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女神の玉座  作者: 天海りく
双つの蒼炎
24/67

ニー2

***

 

 緋梛の話によればさすがに昨日の今日で妖魔の数は減っているらしく、東側は特に落ち着いているということで離宮跡へと向かうことになった。さすがに一緒に行くわけにはいかないので、グリフィスとは部屋で別れた後に現地で落ち合うことにした。

「すっげえな。山っていうか岩だな」

 黒羽は目の前にそびえる、申し訳程度に草がちらほらとこびりついている岩山を見上げる。

 昨日北側で見た物と同じく黒っぽい灰色で、表面が上から下まで無造作に削り出されたかのようになっていて、巨大な石英をいくつも貼り合わせた形に見える。

「ごめん、待った?」

 黒羽と漓瑞が表面を撫触って探っていると、グリフィスがどこからともなく現れる。あらかじめ時間をずらしていたので、黒羽は首を横に降る。

「予定通りだ。なんか分かるか?」

 問うとグリフィスも首を傾げながら岩山全体を見るためににあとずさっていく。

「扉は八つ。入ってみていい?」

「いや、ひとりは危ないからやめとけ。扉のある位置って実際の入り口とは関係あるか?」

「重なってある事はまずないよ」

 グリフィスの言葉に従って黒羽と漓瑞は扉のない場所を探る。

「ありました」

「こっちもだ」

 ぼろぼろと岩が崩れ落ちてぽっかりと穴が空く。さらに剣の鞘でつくと人が入れるだけの空間ができあがる。角灯で中を照らせばそこは洞穴ではなく人工物だとすぐ分かった。

 入り口は複数あるが全部同じ場所に繋がっているらしい。形からすると回廊のようだ。

「建築様式は支局と一緒だね。玉陽の物とよく似てる」

 グリフィスが角灯で高い天井と規則正しく並ぶ円い柱などを照らし出していく。廊下は広く、あっというまに光は闇に吸われていってしまって全体を見渡すのは難しい。

「あー、あれだ。玉陽の聖地にあった塔の中にも似てるな」

 柱の並び方に黒羽もうなずく。

 どこまでも延々と続く廊下を歩いていると、思わず漓瑞の姿を確認したくなってしまう。

「そうですね。第二支局も造りは現在の玉陽の建物の様式よりも古くからある天井を高くとって柱を多く並べる聖地の高楼や王宮に似ています」

 床や壁を這う小さな虫に似た妖魔や、柱の陰で息を潜めている子鬼達を排除しながら廊下を進んでいく。途中部屋もいくつか見つかるが、調度品すら残されずに空っぽになってしまってただの広い空間だ。

