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女神の玉座  作者: 天海りく
双つの蒼炎
26/67

四ー1


 夜半、漓瑞は寝台の上に寝転がって熱と不快感を発する鎖骨の下あたりを手で押さえてゆっくりと呼吸をする。

 遺跡で紅春を見つけ本局に報告して五日。

 ここは瘴気が濃く腐蝕が進んでいる体には堪えるので早く切り上げたいというのに、遺跡の調査に加え王宮の調査も指示に加わりやることは増えた。

 それなのに表向きの仕事である妖魔の駆除が忙しくほとんど進展がない。

 漓瑞は半身を起こして寝台脇の卓においてある水を飲む。そろそろ何か食べなければならないが水以外を口にする気になれない。

 この感覚は覚えがあるものでじりじりと歩み寄ってくる死の気配に焦燥感が募る。

「浅ましい以外のなにものでもありませんね……」

 死は覚悟しているはずなのに。

 漓瑞が自嘲の笑みを浮かべた時、そろりと扉が開いた。

「またあなたは外から……」

 部屋に入ってきたのはグリフィスだった。

「だって隣、誰もいないんだもん。黒羽は仕事中?」

「黒羽と緋梛さんは浴場でしょう。日が沈んでから出動命令があったのでいつもより食事をとるのも遅かったですし。それで、砂巌の王家について何か有益な情報はありましたか?」

 とにかく砂巌は他国との交流が皆無に等しいので、かろうじて繋がりがあるであろうレイザスに情報はないのかとグリフィスに調査を頼んでいた。

「なーんにもなかったよ。今現在はもちろんだけど過去二百年分ぐらいの資料は探したけど国交の痕跡はなし」

「そんなはずは……玉陽の二度の蜂起に出陣したのは帝国と取引があったからでしょう」

 一度目の反乱は砂巌に奇襲をかけられなければ勝てたかもしれなかった。帝国側が後々に砂巌が自国側についたとも宣言している。

 ないはずがないのだ。

「ないよ。軍の記録も見たけど砂巌が勝手に出陣して、理由を聞こうにも返事がなかったからとりあえず牽制のために砂巌が味方についたって、嘘ついたっていうことぐらいしか載ってない。この前のだってそうだよ。終わってから砂巌が兵を出したって知ったぐらいだし」

