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女神の玉座  作者: 天海りく
廃園の牢獄
12/67


 かつて世界の瘴気を浄化した女神が深い眠りついた後にその役割を継ぎ、瘴気から産まれる妖魔を滅し女神の眷属であった魔族を管理する人々が集う組織。

 それが人外監理局だ。

 女神がいた頃に環の形をしていたが、今はふたつに割れてしまった大陸の間、ちょうど世界の中央に浮かぶ女神の島。

 そこにある四本の樹が絡みつき、巨木のような姿をした天高くそびえたつ塔が本局である。

 その内部は外観からは想像がつかないほどの数多の部屋と広い空間を持っている。

「塔の中に庭って不思議だよなあ」

 白い花が咲きこぼれる円形の庭園で、長椅子に座り空を見上げてぼやくのは、背の半ばまである灰色の髪を一つに結んでいる細身の青年だった。

 帯刀している彼が凛としながらもどこか人懐こい青みがかった灰色の瞳を、向かい合わせになっている椅子に座る女の子達に向ける。

 世界各地から集められた十代半ばから二十代前半ぐらいの彼女達は、監理局員の証である硬貨の形をした銀の耳飾りを片耳につけている以外は肌の色や髪、瞳の色、纏う衣装すらばらばらだ。

 ただ青年の視線に頬を染めため息をつくのは同時だった。

「ええ。私も最初来た時はびっくりしましたの。この他にも庭はたくさんあるからご案内しますわ」

 金髪の少女がいえば。

「まだ来て三年のくせに何言ってるの。それなら八年いる私のほうが詳しいわ。今度私が案内してあげるわよ」

 赤毛の二十代とおぼしき女性が対抗し。

「ちょっと、あなた婚約中なのにいいの」

 黒髪の少女が茶々をいれる。

「いいのよ。黒羽くろばは女の子だから浮気じゃないもの」

 赤毛の女性がそう言うと女の子達は一斉に美青年、もとい一応は十七歳という年頃の少女である黒羽を見て物憂げなため息をつく。

「ああ。本当に信じられない。こんなに素敵な男性が女の子だなんて」

 その場にいる最年少の褐色の肌の少女の嘆きに黒羽が苦笑する。

 子供の頃から初対面で女だと気づいてもらえず、成長してからは背丈も周りの大人の男達と変わらないぐらいまで伸びて男と間違われるのでもう慣れてはいる。

 とはいえ落胆されると困ってしまう。

 つい一月前に北大陸東部にある玉陽国にある東部第一支局からこの本局に来たわけだが、本当にどこにいても女の子達の反応は一緒で驚かされる。

「まあ、男にはなれねえけど、話し相手ぐらいにはなるよ。本局って広すぎてどこに何があるかもまで全然わかんねえし、教えてくれたら助かる。そろそろ出向の辞令が出るから帰ってきてからになるけどな」

 微笑みかけると女の子達がもちろんと幸せそうにうなずく。

 この反応は未だに意味不明だが、とりあえずよくしてもらっているし、みんな楽しそうだからいいかと黒羽は深く考えることはやめた。

「ご歓談中の所をすみません。黒羽さんをお借りしてよろしいですか?」

 そこへ性別を感じさせない耳心地のよい声がするりと滑り込んでくる。

 声の主は十四、五の少年だった。さらりとした黒髪とどこか作り物めいた精巧な愛らしさを持つ面立ちの彼、漓瑞りすいに視線をやった後に黒羽は女の子達に了承を取って立ち上がる。

「じゃあ。また今度な。今日はかまってくれてありがとう」

 そしていつでも声かけてねと手を振る少女達に別れを告げて黒羽は漓瑞と並んで歩く。

「遅かったな」

 そ言いながら黒羽は自分の鼻先ぐらいの位置にある漓瑞の瞳を見下ろす。

 この庭にいたのは漓瑞と待ち合わせをしていたからだ。鍛錬を終えてひとりで長椅子に座っているといつの間にか女の子達が集まってきて賑やかになった。

「ええ、少し待ち時間が長くて」

 漓瑞が複雑に蔓草が絡み合う文様が刻まれた左手で肩口で何かを払う仕草をして、そこに何もなく手が空振りして苦笑する。

「いけませんね。さすがに五十年近くあの長さだと、急には切り替えられませんね」

 漓瑞の手にある刻印はと同じ姿でありながら、人を超えた身体能力を持ち長命な魔族の証だ。

 彼は早世した兄妹の姿を現世に留めるという慣習に従い、夭折した双子の姉を模して髪を長く伸ばし女物の衣装を身に纏っていた。普通はひと月ほどなのだが、彼は五十年近くその格好だった。

