四ー4
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黒羽達が鉱山で滑落したとの報告を受けてやきもきしながら夜をすごした藍李は、早朝になって無事に支局に戻って怪我もないという報せに胸を撫で下ろした。
「もう。心配させるんだから……」
しかし安心したのも束の間、デヴェンドラと接触した黒羽達から報告は悩ましい物だった。
「どれだけ瘴気がたまりこんでるのかしら」
執務室で報告書を読んでいた藍李は口元に当てていた手に無意識の内に歯を立てて、微かな痛みにすぐに口から手を離した。
この頃、嫌な癖がついたものだ。
次から次へと問題が発生しては万全の解決策が見つからない。とはいえ最低限の対処はしておかねばと藍李は執務室を出る。
瘴気が大量に吹き出す危険があるならば、神剣が必要だ。さすがに管轄区外への神剣の分家をだすわけにもいかないので、南部局側へ事情を説明して少なくともひとりは配備してもらわねばならない。
(紛い物……)
神剣に関しても引っかかる報告があった。デヴェンドラは監理局の神剣を紛い物と言ったそうだ。
自分達が命を削り繋いできた役目が胡散臭さを発しているのはなんとも気分が悪い。
藍李が背中にある九龍の重みにげんなりしながら南部局の棟へと向かう途中、廊下の奥からぱたぱたと軽い子供の足音が聞こえて来た。
近くに庭園があるのでそこに向かう子供だろうかとと思いながら音の方へ目を向けると、見知った少女だった。
「おはようございます!……えっと、藍李様!」
銀髪の少女が藍李の顔を見上げて、藍李の名前を思い出してにっこりと笑う。
その天真爛漫な表情は藍李には少々複雑なものだった。少女は北部総局長であるオレグの九つになる娘だ。
「おはよう。アリーサ。ひとり?」
「父様と一緒です。父様、藍李様がいらしたわ!」
アリーサが呼びかけた廊下の奥から少し遅れてオレグがやってきて、お互い愛想笑いだけ返す。
「どうも。ちょっとだけ話、かまわないかしら?」
この際なので少しでも情報を引き出せないかと藍李はオレグに訊ねる。
「今日は可愛い娘と遊ぶ約束してるんだ、悪いけど、今度にしてくれないかな」
「そうしたいのはやまやまだけれど、こっちも悠長なこと言ってられる状況じゃありませんの」
食い下がるとオレグは少し興味を示したらしく、目的の庭園まで行くことを条件に乗ってきた。
「で、南の方は大変なのか?」
大きな石や登りやすい樹木が多い庭園の中央の榕樹の側に置かれた長椅子に座り、オレグが立ったままの藍李を見上げる。
「大変よ。何も知らない?」
「南でことが起きるぐらいだな。ランバートもよくは知らない言ってるし、アデルの野郎はもっとわからねえ奴だな」
オレグがアリーサが同い年の他の子供と遊び始めたのに目を向けて、表情を緩ませていた。今日の彼からは酒の匂いがしなかった。
「それでも、あなたはあちら側なの?」
「あっち側。藍李ちゃんも子供できたら考え変わるかも知れねえぞー。俺ひとりならまあ、神剣の宗主のお役目我慢してやらないこともないけどなあ。可愛いだろ、うちのお姫様は。俺に似なくてよかった」
笑顔で手を振る娘に、手を振り返すオレグの表情は普段の様子とずいぶん違う。彼は似ていないと言うけれど、雰囲気はそっくりだ。
「可愛いわね、確かに。私はあんなじゃなかったわねえ」
自分で言うのもなんだが、思い返す限りアリーサと同い年頃の自分は無邪気という言葉がすでに似合わない子供だった。
物心ついた頃には次期宗主としての役目をこんこんと教わってきた。
アリーサは神剣の宗主家の跡継ぎという自覚は薄そうだった。
「藍李ちゃんはまあ、そういやそんなかんじだったか? 清藍さん厳しい人だからな。女親と男親で違うものかな」
「さあ。性格じゃない? ねえ、神剣について知らない? 監理局の神剣は紛い物だって話が出てるのよ」
「ああ。これが元々の大義名分だからな、まあろくでもない真実があっても不思議じゃない」
オレグが自分の腰の剣に触れながら首を捻る。
「ろくでもない、ね。そうよねえ。そうじゃないと隠したりしないものね」
できることなら知りたくないのだがそういうわけにもいかない。
「藍李ちゃんもういいか? 貴重な娘との時間はこれ以上邪魔しないでくれるかな」
オレグの物言いは軽い口調だったが、表情は本当に嫌そうだった。
いつまで粘っても引き出せる情報はあまりなさそうだと藍李も引き下がることにした。「わかりましたわ。……あなたにとって、今の選択は正しいと思ってる?」
そして最後に滅多にない素面の時のオレグに聞いてみたかった質問を投げる。
「俺は藍李ちゃんのそういうとこ嫌いだぞ。なんでも正しいかどうかだけじゃ決められねえよ。俺は自分が護りたいもんだけ護る」
オレグが立ちあがって、娘の元へと歩き出す。
「……そう思うんなら早死にしそうな真似、やめなさいよ」
藍李はひっそりとつぶやいて本来の目的地である南部局の執務室へといくことにしたが、途中で総局長は今日は出てきていないと聞かされて眉を顰める。
あれからサービルの体調は優れないままだ。無理だろうとは分かっていたが、代わりにハイダルがいるのでそのまま進路変更はしなかった。
「大量の瘴気の噴出の危機ですか……」
黒羽達からの報告書の内容を告げると、ハイダルが厳しい表情になる。
「神剣が一本は必要だと思うわ」
「そうですね。……できれば私が出たいのですが、父の容態が優れないので難しいですね。午後までには決めておきます」
確かにハイダルが出てもらった方が色々とやりやすいのだが、今、総局長が執務につけない状況で代理となる彼を支局に送るわけにもいかない。
「それと、神剣も何かありそうだわ。向こうの魔族は自分が持ってるのは神剣だって言ってて、監理局のは紛い物だって」
「……確か、以前タナトムで魔族が神剣と称した剣を持っていましたよね」
ハイダルが言うように魔族が神剣だと主張した剣は、以前タナトムの旧神によって魔族に与えられたもので魔族は神剣だと主張した。
「あれは、結局後で回収して瘴気が凝った物だってわかったから、妖刀や魔剣と一緒よ。でも、今回はそうじゃないみたいなのよね。これを紛い物ってわざわざいうのがひっかかるわ」
「監理局が知らないことを知っている神の末裔である魔族がまだ多くいるのでしょうか」
「いるんでしょうね。さすがに監理局も都合の悪いものを全部根絶やしにはできなかったのよね」
藍李はこれではまるで悪事を働いている側の言い方ではないかと自嘲する。
オレグに正しいことなどと言ったことまで陳腐に思えてくる。
「……全ての歪みが今になって返ってきているんですね。我々は祖先の過ちを今から償いながら責任を持って対処していかなければ」
ハイダルが重苦しくつぶやく。
(償う、ね)
彼はそういう考えで動いている。目的は同じでも噛合わないことは多くなるだろう。
ランバートとオレグだとてそうだろう。
「私達はまた資料あさりしてるしかないわね」
ほんの齟齬で割れてしまわぬようにハイダルとは上手くやっていかなければと、藍李は気をひきしめる。
そしてうんざりするほどの資料とまた向き合わねばならないことに、少々表情が険しくなっているハイダルと目を見合わせて苦笑した。