 漓瑞は愕然とするより他なかった。

 もはやそれは乱に乗じて嫌がらせをしてきたようなものではないのだろうか。しかしそれにしても二回とも砂巌側に多少の犠牲は出ていた。

 そこまでする意味は一体どこにあったのか。

「恨みとかかってなかったの?」

「ありませんよ。過去に遡ってもなかったはずです」

 幼い頃に受けた教育を思い出しても、砂巌に関してはあまり触れられていなかった。内に引きこもっていて他国との接触を避けているとしかない。

 漓瑞は寝台から降りて椅子へと移る。

「記録にない部分……」

 残る可能性はそこだ。

 しかしあれほど大規模な兵団を出すほどの大きな確執の記録が、果たして片側だけに残る物なのだろうか。

「じゃあやっぱり遺跡調べるしかないんじゃないかな? 後はそうだ、王宮の書庫に忍び込んでみるよ。どうせあっちこっちに道があるんだし簡単だよ!」

 グリフィスが漓瑞の向かいに座り長い足をぶらつかせて提案する。

「……それはいくらなんでも危険ではありませんか。タナトムの聖地で扉を全て閉められてしまったことがあったでしょう。そうなるとこちらも対処しきれませんよ」

 まだ白春と思われる人物がどうやって本局に入り込んだのか、紅春自身がどうやって遺跡に入り込んだか不明だ。

 遺跡への道は玉陽で自分が使っていた、古来の隠し通路があるのではないかと憶測しているものの確証はない。

 なんにせよ普通の人間が歩いて行けない道をうかつに動くのは危険だ。

「うーん、それは恐いからやめとく。黒羽早く戻ってこないかな」

「これ以上何も進展がなさそうですから今日はこれでお帰り下さい。明日の朝にいつものように来ればいいでしょう」

 漓瑞は口調だけは丁寧ながらもさっさとグリフィスを追い出しにかかる。

「やだ。せっかくここまで来たんだから黒羽に会っていく」

 しかしグリフィスはしがみつくように卓に上半身を突っ伏した。そしてその体勢のまま顔だけあげて上目で漓瑞を見る。

「漓瑞ってなんで俺が黒羽に会うの嫌なの?」

 椅子に深くもたれかかり漓瑞は両腕を組んでしばし沈黙した。

「……あなたがアデルと繋がっている以上、信用できないからです」

 淡々と告げるとグリフィスが体を起こしてしかめっ面をする。

「俺、黒羽が困ったりすることなんかしない。アデルだって黒羽と仲良くなれてよかったって言ってくれたし、今だっていっぱい協力してるよ」

「協力には感謝しています。しかし意図もなくアデルが私達とあなたがこうして一次的な協力関係にあることを黙認しているとは思いません。いずれ、何か仕掛けられた時に黒羽さんの足を引っ張ることになりかねませんから」