「そりゃ、九年一緒だったあたしがまだ慣れないんだからそうだろ」

 黒羽にとっても馴染み深い漓瑞は可憐な少女の姿だ。今でも彼を探すときに長い黒髪の少女をまず目にとめてしまう。

「慣れませんか」

 小さく漓瑞が笑う。昔より、少し明るくなった気がするこの笑顔はいい変化だと思った。

「まあ、しばらくすりゃ慣れるだろ。どうせずっと一緒にいるんだしな」

 なにげなく黒羽がそんなことを口にすると漓瑞が目を瞬かせた。

「ずっと、ですか」

「……別に親離れしないって言ってるわけじゃねえぞ。いつでも会いたいときに会いに来るからずっとだ」

 いつまでも子供の頃のようにべったり漓瑞に甘えるわけじゃない。ただお互い会いたいときにあえるのなら一緒にいると変わらないことだ。

「ああ、そういうことではなくて、いまだに実感がわかないだけです。いまもこうしてあなたと一緒にいられるだなんて思ってもいなかったので」

 そういう漓瑞の瞳に影が差して黒羽は口を引き結ぶ。

 漓瑞は現在北大陸の三分の二を支配下に置くレイザス帝国に侵略された、玉陽国の皇家の唯一の生き残りであり、祖国を奪い返すために反乱を起こした。そのさい監理局を離叛した彼は確かに死を覚悟していた。

 そのときの影が垣間見えた気がして黒羽の胸がざわついた。

「…………柳沙りゅうさの奴、元気そうなのか」

 話題をそらすと漓瑞がうなずく。

「生活の方も不自由はなく、まだ独立から間もないですが、確かに希望は見えていると書いてありました。……検閲はされているのでいいことしか書けないでしょうが、支局の方達なら本当によくしてくださっているでしょう」

 幼いうちに亡くなった母の代わりになってくれていた女性の事を語る、漓瑞の目が細められる。

 そして柳沙は反乱の時身を潜めていた漓瑞の代わりに、表で彼の命令を反乱軍に伝え指揮していた。

 彼女は投獄はされなかったものの、玉陽で監視付きの生活を送っている。漓瑞もこうして自由に歩き回っているが、許可なく本局から出ることは出来ず玉陽に行く事は禁じられている。

