんだ、渡し人、なのか……?」
水もないのに舟を漕ぐ姿があちらこちらに浮かび上がって言葉を失う。
誰ひとりとしてこちらを見ることもなくひとつの場所に向かって舟を進めて行く様子は、とても現実とは思えない。
あるはずの木々の影もなくここがどこかすら、混乱してくる。
暗闇という水面をかいて、舟は進む。
すぐ脇を通った船頭の両の手に神の証したる刻印があった――。
***
「どうして」
神剣を携え、湧き出る妖魔達を消していたデヴェンドラは呆然とつぶやく。
逆さの卵の形をした聖地にあった石がぽつりと浮かぶ山頂から見下ろす景色は、すでに闇に呑まれている。下から無数の舟が上がってきているのが見える。
神々が帰ってきたのだ。
何百年と待ち侘びていた瞬間だが、彼らが向かっているのはデヴェンドラの元ではなかった。
デヴェンドラは振り返り側にある石に触れる。ひんやりとした感触があるだけで、主たる神の気配を感じない。
剣と、石がある場所へ神々は集うはずなのだ。だというのになぜ彼らはここへ来ない。
デヴェンドラはせめて剣だけも移動させるべきか迷う。
数百年、必ずここで神が復活すると『デヴェンドラ』の名を引き継ぐ者達は信じていた。
今の今になって、どこへ向かうべきかわからなかった。
「どこへ向かっているんだ」
目をこらして舟の行く先を見極めようとするが、すでに見える景色は知っているものではなかった。
心当たりすらなく、じっと舟の動きを見るだけだったデヴェンドラははっとする。
まさか。
どうして、なぜ、そんなことがあるのか。
ぐるぐると思考は回るがこの直感はおそらくあたっている。
「ネハ……!」
そして道なき道をデヴェンドラは駆けだした。
***
暑い。寝苦しい夜だ。
寝台に横たわるネハはうつらうつらしながら、吐息をひとつもらす。水が欲しいと思えど、眠気が勝って体が動かせなかった。
眠ってしまえばもうこの喉の渇きも、暑さもわからなくなる。
そう、だから眠気に身を任せればいい。
ネハは目を閉じて、浅い呼吸をいくつかしながら意識を閉じ始める。わずかに残った意識は熱いと外側でなく、身の内の熱を訴える
彼女の手は、もっとも熱く感じる腹の上に無意識のうちに置かれていた。