 つらつらと黒羽にも釘を刺したのと同じことを言うと、グリフィスはますます不機嫌そうな顔になった。

「もし、万が一、そんなことになったって俺は黒羽の迷惑になることはしないもん」

「あなたがあの子のために何が出来るというんですか?」

 間髪入れず返すと沈黙が降りる。

 グリフィスはむっすりした顔で子供のように拗ねる。その姿にさすがに大人げなかっただろうかと漓瑞は額に手を当てた。

 だがこちらから何か言葉を足してこの空気を和らげる気にもならなかった。

 重たすぎる沈黙が部屋に充満した頃、扉を叩く音と黒羽の声がしてグリフィスが真っ先に出る。

「おう、来てたのか。なんか分かったか?…………探してないもんは仕方ねえな。手間かけさせた。ありがとうな」

「本当は見つけられたらよかったんだけどね。そうだ、黒羽が髪おろしてるの見るの初めてだ。いつもよりは女の子に見える……かな」

 濡れ髪の黒羽を見ながらグリフィスは後半は声をしぼませる。

 髪を下ろしたところで黒羽の外見の印象はそうは変わらない。輪郭がぼかされて言われてみれば女の子だと、すぐに納得できるかもしれないぐらいのものである。

「黒羽さん、何かありましたか?」

「いや、ただ浴場が空いたから呼びに来ただけだ。よし、今日は遅いしお前ももう帰ったほうがいいぞ」

「分かった。黒羽も仕事で疲れてるしね」

 黒羽に言われるとグリフィスはさっきとは打って変わり、素直に姿を消した。

 漓瑞はそれに不快感を覚えた。

 とにかく我が儘ですぐに駄々をこねる子供のくせに、黒羽にだけは気に入られようと良い子を装う姿はかんに障る。

「あれでもちゃんと人によって態度を使い分けていますから、あまり甘い顔はしないで下さいね」

 忠告すると黒羽は小首をかしげちいさく笑う。

「まあ、いいんじゃねえか? 自分の我が儘通すだけじゃなくて人に合わせること考えてるんならさ。面倒見てたらちゃんと成長出来るだろう」

 あまりにも前向きで、今後もそれなりに入れ込んで関わっていくつもりだと分かる言葉に漓瑞は気が重くなる。

「……そんな顔するなよ。お前に心配かけさせねえから」

 困ったような寂しそうな、そんな曖昧な黒羽の淡い微笑みは柔らかい少女のものに見えた。

 このごろ本当に一瞬だけれど彼女はこういう一面を見せる。背丈などは人よりずっと早く成長しているし、精神的にも年相応以上に成長していると思う。

 だがこういった少女らしさ、というのは今、ゆっくりと成長し始めているのかもしれない。

「心配しない、というのは無理でしょうね。どうしてもあなたのことは気になって仕方ないですから。……もうお休みなさい。風邪をひかないように髪はちゃんと乾かしてから」

 ふとなにげに口にした自分の言葉の真意に気付いて漓瑞は話題を逸らす。

「さすがに乾かしてから寝るけど、あたしガキの時に夏に風邪ひいたっきりでそれから病気してねえな」

 夏風邪はなんとかがひく。

 そんな言葉を思い出して漓瑞は笑顔を一瞬引きつらせつつ、健康なことはいいことだと適当に言いつくろった。

「どうしたらいいんでしょうね、これは……」

 そして黒羽がおやすみと言って出て行ってから、漓瑞は途方にくれる。

 自分の彼女への心配が親心だけというわけではないことはうっすら気付いてはいるが。

 この頃グリフィスのせいでじわじわと独占欲めいたものまで出てきているのはまずい。

 正直アデルうんぬんの前に、少女として変化し始めている黒羽の様子にグリフィスが気付いて幼稚な友達ごっこから先へ感情が進んでいくことが心配なのだ。

 というより彼を見ているともうそちらへ傾いている気がする。

 うっかり黒羽がほだされたらと思うと死んでも死にきれない。

 なら他に相手が出来たら安心するかいうとたぶんそうはいかない。

「自制心、その前に人としての道理というものが……」

 ひとりでぶつぶつと言った後に漓瑞はしばらく無言になる。

 そしてどうにもならない感情に折り合いもつけられないまま、無理矢理胸の奥に押し込んだのだった。

 

***


「姉さん、ちょっと痛い」

 寝台の上で緋梛の髪を梳いていた黒羽は、言われて櫛に彼女の髪が絡んでいることに気付いた。

「おう、悪い。……よし、それにしてもお前の髪つるつるしててさわり心地いいよな」

「……ねえ、本当にそういうのやめて。あたしの将来に後々すごく支障きたしそうだから。ていうか絶対支局の後輩に悪影響与えてるわよ。絶対そうよ。きゃあっ」

 なにかごちゃごちゃとよく分からないことを言うので、黒羽はそのまま緋梛を抱きすくめる。小さく腕の中にちょうどすっぽり収まってしまう妹の抱き心地は、とても心穏やかになれるものだった。

「さっきからべたべたして何なの?」

「んー、特にこれといった意味はねえな」

 緋梛が顎を持ち上げて問いかけてくるのに。黒羽は彼女の頭に顎を乗せる。

 理由はないことはなかった。

 漓瑞の言葉と視線がどうにも頭から離れなくてもやもやするのだ。

 いつもと変わらず優しいが、何かが違う視線。最近たまにそんな目で見つめられている事がある気もするものの、そこまで気にはしてはいなかった。

 気になって仕方ない。

 親代わりのようなものである彼が口にするにはなんの不自然さもなく、言われると子供扱いかと少し不満に思う言葉だ。

 しかしあの視線と合わさると、こそばゆいよく分からない気持ちになって落ち着かない。

「なんなんだろうな……」

 そういえば漓瑞が保護者だとこの頃やたら強調するのもなんなんだろう。

 そんな考えの終わりの方をつい声にしてしまう。

「だからそっちがなんなのよ……ねえ、部屋の前に誰かいるわよ」

 不満を漏らしていた緋梛が声を潜めて身を固くする。黒羽も意識をそちらに向けてみると、確かに誰かがいる気配がする。

 漓瑞だろうかと待ってみるが扉はいつまでも叩かれないので、黒羽はそっと緋梛から身を離して寝台の脇に置いてある冥炎を握る。

 そのまま気配を殺して扉に近付き、呼吸をゆっくりとひとつしてから扉を力一杯開ける。

 そして扉のすぐ側で驚き目を見開いている女性の姿に、黒羽も同じく目を丸くした。

「…………秀喬課長?」

 女性は第二支局妖魔監理課長の秀喬だった。

 彼女はそのまますぐに部屋に飛び込んできて扉を閉める。

「何かあったんですか?」

 尋常ではないその様子に黒羽が声をかけると、秀喬はしばらくうつむいて何も言わなかった。そして顔を上げた彼女の瞳には怯えが見えた。

「……あなた方はなぜ瘴気の溜まり場の調査をしているんでしょうか。こちらの妖魔駆逐の応援よりもそれが本来の目的ではないのですか?」

 黒羽は答えるより前に緋梛と視線を交わす。

「瘴気の溜まり場についてなにか知ってるんですか?」

 緋梛の問いかけにまた秀喬は黙ってしまう。

「……漓瑞呼んでくる」

 黒羽は秀喬の肩を軽く叩いて椅子へと促す。

 夜は長くなりそうだった。

 