「古代文字はないなあ。陵墓とかの方がありそうだよね。っと、あった」

 ひとつの広い部屋の壁をグリフィスが照らす。そこにはびっしりと文様が刻まれていた。

 何か異様な瘴気が強く漂っていて、黒羽と漓瑞は思わず顔をしかめる。

「…………うわあ。殺してやるとか、滅ぼしてやる、とかそういう呪い言葉ばっかりだよ。血で書かれてたのかも」

 文字を読み取ったグリフィスも後退った。

「血はないだろ、さすがに」

 角灯の灯が届ききらないぐらいに広い範囲で文字が描かれてるのだ。これほどの大量の血液を呪詛のために用意したとは想像したくない。

「これが瘴気の元なんでしょうかね……誰か、いますよ」

 耳のいい漓瑞が静かに、と口元に指を当てて黒羽も耳をすます。

 深い闇の中、ちりちりと角灯の中の炎が燃える音が間近にあって、かさかさと妖魔だろう虫の這う音が天井付近や部屋の外から聞こえる。

 人の気配はない。

 そこに静かに木靴が床を踏みならす音が落とされる。

 そして次の瞬間。

「いやあああああっ!!」

 そうして完全に静寂に満たされた頃、甲高い悲鳴と何かを取り落とす音が静寂を吹き飛ばす。

「お、女の子!?」

 その音に驚いたグリフィスが黒羽の背中に隠れるように移動する。

 確かに聞こえた悲鳴は少女のものだった。

 黒羽は漓瑞と顔を見合わせて冥炎に炎を纏わせ音の方へと走り出す。しばらく行くと蝙蝠の羽の生えた蛇の姿をした妖魔にまとわりつかれている少女の姿があった。

「落ち着け、すぐ助ける!」

 黒羽が炎を散らすと妖魔達が一斉に逃げていく。そして冥炎の火で照らされた少女は縮こまって震えていた。傍らには手燭が落ちている。

「もう大丈夫だ。自分の名前は言えるか?」

 目立った怪我がない事を確認してから背を撫でると、少女がゆるゆると顔を上げる。十五ほどで黒目がちな瞳が印象的な愛らしい顔だった。

「……紅春こうしゅん、と申します。監理局のお方ですか?」

 紅春が声を震わせながら訊ねるのに、黒羽はうなずいて名乗り一応性別もつけたしておく。

「どうしてこんなところにいるんだ?」

 入り口はさっき自分達が入った所以外にもあるのか、そもそも瘴気の溜まり場にこんな少女がひとりでいるのか。

 黒羽はあれこれ考えながら眉根を寄せる。

「……妹を、双子の妹を探しているんです。わたくしと同じ顔をした者を見かけませんでしたか?」

「見てない。ここではぐれたのか?」

 紅春はうつむいて首を横に振る。聞けば二週間ほど前から姿が見えなくなったということだった。

「探すにしたってなんでこんな所に……。とにかく出るぞ。立てるか?」

 黒羽はあまりの不可解さに戸惑う。しかし目の前の紅春は非力なただの少女にしか見えなかった。

「すみません、足を捻りました。手を貸していただけますか?」

「よし。ちょっと待てよ。漓瑞! 怪我人だ。あたしが運ぶから灯、頼む」

 近くの部屋にグリフィスと共に身を潜めていた漓瑞がしばらく間を置いて出てくる。グリフィスの姿は近くになかったが、姿を見られてはまずいので先に帰したのだろう。

 黒羽は漓瑞が側に来てから冥炎をしまって紅春の膝裏に腕を回し、首に手を回すように言い横抱きにする。

「助かりました。ご迷惑をおかけいたします。あの、重くありませんか?」

 紅春は見た目以上に軽く、黒羽は少々心配になる。しかしそれほど体調は悪くなさそうで、こんなものなのかもしれない。

「十分軽いから大丈夫だ。家は、どこだ?」

 黒羽が訊くと紅春はそれは、と言いにくそうにする。

「身分の高いご令嬢とお見受けしますが、侍従などは連れてこなかったのですか? あなたがここに入ってきた場所と私達が入ってきた場所は違いますよね」

 漓瑞の穏やかな声にも彼女はなかなか口を割ろうとはしなかった。

「言いたくなかった今はいいけどな、家ぐらいは教えてもらわないと送れないぞ」

 黒羽の腕の中で紅春は身を固くしてからごめんなさい、とこぼす。

「家は、王宮です。わたくしは砂巌国の公主です。明け方にこっそりと抜け出してきたので共はつれていません」

「公主って姫様なのか……なら妹も大勢が探してるだろう。心配なのは分かるけどな、何も言わずに出てくるのは駄目だぞ」

 まさかの少女の正体に黒羽は呆気にとられ、まだあどけないその顔を見下ろす。

「誰も、妹を探してはいません。だからわたくしが……お願いします、この中にいたことは誰にも言わないで下さい」

 それはいいのだが公主がいなくなって捜索をしないというのはどういうことだろうか。

 黒羽はもやもやとしたものを覚えながら来た道を引き返す。思ったよりも奥まで入り込んでいたらしく、外に出るまでにずいぶんかかった。

 外に出ると陽の光が目に染みた。

「魔族……」

 明るい場所に出て初めて気付いたのか、紅春が怯えた顔で漓瑞を見る。

「魔族は苦手ですか?」

「あ、いえ、申し訳ありません。この国では魔族はほとんどいなくて、初めてお目にかかるので……」

 魔族が人の数に比べれば少ないとはいえ、一度も会ったことがないというのは子供の頃から多くの魔族に接していた黒羽にとっては驚きだった。局員という立場を差し引いても、街を歩いていていればひとりかふたりはすれ違うものだ。

