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みんなに幸せを

作者: 宮本司

1.


俺の世界はネットの中だけだった。大学を卒業してから特に仕事にも就かずただ毎日を過ごしていた。特にやりたいこともなかったし、親が最低限の仕送りをしてくれるので働いてまで金を得る必要もなかった。だから仕事にもつかなかった。それだけのことだ。

夢や希望がないかわりに挫折や後悔もない。権利を求めないかわりに義務も負わない。まるで山の中の小さな沼のように波も立てず、誰にも気づかれることもなくただ平坦で単調な毎日を過ごしていた。俺の生活と比べれば一日にニ周もする時計の短針の方がよほど忙しい日々を送っているだろう。


その日も服も着替えず、買いだめしておいたカップラーメンをすすりながら、一日中ネットゲームに興じていた。

最近はまっているのはシューティングゲームだ。それは廃墟の町をうろつくゾンビをひたすら撃ちまくるゲームだった。両手をだらんとたらし無気力に歩き回るゾンビの頭を撃ち抜く。肉片を飛び散らし、どす黒い血を流し倒れるゾンビを見るのは楽しい。いやそれよりも、わざと致命傷を与えにないように両手足を順番に撃っていくほうがイイ。

 映像も鮮明で、難易度もちょうどよかった。                惜しむべき点は、ターゲットがゾンビというところだ。ターゲットが人間だったらどんなに楽しいだろうか。ゾンビのように無味乾燥な奇声ではなく、恐怖と苦痛を含んだ素晴らしい悲鳴を歌ってくれることだろう。想像するだけで胸が躍る。

『ああ、一度でいいから人間が殺されるところをこの目で見てみたい』

 俺の中で久しぶりに感情と呼べる感情が生まれた。それはほんの小さな思い付きであり、欲求であった。他のことに忙しい多くの人間たちには通りすぎていく風のようなものにすぎないかもしれない。心に留まることはなく、次の瞬間にはそんなことを考えたことすら忘れてしまうようなものかもしれない。

 だが俺にとってそれは特別な感情だった。真っ白な布に黒のインクを落としてしまったかのようにその思いは俺の中に留まり、そしてどんどんと黒いシミは広がっていくのだ。

俺は数日間その異様な感情が広がっていく様を堪能していた。久しぶりに沸いた甘美な感情に身をゆだねていた。



2.


 ある日いつものようにネットの掲示板を読んでいると目をひく書き込みがあった。

「私は4日後の15時に山川公園で人を殺します」

 簡潔に要件だけ書かれた書き込みだった。

「人を殺します」

 その一文が心に響いた。真っ白な布の中の黒いシミのようにその部分が気になった。

投稿日時は三日前。ということは『書き込みの中の四日後』は『今日』のことを指しているのだろうか。

俺はすぐに文中の「山川公園」の場所を検索した。該当したのは一箇所だけだ。家からそう遠くはない、電車で二十分くらいのところだ。時計に目をやる。時刻は13時を少し回ったところだ。今から出かければちょうどいい時間だ。


 俺は出かけてみることにした。この書き込みが誰かのいたずらで何も起こらないかもしれないが、どうせ今日もすることもなくただ一日をパソコンの前で過ごすだけだ。騙されたとしても痛くもかゆくもない。

部屋の隅に雑然と置かれている服の中から適当にトレーナーとジーパンを選び着替える。   外はいい天気だった。何日かぶりに浴びる太陽の光を避けるようにして目的地へと向かう。

 少し道に迷ったが14時30分には目的の公園へと到着した。そこは小さな公園だった。公園といっても遊具もなく、ただ土の空間が広がっているだけだ。他に人もおらず閑散とした時間が流れていた。俺は缶コーヒーを一本買うと、公園の中を見渡せるベンチに腰をおろした。缶コーヒーを飲みながら腕時計を見やる。あと十分で15時だ。実際にここまできたものの「殺人」が起こるのかどうかは半信半疑だった。いやむしろこの公園ののどかな光景を見たら「何も起こらないだろう」という気持ちの方が強くなっていた。

 コチコチコチコチ……。

 腕時計の秒針の音だけが公園に流れる。そして腕時計が15時を指した。


 しかし何も起こらなかった。俺は自嘲の笑みを浮かべた。心の中の一部分で「殺人が起こる」と信じていた自分に対する嘲りの笑いだ。俺はそのまま腰を上げると公園の出口に向かって歩き出した。