 そういった事情でふたりの手紙のやりとりは原則監理局の監視下で行われていて今日、漓瑞は監視付きで柳沙の手紙を受け、その返事を書いていたのだ。

「あたしからもあいつのことはよく頼んであるしな。大丈夫だろう」

 黒羽にとっても柳沙は幼い頃に面倒を見てくれた人で、彼女が穏やかに暮らせていることを願っている。罪は消えはしないが、彼女ならきちんと向き合えるだろう。

「手紙、黒羽さんも書いたらどうですか?」

「いいよ。苦手だからな、そういうの。元気にやってるならそれでいいや。それにあたしの字は汚ねえからな」

 茶化して言うと漓瑞の表情に明るさが戻った。

「あなたの悪筆は読めないときは本当に読めないですからね」

「自分でも読めねえからな。書き直せっていわれると困るんだよなあ」

 物覚えも悪いから自分で何を書いたかも覚えていないので、よく係長に呆れ混じりに怒られたものだ。

 そんなことを思い出すと急に、無性に東部第一支局での日々が懐かしくなる。

 あの頃は瘴気が凝って出来た巨大な力を有する妖刀、冥炎めいえんの使い手であるがためにさっさと室長に昇進させられ、書類の処理にばかり追われていた。

 ひたすら本局の実力者達と剣の鍛錬をしている今の方が、毎日が充実しているがやはりあの場所が好きだ。

 まだ一月しかたっていないのに、もうずいぶん昔のことの気がする。

 玉陽で反乱が起こってからは捨て子だと思っていた自分が、人為的に創られた存在であると知らされた。

 あげくにずっと自分の成長を見守っていくれていた漓瑞は監理局を離叛するし、九年来の親友の藍李らんりも実は東部総局長でといろいろありすぎた。

 これまで生きてきた全てがあの短い間に全てひっくり返ってしまった。

 それでもあの場所で過ごした思い出や覚えた感情は変わらず、愛しく大切なものだ。

「……全部片がついたら向こうに帰れるかな」

 できれば何もかも終わったら、玉陽の支局で教務部に移動して子供達の相手をしていたい。

 黒羽がそんな願望をこめたものをつい口に出してしまうと、漓瑞が柔らかく微笑んだ。

「藍李さんだってさすがに無理に引き止めたりはしないでしょう。おそらく」

「まあ、そうだな。とにかくやることやんねえとな。アデルの野郎出てくるかな」

 現本局長でもある西部総局長の実兄アデル・オルフェ。

 多くの赤子を犠牲にし妖刀と波長の合う高い霊力を持たせた、『神子みこ』と呼ばれる黒羽を含む七人の特異な人間を創り出した男。

 九年前に一度死んだはずのアデルは、黒羽と同じ神子の緑笙ろくしょうという十三の少年に肉体を乗り換えた。

 彼はかつて女神の存在した時代へと世界を巻き戻すという狂言を実行しようと、聖地に踏み入り世界の均衡を崩そうとしている。それを止めるべく、そして緑笙を取り戻すべく黒羽はここにいるのだ。

