8
背筋を伸ばした私にインペラトルはゆったりと頷いた。
「あぁ。お前は今、見えざる目を失っているだろう? そうなると少々厄介でな」
インペラトルは指を組むと、体勢を前に倒し、私に体を近付ける。僅かに黒い髪が揺れ、頬を撫でた。
何だろう……悪魔の可視化を入れられないという事か?
「悪魔の可視化を入れられないのですか?」
「いや? 副作用も何もなく、入れられる」
ではどうして……? 他に何か複雑な理由でも在るのだろうか?
そう質問しようとしたが、先にインペラトルの口が開く。話は其れで終わりではなかったらしい。
「だがそれは、“見えざる目を持ち合わせていた場合”の話。紅葉は今、見えざる目を完全に失っているはずだ。そんな時により強力な“悪魔の可視化”を与えたらどうなるか。どんな副作用があるかは計り知れない。だから死神の長である私が様子を見ながら行いたかったのさ」
アメジストの瞳がまたすぅっと細まり、菩薩のような顔になる。実際は人間と悪魔を戦わせる、修羅と呼ぶに相応しいものだが。
でも死体を見るよりも、悪魔を観る方が効果が強いのか……。私に言わせればどちらも同じ事だが。
「見えざる目はね、元はと言えば“人間の未練化”したものを見るためにある。だからある程度人間の体に適応し易いように出来ているんだ。そのため与えるときの負荷はほぼゼロに等しい。だが“悪魔を可視化”するとなるとそれだけの不可が掛かる。見えざる目を入れないで、突然悪魔の可視化を体に入れたら負荷が大き過ぎる。つまり──」
「基盤が出来ていないのに、いきなり応用問題を解いて自滅するような感じですか?」
ふと脳内に難解な数式と、簡単な数式が浮かぶ。解くならば絶対に簡単な方が良い。
一人勝手に納得し、例え話までして楽しんでいると、インペラトルは目を開いた。
「まぁ、そんな所さ。言わば今の紅葉は基盤を壊された状態。だから基盤を作った上で、応用である悪魔の可視化を入れたいんだ」
そう言って、指を丸めて手招きする。どうやら氷室のように、今この場で“悪魔の可視化”を入れるつもりらしい。……後になって失敗されても困るし、さっさと済ませて貰おう。
そう思って立ち上がり、インペラトルの元へ。インペラトルは影のようなローブを揺らし、蝋の手で私の頬に触れた。前は硝吸鎌に阻まれて触れなかったが、今回は何事もなく。
それからアメジストの瞳を大きく見開いた。そのまま吸い込まれ、閉じ込められてしまいそうな恐怖に襲われる。
「そう。そのまま……。私の眼を観て……」
何かが眼を浸食するような感覚。虫ではなく、水を張った洗面器に、眼を開けたまま顔を入れたような……。とろり、とろり……と満たされて行く……。




