終
本局には刑場がある。死罪はないがそれに値する罰を与える場所だ。
石造りの真四角い部屋の中央には円形の穴が空いて、天井のない下の部屋を見渡せる格好になっている。
そこで先にイジュの両親、その上司である官吏、そしてルークンの四人を殺害した罪によりハティムンが刻印に焼き印を押された。
魔族にとって刻印を潰されることは死に至ることのない苦痛を永久に与えられるに等しい。その苦痛を抱えて死ぬまで永い時を本局の地下牢で過ごすことになる。
そして、今は三つの椅子にそれぞれ男がくくりつけられていて、背後には黒い紗で顔を隠した者が三人いる。
「女神への宣誓を破り、穢れた者に粛正を」
それを見下ろす藍李が厳かに告げて椅子にくくりつけられた男達が息を呑む。
彼らは第九支局の局員達だ。ひとりは横領の首謀者である経理部長。残りふたりはイジュを襲った男達だ。
経理部長の以外のふたりは同じく捕まった他の局員達と同じように数年の投獄とその後の無償俸給ですんだはずだった。だが殺人未遂という重罪が加わって粛正を受けることになった。
藍李は表情を動かすことなく三人を冷ややかに見つめる。
引きつれた悲鳴が聞こえて、がたがたと椅子を揺らす音にわずかに髪が揺れるだけ顔を傾ける。
石の床に局員章が落ちる。つけていた者の耳と一緒に。
「いずれ訪れる死の時に女神へ許しを得られるよう善良に俗世で余生を過ごしなさい」
定められた言葉を落として藍李は彼らに背を向ける。
背後の苦しみに喘ぐ声と止血をする作業の音はすぐに遠ざかって、部屋を出ると扉は控えている局員達によって閉じられた。
「就任早々粛正は気分が悪いわね」
ひとり長い廊下を歩く藍李は鼻に残る血臭ごと髪を後ろに払う。
女神への宣誓。
型どおりのその言葉に引っかかりを覚えるのは、漓瑞からタナトムの聖地で見た消された歴史の断片を聞いたせいかもしれない。
この世界は何かが歪んでいる。
その答えを模索するのには畏れがつきまとい、藍李はわずかに歩調を鈍らせる。
だが歩みを止めることはなかった。
***
「イジュ、そっちは異常なしかー?」
「異常なしです!」
よく晴れた聖地周辺の空の下で同僚に呼びかけられてイジュは答える。
聖地が変質して大量の妖魔がわいて五日。
すでに業務は通常とさして変わらず、静かな聖地の周辺を見回りながら符の確認をする。 やっていることは変わらないが、見える景色はまるで違うとイジュは天高くそびえる高層都市を見上げる。
そして自分も以前とはすこしだけ変わった気がする。良くも悪くも。
運び屋のふたりは支局内の牢に投獄された。そして昨日本局より両親の魔族に刑が執行され、経理部の者たちも処分されたと知らせがあった。
粛正は最も厳しい処分だ。半年ほど投獄された後にこちらに三人は戻ってくるだろう。 片耳のないという背信者の印を持った者は、身内共々白い目を向けられながら過ごすことになる。
その子供も人生の至る所で背信者の子供としての苦行を強いられるだろう。
この処分に不満はない。だがこれで全て終わりなのだと思うと、どこか空虚な気持ちになる。
ある意味、両親を殺害した魔族を追うことが生きる支えだったからかもしれない。
これからは何を目指して自分は生きていくんだろうか。
ぼんやりと考えてルークン係長が死んだことはやはり理不尽に思えた。死んで、最愛の妻の隣に葬られてそれで後には何もない。
自分はこれから空っぽの状態で先へと進んでいかなければならないのに。
「でも、あたしは、生きているんだから」
イジュはうつむきかけた顔をあげる。
目指す道は分からない。
それでも前に進もうとイジュはもういちど果てない空を見上げた。
***
事が終わり本局に戻って五日。黒羽は漓瑞の部屋の寝台の上でだらりと寝そべっていた。
「やっぱり今日はここ泊まる。帰る気しねえ」
「ちゃんと帰りも考慮して来なさい。私も送り届けられる気力はありませんよ」
黒羽の傍らに座っているいる漓瑞は指先を絡められ片手をじゃれつかれるままになりながら空いた片手で彼女の額を軽く叩く。
「部屋出て半分すぎぐらいまでは大丈夫だと思ったんだけどなあ」
昨日まではふたりそろって部屋からほとんど動けないほど力尽きていた。霊力を極限まで使い果たした後遺症である。
少し体が軽くなって漓瑞の様子を見に来たのはいいが、そこで力尽きてしまって今に至る。
「気づいたのなら引き返せば良かったでしょう」
「引き返すより来た方が早いじゃねえかよ。それにお前の顔四日も見てなかったしよ」
どうしても会いたくて来たのだ。
「あなたという人は本当に……」
漓瑞が絶句して悩ましげにうなだれる。
「……困らせて悪い」
彼の様子に黒羽がしょげると、彼は顔を上げて首を横に振る。
「いえ。来て欲しくなかったわけではないんです。私もあなたに会えることは嬉しいんです。困っているのは、そう思っている自分自身というか、そんなところです」
漓瑞も顔を合せられてよかったと思っていることは分かったので、黒羽は胸に湧く暖かな幸福感についついにやける。
(当分、親離れできねえ気がしてきた)
たった四日会えないだけで、これではどうにもならない。
自分に呆れつつも黒羽は半身を起こして漓瑞の背にもたれかかる。
「これ、落ち着くな」
背中越しに伝わる体温は眠気すら覚えるぐらいに気持ちが安らかになっていく。
「……大丈夫ですか?」
深刻そうな問いかけに黒羽はうん、と返しながら冥炎をいつも握っている自分の手を見る。
聖地でハティムンと戦闘の中、後で振り返ると愕然とするほど戦いにのめり込んでいる自分がいた。
あのまま一瞬でも漓瑞があの女神を封じるのが遅ければ、ハティムンを殺していたのかもしれないと思うと体の芯から寒気がした。
似た感覚は緋梛と戦った時もあった。だがあのとき以上に破壊衝動が強かった。
殺意ではなく壊したいと思った。それは生あるものを命として見ていないということで、なによりもそのことが恐い。
漓瑞にそのことは話しているので、今もその恐怖を引きずっていることは察してくれているのだろう。
「あなたは、大丈夫ですよ。大丈夫」
根拠なんてない言葉だったが、それでも彼にそう言われるとずいぶん気が楽になる。
「まずい、本気で眠くなってきた」
黒羽は言いながら再び寝転がる。漓瑞の腕もついでに引っ張ってしまったので彼も不意打ちで一緒に倒れ込むことになる。
「……黒羽さん、もう少し自分の性別に自覚を持って下さい」
額がぶつかりそうなほど近くに、漓瑞が困り顔があった。
「自覚って何をだ? しょっちゅう間違えられるけどさすがに忘れてねえぞ」
「そういうことではなくてですね、あくまで私は保護者だからまだいいのですけどね。そうです、保護者ですから」
なぜか保護者を強調する漓瑞に黒羽は首をかしげつつも夢の中に半分入り込んでいた。
「それ、後で聞く。おやすみ」
呂律の回らない舌で言って目を閉じるとすぐに黒羽は眠ってしまった。
その後に残された漓瑞はその穏やかな寝顔に愛おしげに目を細めながら、あくまで保護者と、と小さくつぶやく。
そして彼は狭い寝台の上で少しだけ黒羽から距離を取って襲い来る眠気に押し流されるように目を閉じた。
―了ー