「そう簡単にあの方が捕まるとは思いませんが……本局長もいますし」

「藍李が本局長からなんか聞き出せりゃいいんだけどな」

 今、藍李は月に一度の宗家会合に出ている。

 そこに当然アデルに協力しているその弟であるランバートも出席していて、これからまた問い詰めると藍李は意気込んでいたが、どうなることか。

「いい報告を聞けるといいですね」

 漓瑞はさして期待してはいなさそうな口ぶりだった。

「あの本局長もよくわかんねえよな。本当に」

 悪い人間には見えないのが余計に戸惑う。

 ぐるぐると考え始めた黒羽だったが、すぐに性に合わないと思考を放棄してしまった。


***


 宗家会合。文字通り女神より瘴気を浄化する神剣を与えられ監理局を創設し代々共同で監理局の長として立つ四家による会合である。

 東部総局長として出席する藍李は、神剣九龍を背負い複雑に交差する廊下を迷いなく進む。

 今日はいつもよりまとまりの悪い癖のあるふわりとした赤毛を指に絡めていると、後ろ姿でも十分に分かるぐらいにがちがちになっている少年を見つけた。

「どうしたの。お父様はお加減が悪いのかしら?」

 声をかけると少年が足を止めて振り返る。

「ああ、どうも。藍李様、お久しぶりです。父は会合に出席できないわけではないのですが自分ももう十五なので」

 緊張しきった面持ちの生真面目な黒髪の少年は、次期南部総局長となるハイダルだ。彼の腰には二本の刀身の短い半月刀、神剣シトゥームがちゃんとある。

 十五ということは成人したということである。そう遠くないうちに総局長となる彼に少しずつ職務になれさせるつもりだろう。

 藍李自身もその年頃から何度か出ていて、母である前東部総局長が出席できなくなったここ二年ほどは毎月出席していた。

「そうなの。それならよかったわ。あら、背、伸びたわね」

 半年前に自分より少し低いぐらいだったのに、いつの間にか追い越されているのに気づいて藍李が口元をを綻ばす。

 彼女の鮮やかな色の花が咲きこぼれたかのような美しい笑顔に、少し頬を染めてハイダルがうなずいた。

「ええ。もっと伸びるとよいのですが……」

 十五でやっと平均的な女性の身長である藍李を追い越したハイダルは、背が低いのが悩みどころらしい。

「きっとまだまだ伸びるわよ。お父様だって大きいし」

「だといいですが。あ! 遅くなりましたがご婚約おめでとうございます」

 藍李はハイダルの言っている意味が分からず、彼の純朴そうな黒真珠に似た瞳をきょとんと見る。

 そしてようやく心当たりに思いついて吹き出した。

「違うわよ! 噂の私の婚約者は例の神子の黒羽よ」

 支局から黒羽をつれて戻ったときにそんな噂がたってしまったのだ。一月経って誤解は解け始めているもののまだ勘違いしている人間もいるらしい。

「え、じゃあ。あの人は女性……も、申し訳ありません。相手の方にもなんて失礼な」

 顔を真っ赤にしてうろたえるハイダルに藍李は大笑いしてしまうのをこらえ、口元に手を当てて震える。

「黒羽が男に間違われるのはいつものことだし、本人も気にしてないからいいわよ。黒羽のこと、見かけたの?」

「はい。女性局員が周りに集まっていたのと遠目だったので……」

 通りすがりに見かけただけで名前は聞けず、藍李の婚約者ということだけ小耳に挟んだらしい。

 あの容姿で婚約者と聞かされれば勘違いしない方がおかしいだろう。

「今度紹介するわ。たぶん直接話しても女の子って気づきにくいと思うわよ。声もちょうどハイダルぐらいの男の子っぽいし。それよりまずは、初めての宗主会合ね。そんなに緊張しなくて大丈夫よ。いるのは私の他に根暗と酔っ払いなんだから」

 宗主会合の行われる部屋の前に立って藍李が片眼をつぶってみせる。

 少しは肩の力が抜けているもののハイダルの表情はまだ硬く、藍李は苦笑しつつもほほえましく思いながら扉を開ける。

「お、坊やじゃねえか。親父さんはどうしたんだ?」

 入るなり声をかけてきたのは、白金の髪と紫がかった青い瞳の軽薄そうな男、北部総局ブルト家当主のオレグだった。

 藍李にしたのと同じ説明してハイダルが律儀に頭を垂れる。

「そ、そういうことなので未熟者ですが今日はよろしくおねがいします!」

 そして顔を上げたハイダルが見つめる先では、金糸の髪と青い瞳の眼鏡をかけた美麗な青年、各家持ち回りの本局長を勤める西部総局長オルフェ家当主ランバートがはいと小さく答える。

 いつもながら陰気だとうつむき気味のランバートを見ながら、藍李は九龍を背から外し真白い石の円卓に設けられた彼の真向かいの席に座った。

「今日は俺が一番年上か。若い連中に囲まれると一気に老けた気分になってやんなるぜ。ま、美人は若い方がいいけどな」

 この場で最年長である二十八歳のオレグが、二十歳の藍李を見ながら口角を上げる。

「…………始めて、いいだろうか」

 二十二歳のランバートが遠慮がちに問うのに、オレグが肩をすくめてどうぞ、と答えた。

「西部局管轄区内において目立った異常はないが、レイザス帝国の新皇帝が即位したことで今後情勢が著しく変動することと思われるので注意したいと思っている。必要に応じては支局への妖刀及び魔剣の配布数を増やす、あるいは本局より使い手を派遣することを考慮したい。次、北部総局長どうぞ」

「……北部局管轄区も目立った異常はなし。だがレイザスとの国境付近はちょっときな臭えかもな。先月より妖魔の出現数が増えてるが、誤差の範囲内だからなんともいえない。帝国次第ってとこだろうな。あとは冬が来たらどうなるか、か。はい、次坊や」

「は、はい。南部局管轄区は今夏、ファルーヤ王国からジギダル砂漠にかけて降雨量が少なく、食糧と水に影響が出ています。すでに瘴気の溜まり場が出来ている場所もあり、警戒を強めています。それとサンジタヤの部族抗争が激化しておりそちらのほうでも妖魔が多発しています。以上の地区を担当する南部第二支局、第五支局、第六支局、それとえと、第九支局にひとりずつ妖刀及び魔剣の使い手を派遣しています。第二支局に関しては増員を検討中です。…………あ、すいません以上です。東部総局長どうぞ」

