ニー2
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「……漓瑞、あたしはもう駄目だ後は頼む」
会議から二刻程経つ頃、黒羽は捜査資料の山の前でついに力尽きた。
「もう少し頑張りなさい。あなたはこういうことも多少はできるようにならないと」
「いや、でも、前よりは頑張ってるぜ。しかし、魔族監理課の事務仕事はあたしには絶対無理だ。妖魔監理課にとってもらえてよかった」
妖魔監理課も報告書の作成はあるがこれほど膨大になることはない。文字を読むのも書くのも苦手な黒羽は、机の上に全て積み重ねると自分の目の高さまで届きそうな山がふたつはできそうな資料を目にしただけで逃げ出したくなった。
「これだけの資料があるのは魔族監理課でも珍しいですよ。件数が多いのもあるでしょうが、几帳面ですね」
元魔族監理課の漓瑞が黒羽の倍近くを読み込み感心する。
「なんかここまで読んで気づいたことあるか? あたしはかなり頭に入んなくなってんだけどよ、規模の大きい盗難事件だよなあ」
「ええ。目録や被害地域を見ても広範囲にわたっているとしか……」
漓瑞も女神に関すると思われる情報を見つけられていないらしかった。
「お前が気付ねえってなると、難しいな。こういうのはグリフィスがいたらなあ」
女神がいた頃の世界を旧世界と呼び、その頃の道を自由に使う青年の助けが欲しくなってくる。
「骨董にも詳しそうですから、協力を仰げれば確かに進展はあるでしょうが彼とアデルの繋がりもまだ未知の部分がありますから。それに、彼にも果たすべきことがあります」
「皇帝陛下、だもんな」
漓瑞が声を潜めるのに、黒羽も小声で応じる。
グリフィスは北大陸一の版図を誇るレイザス帝国皇帝でもある。今は政務が立て込んでいて国元を離れられないということだ。
「この先も私達だけで動かねばならないことが増えるでしょう。自分達でできることを増やしていかねばなりません。しかし、この捜査資料ばかり見ていてもあまり有益なものは見つかりそうにないですね」
「だったら、この辺で切り上げようぜ……」
まだ多分に残っている書類の山を処理して収穫なしではたまらない。
「女神にまつわる話を先に聞きましょうか。タナトムと同じ聖地の警備係があると藍李さんが言っていましたね」
人が立ち入れる場所に聖地がある場合、みだりに人が立ち入らないために警備係が置かれるのだ。
「石以外何にもないとも言ってたな。日蝕もグリフィスの話だとないっていうからなあ」
この王国の聖地は川辺の大きな岩の塊の周囲だという。そして聖地の異変は日蝕の時だった。
「その石が旧い神の墓標という可能性もありますね。聖地周辺で気になったことを訊ねましょう。その後に残りにも目を通しますよ」
にっこりと漓瑞が微笑んで、書類から逃げられると思った黒羽は無言でうなだれた。
そして警備係の場所を支局員に問うと魔族管理課内の奥の方だという話だった。実際行ってみると小さな空間に局員がふたりだけいて、事務仕事をしているところだった。
「聖地ですか? 本当に川辺に卵をひっくり返したみたいな形の大きな石以外は特に何もないですよ。局員も係長の私を含めて五人だけです。雨期になると石全部と、周囲もほとんど川に沈んでしまうので見廻りをしつつ、魔族監理課の事務仕事の手伝いと平和です」
警備係長の話を聞く限りだと、本当に何もなさそうだった。
「不審な人物が聖地の周辺をうろついている、あるいはほんの少しでもいつもと違うと気づいたことなどはありませんか?」
「いやあ、そういう報告は出ていませんね。正しき者が石に触れると願いが叶い、邪な者が触れれば罰をうけるという伝承が石にありまして、時々願掛けや度胸試しをする者はいますが……窃盗事件に関係あるのでしょうか。さすがにあの石は高さは人間の倍はありますし、魔族の怪力でもそうそう盗めないでしょう」
「ええ。それでは盗めませんね。他に伝承などはあるでしょうか? 女神への贈り物や、下賜された物。逸話などがあれば知りたいのですが」
漓瑞がゆっくりと、しかし確実に欲しい情報を選んで問う姿をこういうことは苦手な黒羽はありがたく思いながら見守る。
「はあ。その昔、ここら一体は人々が争い多くの妖魔が跋扈していたそうです。それを女神様が雷にで撃ち払ってくださったのです。争っていた人々は女神に感謝し、多くの壷や瓶などを献上しました。そして、女神様は正しい行いをする者に献上品を下賜したのです」
「貰った物を他の誰かにあげたんですか?」
それは贈った側はあまりいい気がしないのではないのだろうかと、黒羽は首を傾げる。
「ええ。贈り物に選ばれることが名誉だったそうです」
「そっか。いい物だから特別になのか……?」
