一ー4
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翌日、すぐに黒羽へと妖刀帯白が藍李手ずから渡された。
「冥炎よりは軽いのは刀身がちょっとばかし短いから、か?」
広々とした演習場で、黒羽は冥炎と同じく片刃の帯白を正眼に構えて慣れ親しんだ愛刀との僅かな差に違和感を覚える。
「使ってる内に慣れてくるわよ。試しに撃ってみて」
藍李が背から九環刀、神剣九龍を抜いて万が一の暴発のために備える。いつも訓練に付き合ってくれている漓瑞はいない。
砂巌での魔族襲撃の際に漓瑞も負傷した。骨折や打撲などの傷は直ぐに癒えたものの、体の内側が問題だった。神々の怨嗟である瘴気によって臓腑が傷ついていた。
本人はそれほど違和感もないというのだが、外傷のようにはっきりと目に見えるわけでもないので念のため、もう少し妖刀の瘴気も避けた方がいいということになった。今日も漓瑞は定期検診のために医務部に行っている。
「よし。ああ、全然冥炎と違うな。なんつーか、変な感じだ」
黒羽は帯白に霊力を流しながら眉をひそめる。引っかかりなく滑らかに霊力を乗せることができた冥炎と違って、ざらざらとした異物感があってなんとも心地が悪く馴染まない。
いかに冥炎との波長が合っていた、初めて実感した。
黒羽はやりにくいと感じながらも、帯白から炎を放つ。
事前に説明を受けたとおり、白い帯状の炎が真っ直ぐに瘴気を受け止める特殊壁と向かって行く。
黒羽は刀身を振って炎の向かう先を右手側に寄せさらに底から左へと蛇行させる。
自分が思った瞬間と実際に炎が曲がる時に微妙なずれがあった。使いづらいというほどではないものの、冥炎と比べるとどうしてもしっくりこない。
「どう? 見た感じは悪くないんじゃないかしら」
「悪くはねえんだけどよ。いいっていうほどでもねえなあ。冥炎と比べてもしょうがねえんだけどよ」
「そりゃそうよ。冥炎とはぴったり合うようになってるんだもの。じゃあ、次は全力でやってどれだけ威力が出るかね」
黒羽は藍李に言われるままに霊力を帯白へとひと息に流し込んでいく。
波長が合わないせいか最後は無理矢理押し込態となりながらも、一気に力を解放すると帯と言うよりも絹の反物のように炎が刀身から溢れ出す。
だが、すぐにみしりと手元で危うい音がした。
「まずい……藍李!」
黒羽は異常を藍李に伝えると同時に、力を引き戻そうとするがすでに制御がきかなくなっていた。
白い炎がどろりとした液状に形を崩れたかと思うと、すぐさま音もなく破裂して部屋中が真白い光に包まれる。同時に刀身も粉々に砕け散って、黒羽の両腕に激しい痛みが走った。
「くそ、藍李、無事か!?」
閃光のせいで眩んだ視界がまがはっきりせず、黒羽は何度も瞬きしながら藍李に呼びかける。
「無事よ。そっちも大丈夫ね」
「おう。……目もなんとか見えてきたか」
まだ瞼の奥が痛むものの、神剣を盾にして屈んでいる藍李の姿がぼんやりと見えてきた。
「ちょっと! 大して大丈夫じゃないでしょ、腕!」
藍李の方も視界が利くようになったらしく怒声が飛んできて、黒羽は自分の腕を見下ろしてぎょっとする。
掌から肘の辺りまで火傷の水ぶくれと裂傷からの出血で真っ赤だった。
「そんなに痛くねえな?」
確かに負傷した瞬間は激痛があったものの、今は見た目のわりに痛みが薄い。
「黒羽、とにかく医務部、に……」
駆け寄ってきた藍李が黒羽の腕を見て絶句する。黒羽自身も唖然として声が出なかった。
ゆっくりと濡れた布が乾くように、水ぶくれが収まって皮膚が健康なものへと変わっていく。ぱっくりと割れた裂傷も浅いものから順に塞がる。
そして完治とまではいかないものの浅い傷は全て塞がり、掌の軽い火傷といくつかの切り傷が残るだけになった。
「これ、緑笙と一緒だよな」
一番末の神子でありアデルに体を乗っ取られている緑笙は、傷口が瞬時に塞がるほどの自己治癒能力を備えていた。
「そうね。今までも出血を抑えたりはできてたみたいだけど、明らかに治癒能力が強くなってるわ」
藍李の言う通り、自己治癒に関してはこれが初めてではない。大抵は追い詰められた時に最低限命を繋ぐために止血していた程度だった。
だが、これは明らかに今までと違う。
「あたしの体は本当に変化してるんだな。つーか、お前も怪我してるじゃねえかよ」