「東部局管轄区では玉陽国の反乱の影響が出ています。第一支局での妖魔の駆逐に現状では不足はありませんが、以後の状況を見て妖刀及び魔剣、或いは分家に応援にあたってもらうことを考えています。玉陽国皇子の身柄は引き続き九龍家で預からせていただきます。同様に神子の黒羽と緋梛ひなも東部局側で使わせていただきますのでご理解ください」

 一通り各人の報告が終わると、椅子に深くもたれかかってオレグがで、とランバートと藍李を見る。

緑笙ろくしょうはどこ行ったんだよ、緑笙は。いい加減口割れよ。お前らなにか知ってるんだろ。だいたい玉陽が大変だってのに、なんで黒羽持って帰ってあげくにあの可愛い皇子様まで使って聖地の査察させんだ。藍李ちゃん、いつまでもすましてないで答えてくれよ。美人でもかわいげがないといつまでたっても結婚相手が見つからないぞ」

「緑笙に関しては行方不明です。何も知りません。聖地は長期にわたり査察をおこなっていないので私が総局長に就任したのを機に始めるだけのことです。玉陽の皇子を使うのはいいでしょう。無給で監理局に奉仕してもらえるので経費の削減です。黒羽は皇子の監視役です。支局においてふたりは懇意にしていたので事を潤滑に進めるにはいいかと」

 にっこりと微笑んで藍李はオレグを見る。

 まさかアデルがまだ生きていて聖地を荒らしているなど言えるはずがない。あげくにかつては女神に並び立つ力を持った神がいただとか、魔族がその力ある神に使える下級神族の末裔だのということは、監理局のどころか世界の根底をくつがえし多大なる混沌を招きかねない。

 事実だろうそれが秩序を乱すというのなら嘘を貫き通すまでだ。たとえ同じ神剣の宗家当主相手であろうと。

「…………自分からも、いいですか。緑笙と緋梛の誘拐事件は緑笙の自演であり、緋梛は巻き込まれただけという報告でしたが、緑笙の目的がいまだ不明確で他にも様々なことが曖昧ですが何か進展はあったのでしょうか」

 ハイダルが緊張していながらもよく通る声で問う。

「それに関してはこちらとしても把握し切れていない。…………兄が、記録に残していないなにかを仕掛けている可能性が高いと思われる。オルフェ家は責任をもって早急に緑笙を捕縛し全てを明確にし、情報を開示する」

