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女神の玉座  作者: 天海りく
廃園の牢獄
18/67

五-2

***

  

 そして翌日。

 約束の苔生した小屋でグリフィスと落ち合い、そのまま三人でこれからの行動について話し合おうことにした。

「それにしてもすごい荷物だな」

 黒羽はグリフィスが背負っている荷袋を見る。

「うん。今日はここに泊まるんだ!」

「わざわざこんな所に泊まらなくても、明日にした方がいいんじゃねえのか?」

「でも、朝早いし、黒羽達もいるなら安全だよね」

 グリフィスは黒羽達に護衛を任せる気でいるらしかった。

「あなたは日蝕の正確な時間も分かるのですね」

 すでに表情が険しい漓瑞が淡々と問いかけるに、グリフィスがうなずく。

「うん。計算式があるから、それに当てはめたらね。玉陽の日蝕の予測が当たるまでは、式があってるか分からなかったけど、ずれはなかったし今度も合ってるはず」

「あなたは、アデルに頼まれて日蝕の予測をしたのですか?」

「うーんと、俺は元から天文学やってて、日蝕と月蝕の予測が面白そうだったからいろいろ研究してたんだ。それで、アデルが知りたいって言うから教えただけ」

 要はアデルの目的と、グリフィスの趣味が合致した結果らしい。

「なんで、アデルにしか教えなかったんだ? 学者って学問の成果で競ったりするもんじゃねえのか」

 難しいことはよく分からないものの、学者とはそういうものだという認識が黒羽にはあった。

「そういう人もいるよ。でも俺みたいに、ただ知りたいから調べてるっていうのもいるよ。教えてって言われたら教えるし。あんまり俺の話を聞いてくれる学者もいないなあ。なんかみんな、俺がちょっとおかしいって思ってるし。でも、アデルは理解してくれるんだ」

 グリフィスはほんの少し落ち込んだかと思うと、またぱっと表情を輝かせた。

(こればっかりはどうにもなあ……)

 黒羽はグリフィスの楽しそうな笑顔に、気を沈ませる。

 できればグリフィスとアデルとの繋がりは絶ちたいのだが、藍李は情報源としてしばらく様子見しておけと言って、漓瑞も同意見らしい。

 どっちにしろ利用されるだけのグリフィスに、もやもやし気持ちになってしまう。

「でも晴れてよかったね。ゆうべちょっと覗きに来たとき雨降ってたから今日はだめかなあって思ったけど、この分なら明日も大丈夫かな。涼しくなってるから動きやすいしいい探索日和だよね」

 グリフィスが四角く穿たれたただの穴のにしか見えない窓から、千切れた雲の欠片が散らばる空を脳天気に眺める。

「夜にひとりで来たのか? 危ないって言っただろ」

 黒羽は子供に小言を言う口ぶりでグリフィスを咎める。

「だって、なんか待ち遠しくってさ。それに大丈夫だよ。『道』から出てすぐに戻ったし」

 グリフィスの言う道、というのはどうやらひとつ出入り口を覚えれば後はどこに道があるのかが分かるらしい。

 特にこの聖地はあちこちに繋がっていてて移動が容易だという。

「じゃあ、なんかあったらそこから逃げるようにしろよ。それまでの時間は稼ぐから。でも渡し人は道が繋げないのに変な話だよな」

「それはね監理局の渡し人は現行世界の理、俺は旧世界の理に基づいてるからだってさ。俺、そういう観念的なものは苦手だからよく分かんないんだけど仮に現行世界をα、旧世界をβって置いてみて……」

「いえ、それは説明されても理解できませんし、時間もないのであなたが魔族を見たという場所に案内していただけますか」

 グリフィスがつらつらと吐き出し始めた謎の言葉を、漓瑞がばっさり切ってくれて黒羽は密かに安堵した。

 あまりにも難しい事を話されると思考停止してしまう。

 そして説明を聞いてもらえず、少し不満げなグリフィスと共にふたりは小屋を出る。

 途中いつも通り妖魔や蔦が襲ってきたが、不思議なことに狙いは黒羽ひとりのみだった。 漓瑞が攻撃を仕掛けるとさすがに妖魔は彼の方へと攻撃を向けるが、グリフィスに関しては目もくれない。