 ***


 浴場から部屋へと戻ってきたばかりの漓瑞を呼んできてからも、秀喬はしばらく口を開かなかった。

 彼女はしきりに膝の上で組まれている指を動かす一方、視線は下に落としたまま微動だにさせない。

「詳しい事は何も知りません。ただ、この頃局内がおかしいんです」

 そしてとつとつと語り始める。

「この頃、とはいつぐらいからですか?」

 穏やかに問い返したのは漓瑞だった。

「……三週間ぐらい前、だと思います。隣に兵を出したばかりで妖魔が増えていたから忙しいのは気にしてはいませんでした。ですが三週間ほど前から明らかに瘴気の溜まり場から噴出される瘴気の量が多くなっておかしいとは思ったんです。主人……監理部長の壬と本局に応援を出してもらうほうがいいんじゃないかと話し合ったんですが、なかなか話が通らなくて……」

 三週間ほど前というと自分たちがここに来て五日ほどだから紅春の妹が消え、本局でに幽霊が目撃されたころだろうか。

 秀喬の隣に座る黒羽は符合する期間に胸をざわつかせ、今日はなぜここにと問う。

「公主様がお倒れになったとかでみんな……砂巌出身の局員はなにか話し合いがあるらしくて会議室に籠もっています。今しか相談できる隙がなくて」

「紅春が……容態は?」

 思いがけない事柄に黒羽は驚く。秀喬によればよくは分からないが、とにかくみんな動揺しているということだった。

 あの細すぎる体で瘴気の濃い場所にいたせいかもしれない。

 黒羽は腕に抱いた体の頼りなさを思い出して紅春を案じる。

「ご主人は何もお話にはならないのですか?」

 黒羽が脇へと逸らしてしまった話題を漓瑞が元へと戻っした。

「はい。何も。それは、もうここに残ると決めたときに言われていたことだったので……この国の人間はけして外の人間を身内と認めたりはしないんです。子供が出来たら別らしいのですが、外部の人間との間に子供が出来ると言うことは滅多にないそうです。それでも主人はいろいろ気遣ってくれますし、十分だと思っていました」

 そこでまで言って秀喬は一度言葉を止める。

「……三週間前ぐらいからなんです。その頃から主人も私に話せないことが多くなってきて他の局員も様子がおかしくて、あなた方が瘴気の溜まり場の調査をするのを出来るだけ遅らせる指示を出されたりもしました。出向してきた局員達は交流が少ないのでまだ異変には気付いてはいません。私は半端な位置にいるんです。何かが起こっているのに、何が起こっているか分からなくてすごく不安で……」

 不安定な立場の中、唯一の心の拠り所である夫とも距離が空き、こんなことを話したことが知られれば夫の立場すら危ういと分かっていながらも、秀喬はここへ来てしまったのだということだった。

「申し訳ありません。立場が私よりも上とは言え、若いあなた方にこんなことを相談するのはいけないと思ったのですけど」

「いや、それは気にしないで下さい。でも、あたしらも状況がよくわかんなくて……」

 黒羽はどう対処していいものかと救いを求めてこの場で一番年上の漓瑞を見る。

「……私達も調査を始めたばかりで何も分かりません。ひとつ気になることがあるのですが、局員達と王家は親密なのでしょうか? 王宮と局舎は元はひとつのものでしたし、地元の方達は臣民なのでもちろん畏敬を持って接しているのでしょうけれど、公主が倒れたからといって外部を遮断して話し合いをするというのは引っかかります」

