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女神の玉座  作者: 天海りく
盗賊王の花嫁
41/67

三ー1


 女神の島の南部、密林の濃い緑の中に埋もれるようにして艶やかな金茶の外壁と同色の玉葱に似た屋根の屋敷が建っている。代々南部総局長を務めるシトゥーム家の住まいだ。

 屋敷の内部は開口部が多く、天井も高いので狭苦しさがない。しかしその屋敷で、というよりもどこでも同じく埃と古びた紙と墨の匂いが充満し圧迫される書庫に藍李はいた。

 昨日南部第九支局へと赴いた黒羽達の報告を受け、シトゥーム家の資料を見せてもらっているのだ。

「……まずはこれ、今のどこのあたりか考える所からね」

 監理局創設頃と思しき記録は見つけたものの、塗りつぶされた箇所が膨大で内容がまるで判別できない箇所が多く、あまつさえ地名ですら現在とまるで異なる。

「南大陸は、度々国も統治者も変わって記録も曖昧な所が多いので……」

 共に資料を探しているハイダルが複雑な歴史に申し訳なさそうに言う。

「東部局側は統治者が変わっても、国の領土や国名は大きく変わらなかったから覚えるのは楽だったわ。南部の歴史は囓った程度だけれど、これは大変ね」

 管轄区の歴史を学ぶことは必然である同じ宗主家でも、数百に及ぶ国名と変動する国境線を学ばなければならない南部局の労力は他局とは比にならない。

「私も全て覚え切れていません。おそらく歴代の当主で覚えきった者もいないかと。第九支局があるジャロッカ王国も二百年も遡ればみっつの国に別れます。たどれる分だけでも国が増減し名前が変わり百近い名前が出てきます。いくつかは地名としても残ってはいるのですが」