「白い蜥蜴はこの聖地においての門番みたいなものらしいよ。それと関係あるのかな」

 戦闘が終わると暢気に観戦していたグリフィスがそんなことをつぶやいた。

「そうなのか?」

「うん。古代文字は解読できたからね。たぶん瓦礫の中には蜥蜴の像もあったはずだよ」

「そんなにすぐに分かるものなのですか?」

 漓瑞の疑わしげな声に、グリフィスが唇を尖らせて背負っている荷物から紙を取り出す。 そしてそこに細い黒炭の棒に布を巻き付けたもので、何かを書きつけて黒羽と漓瑞に見えるように自分の前に掲げる。

「これが古代文字。で」

 またグリフィスが紙に何か書き、ふたりに見せる。

「空中庭園?」

 タナトムや周囲4カ国で使用されている文字で書かれた言葉を黒羽は読み上げる。

「……似ていますね」

 漓瑞のつぶやきによくよく注視してみれば、最初に書かれた文字と後に書かれた文字はどことなく形が似ている。

「そう。これはちょっとわかりやすく整形してて、本当の古代文字はもっと分かりづらいんだ。ちゃんと見たら今使われてる文字と基本は一緒だよ。でも、黒羽も漓瑞も読めない」

「それも旧世界と現行世界との違いって奴なのか?」

 さっきグリフィスから聞いたことを思い出しながら黒羽は問う。

「多分そうだと思う。監理局の人って女神様の恩恵でどの言葉も通じるよね。ねえ、黒羽、空中庭園って書いてみて。頭の中に浮かんだ文字で」

「いいけど字、汚ねえぞ」

 黒羽はグリフィスに言われるままに余白に文字を書いた。

「……わあ、本当だ。ちょっと古代文字っぽくなってるけど、これは玉陽を中心に北大陸東部で使われてるそう語、だね。こっちで使われてるシヌサイ語は書ける?」

 文字を書くことだけは習わねば出来ないので黒羽は書けないと答える。

「伝承と矛盾が生じてしまっていますね」

「そう。世界は元はひとつの言語しかなかったけど、女神様が眠ってしまって言葉は別れてしまった。例外として監理局の人や魔族は全ての言語を解する。これが誰でも知ってる話。でも、聖地は女神様が眠る前のものなんだよね」

「ええっと、つまりどういうことだ?」

 頭の中がこんがらがってきて黒羽は首を捻る。

「女神様が眠る前から言葉は別れていたんだよ。こっからは俺の仮説。女神様は別れていた言葉をひとつにしようと思ったけど失敗したんだ。一部の人間と魔族の間である程度は出来たものの、未完成で文字は共通させられなかった。あちこちの聖地の古代文字をちょっと調べれば分かることなのに、聖地に入っちゃいけないから誰も気づいてない」

 グリフィスの言わんとしていることの危うさにうっすらと気づいて、黒羽は漓瑞に視線を向ける。

「古代文字に関してはよく分かりました。あなたはどこまでこの聖地を把握しているんですか」

 ひとまず漓瑞が話を本題へ戻すと、グリフィスは悪戯めいた笑みを浮かべて文字を書いた紙をふたりにもう一度見せる。

「この空中庭園っていうのは俺が魔族を見た近くにあった文字だよ。後は天望所、空中回廊とか空に関するものがあったんだ。そして極めつけに第二十四階層って文字。つまりここの聖地は地上二十四階の超高層都市だったんだよ!」

 想像もつかない高さになるだろう階層数に黒羽は目を丸くして地面を見る。

「二十四階!? 下は崩れて上の方だけ残ってるわけなのか?」

「いえ、地下があるということは下の層は埋もれているだけなのかもしれませんね」

「ならここは筍の先っぽみたいなもんか?」

 真っ先に思いついた近いものを口にすると、男ふたりはなんとも言えない顔をしていた。

「……その例えはあってるけど、埋もれた古代都市の浪漫がなんか……まあいいや。俺が確認できたのは二十一階まで。あとは道が繋がってて扉はあっても、取手がないから空けられないっていう感じでいけなかった」