「普段はほとんど交流はないはずです……すみません」

 秀喬も本当にほとんどよく分かっていないらしかった。

 そしてこれ以上秀喬も話せることがないらしく。長居させるわけにもいかないだろうと彼女をひとまず自分の持ち場に帰らせることにした。

「やっぱり変よ、この国」

 漓瑞の隣で静かに成り行きを見ていた緋梛が言葉を落とす。

「紅春はたいしたことねえといいんだけどな。瘴気の溜まり場の調査も邪魔されてるっていうのは気になるし、秀喬課長も大丈夫かな」

 心配事とややこしいことが一気に増えて黒羽は落ち着きなく首を左右に揺する。

 とにかくこの状況が全部繋がらない。

 三週間ほど前がすべての起点ということぐらいは分かるのだが。

「なあ、やっぱり紅春の妹って存在してるんだよな……幽霊が紅春自身っていう気もしねえし」

 黒羽はそのことが気にかかっていた。

 相変わらず紅春の妹の実在は不明で、黒羽が本局で見た人影は紅春本人である可能性を漓瑞が考えていたが、どうにも瘴気の溜まり場で会った時に初めて顔を合せたという芝居をしている風でもなかった。

「でも誰も知らないわよ。あたしも出向組から公主はひとり娘って聞いてるし」

「同性の双子となると、ふたり同時に姿を見せないと分からないでしょう。私のように存在を秘匿されているという可能性もあります」

 そうなるともうひとりは魔族である可能性も大いにあるということになると黒羽は考えるて、すぐに紅春が魔族を見るのは初めてだと言っていたことを思い出す。

「さっぱりわかんねえな」

 いろんなことがはっきりしなくて考えていると頭痛がしてきそうだ。

 黒羽はもうほとんど乾いている髪をかき乱して深く椅子にもたれる。

「……多くの事柄に関わっているのは紅春公主ですね」

 漓瑞が端的にこれまでの経緯をあげていく。

 変異の起こり始めた頃に紅春の妹、白春が失踪。その頃彼女とよく似た幽霊が本局で目撃される。

 そして次に紅春は妹を探して瘴気の溜まり場へひとりで赴く。

 その瘴気の溜まり場を調査していることを地元の支局員はよく思っていないらしく、彼らは紅春が倒れたことにひどく動揺している。

「ああ、確かに真ん中に公主様がいるってかんじね」

 緋梛が頬杖をついて漓瑞の言ったことを頭の中で反芻してうなずく。

「それと、もうひとつ。かつて砂巌が玉陽に兵を出したのはレイザスとの取り決めではなく独断であったようです」

 それは初耳で黒羽は体を前のめりにした。

 さっきグリフィスが記録がないと言っていたが、そういうことだったのだと漓瑞が補足する。

「兵を出すかどうかは王様とかが決めるんだよな」

 感情を表に出していない漓瑞の表情を気にかけながら黒羽は確認した。

「ええ。向こうが玉陽に恨みを持っていると仮定すると、記録が失われた時代に何かがあったとのだと思います。監理局すら知らない何かを王家が隠しているという可能性もあります」

 結局は砂巌の王家、ひいては紅春にたどりつきそうだった。

 そのまま三人は沈黙して、そのうち全員重苦しいため息を吐き出したのだった。

 