納得できる部分があるものの、腑に落ちない部分もあった。
「すみません。献上品とは壷や瓶。水差しと花瓶。それから皿の形状は確認されている物では、深めの汁物を入れる物なのでは?」
何かに気づいたらしく漓瑞が警備係長に尋ねる。
「ええ。言われてみれば知っている皿はスープ皿ばかりですね。全部は知りませんが……」
「他に宝飾類や貴金属などは献上品にはないのでしょうか?」
「聞いたことがないですね。そういう物はすぐに売られてしまったりもあったかもしれませんが、ひとつもないのは不思議ですね。本局からは宝石や金銀が沢山でるからでしょうか」
警備係長が初めて覚えた疑問に目を瞬かせる。
「ありがとうございます。また時間がとれれば聖地の方へも足を運ばせていただきたいと思います。では、失礼します」
漓瑞が丁寧に頭を下げて、黒羽も慌てて彼に倣う。そしてまた山積みの資料の山へと戻ることになった。
「手がかりになりそうなものか?」
漓瑞が見直している盗品目録を黒羽は覗き込む。
「全て、水か液体を湛えるものです。そこに意味があるのではないでしょうか?」
「うーん、東の神様は水に関わる話が多かったよな。でも、水っていうよりか容れ物っていうかんじっつーか。悪い、自分でよく分からなくなってきた」
何かこう思いついたのだが、言葉にできない内に考えはどこかへ消え去ってしまった。
「容れ物。ああ、そうですね。水、液体に拘らず何かを入れる物ということが重要なのかもしれませんね」
「おお。そういうことじゃねえか。でも、そう考えると窃盗団は昔の神様のことを何か知ってるのかもしれねえな。しっかし訳わかんねえな。容れ物かき集めてどうすんだ?」
魔族の中でも自分達の祖先がかつて神と呼ばれていたことを知っている者がいるなら、この奇妙な窃盗団はただの盗賊ではないことになる。
「藍李さんに本局に何か関連する資料がないか探してもらいましょう。神の統合の際に伝承は歪んで欠落してしまった情報がみつかるかもしれません」
「じゃあ、あたしらは手がかり届くまで待機か……。その前に窃盗団捕まえちまえば一気に解決だけどな」
頭を使う必要がほとんどない最短の方法ではあるが、そうやすやすとはいかないだろう。
「問題は、頭目が持っていてる剣ですね。支局からの応援もここの支局員では太刀打ち出きないからでしょう。黒羽さんはまた大怪我をしないように気をつけてください」
「ある程度はすぐ傷が治るから問題ねえよ。あ、痛覚が鈍くなってる分、治りきってねえ傷に気づかねえとか、無茶しすぎるとかそういうのも気をつける」
漓瑞に口を酸っぱくして今日まで何度も言われたことを黒羽は反復する。
医務部長の元、痛覚の確認をしたがやはり痛みに関しては感覚が薄くなっていた。熱や冷気はまだ普通に感じられているのだが、この先その感覚も鈍くなる可能性はなきにしもあらずということだ。
自分の体が急激に変異したわけではなく、内側で徐々に変化していたものが大きな衝撃によって目覚めたというのが医務部長の見解でこれからも肉体に過度に負担がかかった時に、新たな変異が起こる可能性もあるという。
「もし、無茶が必要と思ったら即時撤退、本局に神剣の使い手の応援を要請することもわかっていますね」
「わかってる。無理はしない、引くべき所で引く、それよりお前の方こそ本当に大丈夫なのかよ。妖刀使うとき、あんまり近くにいない方がいいんじゃねえのか?」
漓瑞の体の内側の傷は快癒していると医務部長が判断したとはいえ、目に見えない部分だからこそ下手に負担をかけたらまた悪くなるのではと不安になる。
「大丈夫です。私も、無理はしません。あなたが無茶をしないように見ていないといけませんから」
「……まだまだあたしはガキ扱いか」
漓瑞が穏やかに微笑んで、黒羽は子供扱いに唇を尖らせる。しかし、何かはぐらかされた気もした。
「そういう意味でもないのですけれどね。さあ、盗品の目録を中心に読み込みましょうか」
そして漓瑞が机の上の書類を示して、黒羽は表情を強張らせる。
「……無茶しないためにもよ、相手の実力がどんなもんかも分かっとくの大事だと思うんだ。つーことで、アマン課長に一勝負してもらってくる」
これ以上書類と顔を突き合わせるのは無理だと黒羽は逃げることにする。
「しかたないですね。あまりご迷惑かけてはいきませんよ」
漓瑞は諦めたらしく渋々了承してくれた。
「おう、じゃあ、後は頼んだ」
演習が楽しみでわくわくしながら部屋から出てく途中、黒羽はふと漓瑞が気になって振り返る。
彼はすでに書類に目を落とし半ば集中していていつもと変わった様子はまるでない。
(気のせい、だよな)
胸にわき起こったもやもやとしたものを振り払い、黒羽はアマン課長に挑むことへ集中することにした。