 特殊な道を使わないでいける範囲をグリフィスに聞いてみれば、二十二階層までは確認済みということらしく魔族が向かっていたのもそっちの方だったそうだ。

 黒羽達はその情報を頼りにしてさらに奥へと進んでいく。

 そして相も変わらず蔦や妖魔に黒羽だけが集中攻撃を受け、たどり着いた場所は頭上に石の橋がかかっている場所だった。

 橋の先はなく、周囲には多量の瓦礫が積もっている。

 その中でかろうじて原型を留めている柱とおぼしきものが重なった隙間に、人が入れる空間があって奥に階段が見えた。

「私が先に行きます。真っ直ぐ歩いていけばいいんですよね」

 危険を一番先に察知できる漓瑞が確認をとって降りていき、硝子製の角灯を持ったグリフィスが続いて、最後に黒羽が背後を確認して降りた。

 地下は光がなく灯の光も爪先辺りで闇に喰われてしまって、視界が悪い上にじっとりとした湿り気を帯びている。

 石壁からは水が染みだしていて、グリフィスが持つ灯をうけてちらちらと光っていた。

「この前より水気が少ないな。大雨が降ったからもっと濡れてるかと思ったけど……あれ、こっちに道なんてあったっけ?」

 道なりに進んでいると興味の赴くままにグリフィスがふらふらと歩き出して、黒羽はかすかな明かりを頼りに追う。

 足音とため息で漓瑞もついてきていることは分かった。

「あ、隠し通路なのか。壁が動いた跡がある。うーんとここはなにか、な、うわあっ!」

 何かに蹴躓きでもしたのかグリフィスの悲鳴と一緒に、角灯が地面に落ちてがしゃんと入れ物が割れる音がした。

「おい、大丈夫か!?」

 黒羽は冥炎を抜いて炎を纏わせ灯代わりにしてグリフィスへと駆け寄る。

 彼が硝子の破片で怪我をしないように、周囲を照らし黒羽は足下を見る。そこには濡れた苔があってこれで滑ったらしい。

「びっくりしたー。あ、両側に蜥蜴。大事なものがこの先にあるのかな……」

 冥炎の灯に照らされた壁の両側には確かに蜥蜴が彫られていた。目には紅玉に似たものが填まっている。

「こら、待て、グリフィス! また転ぶぞ」

 黒羽の声にはまるで反応せずにグリフィスは足早に進んでいく。

 本当に子供の様だと呆れながら黒羽は歩調を早める。グリフィスの首根っこが掴めるかどうかの距離まで近づくと、彼の体が傾ぐのが見えた。

「うわあっ!」

「グリフィス!?」

 転んでいるのではなく落ちているのだと気づいた瞬間、黒羽は冥炎をしまい彼の腕を掴んだが、いかんせん中身は子供とはいえ自分より背の高い男だ。

「黒羽さん!」

 漓瑞の声と下の方のでがさがさという音を聞きながら、黒羽はグリフィスと一緒に落下する。

 だが予測した衝撃はなかった。

 グリフィスの上に黒羽は乗っていて、さらに彼の下には柔らかく青臭い敷物があった。

「なんだろ、これ蔦? ていうか黒羽見た目より軽いね。あれ?」

「……お前なあ。なんでこういうことになったかよく考えろよ。ったく」

 のんきな様子に怪我もなく無事らしいと脱力づる黒羽は、グリフィスの上からどこうしたが、足を蔦にひっかけてしまいまた彼の上に倒れ込んでしまう。

「ちょっ、急になんだ」

 もう一度立ち上がろうとしていると、今度はグリフィスに急に腕を掴まれて抱きすくめられた。

「あー、やっぱりなんかふわってしてる。黒羽ってさ、もしかして女の子?」

 そしてそんなことを聞いてくるグリフィスに今更何をと一瞬思考が止まった。

 だがよくよく考えてみれば、初対面の人間に性別を間違われなかったことはないので、聞かれなかったということは気づいていなかったということだ。

 それはそれでどうかと思うわけだが。

「…………一応な。分かったなら離せ。立てねえだろうが」