***


 そして二日経った後、黒羽達は紅春について探るべきだと分かっていながらも動けずにいた。

 妖魔の駆除は忙しく瘴気の溜まり場の調査も出来ず、支局員には警戒されている。

「藍李の奴どうにかしてくれねえかなあ」

「難しいでしょう。表向きは妖魔の駆除なのですから、瘴気の溜まり場の調査を優先させろという命令もそうそうだせません」

 黒羽は漓瑞と探る周囲の視線を感じて声を潜めて話す。

 局舎の回廊を行き交う人々が出向組か地元組かは、雰囲気でなんとなく分かるようになってきた。

 風がそよぐこんな場所でも地元組が近くに大勢いると、ことさら息苦しく思えてくる。

「向こう騒がしいな」

 会話もままならないことに苛つき食堂へと歩いていると、廊下の曲がり角辺りに人集りが出来ているのが見えた。

 近くに最初の日に助けた出向組の局員の姿があったので、何があったのかと黒羽は彼に尋ねる。

「いや、よくわかんないんだけどさ、秀喬さんに経理部長が掴みかかろうとしてそれを庇った旦那の壬部長が殴られたとか。最近……おい、おい」

 全てを聞き終わらないうちに黒羽は人混みをかき分けて様子が分かる場所まで出て行く。

 そこでは経理部長らしき男が数人の局員に押さえつけられていた。そして壬監理部長が左頬を腫らして背中と壁の間に妻の秀喬をかくまっているのが見えた。

 秀喬の顔はそのせいで見えないものの泣いているのか肩が震えている。

 たぶんきっと二日前に秀喬が自分たちの所に来たから起こった騒動だ。

「黒羽さん、いけません。私達が出て行くと余計にこじれます」

 思わずその場に出て行こうとしてしまっていた黒羽を、漓瑞が腕を引いて留める。

「そちらにおられるのが黒羽様でしょうか」

 ふと経理部長達よりもさらに奥から中年の男が出てきて、その場にいる全員が黒髪の中浮いている髪色の黒羽に視線やる。格好からして王宮の者らしかった。

「先日の礼をしたいというので紅春様がお呼びです。漓瑞様という方もご一緒に」

 言葉よりもこの状況に全く動じていない事に黒羽は不気味さを覚え、小声で漓瑞にどうする、と聞く。

「向こうから招き入れてくれるのならそうしましょう」

 そして黒羽と漓瑞は王宮からの使いについていくことにした。出向組の局員に緋梛へ言伝を頼んでちらりと黒羽は振り返る。

 今度ははっきりと秀喬の泣き顔が見えて、胸に苦いものが広がる。

「黒羽さん」

 足取りの鈍さに気付いた漓瑞に呼ばれて歩調を早めるが、意識はずっと背後に向かったままだった。

 そして王宮側へとついた時、表情らしい表情のない女官達は黒羽の方へと集まり、案内をしてきた者と同じ格好の男達が漓瑞の側へと集まった。

「先王様がお話がしたいそうです。……玉陽の皇子殿下」

 ゆるりと口に出された言葉に黒羽は警戒心を強める。

 漓瑞が玉陽の皇子であることは本局のごく一部の人間しかしらないはずだ。アデルか本局長が裏にいるかもしれないのなら、このまま彼ひとりを行かせられない。

「あたしも一緒に行く」

 漓瑞の側に行こうとする、男達が壁のように立ち塞がって漓瑞の姿を覆い隠す。

「どけ。ここで手荒なことはしたくねえ」

 冥炎の柄に黒羽は手を置く。

「黒羽さん、あなたは紅春公主の所へ。私なら大丈夫です」

 硬い表情の漓瑞が口元だけ笑みをつくって黒羽に視線を向けた後、男達についていく。

「さあ、公主様がお待ちですので貴方様もこちらへ」

 年配の女官が漓瑞が向かう場所とは反対へと黒羽を促す。

 緋梛にここに来ることが伝わっているのならば、何かあったとしても救援は見込めるだろうが。

 黒羽は不安をかき消せないまま、漓瑞の背を見送った後に鈍い足取りで女官の後に続いた。


***


 紅春の私室は廊下からわずかに見えていた、三階建ての建物の最上部にあった。

 狭く薄暗い階段を昇るとすぐに花の透かし彫りがされた両開きの扉に迎えられる。中に入っても紅春はおらず、扉と同じ透かし彫りがされている少女好みの円卓や椅子、文机が見てとれた。

