死にたいけど、生きたいだけ。
眠る前の瞬間が一番安心する。
だって、なにもしないで眠りにつけるから。
起きているうちは、何かをしなければならないといつでも切迫感に追いかけられる。
それから走って逃げようとすれば、振り返ると常識やら規則やら対人やら武装した何やら強そうでニヤリとしたやつが、お高いブランドのスニーカーで距離を詰めてくるのだ。
それを知って、ゆっくりと歩いてみればまるで知らない都会か、電灯のほとんどない夜道にぽつんといる自分に気づいて。
歩いていくとクスクス笑い声が聞こえる。
周りを見渡しても私を見ている者などいない。
喧騒のなかでは誰もが私より早くすり抜けていくのに、夜道では誰も居やしないのに。
不安で仕方ない。
止まることは罪だと脳に刻み込んでいた。
小学生の頃だったか、不安が強い自分がいた。
個性だと思っていたが、人目が怖くて引きこもりになり、しかしそれも無くなり、自分のような精神的に悩める人を救えるような職に就けたらと思うようになった。
そうして『生活をリハビリする』作業療法士の資格を、有り難いことにストレート合格し、就職したのだが…。
2年半、頑張った。
頑張った、と書いている時点で情けないが、仕事に『耐える』ようにして働いていた。
数ヶ月経った今、自分をつかめるようになってやる気というやつがようやく湧いてきた。
この文章が何方かの目に留まっていたのなら、ありがとう。
これは躁鬱の激しいアラサーニートの雌の、やる気のある時に書きに来る手記だ。
冒頭に眠る瞬間が安心すると書かせて頂いたが、前述の会社を辞めるかどうかで悩んだときに、安心したまま死にたいと思い、以前ニュースで観た死刑囚が、布団のなかで自分のシャツで首を絞めて自殺したという話を思い出し、ガッチリと締め付けくくりつけ、勢いよく身体を引いてみたものの、憧れの死よりも慣れ親しんだ酸素というものを選んだおかげで、翌日は頸部に青黒い痣をつけて話し合っていた。
上司が、気づいていたかは定かではないが。
と、まぁ、私は自己否定とやらもとにかく強い。
精神障害で私のチェックポイント。
不安障害。
自己否定。
躁鬱。
パニック障害もある。
辞めても、すぐ働けるさ!と思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
甘えだと思っていた。だって、母がいまだにそう言うから。
でも数ヶ月を経て、私のことを変わらず相手してくれる親友や、新たに出会って見てくれている人がいると感じた時が、やる気空っぽの段ボールにちょっとずつ綺麗な色をした素敵なモノとして入ってきた。
段ボールなんて、底が抜けるかもしれない。
だけど、素敵なものは生憎壊れにくい。
そして、私も大事にしようと努めることにしている。
しかしされとて段ボールだって、引っ越しの梱包でどこまでも行ける。幼少の頃に乗り物ごっこやおうちとして大活躍した。
私はまだ、段ボールを抱えてふらふら歩いてるところだ。
でも、スタートラインの方を目指している。
次は何を書こう。
辞めた経緯、趣味、人のこと、家族、依存、嫌なこと………
とにかく言いたいことは、
作業療法士、自分のこころのリハビリ、始めました。