 押しのけようとするがグリフィスはなぜか動かなかった。

「ふわふわじゃなくてちょっと固い。でもこの固さがなんか癖になる」

「あたしは枕かよ」

 声を低めてぼやきながら黒羽はグリフィスを押しのける力を強める。腕力も鍛錬していない男に比べればある方なので、引きはがすのはそう難しい事ではなかった。

「……何をしているんですか」

 立ち上がると背後で漓瑞の冷え切った声がした。これは確実に怒っている。

「悪い。面倒見切れなかった」

 冥炎を再び抜いて黒羽は辺りを照らし、グリフィスを止め切れなかったことを詫びる。

「いえ、黒羽さんではなく人の話も聞かずに勝手な行動をしたそこの人が全面的に悪いんです。高さもなく下に衝撃を吸収してくれるものがあったからよかったものの、あなただけでなくて黒羽さんも危なかったんですよ」

 漓瑞の静かな怒りが垣間見える言葉に、グリフィスが肩をすくめて分かったと言って立ち上がった。

「ねえ、あっちにあるのってなんだろ」

 そしてちゃんと反省はしているらしく、その場から動かずにグリフィスが冥炎の光が届くぎりぎりのあたりにぼんやりと見える麻袋のを指差す。

「漓瑞、あれってもしかして物証か?」

 横領で捕まえた局員の証言では、麻袋に金貨などを詰めてあとは魔族が聖地のどこかに隠しに行っていたということだった。

 それを見つけるより被疑者を捕まえるのを優先していたわけだが、先に見つけてしまったようだ。

「おそらくそうでしょう。しかしまたずいぶん適当な置き方ですね」

 無造作に積まれている袋を空ければ予想通り黄金色がこぼれ落ちた。造幣された年もちゃんと刻まれていて間違いない。

「先にこれ局に届けないとなんねえな。グリフィス、両手塞がると困るからちょっと持ってくれ」

 そうして黒羽と漓瑞は何が何だかよく分かっていないグリフィスに、全部で五つあるうち三つほど持ってもらい上に戻ることにしたのだった。 

 

***


 女神の島の東部にある浅葱色の瓦屋根と同色の柱、黒木の外壁が目を引く木造の屋敷が九龍家だ。

 青い蓮の花が一年中咲き乱れる池を囲むんで建つ屋敷の一角、夕日が差し込む書庫で藍李はうつらうつらとしていた。

 本局の書庫や資料庫を中心に聖地に関することを調べていたが、さしたる手がかりを得られなかった。

 そして実家の書庫にも用途不明な資料や手記が眠っていることを思い出し、調べたもののやはりこれといったものが見つからない。

「総局長、言われてたものってこれですよね」

 頭上から降ってきた声に藍李はあくびをして頭を振り、眠気を振り払う。

「うん、それ。ありがとう」

 後ろに立っている黒髪を肩口で切りそろえた小柄な猫に似た印象の少女、緋梛ひなから藍李は本を受け取る。

「少し休んだ方がいいんじゃないですか? ここ最近あんまり寝てないですよね」

 心配そうに言う緋梛に大丈夫、と藍李は笑うが正直今すぐ机に突っ伏して眠りたいところだった。

 総局長に就任してひとつきあまり。引き継ぎやら各所への挨拶やらに加えて聖地に関することを調べ、休みなしに働いていても睡眠はある程度はとれていた。

 だが横領事件が発覚してからはそっちにも時間を割かれ、ここに来て一気に疲労が押し寄せて来ていた。

「しばらくはこれ読んでるから休んでていいわよ。師範にこっち来てって言っといて」

 緋梛は藍李を気にかけながら渋々といった体で、では失礼しますと言って退出する。

 黒羽と同じ神子である彼女は玉陽でアデルに操られていたものの、この分だともう心配はなさそうだ。

 しばらくは本局から出さずに自分が他の職務中のときに、聖地に関する本を探してもらうなどに雑務をこなしてもらう。しかし、いずれは外に出て動いてもらわねば手が足りないだろう。