自分自身の体が人とかけ離れていくことに戸惑いながらも、黒羽は藍李の服の一部が焦げ指先に火傷もあるのを見つける。
「私の方は掠り傷よ。神剣でほとんど防いだもの」
「大した事ねえならいいんだけどよ。悪いな。妖刀も壊しちまった」
自分の力の入れ方が悪かったのせいで友人を負傷させたことに黒羽は罪悪感を覚えながら、鍔まで駆けてほとんど柄だけになってしまった帯白を藍李に渡す。
「気にしなくていいわよ。私のことも、妖刀もね。でも、暴発したってわけでもなさそうね。暴発して粉々になるのは刀身じゃなくて使い手の方だもの。蒼壱の完全同期の失敗にも似てるかしら。そっちも含めて、医務部に行くわよ。それ以上は治らないみたいね」
藍李がじっくりと柄を眺めた後に、黒羽の腕を見やる。確かにこれ以上は急速に傷が塞がることはなさそうだった。
(……傷の割に痛くねえよなあ)
しかし痛みだけはほとんどなくなっていた。緑笙も痛覚がなかったはずだ。
このまま痛覚までなくなるのは少し恐い気がした。
「黒羽、痛む?」
黒羽の表情が硬くなると、藍李が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「いや、痛くねえ。痛くなさ過ぎるんだよな」
「痛覚もなのね。ここで考えてもしかたないからほら、さっさと診てもらうわよ」
藍李に言われて黒羽も考えてもどうにもならないとやっとその場から動いた。
***
医務部長のレンドールの触診が終わり、漓瑞ははだけていた上着の留め金を直す。
五日ごとに受けている検診は、レンドールの様子を見る限り悪くもなってなければ、よくもなっていなさそうだった。
「今の所、特に気になることはありません。喉の爛れも回復してそのまま。体調にも変化はないですね。食事も通常通りに摂れている」
毎回同じ聞き飽きたレンドールの質問に漓瑞はうなずく。
「問題ありません。症状も出ずに落ち着いています。検診はこの頻度でまだ続けるのですか?」
五日に一度同じ事の繰り返しに正直辟易していた。
「そうだな。十日に一度ぐらいに開けましょうか。もし何か異変を感じたら直ぐに受診をお願いします。腐蝕は見てきたんですが、魔族っていうのは初めてなので経過はこまめに観察させてください」
漓瑞の臓腑の傷は他の神剣の宗主達と同じ腐蝕からくるものだ。数十年前から発症してアデルによって一時的に回復したものの、再び進行を始めている。
砂巌で神々の瘴気を受けたときにこのまま悪化するのではと心配はしたのだが、幸い回復して状態は落ち着いていた。
死は恐ろしくはない。ただ未練があった。
「部長、藍李様がいらっしゃってます。黒羽さんが訓練中の負傷だそうです。状態は両腕の軽い火傷と裂傷で軽症です」
医務部の女性がレンドールを呼んで、漓瑞は黒羽が負傷ということに眉根を寄せる。
(藍李さんがついていながら一体何が)
今朝、会った時には新しい妖刀の訓練をすると言っていた。たいした怪我ではないようだが。
「すみません。私はまだここにいていいでしょうか」
漓瑞はふたりを通すように言うレンドールに、黒羽についていいか訊ねる。
「ん。本人がいいなら付き添いはかまいませんよ。……また何してたんだお前らは」
そして黒羽と藍李が診察室に入ってきて、実際に黒羽の傷が深手ではないことに漓瑞は安心する。
「体、大丈夫そうか?」
「もうなんともありませんよ。それよりもあなたの方が酷いですね」
腐蝕のことはまだ黒羽に言っていない漓瑞はさらりと誤魔化しながら、間近で黒羽の傷を見て表情を曇らせる。
深くないとはいえ両腕の広範囲に広がる傷痕は痛々しい物だった。藍李がレンドールに状況を説明しているのを聞いていると、別の心配がわいてくる。
黒羽の体に大きな変化が出ている。表情を見れば彼女自身も心許なさそうだった。
「神子についてはまだわからないことが多すぎるからな。今は傷の治療だけして様子見するしかないだろう。快復力が異常っていうのは、まあ問題はないが痛覚が鈍くなってるのはよくない。といっても対処しようがないか」
医務部長にも黒羽に関してはお手上げらしかった。
「父様がどうにもできないならしょうがないわね。後は妖刀壊れた件は研究課でも見てもらわないと。黒羽、あんたは今日は医務部で色々検査受けてもうらうから。私も他の仕事があるから付き添いできないから、漓瑞、頼んだわ」