 その時、公園の奥から『ドサッ』という大きなものが倒れるような音が聞こえた。俺は飲みかけの缶コーヒーを右手に持ったまま音のした方へと向かった。木の陰からズボンをはいた2本の足が見える。急いで駆け寄ると若い男が頭から血を流し倒れていた。まだ息がある。男は息を絶え絶えにし、時々のどの奥から苦痛の声をあげている。目をぎゅっとつぶり襲い掛かってくる激痛を必死に耐えているようだ。

俺は興奮で体が震えた。手に力が入り持っていた缶コーヒーを握りつぶした。缶からとびだしたコーヒーが俺の手に滴る。俺は男の様子をもっとよく見ようと、男に近づいた。     その足音で男は俺の存在に気がついたらしい。自由のきかなくなっている手足をばたつかせて必死に俺の方を向こうとする。男が目を開くとちょうど俺と目があった。男は口をパクパクさせ俺を凝視している。きっと助けを求めたいのだろう。しかし次の瞬間男は一際大きく目を見開くと聞いたことのないような聞き苦しいうめき声をあげ絶命した。

 人間の死に際をはじめて見た。しかも殺された人間だ。残念ながら殺される瞬間を見ることはできなかったが、それでも十分衝撃的な体験だった。

『死』は俺が想像していたより、ネットで疑似体験したものよりもっと残酷で、もっと悲惨で、もっと美しいものだった。帰りの電車の中俺の顔から漏れる笑みは腹の底からの真実ほんとうの笑いだった。


 家に帰ると急いでパソコンを立ち上げ、例の書き込みがあった掲示板に向かった。まだ震えの残る手を必死に押さえてレスを書き込む。

「今日山川公園に行きました。すごく衝撃的な体験でした」

 短いコメントだった。顛末を詳細に書き込むつもりだったが、俺が受けたこの感動を他の誰かに味合わせてやる必要などない。それにどんなに言葉をつくしても五感をフル活用して味わったこの感動を文章で表すことなどできないのだ。

 俺の興奮はそれでも収まらず、とりあえず手にとるものを次々部屋の中に投げつけ始めた。それらの物は壁にあたり、床に落ち無残な姿となって部屋中に散乱した。投げ疲れ肩で息をしながら、俺は興奮を落ち着けるため久しぶりに風呂に入ることにした。

風呂を出てウーロン茶を一杯飲み干すとようやく興奮が収まってきた。俺はもう一度パソコンの前に座り掲示板へと向かう。俺のレスへの投稿者の反応を見るためだ。

俺のレスに対するコメントはたくさんあった。

「本当に殺人が起こったんですか!!」

「詳細を教えてください」

「犯人を見たんですか?」

 無関係な人間のどうでもいいコメントが並んでいる。しかし当の投稿者からのコメントは入っていなかった。まだ見ていないのだろうか。わざわざ掲示板に殺人予告をしてそれを実行したのだから、絶対他の者の反応を楽しみにしていると思ったのに。俺はいらいらしく掲示板のページを閉じた。


 いつものクセで何気なくメールを確認する。新着メールの中に件名のついていないメールが1通届いていた。差出人の名前を見て驚いた。あの掲示板の投稿者だったのだ。俺は掲示板から直接俺にメールを送れるように設定している。きっとその機能を使ってメールをしてきたのだろう。俺はわくわくしながらメールを開けようとした。

「わくわくする」

そんな感情が俺にもあったのだ。いや子供の頃に経験したことはある。

かくれんぼをしたとき。

秘密基地を作ったとき。

万引きをしたとき。

俺は確かに「わくわく」していた。そこには「自分の頭で必死に何かを考える感動」と「隠し事をすることへの罪悪感」とが交わっていく感覚をかすかに覚えている。あの感情をまた味わうことがあるとは考えてもいなかった。とっくの昔に大人となることとの引き換えになくしたものだと思っていた。

「そうだ。このメールには更なる『わくわく』が、いやそれ以上の『俺の失われた感情』がつまっているのかもしれない」

その感情の高ぶりがマウスを持つ右手にも伝わったようだ。手が少し震えてマウスのポインターがズレてしまった。体も俺の心に変化が生まれたことを感じはじめているのだ。

 俺はようやくそのメールを開いた。

しかしそのメールの中に文章は一つもなかった。ただ唯一、何かのホームページのアドレスらしい英数字の羅列が青く光っていた。

肩透かしをくらった気がした。でもそれ以上にわくわく感がさらに大きくなった。じらされればじらされるほど燃えてくるのが人間というものだろう。

俺は迷うことなくそのアドレスをクリックした。ページが表示されるまでの時間がもどかしい。


 ページが姿を現した。いかにもおどろおどろしい背景に赤字でサイト名が浮かびあがった。

『殺人サイト』

 ありきたりなサイト名だ。俺もこういう関係のサイトは好きでよく見てまわっている。しかしこのサイトは今まで見たことがない。いわゆる裏サイトというものだろう。内容を読み進める。