 藍李は緋梛の背中を見送って紐で綴じられた表紙が白紙の古い本を開く。中はタナトムの地域の名前と魔族の文字があり数字が上下にふたつ並んでいるものだった。

「藍李君、そっち?」

「こっち」

 分からない数字の意味を考えていると呼ばれ藍李は応える。

 書棚の間から姿を見せたのは、糸目で四十ぐらいの男。東部第一支局監理部妖魔課の課長であり藍李の師である尚燕しょうえんだ。

「師範、この数字なんだと思う?」

「……無登録者と登録者、とか? でもそういう資料は局内の資料庫にあるはずだよね」

 細い目をさらに細めて本を見ながら尚燕が首をかしげる。

「よねえ。創立から三百年の間にかけて魔族が神と呼ばれていた事実は抹消され、その過程の記録はなし。この本はその年代の頃の写しだと思うんだけど……」

 そこまでは推測できている。だからといってこれっぽっちの手がかりでは、何も分からない。 

「すっぽり記録が抜けてるって事は後には残したくないなにかがあったんだろうね。でも、なんだろう」

 三百年という長すぎる歴史の欠如は誰もが見て見ぬふりをしてきた。徹底的に記録が残されておらず、宗主家ぐらいしか空白のことを知らないという事実が触れてはならない禁忌だと如実に示していたからだ。

「そもそも神をひとつに統合しなきゃならなかった理由が見えないわ。聖地に関しても世界の秩序の楔、けして人の手で触れるべからずっていうことぐらいしか伝わってないし……だけど断片的な資料が局の資料庫じゃなくて宗主家の書庫にあるのはどうしてかしら」

 考えれば考えるほど道に迷いそうで、これ以上この件を掘り起こすのは恐い。

 だからといって立ち止まるわけにもいかないが。

 藍李は頁を繰りながらふと、零という数字がないことに気づく。

 そのかわりに後の頁になれば数字を塗りつぶした跡がぽつぽつと見られる。最後の頁には『全移行為らず』とあって残りの文章はやはり塗りつぶされて読めない。

「……神から魔族に変わった数」

 ふっと脳裏に浮かんだ事を藍李は口にしてみてもう一度本を読み直す。

「何をもって変わった、とするんだい?」

 尚燕の問いかけに藍李は漓瑞から聞きだしたアデルの話を手繰っていく。

「混血。人と神の婚姻。……人間の伴侶を得たって事じゃないかしら。魔族のほとんどが下級神の末裔って言ってたわよね」

 ならば他の神はどうなったのだろう。

 玉陽の神は子孫を残し深く眠っていた。だが、女神の眠る前から同じ一族が統治している国は玉陽一国のみである。 

「伝承では人と魔族の間で戦争になったってあったね」

 尚燕が藍李の思考を読んだようにつぶやく。

 伝承では人や魔族が争い始めやがて世界が崩壊の危機に瀕した。

 その時眠りについていた女神が一度だけ目覚めて神剣を四人の人間に下賜し、彼らを支えるべく一部の人間に破魔の力を与えて再び眠りについた、ということになっている。

 戦乱で負けた統治者である神々は死んだのかもしれないし、玉陽と同じく聖地で眠っているのかもしれない。

 タナトムに関しては黒羽達から報告から察するに後者だろう。

「伝承もどこまでが本当かも分からないのよねえ。玉陽の神は蘇るのに瘴気が必要だった。で、女神が眠りから覚めたのは世界が壊れそうになるぐらいの瘴気が蔓延したから。ここで伝承と近いものがあるから全くの嘘じゃなさそうね。そもそもそれだけの瘴気ってなんなのかしら。タナトムの聖地の妖魔の大量発生の要因もそこにある気がするのよ」