 淡々と答えるランバートの言葉を、ずいぶん嘘がうまくなったものだと藍李は冷めた気持ちで聞いていた。

「なんならこっちも人貸すぜ。オルフェだけでやるよりは協力した方がいいだろ。居所の手がかりとかは何にもねえのか?」

「あ、南部局側でも協力します!」

 まだ疑わしげな顔をしているオレグの提案にハイダルが素直に同意する。

「いえ。手がかりもまだ何も。何か分かり次第こちらから協力をお願いすると思うのでその時に」

 ぼそぼそと喋るランバートの陰鬱さに、オレグがなげやり返事をしてハイダルがうつむく。

「ええ、その時は東部局も協力するので出来だけ早くお願いしますね」

 藍李が棘のある言葉を投げると、正面にいるランバートが目をそらした。

 こういう所が苛々するのだ。昔から自分に非があると分かるとすぐに責任逃れして視線を別にやる。

「ああ、もうやだね。辛気くさい。だいたいお前は嫁さん貰ったんだからもうちょっと明るくなれよ」

 勢いよく立ち上がってオレグがランバートの片頬をつまんで、無理矢理口角を上げさせる。

 いい気味だと思いつつ、助けを求められないためにそっと顔をそらした藍李は、目を丸くしているハイダルと視線が合う。

 止めたほうがとハイダルの瞳は戸惑っているが、放っておけばいいのと声に出さずに口の動きだけで伝える。

「いえ、まだ結婚は……」

 なされるがままの状態でずれた眼鏡を直しながら答えるランバートは、一週間前に父の旧知の仲である小国の貴族の娘を屋敷に迎え入れている。

 神剣の血族は神剣が浄化する瘴気にあてられ、次第に体の内側が腐っていく『腐蝕』と呼ばれる症状によって四十年ほどしか生きられない。

 二十二で独身というランバートを周囲は密やかに心配していたが、二月前に婚約したと報告があり先週やっと相手を屋敷に迎え入れたらしい。

「でももう一緒に暮らしてんだろう。なら夫婦同然だろ」

 オレグはランバートの残った片頬もつまんでしまう。

「だから、まだ正式には婚姻の誓約は行っていないので」

「え、なんだ。まさかまだやってないのか。おい、おい、早くしろよ。跡継ぎ作るのも重大な役目なんだからよ」

 ランバートの頬から手を離してオレグがなあ、と白けた顔の藍李と真っ赤になって固まっているハイダルに同意を求めてくる。

「そうね。私も嫁き遅れてるから早くいい人見つけないと。誰かいい人紹介してくださらない? 出来ればうちの黒羽みたいなのがいいんだけれど」

「あんな女の幻想寄せ集めたような男現実にいるわけねえだろ。いくら藍李ちゃんが絶世の美女でも贅沢言ってたら本当に結婚できないぜ」

「ご忠告どうも」

 藍李は笑顔で返しながら内心ではため息をつく。

 正直今は結婚して子供を産んでいるどころではないが、それもまた重要なことだ。遅ければ遅いほど、子供に早くから総局長としての任についてもらわねばならなくなる。

 一応候補は立てているが、本人に切り出すのはもう少し落ち着いてからだろう。言ってもまずは全力で拒否されるだろうが。

「え、ええと。本日の会合は以上なんでしょうか」

 身の置き所がなさそうに縮まっていたハイダルが、おずおずと声を挟むとオレグがちらりとランバートを一瞥する。

「緑笙のことが分からずじまいなら終わりだろ。さあ、帰って飲むか。どうだ、坊やも一緒にのまないか」

「いえ、自分は父に報告しなければならないし職務中なので…………あの、もしかしてもう飲んでらっしゃるんですか!?」

 オレグに肩を叩かれたハイダルが彼の呼気からわずかに匂う酒臭さに、ぎょっとした顔をする。

「だから酔っ払いって言ったでしょう。その人水代わりにお酒飲んでるんだからまともに相手しちゃ駄目よ」

 酔っ払い、とは言ってもオレグは飲んでもたいして酔わないらしく、いつも呂律も思考もはっきりしている。

 だからあまり飲んでいることには気づかれていないが、一部では飲んだくれで有名だ。

「なんだよ、冷たいなあ。じゃ、上手い酒と可愛い女房と娘が待ってるんで俺は戻るな」

 ひらひらと手を振ってオレグが退出し、綺麗なお辞儀をしてハイダルが後に続く。

 藍李はふたりを見送るふりをして入り口に立ちランバートの退路を塞ぐ。

「…………何度も言うが兄上の居場所は知らない」

 ランバートが先手を打って、藍李は腕を組んで閉めた扉にもたれかかる。

「それは分かっているわ。次の日蝕の場にあの人は現れるの?」

 アデルの計略に日蝕が重要な鍵になっている。次に目星をつけている聖地の日蝕まであと二週間だ。

「それもわからない。兄上の気分次第だろう。次の事象は玉陽の要が変質したときに始まっている。表面化するのが日蝕の時、そういうことだ」

「他に要はあるの?」

 問い返して、藍李はランバートの瞳が揺れるのを捉える。

 いくら口で嘘を吐くことが器用になっても、直接視線を交わせばすぐに見破れる自信があった。

「あるのね。それともうひとつ聞かせて。黒羽の完全同期にまだあの人はこだわっている?」

 神子は妖刀や魔剣と同じ波長の強大な霊力を持つように意図して創られている。それにより妖刀や魔剣から放たれる力は尋常ではないものになる。

 そして普段神子は妖刀や魔剣に精神を取り込まれ暴走するのを抑えるために、本能的に波長をずらして制御している。

 制御を取り払い、かつ神子の精神を正常に保ちながら波長を一致させることが『完全同期』だ。

 最初に創られた神子、蒼壱あおいで行われた完全同期は魔剣が破砕され彼が言葉を失って失敗に終わってしまった。

 そうして玉陽の反乱のさなか、アデルは再び黒羽で完全同期を実現しようとしていた。

 おそらくまだ、黒羽にはなにかある。だからこそこちらに連れてきたのだ。

「兄上は失敗を失敗のままでは終わらせない」

 ランバートの返答に藍李は扉から離れて道を開ける。

「それだけでも聞けてよかったわ。…………そういえばまだ言ってなかったわね。婚約おめでとう」

 口調を和らげて言うとうん、と部屋に出ながらランバートがうなずいた。その表情はどこか沈鬱でもの悲しげだった。

「…………ちょっと、なんなのよあの顔」

 ひとり残されてから藍李はそうつぶやきながら眉根を寄せた。

 なぜだか彼に酷いことをした気分にされてたまらなく不快だった。

 