「このサイトに登録すると実際に殺人を行うことができます。『殺害のターゲット、日時、場所』は指定しますが、『殺害実行の有無、殺害方法』はご自身で決定してください。*なお殺人は犯罪であり、罪に問われる可能性があります。当サイトはその際の責任は一切負いかねますのでご了承ください」


『実際に殺人が行える』

 人を殺そうなどいままで考えたこともなかった。いや想像したことならある。顔が原型をとどめないほどハンマーで殴ったり、全身が血で染まるまでナイフでメッタ刺しにしたらどんなに楽しいだろうか。

そう思っては知り合いや芸能人を想像の中で何人も殺してきた。そして殺される人間たちの表情を考えた。

 肉体的な痛み。

 死に行く恐怖。

 殺されることへの憤り。

 生き残る最後の可能性を見つけようとする苦悶。

それらのそれぞれの表情は想像できるが、それらが混ざり合いどのような化学変化が起こるのかはいつまでたってもわからなかった。

見えざる手につき動かされるように俺はサイトの登録手続きをすませた。


3.


 登録から数日後あのサイトから一通のメールが送られてきた。メールの本文には

「ターゲットです。実行日時は五日後の午後十一時、場所は南埠頭」という文だけが書かれていた。そして同時に一人の男の情報が写真付きで貼付されていた。

名前、住所、年齢、勤務先などの基本情報。身長や体重などの身体情報。

趣味や交友関係、ある一日の行動のタイムスケジュール。

実にこと細かいものであった。俺はそのメールを読んだ数時間で、見たこともないその男のことが、まるで何年も前からの親友のように手にとるようにわかるようになった。


 しかしこの男は実在するのだろうか。記載されている情報があまりに詳細すぎたため俺はかえってそんな不安にかられた。

俺はメールの情報の中にあった勤務先に電話をかけてみた。

「はい。丸岡商事でございます」

「すみません。総務課の田辺さんはいらっしゃいますか」

「田辺はあいにく外出しておりまして、戻りましたら折り返しお電話いたしますか」

「い、いえ。けっこうです」

 淡々とした会話だった。しかし受話器を握った俺の手は汗でびっしょりだった。

田辺という男が実在すること。

勤務先も所属の課も正しかったこと。

そして何よりタイムスケジュールに書いてある通りこの時間には外出していること。

情報と現実のあまりの符合に恐ろしさすら感じた。しかし次にこみあげてきたのはなんともいえない昂揚感だった。

『人が殺せる』

 いままで想像しかできなかったことが現実になるのだ。

 それからの五日間はいままでで一番長い五日間だった。この五日間興奮して夜も眠れず、ただどうやってターゲットを殺すかだけを考えていた。

殺人の方法といえば「刺殺」「撲殺」「絞殺」「毒殺」だろうか。だがどの手段をとるにしろ一思いに殺してしまってはつまらない。俺の目的は「人を殺すこと」ではなく、「殺される人間を生で見学すること」だ。

俺は小学生の時に行った校外学習のことを思い出した。確かパン工場に見学に行ったのだ。毎日何気なく食べていたパンがこんな風に作られているのかと感動した。そして見学の最後に試食した出来立てのパンは世界一うまいパンだった。

そう五日後に人を殺しにい行くのは小学生のときの校外学習と同じようなものだ。俺の周りには殺人がうようよしていた。テレビをつければ殺人のニュースがされない日はなかったし、自分から好んで猟奇殺人の本やサイトを集めていた。小学生にとってのパンのように俺にとっての殺人は日常のごくありふれたものだ。

だがきっと実際に経験するのは違うはずだ。小学生のとき感動したパンの味のように、今回の殺人は俺に味わったことのない感動を与えてくれるはずだ。

そして先日山川公園で死んでいった男のことを思い出した。他人が殺した人間でさえ俺にあれだけの興奮を与えたのだ。自分で殺した人間ならその何倍も興奮するのだろうと思った。