「王宮に仕えている魔族もいないのですか?」

「ええ。魔族はみんな監理局の局員になっているそうです」

 それは容易に全員の顔と名前が把握出来るぐらい数が少ないということだろう。何から何まで変わった国だ。

「舟まで少し遠いけど、我慢してくれよな」

 黒羽は時折吹く風の冷たさに身を震わせる紅春に体温を分けるため、少し腕の力を強めてより自分に密着させる。

「ありがとう、ございます」

 紅春は頬を染めて彼女が黒羽に全てを預けた。

「何だ?」

 ふと漓瑞の何とも言いがたい視線に気付いて黒羽は首を傾げる。

「いえ。あなたが優しい子であることはいいんですが……。そういうことをするのは性別を告げてからにしたほうがいいかと」

「ああ、そうだな。男だって思われてたらびっくりさせそうだしな」

 怪我をしているからしかたないとはいえ、いきなり男にこんなに抱き寄せられたら悲鳴のひとつもあげてしまうだろう。箱入りの公主様となればなおさらだ。

 などと明後日の方向に考える黒羽に漓瑞はもう何も言わずにええ、と曖昧にうなずいたのだった。

 

***


「ええ。そうですの。白春たらいつもわたくしのふりをして、女官達を困らせるの。でも、わたくしも同じことをしましたわ」

 漓瑞は黒羽に抱かれて小鳥が囀るように話す紅春の横顔を覗き見て警戒心を強める。

(砂巌の王家も、何かあるのかもしれない……)

 王宮からここまでの距離をこの少女が歩いてくるのは不可能だ。明け方に抜け出したとしても、半日足らずでこられる距離ではない。

 心当たりがあるとすれば、自分が玉陽で使っていた王家のみが知る特異な通路のみだ。グリフィスの扱う道と似たもので、国内の主要な場所に短時間でたどり着けた。

 こっそりと砂巌の王族も同じものを持っているとしたら、それが示す意味はなんだろうか。

「妹とは本当によく似てるんだな。普通は一年もすりゃ見分けがつくもんだけどな。なあ、漓瑞、支局にも双子の兄弟いただろ」

 黒羽に話を振られて、漓瑞はええ、と微笑み返す。その時紅春の視線が自分に向くのを感じた。

 今度は怯えとはまた別の虚ろな視線だった。

 魔族が珍しいだけとはとても思えない。

「よし、こっから舟に乗ったら家まですぐだからな」

 渡し人が待つ場所にたどり着いて、何も気づいていない黒羽が紅春に笑いかける。

「まあ。わたくし舟に乗るのは初めてですの……」

 不安げながらも未知のものに興味深げな紅春は、すでに普通の少女の顔をしていた。それでも彼女が厄介ごとであることはかわりないだろう。

(本当に、黒羽さんは女子供への警戒心というものがなさすぎる)

 甲斐甲斐しく紅春の相手をする黒羽を見て、漓瑞は思わずため息を零しそうになるのをこらえた。


***


 緋梛は黒羽と漓瑞が調査に出た後に一度出動し、支局に戻ると人が一番集まる場所である食堂へと向かった。

 やたらと広い空間に長卓と椅子が並べられた食堂は、昨日よりは状況が落ち着いているらしく多くの人間が茶を飲んだりしてゆっくりとしていた。

「お疲れさん。本局からの子だろ。他のふたりは?」

 誰かに話しかけようとしていた緋梛は逆に近くにいた男に声をかけられた。聞けば昨日黒羽に助けられた局員ということだった。

「瘴気の溜まり場の調査よ。今日は昨日よりましなのね」

「ああ。さすがに二日続けてはな。でもあそこまでひどいのは滅多にないはずなのに週一ぐらいであれはきつい。任期満了まであと三ヶ月だっていうのにこの状態が続くと身が保たない」

