第2回 小説ってモノについて
小説って、何なんだろう、と思う。
以前、父親と論議したことがあって、
物語の中に思想を詰め込み伝達するという作業は、なんてまどろっこしいんだと言われたことがある。
何かを伝えたいのであれば、明快なロジックで組み立てられた論文でいいのではないか、と。
ふぅむ、と思うわけです。
当時(そして今の僕も)明確なテーマがあるかと言われたら、
それは果たしてどうなのだろう、と首を捻ってしまう。
小説って媒体は
文字だけで表現をするモノ。
想像力を刺激し、時に脳を錯綜させて、時に感情に訴えかける。
伝えたいのか、と言えば伝えたいと思う。
感じて欲しいのか感じて欲しいのだと思う。
でも作者という存在ではなく、書き綴る物語の世界に対して、だと僕は考える。
どう感じてもいいし、どう解釈してもいいし、
文学という括りでは自分の書く作品は新しくもない。
革新的でもなく、芸術的でもなく、センセーショナルでもない。ミステリアスでもファンタジックでも、センチメンタルですらないと思ってる。
じゃぁ、小説ってなんだ?
小説で表現するってことはなんだと思ってしまう。
こんなサイトがある。
「語源由来辞典」
小説の語源を検索すると、こんな一文に遭遇したので、引用してみる。
民間の言い伝え、伝説、説話など「取るに足りないもの」「価値の無いもの」の意から小説が生じた。
まぁ、後の文章は、興味もたれた方が読んでくれたらいいのですが。
これまた、図書館史なるものを紐解いていくと、書籍とは最も貴重な情報なのです。
学術、歴史、経済、博学、その知識は、何より貴重な財産な時代が長く続いたのです。
なんたって、図書館の書籍(羊皮紙の時代から)本は鎖で繋がれていたという話を聞くと本当に興味深い。
その中で、小説たる位置づけが、かなり語弊解釈であると自覚しえますが、本当に面白くて。
僕が小説を書く理由は
1頁、1頁、本をめくる時のドキドキを誰かと共有したいから。
ドキドキして、ワクワクしたいから。
低俗ですが、これしかありません。
テーマや誰かに伝えたいことも大事だけど。
まぁ、本を読んでドキドキしたりワクワクしたり。この体験はいつまでたっても変わらないから。
創作サイトは数多くありますが、僕をドキドキさせておくれ。そんな作品を読ませておくれ。
もっともっと。
そんなことを勝手に呟くのです。
その瞬間、僕は本当にロックンロールだと思うのです。
行間の隙間に
活字の魔法で
僕らだけの劇場へ
誘ってくれますか?