「単純に戦争が起きたら瘴気は産まれるし、それが神様のものだからすごいことになったんじゃないかなあ」

 なにげなくそう言った尚燕の言葉に藍李は柳眉をひそめる。

「それかもしれないわ。瘴気を出してるってことは心中穏やかじゃないって事よね」

 その感情は果たして悲しみなのか、苦しみなのか。

「怒ってるとかだったら恐いよねえ」

 のんびりと尚燕が言って、その場にしばし沈黙が降りる。

「あー、なんかもう嫌な予感しかしないわ。日蝕は明日だから師範も現地行ってもらおうかしら」

「あの、総局長!」

「あら、どうしたの緋梛?」

 急に書棚の影から緋梛が飛び出してきて藍李は目を丸くする。

「あたしも行っていいですか? 人手は多い方がいいですよね! 別に黒羽姉さんが心配ってわけじゃなくて、玉陽で迷惑かけたからなんかしたいってわけでもなくて」

 つらつらと行きたい理由を喋り始めた緋梛に、藍李と尚燕は温かいまなざしを向けた。

 いちいち言わなければいいのになんともわかりやすい子である。

「いいわ。そのかわり師範と一緒に行動してね」

 時期尚早かもしれないがまあいいだろうと、藍李は許可して手元の本に目をやる。

 半端に塗りつぶされた痕は、ずいぶん前の代にこの本を見つけた当主がしたのかもしれない。破棄はしなかったのか、出来なかったのか。

 読めない意図を読み取ろうとするように藍李は本の表紙を撫ぜたが、指先に残るのは不安に似たかさつきだけだった。

 

***

 