「任期って、本局から来たの?」

 疲労の濃いため息を落とす男はそうだとうなずく。本局の局員は人員の足りない支局へ三年前後出向したりもしているのだ。

「……ねえ、ここの局員って変わってない?」

 緋梛が声を潜めて男に問いかける。

 今日の出動の時も皆よく気遣ってくれたが、どことなく大事なお客様扱いで疎外感を覚えた。

「あー、なあ。みんないい人ばっかなんだけど、どっか余所者を受け付けないんだよな。俺も三年いてそこそこ打ち解けたつもりでもまだ向こうには壁がある。だから転属願い出す奴も滅多にいないな」

 出向した本局員は希望すればその支局に居続けることも出来る。だが男の話によれば激務ももちろんだが、地元の局員達と馴染みきれずに任期が終わるとすぐにみんな本局へ戻っていくらしい。

「ここ何年かで本局から来て残ってるのは十年前に監理部長と結婚した秀喬さんぐらいだ」

「へえ、夫婦だったの」

 あまりそうは見えなかったが言われてみればなるほどと思わないでもない。

「そう。でもあの人もすっかりこっちの人間って感じだな。出向してきた局員を気にかけてくれるけど、あんまり深くは関わらないようにしてるみたいだし、そんなだからよ、ほら」

 男がいくつかの人の集まりを示して、どうしても出向組と地元組に別れてしまうと説明する。

「出向してきた局員、多いのね」

 食堂にいる四分の一ほどが出向組らしく緋梛は驚いた。

「ここは霊力持って産まれてくる子供が少ないんだよ。けどこの通り妖魔の出没が多いから慢性的に人手不足。今回みたいなことになるといっぱいいっぱいだ。そういうこと来る前に聞いてないか?」

「緊急だったから。あと、ちょっと気になったんだけどこの支局って王宮の一部みたいになってるのってなんで?」

「ああ、それな。昔の王族が滅んだ後に妖魔が大量発生して、それを排除した礼に今の王族が譲渡したって話だ。だから、まだ世界中に支局を作ってる途中の頃、何百年と前の話だな」

 そんなにも長い間建っているとは思えないほど支局は綺麗で、緋梛は柱や天井を眺めて感嘆する。

「お待たせ。なんだ? さっそく本局からの応援の子口説いてるのか?」

 そこへふたり連れの男がやってきて緋梛と話していた男に声をかける。どうやらここで待ち合わせていたらしく緋梛はどうぞ、と言って席を立とうとする。

「いや、いいよ。おじさん達はそっち座るから」

「おじさん達って三十近いあんたと違って俺、まだ二十三だよ。まあ、一緒に来てたもっと若くて綺麗な男に比べたら俺らは相手にならないか。だからお前も無理するなよ」

 緋梛の隣に座る男へ向かいに座るふたり連れの若い方が笑いかける。

「分かってるって。だいたいあんなのと並べられたらたいていの男は石ころみたいなもんだぜ。なあ、緋梛君だってああいうのがいいだろ? 若い女の子にこういうこと聞くのは駄目か」

 誰を指しているのかは分かっているが、一応背の高い方と低い方どっちかと緋梛は聞いてみる。

「高い方。低い方は一瞬女の子かと思うぐらい可愛い顔してたな。どっちも女の子受け良さそうで羨ましい」

「……低い方は間違いなく男だけど、高い方は女よ」

 返ってくる反応は予想通りだった。

 あちこち行くたびにこうやって誤解されるんだろうと思うと姉の先行きが不安になる。

「ちょっと何、若い子囲っちゃって楽しそうね」

 さらにもうひとり増えた女も雰囲気からして本局の出向組らしく、男達と軽口を叩きながら空いている席から椅子を引っ張ってきて端に座る。

「ねえ、さっき本局から来たかっこいい子が公主様抱えて王宮の方に行ってるの見たわよ。すごく絵になってて見とれちゃったけど、どうしたのかしらね」

「公主様?」

 瘴気の溜まり場に調査に行っていたはずなのにどういうことだろうか。

「そう。紅春公主。もうすぐ十五歳の王家のひとり娘。そんな心配しなくても従兄の黒叡こくえい様ともうすぐ結婚するわよ。でもあれだけいい男が来たらちょっと気持ちがぐらついちゃうかも。あんないい男がいるならあたしも早く本局帰りたいわ…………え、女の子なの!? 嘘、残念」