俺はこみ上げてくる笑いをこらえた。一人暮らしの部屋でどんな大声で笑ったって誰も気にすることはないがだろうが笑いを殺した。

「まだだ。まだ笑うのは早い」

俺は自分にそう言い聞かせた。

「想像だけで楽しむ時間は終わったのだ。今度は現実を五感で感じる時間だ。

 笑うのはそれまでおあずけだ」

 それでも口の端から漏れる笑いを完全に抑えることはできなかった。やはり俺も人の子だということだろう。


殺人実現に向け道具もいろいろ用意した。ナイフ、ハンマー、ロープ、さすがに毒薬は手に入らなかったがこれだけあれば十分だろう。

俺はそれらの愛しい道具たちをリュックにつめると、ジーパンと黒のパーカーを着込み南埠頭に向け出発した。

 

予定時刻の十分前に埠頭へと到着した。今夜は風が強く波も荒れていた。ぽつぽつと立てられた街頭がわずかに堤防を照らしていた。こんな時間こんな場所を通る人間などいない。俺は黒のパーカーを頭にかぶり物陰で強風をしのいでいた。

 十一時になった。すると街頭の明かりの下に人影が現れた。

『あいつだ。田辺だ。間違いない』

 写真通りの顔、情報通りの風貌、おまけに写真に写っていたのと同じ黒のコートを着ている。

『さあ、どうやって殺そうか。ナイフかハンマーか』

俺は慌ててリュックの中を探り始めた。しかしあまりに慌てて大きな音を出したので、田辺が俺の存在に気づいたらしい。こっちの様子を伺っている。

 俺はあせりながらもようやくハンマーを探り当てた。リュックから取り出そうとするが何かに引っかかっていて出てこない。俺は音が出るのもかまわず夢中でハンマーを引き出そうとした。

俺の動作が激しくなった拍子にかぶっていたパーカーが脱げた。長く伸びた髪が海風でなびくのにもかまわずにとにかくハンマーを引き出そうとした。

すると歩いてきた男と目があった。田辺だ。

不信な行動をとっている俺のことを不信そうに眺めている。

『まずい。顔を見られた。

もうなんでもいい。とにかくあいつを殺すんだ』

 俺は無我夢中で田辺に体当たりをした。田辺はその反動で漆黒の海の中へと落ちていった。

こうして俺の最初の殺人は終ったのだ。

しかしそれは満足のいくものではなかった。人を嬲り殺す快感も、断末魔の悲鳴もそこにはなかった。俺はいらいらと親指のつめを噛んだ。

 

俺の犯行が明るみに出ることはなかった。ターゲットが海に落ちたため死体すらあがらなかったのだ。そのことも俺にはおもしろくなかった。



 しかし再挑戦の機会は意外にも早く訪れた。あの犯行から一週間後、またターゲットのメールが送られてきた。今度の相手は女だった。

「決行日は三日後、高松山か」

 俺は静かにメールを読むと今度は綿密な殺人計画を練り上げた。

机の上に転がっていた鉛筆を取り上げると、タバコのヤニで黄色がかった壁に殺人計画を書き始めた。別にわざわざ壁に書く必要はなどなかったが、「壁に殺人計画を書く」というのがまるで頭の狂った人間のようで新鮮な気がした。

カーテンを締め切り真っ暗な部屋で壁にへばりつくようにして殺人計画を描き始めた。

計画の筋書きはこうだ。

「登山者の振りをしてターゲットの女に近づく。そして女が一人になったところで女のアキレス腱をナイフで切り裂き動けないようにする。そして山奥の人気のないところに連れ込むのだ」

 そこでふと俺は思いをめぐらせた。

「最初に襲ったところで声を出されたら困るな」

 そのためには口を押えて声を出せないようにする必要があるだろう。

俺は壁の右側の「必要なもの」の欄に「タオル(猿ぐつわ用)」と書き足した。その後の計画を練っていく。

「山奥に連れ込んだあと、手足や顔を少しづつ傷つけていく」

そうして苦痛と恐怖にゆがんだ顔をゆっくりと観察するのだ。わざと致命傷を与えないことで死への恐怖を煽る。

俺はにたにたとしたいやらしい笑みを顔に貼り付けながら溢れてくる思いを一心に壁に書き綴った。楽しくて楽しくてたまらない一時だった。壁はいつのまにか真っ黒になっていった。


 決行日がきた。

 俺は登山者の格好をして三日三晩寝ずに考えた殺人計画を頭の中で反芻していた。

登山といってもそれほど険しい道のりではなかったが、さすがに三日間寝ていない体での山登りはきつかった。少しだけ息が荒くなる。しかしこの肉体的な疲労も俺は久々に味わうものだった。