 夜が更け、黒羽達は木の枝にがんじがらめにされた建物の二階にいた。

 金貨の袋を預けた後にまた地下に潜ったものの、奥は崩れていてとても進める状態ではなく引き返した頃には夕刻だった。

 そうしてグリフィスの最初の予定通り、一緒に聖地にとどまり一夜を明かすことになった。

「せっかく望遠鏡持ってきたのに雲が多いなあ。明日の日蝕大丈夫かな」

「空見たり地面見たり忙しいな」

 黒羽は望遠鏡で窓辺から空を見ているグリフィスの横に移動して、薄雲のかかる空を見ながら呆れ混じりに感心する。

 彼は昼間ずっと瓦礫を観察して文字を探したりしていたのに、夜になると飽きずにずっと空を見ている。

「星を数字に置き換えたり、古い時代のことを文字を頼りに頭の中で再現したりして遠いものを近くに持ってくるのはすごく楽しいよ」

 自分には到底理解できないが、グリフィスの表情や口調からは本当に星も文字も好きだろう事はよく分かった。

「そうか。好きなことがあるっていうのはいいな」

 柔らかい口調で言うと、グリフィスが望遠鏡をしまいながら嬉しそうに小さく笑った。

「俺、黒羽と友達になれてよかったな。俺がやってる事を変とか気味が悪いとか言わないのアデルと黒羽だけだよ」

 無垢で偽りのない言葉だからこそ、やけに重たく感じる。

 アデルからグリフィスを引きはがすことも、気持ちとしては純粋に友人になろうと思っているのに、結果的に利用していることになることもだ。

「……なんだ?」

 ふとグリフィスがじっとこちらを見てきて、黒羽はまたかと思う。

「黒羽って女の子なんだよね。言われると女の子に見えないこともないけどなんか不思議な感じがする。ほっぺたやわらかいし」

 言いながらグリフィスが頬をつついてくる。

「そこは誰でも柔らかいもんだろうが。ったく、どう見えようがいいだろう。あたしはあたしなんだからよ」

 性別が分かってからも納得がいかないのか、手首の細さを確認したりやたら見つめてきたりするグリフィスの額を黒羽は軽く指で弾く。

「それはともかくあなたはすぐに黒羽さんに触るのは止めなさい」

 間に入ってきたのは外の様子を見に行っていて戻って来た漓瑞だった。

「なんで?」

「女性に軽々しく触るのは不作法だからです」

 まったく、と漓瑞が黒羽にこっちに来なさいと手招きする。

「うん、まあそうだな。あたしは大して気にしねえけど。それは駄目だな」

 自分は局の子供にじゃれつかれている感覚なわけだが、確かに普通の女の子に十八の男が同じことをしていたら漓瑞と同じ事を言うだろう。

 というのは分かるが漓瑞に女性のくくりに自分を入れられてしまうと、なんとなく変な感じがする。

 妙にそわそわしてしまって後ろ頭をかく黒羽は、漓瑞の隣まで行って外の様子を聞く。

「異常なしです。だから今のうちに寝ていてください」

 漓瑞の言葉はグリフィスだけに向けられていた。

「黒羽は一緒に寝ないの?」

「一応護衛だからな。もう少し起きてる」

 少しグリフィスはごねたが、疲れもあるようで持参している大きな布きれにくるまるとすぐに熟睡してしまった。

「……寝付きはいいですね。こんな所では寝られないと言われたらと思いましたが」

 仮にも大帝国の皇帝がこんな石の床に布一枚で眠れるというのもすごい話である。

「本当に子供みたいだな」

「とはいえ、あまり油断はしないでください。アデルとの繋がりがある以上、足下を掬われることになるかもしれませんから」

「それをどうするかだよな。あいつの研究がアデルの役に立っちまってるのはな……」

 グリフィスによればアデルは古代文字の解読が出来ないらしい。

 監理局の空白の歴史に関わる重要な鍵を握ることになる、グリフィスの存在は思ったよりも重要そうだ。

「こちらとしても、アデルの動きを知るのに役立てさせてもらうしかありませんね」

 深々とため息をつきながら漓瑞がグリフィスの寝顔を見やり、黒羽もつられる。

 無防備すぎるその様子はやはりどこまでも幼く、いたたまれない。

「とにかくまずは明日だな。何が起こるんだろうな」

 金貨を無造作に放置していたのは、それがどうでもいいものになるぐらいの価値のものがあるからなのではと、珍しくグリフィスと漓瑞の意見が一致していたことも気にかかる。

 明日のことや今後の事について漓瑞とぽつぽつ話している内に、蝋燭が半分ほどになった頃、黒羽も横になり冥炎を片手で握ってゆっくりと眠りについた。


***


 黒羽が眼裏に光を感じて目を開けると朝だった。熟睡したという感じではないがひとまずの疲れはとれている感覚はある。

 グリフィスも間もなく目覚めて、支局に金貨を引き渡した後に持ってきて貰っていた果実を朝食代わり食べた。

 その後、グリフィスが時間だというので全員で屋外へ出る。

 今日はよく晴れていて陽光が眩しい。

「黒羽、目が悪くなるから太陽は直接見ちゃ駄目だよ」

 空を見上げるとグリフィスに言われて、黒羽はそうなのかと顔を下げる。

「ならどうやって観測するんだ?」

 グリフィスはこれ、と荷物から穴の空いた紙を取り出す。そして後は木の四角い枠組みを取り出して地面に置き、紙をその上に置く。

 これで一体何を見るのかさっぱり分からない。

「あそこの木漏れ日とかでも分かるんだけど、こっちの方がわかりやすいと思う。日蝕は太陽を直接見るんじゃなくて、この紙の穴を通して地面に出来た丸い光を見るんだ。すぐに分かるよ」