 かってにいろいろ勘違いしつつ落ち込む女性局員に緋梛は苦笑する。

 さすがに公主まで誑かしてはいないだろうと思いたいが、あの天然タラシならなにか勘違いさせたりはしていそうだ。

 それにしても本当に一体どこでそんな人物を拾ってきたのか。

 早く何がったのか聞きたい気持ちはあるものの、彼らからもう少し話を聞いておこうと緋梛はその場に留まることにしたのだった。 

 

***


 黒羽達は王宮に直接繋がる水路がないので、いったん支局に戻ってそれから王宮に向かうことになった。

 その時支局員達が自分たちが送り届けると慌てふためていたが、紅春が黒羽達に送ってもらいたいと言うのに彼らは困り果てた顔をしつつも彼女の言うことを聞いた。

 監理局と王宮は渡り廊下で繋がれていて境に重たい両開きの扉がついているが、建物様式も変わらず局内を移動したのと感覚としては変わらない。

 ただ特に厳しい服装の規定のない局内と違って、女官や衛士達の衣装が統一されているのを見てようやく別の空間と認識できた。

 黒羽は女官に案内された部屋に入って、毛皮が敷かれた長椅子に紅春を降ろす。そうするとすでに控えていた侍医と女官達がすぐに捻った足の手当を初めた。

「ご迷惑をおかけしました」

「いや、大した怪我じゃなくてよかったな」

 治療を受けながら紅春が礼を言うのに、黒羽はふわりと微笑む。

 他に怪我もなく二、三日すれば歩くのにも問題なくなる程度らしい。

「紅春!」

 あらかた治療が終わる頃、青ざめた顔の青年がとびこんできて紅春に駆け寄る。

「一体どこに行っていたんだ。みんな探していたんだぞ。あげくに怪我までして……君は王家のたったひとりの直系なんだ。ちゃんと自覚を持って行動するんだと何度言ったら分かってくれるんだ」

「待って下さい。紅春……様は妹を探してたんです。あまりきつく叱ってやらないでもらえますか?」

 青年のの剣幕につい黒羽が口を出してしまうとはっとした顔をして彼は顔を強張らせる。

 近くに控えている女官達もどこか緊張した空気を漂わせていた。

「礼が遅くなり申し訳ありません。私は紅春の従兄の黒叡と申します。……彼女は妹を、探していたんですか」

 うつむき何かに堪えるように服の袖をぎゅっと握りしめている紅春を、黒叡は傷ましげに見下ろす。

「だれも白春はくしゅんを探してくれないからよ。わたくしの、たったひとりの妹を」

 視線も合わせずに紅春は黒叡を詰る。

「……そうか、すまなかった。白春のことは私達が何とかするから君はここで休んでいなさい。お二方を隣へ」

 黒叡に言われて女官達が黒羽と漓瑞を隣室へと案内する。その部屋はこじんまりとしていて、小さな円卓と四脚の椅子があるだけだった。窓も固く閉ざされていて薄暗く見るからに密談用の小部屋といった体だ。

