序
自分たち姉妹にとって鏡というのは不要な物だった。
ふたりは母親でさえ見間違うほど顔の形、目、鼻、口。全て寸分なく同じなのだ。
だから『ふたり』という言葉もどこか違和感を覚えるものだった。どちらか片方だけでは『私』は成り立たない。
そう信じていた。
あの瞬間までは。
自分は彼女でなく、また彼女は自分ではないということを思い知らされるまでは。
***
薄雲が空を覆っている暗い夜に十五ほどの少女が、真っ暗な闇を覗き込んでそこに飛び込もうとする。
「すさまじいね」
その足を止めたのは子供の声だった。
少女は振り返り松明の明かりに揺れる人影を見る。その姿はやはり子供だが異様だった。
わずかな灯に照らされる髪は明らかに黒ではなく、おそらく薄い茶色だろう。そしてその瞳もやはり黒ではなく藍色、いや青か。
黒髪と黒い瞳以外の子供がこの国にいることはない。違う色を持つのは他国から派遣された監理局の局員の大人しかおらず、あり得ない。
「誰?」
「名前は重要だね。個を個とするにはそれが必要不可欠なのだから。だが君にとってはそれはひとつであるはずのものを周囲が勝手にふたつに引き裂こうとするためのものでしかなかっただろうか」
子供らしくない、抑揚の少ない声で淡々と少年は喋りながら少女の問いかけをはぐらかす。
しかしすでに彼女の視線は、足下の谷底よりも少年に引き寄せられていた。
「あなたはわたくしの何を知っているの?」
少年が声を潜めてささやくと、少女は大きく目を見張りその場に崩れ落ちる。
次にすすり泣きとも笑い声ともつかない声をもらし肩を震わせた。
ゆるりと少女が顔をををあげる。
その朱唇は、暗い空の雲間から覗く弓張月と同じ形をしていた。