「何かに一生懸命になることは素晴らしいことだ」といつか聞いたことがあるが、俺は今まさに一生懸命「殺人」という目標に向かって歩いていた。そして確かに「一生懸命になることは素晴らしいことだ」と感じていた。

 

 目の前にターゲットの女を見つけた。おれはリュックに入っていたお茶を飲む振りをしてナイフをとりだし、すぐ上着の中に隠した。

俺にはきちんと学習能力もあった。前回のような失敗は繰り返さない。

 俺は女と二人きりになる瞬間を待った。そしてついにその瞬間が遂にやってきた。俺は何度も頭の中で反芻してきたとおりに行動した。女の足を切りつけ、急いでタオルの猿ぐつわをはめた。動けなくなった女を山奥にひきづり込む。初めてするはずの行動であるのに体がてきぱきと動いた。俺はそれだけで大きな満足感を得た。

 しかしそれが油断を生んだ。満足感にひったっている俺を突き飛ばすと、血の滴る右足をひきづりながら一心不乱に逃げ出した。

 俺は突き飛ばされた驚きからしばらく転げたまま固まっていた。そして静かに起き上がった。近くに落ちていたナイフを拾うと右往左往している女のほうに向き直った。そのまま怒りにまかせて女を襲うとしたが俺は思い直した。

 俺はそのまま木の陰に身を隠した。女は俺がいなくなったことを確認して少しの平常心を取り戻したようだった。それこそが俺が考えた通りの行動だった。そう一度は「逃げ切れた」と思わせておいて、そこで再び俺が現れる。一気に天国から地獄へと突き落とすのだ。それが瞬時に俺が考えたものだった。俺のその考えが神が与えたものか悪魔が与えたものかはわからないが天才的なものであることは間違いなかった。

 俺が女の前に再び姿を現した瞬間は忘れられない。恐怖と驚きを含んだ表情で固まった顔は俺を悦ばせるのに十分なものであった。

その後、殺人に至るまでの過程は完璧だった。女は断末魔の叫び声を上げ、恐怖で歪んだ顔を俺に向けながら死んでいった。

「これだ、これ」

俺は死体を見下ろしながらつぶやいた。まさに俺が想像していた殺人ものが現実となったのだ。

 翌日、俺はいそいそと新聞を広げた。昨日の犯行の後、俺は死体が見つかるように警察と新聞社に匿名の電話をかけていたのだ。きっと俺の事件が紙面を飾っているはずだ。しかし該当するような記事はなかった。

いや地方欄の隅に2行だけ書かれた記事が目に止まった。

「高松山で女性が熊に襲われ死亡」

『熊』だと。俺の事件が熊の仕業にされてしまった。

「ナイフの刺し傷と熊に襲われた傷は全然違うだろ」

 俺は新聞に向かって怒声を発した。熊に手柄を奪われた気分だった。


4.


今度のターゲットのメールが届いた。今回はメールが届くまで二週間もかかった。メールの届く周期は不規則らしい。今回のターゲットは「男性、決行日は6日後の午後12時、場所は渋谷」

「真昼間の渋谷!」

そんな人目につきやすいところで人殺しが可能なのか。いや逆に考えればこれはチャンスかもしれない。世の中の奴らに俺の芸術さつじんを見せられるのだから。

「そうだこれはチャンスなんだ」

俺は笑いをかみ殺しながら小さくつぶやいた。


 決行日。殺人はいとも簡単に終った。ビルの屋上にいたターゲットに背後から近づきロープで首を絞めた。男の顔は紫色に変色し腫れ上がっていった。しかし今回は男の苦しむ顔などどうでもよかった。これからが本番なのだ。俺は急いで準備にとりかかった。

 翌日のニュースに俺の殺した男の映像が映った。俺は小さくガッツポーズをした。それは芸術的な映像だった。男は5階建てのビルの屋上から首にロープにつながれ体を揺らしていた。まるで首に糸をつけられた操り人形のようにゆらゆらと揺れていた。映像は加工されていて男の顔などはわからないようになっていた。まあ、とても放送できるような顔ではないからそれは仕方ないだろう。しかし次のアナウンサーの声に俺は耳を疑った。