 女官達はさらに奥へと黒羽を案内する。そこには固く閉ざされた無骨な扉があって、一言女官が連れて参りましたと声をかけてそれを開ける。

 次の間の中央に据えられている、天蓋付きの大きな寝台の上には半身を起こしている紅春がいた。

「黒羽様……」

 たった数日で驚くほど青白い肌をして病み衰えた紅春は、その様子にそぐわず痛々しく見える艶やかな笑みを浮かべている。

 静かに女官達が出て行って背後で扉が閉まる音がする。

「体、きついなら寝ててもいいんだぞ……つーか今さらだけどあたしこういう口の利き方はまずい……ですよね」

「いいえ。そのままでかまいませんわ。あなたは臣下ではないですもの。でも、ひとつだけお願いしてもかまいませんか? そこの扉を開いて欲しいの」

 紅春が示したのは寝台の正面にある壁だった。近付いてみるとそれはどうやら蛇腹状の扉らしく、黒羽は中央の取っ手を持ち押し畳んでいく。

 そして扉の向こうの露台のさらに奥に広がる景色に彼女は言葉を失った。

 王宮と監理局は窪地にあるらしく、目の前の緩やかな傾斜に何百も家が建っているのがみえる。

陽光に艶めく黒い瓦屋根をした家は、どれも見ている内に全部がひとつのものであるかのように思えるほど隙間なくひしめき合い、やや斜めになっているせいで今にも雪崩落ちてきそうな異様な圧迫感がある。

 視界の左端にある楼閣を境にして段々になった田か畑も見えた。やはりそれも滑り落ちてきそうな雰囲気がある。

「今にも押しつぶされそうでしょう」

 笑い声を含んで紅春がそう言う。

「ああ、すごいな」

 黒羽はそんな言葉しか浮かばなかった。局舎から他の棟に視界を遮られて街の様子はこういう風に見ることもなかったので、ただただ唖然としてしまうばかりだ。

「王宮を中央にして国の四隅には瘴気の溜まり場があります。だから作物はこの周囲でしか育たず、人々も出来るだけ妖魔が頻出しないここへと家を構えるのです。貧しい者はどうしても危険な場所に住まうしかありませんが……」

 そしてあぶれた者は瘴気の溜まり場近くへということらしい。砂巌国内の様々な場所を点々と渡り歩いたところ、確かに瘴気の溜まり場に近くなるにつれて家の造りも粗末なものになっていた。

「……今日は暖かいと思ったけど風はちょっと寒いな。閉じるか?」

 小春日和の暖かさを押し流す風が、黒い屋根瓦を滑り落ちて部屋に吹き込んでくる。

 紅春は薄く笑って首を横に振る。

「わたくし、もうすぐ死んでしまうの」

 そして笑顔のまま他人事のようにそう言った。

 悲観もなければ自暴自棄でもない、いっそ幸せそうにすら見える紅春に、黒羽は衝撃を受けて息を呑む。

 無邪気に己の死を口にすることに、悲しみよりも寒気を覚えた。

「そうしたらこの景色も消えてしまうわ。神の怒りは妖魔となって人も建物も破壊しこの国は滅びてしまうの」

 言葉を失っている黒羽を見つめて素敵ね、とでも続きそうな恍惚とした顔で紅春は続ける。

「紅春、何が起こってるのか全部分かってるのか? それとも、誰かから聞いたのか」

 黒羽は硬い表情で寝台に歩み寄りながら問いかける。

 藍李がここに来る前にこの地の瘴気の溜まり場は、封印の解けたタナトムの聖地と似たものかもしれないと言っていた。事実調査してみれば確かに似た物を感じた。

「分かっていますわ。この国の人間ならば誰でも、女神により王たる神を奪われてしまったことを」

 紅春が黒羽に向けて両手を伸べる。

「黒羽様、もっと近くへいらして。あなたが知りたがっている秘密を教えて差し上げますわ」

 さあ、と年にそぐわない熱く湿り気を帯びた蠱惑的な声に誘われ、黒羽は紅春のすぐ隣に立つ。そして袖を引かれて緩慢に寝台に腰を下ろした。

 視線の下の紅春はこの上なく幸福そうに微笑んでいた。

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