「もしかして、もうお亡くなりになっているのを隠しているのですか?」

 席についてそう口を開いたのは漓瑞で、うっすらとその可能性を考えていた黒羽は重たい気分になる。

 そうでなくとも行方知れずになって二週間ともなれば、諦めてしまっているのかもしれない。

「いえ。元からいないのです。紅春に双子の妹など初めからいません。全て彼女の妄想です。どうかこのことはご内密にお願いします」

 予想だにしなかった答えに黒羽は目を丸くした。

「でも、ここに来るまでに妹のことをたくさん話してましたよ」

 そう、紅春は舟に乗るまでいかに自分と妹がよく似ているかを話し、それを利用して小さな頃はいろんな悪戯をしていたと語っていた。

 どれもちゃんと現実味を帯びた話でとても妄想とは思えなかった。

「紅春にとっては嘘偽りのない現実ですから……。赤子の頃から何かと戯れる様子を見せていました。生まれつき、そういう性質だったのでしょう」

 それを聞いても黒羽はまだ信じられなかった。あんな場所にまでたったひとりで探しに来ていたのだ。思い込みだけでそこまで出来るものなのだろうか。

「なぜ突然いなくなった、と言いだしたのでしょうか。そこまで強固に信じ込んでいたのに今になって存在が見えなくなったというのも不思議ですね」

 漓瑞も何かひっかかりを覚えているらしく小首を傾げる。

「私との婚礼が近付いてから不安定になり始めていました。……婚礼が決まったのが急というわけでもありませんでした。紅春はあの通りなので国主の勤めなど果たせません。だから私がその代わりをするために、彼女が十五になったらと子供の頃から決まっていたのです。彼女もずっとその日を楽しみにしてくれていました。なぜ今頃になってああなってしまったのか私達も困りはしているのですが、このまま二週間後の華燭の典を執り行う頃には夢から覚めてくれればとも思っています」

 黒叡が膝の上で両手を硬く組み合わせて沈痛な表情を浮かべる。彼も彼でいろいろと思いつめているのか、目の下にうっすらと隈があった。

「そういう事情がありますので、紅春のあの様子について他言無用にお願いします。礼は後ほど監理局にお届けしますので……」

 礼と言うより口止め料を押しつける強引さを感じて黒羽は首を横に振る。

「なにもいりません。誰かに言うつもりもないので……じゃあ、あたしらはこれで」

 深く頭を下げる黒叡に見送られ黒羽と漓瑞は部屋を出る。その後はそのまま女官達に示される通りに廊下を歩んでいく。

「王宮も変なとこだな。妹って本当にいないのか?」

 めでたい婚礼を間近に控えているというのに、沈みきった空気の王宮は喪に服しているようにすら思えて黒羽は漓瑞に聞いてみる。

「どうでしょうね。妄想を隠したがっているわりには饒舌でしたし、公主が外のどこにいたかも問い詰めてこなかったことは気になりますね」

 なにもかもが腑に落ちなくてどうにもおさまりが悪い。それに女官達の視線も気になる。

 自分の灰色の髪や青鈍色の瞳が変わっているのを珍しがらることは多い。しかし今向けられているのはどこか恐怖に近い視線だ。

 無意識のうちに歩幅を広げて歩いていると、後方から女官達の悲鳴じみた声が聞こえて黒羽と漓瑞は足を止める。

「黒羽様!」

 見れば紅春が片足を引きずり危うい足取りで追い駆けてきているところだった。

 黒羽はそのまま引き返してよろける彼女の体をそっと抱き留める。抱き上げているときも気になっていたのだが、やはりこの年頃の少女にしてはやけに細すぎる。

 本当に簡単に折れてしまいそうなほど腕にある体は儚い。

「見送りは別によかったんだけどな」

 慎重に細い体を支えて苦笑すると、両腕にしがみついている紅春が切なげに目を細めて見上げてきた。

「また、会って下さいますか?」

「これから何度もは無理かもしれねえけど、本局に帰る前には顔、見せるよ」

 紅春は必ず、とつぶやき一瞬だけきつく黒羽の体に抱きつく。そして緩やかに衣擦れの音をさせて身を離す。

 その細い指先を離す瞬間まで、彼女は熱に浮かされたような潤んだ瞳でずっと黒羽を見ていた。

「……少し変わった姫君ですね」

 ふたりの様子を見守っていた漓瑞が隣に戻ってきた黒羽に小さな声で言う。

「まあ、不安定っていうのは本当みたいだな」

 女官達に支えられて歩く後ろ姿を見ながら、黒羽はその姿をどこかで見たと思い出す。

 流れる黒髪。揺れる袖。ありふれた姿だが、なんだろう。背丈や体格のよく似た姿を確かに見たことがある。

「黒羽さん?」

 漓瑞に声をかけられて半ば放心していた黒羽は我にかえる。

「……気のせいだと思うんだけどよ、本局の書庫で見た女の子と紅春の後ろ姿が似てる」

 ありえないことだと分かっていても黒羽の背筋には冷たいものがつたっていた

 

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