藍李が矢継ぎ早に段取りをつけていく。
「付き添いって子供じゃねえからいいよ」
「これから先も私は黒羽さんと行動することが多くなるので、状態は分かっていた方がいいと思いますが、あなたが嫌だというなら後で話しておきたいことだけ聞きます」
できれば付き添ってはいたいのだけれど、自分の体のことをあれこれ他人に知られたくないという気持ちもあるだろう。
「……そうだな。お前がいいっていうんなら、一緒にいてもらった方がいいか」
黒羽は少し考えた後に納得したらしくうなずく。そして黒羽の傷の治療が終わるまでの間少し、外で待つことになった。
「ねえ、あんた腐蝕のこといつ言うのよ」
一緒に外に出た藍李が小声で小突いてきて、漓瑞はため息をつく。
「そろそろと思っていたんですが、黒羽さんもまだ自分の事でいっぱいでしょう」
さすがにこの状況で自分の命があと数年程度かもしれないとは、黒羽に伝えることはできなかった。
「落ち着くまでは黒羽の頭がついていかないのは確かね。でも遅くなったら遅くなるだけ、拗れて後悔するのはあんただから覚えときなさい。じゃあ、黒羽のこと頼んだわよ」
藍李がぶっきらぼうに言い捨てて、廊下の奥へと消える。
「……言い訳ばかりして、先延ばしにしているのはわかってはいるんですけどね」
黒羽がどんな顔をしてどんな気持ちになるかを考えると、上手く言葉を選べずにいる。できるだけ早い内に伝えたいのは山々だけれども、踏み出せない。
廊下におかれた長椅子に腰を下ろした漓瑞は、自分自身に苛立ちながら長々とため息をついた。
***
訓練での負傷から八日ほどたって、黒羽と漓瑞は藍李の執務室へと呼び出されていた。
「ちょっと待てよ、支局の応援に行くのはいいけどよ、あたし丸腰でか?」
通達されたのは南部第九支局への出向命令だったが、新しい妖刀の至急が見送られた黒羽は混乱するばかりだ。
「剣は冥炎持って行って。帯白破損の原因は今はあんたの霊力が強すぎて耐えられない意外に理由が見つからないのよ。他の妖刀魔剣でも同じことになる可能性が高いし、普通の刀剣なんてもってのほか。冥炎以外にあんたが使える剣がないのよ。はい」
藍李が執務机の裏から冥炎を持ってきて、黒羽はほとんど傷が癒えた腕で受け取る。
久方ぶりの愛刀の感触と重みにほっとするものがあった。
「藍李さん、私達が行くということは、アデルになんらかの動きがあったということでしょうか。南部局とは協力する旨になっているとはいえ、管轄が違う私達が行って面倒なことになったりはしないのですか」
黒羽が冥炎との再会に浸っている横で、漓瑞が冷静に状況説明を求める。
「南部局も今、天候不順とか食料何とか部族抗争とか、とにかく瘴気が増えて忙しい最中で人手不足だから東部局から応援も不自然にはならないわ。第九は東寄りで他に比べたら平和よ。アデルかどうかはわからないのよね。今、骨董を狙う魔族の窃盗団が活発に動いてるのよ。監理局創立前後ぐらいのものが盗まれてるんだけど、由来が女神に関わるものばかりなの。で、盗賊首領と思しき魔族と五日前に交戦して取り逃してる」
「あたし達はその盗賊団を追うのか」
ごちゃごちゃとしてよくわからないがやることはひとつだろう。
「しかし、それならば現地の局員に任せて本局で尋問すればよろしいのでは?」
「そう。最初は南部局側もアデルとの関わりは疑ってなかった。でも、交戦して事情が変わったわ。相手の魔族の持っていた剣が変だったのよ。妖刀魔剣でもないけれど、なんらかの霊的な力を持ってるとしか思えない剣だったって。こちらの魔剣の攻撃を無効化したそうよ。神剣にも似てるって話だわ」
「かなり変わってるけど。その魔族の特殊能力じゃねえのか?」
魔族はそれぞれ特殊な能力を有する。戦闘に特化した能力を持つ魔族ももちろんいる。
「そうね。でも、魔族って古い神様の末裔でしょ。そして女神に由来するものをかき集めてるなら調査した方がいいと思うの。あんた達もしばらく現場に出てないし、復帰にはちょうどいいんじゃないかしら」
「冥炎も帰って来たし、確かにちょうどいいな。よし、じゃあ行ってくるか」
何はともあれ仕事ができることはいいと、黒羽は考えすぎずに命令を受ける。
「じゃあ、さっそく明日からお願いするわ」
そうして黒羽達は翌日に南部第九支局へと旅立つこととなったのだった。