 グリフィスが石畳に直接腰を下ろして、アデルと揃いだという懐中時計と新しい紙を取り出してじっと穴の空いた紙の下にある丸い光を見始める。

 黒羽と漓瑞も大人しく待つ。

「欠けてきた……」

 グリフィスがつぶやくとおり地面の光がかけはじめていた。

 近くの木漏れ日から地面に映し出された無数の太陽も一斉に形を変えていく。

「……玉陽の時と同じだな」

 空の色が変わり、世界が呼吸を止める。

 グリフィスは無心に懐中時計と地面の太陽を見比べて、紙に時間と変化の様子を書き留めている。

 そうして全てが闇に包まれ、一瞬の死の後の再生が始まる。


***


 イジュは病室の隅に座り込んでいた。

 病室の中は整然としている。医務部の局員達が出入りし、淡々と仕事をこなしていく。

 寝台の上のルークン係長はここ数日と変わらず眠っていた。

 ほんの四半時前、早朝にルークン係長は目を開いた。焦点の定まらぬ目で自分を認識するとすまなかった、と乾ききった声で告げた。

 それだけだった。

 言葉はそれだけで次にその口から零れたのは血だった。

 霊術治療が施されていた傷口が反転して再び開き間もなく呼吸は途絶えた。

 一度施術を受けて傷が癒えても、後に患者の体力と霊力により再び傷が元に戻ってしまうことがある。そうなると患者には体力も霊力もなく為す術はない。

 一応知識と知っていることだったが、治癒を施すことをしない局員に説明されても受け入れられずにいた。

「イジュ……、外へ出ましょうか」

 駆けつけてきた保護者代わりだった教務部の女性局員に付き添われて、イジュは比較的しっかりとした足取りで部屋の外に出る。

 こみ上げてくるのは悔しさと憤りだった。

 なにひとつ償わずに逝ってしまった。あんなひとことで全てが許されるなんて思わないでほしい。

 他にもたくさんの人を裏切ったのに。昨日だってたくさんの局員が見舞いに来てはひっそりと馬鹿なことをしたと言って涙ぐむ人も多くいた。

 どんなに言いたいことがあってもぶつける場所はもうどこにもないと、またさらに腹立たしくて泣きたくなる。

 イジュはすっと呼吸を呑み込んで付き添いの女性の手を握る。

 休憩室に向けて無言でしばらく歩いていると急にあたりが暗くなった。

「雨かしら。今朝はとても晴れていたのに……」

 付き添いの女性がぽつりとこぼすが、それは違った。窓のある廊下にさしかかると人が集まっていて太陽が消えたとざわめいている。

 人集りの向こうに見える空は夜空のような藍色がかった黒でなく、影に近い黒い色をしていた。

「日蝕なんて珍しいな」

 そんな声が聞こえてきて、これがそうなのかとイジュはぼんやりと窓の外を見つめる。

 やがて光が差し始めて朝焼けと夕焼けが入り交じった色に空が変わっていく。

「え……きゃあっ!」

 その時、足下が揺らいでイジュは悲鳴を上げる。

 地の奥底からくる小刻みな揺れは大きくなっていって立っていられなくなる。周囲からも悲鳴が上がって、全員がその場に座り込む。

「……止まった」

 長い揺れがおさまってそろりと顔を上げると、窓の向こうにあり得ないものが見えた。

「あれ、聖地じゃないのか」

 驚愕する声にで以上はあの方角にあるのは聖地だということを思い出す。

 だがあれはなんだろう。奥に見える山の背丈を優に超える巨大な木と石の塊。

 よくよく見れば石の塊は窓の下に広がっている、タナトムの王都に似た赤茶色の石の街らしかった。

 どうやら街が乗った皿をいくつも重ねた不可解な構造をいている。

 幾本もの巨木は上に積み重なった街が、下の街を押しつぶさないための柱代わりなのかもしれない。

「黒羽さん……」

 まさに神の創造物と呼ぶしかない常軌を逸した物に、イジュは言いようのない不安を覚えて身を震わせる。

 そして誰もが呆然としていると、緊急事態を知らせる鐘が打ち鳴らされた。

「聖地周辺に大量の妖魔が発生! 妖魔監理課、並びに聖地警備係は至急出動!!」

 駆け込んできた局員の号令にイジュは、その声に唇を引き結ぶ。

「先生、あたし、行ってきます!」

「イジュ、大丈夫なの」

「はい! できることがあるのにしないなんて、したくないんです」

 何もできないことばかりの自分だけど、それでもやれることは確かにある。

 イジュは胸に溜まる鬱屈した感情を振り払い、他の局員達に混じり駈け出した。




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