「えー。男性は昨日の午後12時頃このビルで首吊り自殺をしたものと思われます」

「首吊り自殺……。自殺だと」

俺は耳を疑った。思わずラーメンをすする手も止まる。あれは自殺なんかじゃない。俺が殺したんだ。俺の芸術なんだ。どうして誰も認めてくれない。怒りというよりも悔しさがこみ上げてきた。


 とその時、メールの受信を告げる電子音がパソコンから流れた。急いでメールを確認する。今度のターゲットの情報だ。もう俺には相手がどういう奴だとかどういう殺し方をするかとかはどうでもよくなっていた。俺の芸術を世間に認めてもらいたい。俺が作った芸術なんだと世間の奴らに知らしめたい。そして思いついた。そうだ殺人予告だ。俺もネットの掲示板に殺人予告をしよう。そうすればいつかの俺のように見物人がくるはずだ。そいつの目の前で殺人をおこせば認めてもらえるはずだ。俺の芸術を。そして俺の天才的な才能を。俺は急いでメールに書かれていた日時、場所を入れて掲示板に殺人予告をした。


 決行日。俺は無人の神社の物陰に隠れて人を探していた。ターゲットではない。見物人をだ。一人でも二人でもいい。誰か俺の芸術を見に来ている人間はいないか。

「いた!」

 反対側の木の陰に隠れてあたりをきょろきょろと伺っている若い男がいる。絶対あいつは俺の殺人を見に来たんだ。よし。あとはターゲットを見つけてあいつの目の前で殺人ショーを見せるだけだ。

 とその時、背中に激痛を感じた。体勢を崩しながらも後ろを振り向く。そこには血に染まった包丁を握り締めた髪の長い女が立っていた。女はうすら笑いを浮かべ、目をぎらつかせながら今度は俺の腹を刺してきた。俺はその場に倒れこんだ。それでも彼女の狂気は止まらない。俺に馬乗りになると、胸、喉、顔、手足、手当たりしだいに刺しまくる。俺は痛みと驚きで声をあげることもできずただ命が尽きるまで彼女に体を預けるほかなかった。

 女は満足の表情を浮かべるとすでに冷たくなりはじめた男の死体から離れ、顔についた返り血を拭うこともなくその場を去っていった。

 入れ替わりに若い男が駆け寄ってくる。初めて見る無残な死体に一瞬驚いたものの、すぐに恍惚の表情を浮かべる。男は満足いくまで死体を眺めると帰っていった。そうきっと、掲示板に今日の体験を書き込むために。

 

 役所のある課では職員が忙しそうに業務をこなしていた。

「おい、山田さん。この前の神社の件はどうなった」

山田と呼ばれた女職員は上司に顔を向けることもなく答えた。

「ああ、あの件は目撃者も1人を除いていなかったので事故死ということで処理しました」

「事故死だと。あれは刺殺だっただろう。しかもメッタ刺しの。いくらなんでも事故というのは難しくないか」

女職員は書類から顔を上げると上司の言葉に反論した。

「部長。こう次から次へと事件が起こるんじゃ、いちいち丁寧な隠蔽工作なんてできません。この神社の件でもまた新しい会員が入会しているんですよ」

「わかった。わかった。会員が増えるのはしょうがないだろう。この国から危険思想を持った人間を排除するためなんだから。

 あー、ところで渡辺君。その新入会員にはターゲットの資料は送ったのか」

部長は山田女史の怒りを回避するため違う職員に話しを向ける。渡辺職員は上司の言葉に冷静に回答する。 

「その新入会員ならちょうど昨日はじめての任務を終えました。それがターゲットは原型をとどめないほどに殴り殺されていて、かなりの危険思想を持った人物だと思われます」

渡辺職員のこの言葉を聞き山田女史が悲鳴をあげる。

「殴り殺し! また面倒な殺し方して。隠蔽工作する私の身にもなってよ」

「まあまあ。山田さん落ち着いて」 


 狂気殺人願望などの危険思想をもった人間が一般社会に潜んでいる現在、政府は極秘である部署を設置した。この部署の役割は危険思想を持った人物を探し出し、お互いに殺し合いをさせ根絶やしにすることだ。危険思想をもった人間を殺人が趣味の人間に殺させる。そしてその殺人犯もまた次の者に殺される。こうして国民の平和は守られていくのだ。国民に動揺を与えないように隠蔽工作まで行うきめの細かさは他の政策では類を見ないであろう。みんなの幸せを守るため彼ら職員の残業という名の戦いは今日も続くのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] とても面白かったです。主人公がだんだん殺人に傾倒していく様子や最後の結末がなかなか良かったと思います。これからもがんばってください。
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