***


 黒羽と漓瑞が藍李の執務室を訪ねたとき、ちょうどその部屋の主が帰ってきたところだった。

「……今終わったのかって、なんだよ」

 顔を見るなり正面から藍李が抱きついてきて黒羽は怪訝そうに眉根を寄せる。

「大して収穫なかったけど頑張ったから頭撫でて」

 三つ年上の藍李が胸に顔を埋めて甘えた声でおねだりしてくるので、黒羽は仕方なしにそのふわふわした赤毛をなでつける。

 とにかく彼女がこんな風に愚痴を言って甘えてくるときは疲れている証拠だ。自分ができることは、素直にきくぐらいである。

「なんかあったのか」

「これといってなんにもないけど酔っ払いの相手が面倒だったぐらい。あとは、うん。そうね、私これからあんたに嫌な思いさせるかもしれないけど嫌いにならないでね」

 酔っ払いってなんだ、とか何しでかす気なんだなどと考えつつ、黒羽はそのまま藍李の背を軽く叩く。

「納得できるかどうかはわかんねえけどよ、お前のことはずっと好きだと思うぞ」

 自分と藍李の性格は真逆だ。頭のいい彼女の行動は正しいとは分かっていても、感情ででは納得出来ないこともあるかもしれない。

 だからといって藍李を嫌うことは出来ないだろう。 

「あー、やっぱり結婚すらなら黒羽がいーいー!」

 駄々をこねながら藍李が抱きついてくる力を強めてくる。

 さすがにそれは無理だと思いながら、黒羽が藍李の好きなようにさせてやっていると背後でため息が聞こえた。

「…………おふたりとも、仲がいいのはよろしいのですがここは廊下の真ん中ですよ」

 藍李の眼中に全く入らず、黒羽の後ろで放って置かれた漓瑞が冷静に指摘した。

「いいじゃない。こんなとこ誰も通らないわよ。人の心の癒やしの時間邪魔しないでよ。でも、十分癒やされたからいいわ。さあ、本題に入りましょう」

 藍李が抱きついたままだった黒羽から離れる。子供っぽい彼女の表情は、執務室に入る時にはきびきびとした才媛の顔になっていた。

 毎回の事ながらこの切り替えはもはや感心するより他ない。

「アデルが出てくることが五分五分ってとこだけど、明日から予定通りタナトムに行ってちょうだい。第九支局に聖地の査察に本局からふたり派遣するって言ってあるから、聖地までの案内とかはそっちで頼んで。すこしでも変化が見られたらすぐに連絡すること。これぐらいかしらね。第九支局の管轄区のタナトムは信仰心も適度に厚くて政情も落ち着いてるから動きやすいと思うわ」

 そうして藍李があらかじめ長卓に広げている地図を示す。

 あるのは世界図ではなくタナトム国のものだ。藍李がその地図の中央を示しここが王都で第九支局もここと言う。

「そして、聖地がここですね」

 王都のすぐ隣に広がる森を漓瑞が指さす。

「…………さっぱり覚えてねえ」

 確か先週ぐらいにあれこれ教えられた気がするがまるで覚えてなかった黒羽が唸ると藍李と漓瑞が顔を見合わせる。

「とりあえず黒羽さんには私がついているので」

「まあ、最初からそこは期待してないからいいけど。黒羽のことお願いね」

 戦う以外能がないのは十分自覚しているので黒羽は何も言い返さずに続くふたりの小難しいやりとりを傍観する他なかった。

 そうして翌日、黒羽と漓瑞は予定通りタナトムに出立したのだった。

 



 


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