「そこから絞らないといけないのよね。水を湛える器ってだけの手がかりも少なすぎるわ」

 藁山の中から針を探し出すような作業に、始めて間もないというのに嫌気がさしてくる。

「ハイダル様~、わたくし、無理。無理ですわ~。緋梛お姉様だけじゃいけないかしら」

 そして書棚の影からさっそく白雪が半べそになりながら音を上げていた。

「白雪、君に頼んだのは私も最初から無理だとは思っていた。思っていたが、人手が足りないのでもう少し努力してもらえないか」

「文字がいっぱいありすぎますわ。ハイダル様、わたくしお茶を用意したり資料の整理やります~」

「……藍李様、申し訳ありません。この通りなのですが」

 困り顔のハイダルと涙目の白雪に見つめられた藍李は苦笑するしかなかった。

「いいわ。資料読みは黒羽といい勝負だったわね。緋梛、そういうことだから白雪の分まで頑張ってあげて」

 声をかけると近くの書棚で脚立に上り資料を引っ張り出していた緋梛が、不服そうな顔を覗かせる。

「あたしもこういうの、苦手なんですけど」

「そういえばそうね。じゃあ、白雪は緋梛を手伝ってもらうでいいかしら」

 ハイダルに確認を取って、緋梛と白雪の姉妹はふたりで資料の捜索にあたってもらうことになった。

「早い内にこの件に関する部署を整えねばならないですね」

「分家の跡継ぎ全員と、緋梛と白雪と黒羽と漓瑞。それだけじゃまだ足りないけれど、まだ全体にアデルのことを公にもできないから人選が難しいわ」

 現在確定している人員は三十名足らず。少ないというわけではないが、十分とも言えない数である。いったいどこまで立場の者に情報をつまびらかにするかが難題だ。

 できれば歴史の知識が深い者の数が欲しい。神剣の宗主家はもちろん分家も歴史は学ぶがあくまで表面的なことだけだ。その中で史学に精通する者は片手に足るかどうか。

「残っている資料、各地の逸話。情報を集め整理する。これだけでも膨大な作業になります……とにかく今は第九支局の件ですね。場所の特定……」

 かろうじて第九支局の建つ王国と近隣ということだけはわかっている資料の山を改めて見て、藍李とハイダルはげんなりする。

「器が手がかりよ、それらしきものがあったらこっちの机に分けておいて。そうだわ、支局のあの建物自体がなんだったかも探さないと」

「南大陸は特に魔族同士の抗争が激しかったと伝わっていますね。魔族も北大陸よりも数が多いと見込まれています」

「それだけ前の神様達の恨み辛みがありそうだわ。魔族だけのどこの国にも属さない部落がかなりあったわね」

 大抵の魔族は部落を作るほどは群れはしないが、南大陸に限っては人の住み着かない僻地で独自の自治体を構成している集団が複数ある。

 彼らは自分達の祖先がかつて神であることを知っているという可能性は十二分にある。

 魔族だけでなく人間も交えたひとつの国家である砂巌が隠し通したのだ。魔族だけの集団ならなおさらだ。

「砂巌で支局を襲った魔族も、南大陸の者の身体的特徴でしたか。今回の窃盗団は真実を知っていて動いているとみていいのでしょうか」

「旧神に関係あるものをかき集めてるのは、真実か、それに近いものを握ってるに違いなさそう……うーん、これ、そうかしら」

 ハイダルと話しながら目を通していた資料に壷という記述を見つけて藍李は唸る。

 黒塗りの部分も多いのが気になる所だ。

 そして読み進める内に、時間は瞬く間に過ぎてしまう。

「いけない。私、会議があったんだわ。ハイダル、白雪、緋梛、悪いけどまた後でくるから続きお願い」

 藍李はふと見た置き時計の針の進みに、慌てて立ちあがり傍らに置いてある神剣九龍を背負う。

 分類はそこそこ進んだとはいえ、記述が何を意味しているか精査するのはまだまだこれからだった。

(通常公務と、これの平行はやっぱり人手がいるわね)

 古びた匂いで充満した書庫から新鮮な濃い緑の匂いを含んだ風が流れる廊下に出て、藍李は空気の清々しさに伸びをする。

 本局の塔へと向かうための水路へと赴く途中、見慣れた白衣の後ろ姿を見つけた。

「父様、サービル様の診察?」

 医務部長である父のレンドールが歩調を緩めて、父と娘が並ぶ。

「ああ。お前は例のか」

「うん。そう。あ、ちょっと」

 レンドールにふと両手で顔を挟まれ、そしてそのまま下瞼を下げられて藍李は驚く。

「お前、あんまり寝てないだろ。食事もちゃんと面倒臭がらずに魚も肉も食べてるか? 酒は飲み過ぎてないな」

 藍李の目のわずかな充血や顔色を診断してレンドールが顔をしかめる。

「しんどくない程度には寝てるし、食べてるわよ。それに私飲んだくれじゃないわ」

 健康的な生活とは言いがたいので後ろめたくなりながら、藍李はむくれる。

「母親似で我慢強のはいいが、しんどいと思ったらばったり倒れることもあるから気をつけろ」

「わかってる。まだ私は若いんだから大丈夫よ」

 母の前総局長は血を吐き始めた頃も、苦しいとはひと言も零さずに精力的に公務に当たっていたがある日会議中に倒れて一晩目を覚さなかった。

 それから体調は一気に悪化していった。

「若い時の無茶が、歳くってからくるんだ」

「時間が空いたときは、ちゃんと寝るわよ。食事もちゃんとする。……サービル様、悪いの?」

 今日もサービルに挨拶はしたが、先日の会議以降寝台の上にいることが多くなったということだ。

「進行が早まってるな。新しい薬はこの段階なら効くとは思うが、腐蝕は人間の手じゃ止めきれんな」

 長らく腐蝕の治療に当たっているレンドールが重々しく呟く。

「母様の方はこの頃どう? 口はあいかわらず元気そうに見えるんだけど……」

 寝付いている母の清藍と話す機会は忙しさと体調で減っている。あまり弱っている所を見せたくないらしく、不調の時ほど会ってもらえない。

 しかし日に日に細くなって顔色も悪くなっているのは確かだった。

「あいつは口だけは、本当に減らないからな。……忙しいだろうが、会いたいって言ったらできるだけ会ってやれ」

 父のその言葉は曖昧ながらも明確な真実を含んでいた。

「うん。私も会いたくなったら、ちゃんと会いに行くわ」

 幼い頃から支局でほとんどの時間を過ごし、学徒から正式に局員になった五年前からは生家に帰ることが少なくなった。

 母を恋しいと思ったことは少ない。総局長としての役目を果たした母親を敬愛をしているが、宗主家の家長と跡継ぎという立場を取り払っていざ母と子という関係だけになると途端に戸惑ってしまうことが多い。

(だけれど、もうあれこれ考えてる時間はないのね)

 母といられる時間はほんのわずか。そして自分ももう二十歳で人生が半分終わってしまっている。

 立ち止まって迷うだけの猶予はどこにもないのだ。

 藍李は背負った剣の重みと、隣にいる父と歩く時間をしっかりと受け止めながら明日は報告がてら母に会いに行こうと思った。


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