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第2話 出発前の不安

 午前5時20分。目覚まし時計が鳴るよりも早く目を覚ます。春の初めなので、寒いときにはまだ寒い。タイマーをセットしておいたヒーターに当たりながら雨戸を開け、外の天気を確認する。幸い晴れのようだ。昇りつつある太陽の日差しがまぶしい。


 着替えをしていると、母が起きて来た。コーヒーを入れてもらい、ヨーグルトなどを食べる。カバンに詰めていく荷物を少しでも減らすため、Yシャツを着てジャケットを羽織っている。まだ朝方は冷えるとはいえ、少し暑い。うっすらとかく汗と共に、心中の不安もにじみ出てくる。今ならまだ出かけるのをやめられる。色々な人が知っているので、少しは恥ずかしいけれども、予測もつかない不安と隣りあわせで進まなければならないのならば、それも良いだろう。恥ならばこれまで十分にかいてきた。


 そんな不安を母に口にすると、自分も旅行に出かける前はそうだった、と言ってくれた。宿が見つからなくて苦労したらしい。話したことによって、少し楽になった。

 同時に、僕はそんな不安とは無縁だと思っていた、とも言われた。動揺とは無縁だと思われているらしい。そんなことあるわけが無い。単に僕は、自分が弱い人間だと思い知らされながら生きてきただけだ。だからこそ、自分にできることが分かるし、できなくても何とかする方法を知っている。冷静さを失ってしまえば、それもできなくなる。だから、がんばって冷静であろうとしているに過ぎない。それが、人には冷たすぎるように映ってしまうこともあるのだろう。でも、いつだって不安で一杯なのだ。

 やはり出かけよう。そう、気持ちを新たにする。進むことでしか、何かを得ることはできないから。


 家から成田空港までは、電車で3時間近くかかる。午前6時16分に最寄り駅から発車する電車を目指して、家を出る。この家には、1ヵ月半は帰ってこない。そのことに感慨を感じる余裕も無い。ただ、ひたすら駅を目指す。

 家から最寄り駅までは、徒歩で10分くらいだ。午前6時過ぎに家を出たので、余裕を持って駅に着けるはずだったのだが、キャリーバックだと言うことを計算に入れ忘れていた。普段使い慣れないこれを引っ張りながら歩くのは、存外、時間がかかる。外側に余分な荷物がついてあることもあり、少しでも斜めになると、回転軸がぶれて横転してしまう。


 ひっくり返らないように慎重に引きながら歩くと、だんだん慣れてきたのか、まっすぐ歩けるようになって来た。ようやく駅舎が見えてきたところで、ふと、振り返ると、荷物が少なくなっている。括りつけてあったジャンパーが無いのだ。道理で歩きやすいはずだ。本当に軽くなっていたのだから。

 どうするべきか。ここからは落ちている場所が見えない。もうすぐ電車は来てしまう。かといって、ジャンパーを放置するわけにも行かない。取りに戻るにしても、他の荷物が邪魔だ。走りづらい。とはいえ、置いて行ってこちらが無くなっては、本末転倒でもあるし。

 ちょっとしたミスが不安感によってあおられ、簡単にパニックを引き起こす。それを無理やりに押さえ込む。


 荷物を抱えて戻る。戻る戻る。幸い、150メートルほど戻った所でジャンパーが落ちているのを発見する。ホッとする間もなく、それらを抱え、キャリーを転がす余裕も無く、指を痺れさせながら、再び駅に向かって駆け出した。階段を駆け上る途中で、電車が入ってくる。あわてて財布を出し、パスネットを購入。何とか電車に駆け込むことができた。息が上がっている。荷物をイスに置いて、ホッと一息、汗を拭く僕を、おかしな生き物でも見るように、通学途中の女子高校生が見ていた。


 前途多難。そもそも、今回の旅行は、準備段階から、かなり無謀なものだった。海外旅行経験なし。飛行機に乗ったのも、研究会に出席するための、北海道往復のみ。自費での飛行機搭乗は初めて。それにもかかわらず、旅行期間は48日。1ヵ月半以上なのだから呆れる。仮にホームシックにかかったとしても、そう簡単に帰れるわけではないのだ。その準備にしても、飛行機の予約を取ったのは、4月には行ってから。荷物の整理は前日になっても終わらず、とても万全と呼べるものではない。おそらく、話を聞いていた大学院の先輩達は、不安を感じていたのではないだろうか。その前に、一度は海外に出かけてみれば良いのでは、とも進められた。しかし、そんな時間も無かった。


 いつごろから旅行に出かけようと、例え漠然としたものとしてでも、考えていたのかは良く覚えていない。ただ、入社するに当たってパスポートを取得するように言われたときに、海外研修ではじめてパスポートを使うのは無謀だな、と思ったことは確かだ。第一、格好が悪すぎる。そう思い返すと、かなり前から構想していたことは確かなのだが、それを実現するためには、まずは目の前の博士論文を仕上げなければならず、それが終了しても、しばらくは気が抜けて使い物にならなかったため、結局、直前まで準備がなされないという状況が生じることとなった。無意識のうちに、海外に出る不安感から、問題を先送りにしていたのかもしれない。


 最終的に、日程はチケットの都合によって決定された。ゴールデンウィークが近づくと値段が跳ね上がってしまうので、その前に。7月からは仕事なので、準備期間を残しつつも、できるだけ長く。しかし、6月は団体旅行者が多いらしく、なかなか予約が取れず、7日に帰国と言うことになった。本当はもう少し長くしたいところだったのだが、仕方が無い。まあ、1ヵ月半もあれば、ある程度の国は回れるだろう。

 クレジットカードや国際キャッシュカードは、できるまでにある程度時間がかかることは分かっていたので、3月からつくり始めていたことが幸いした。何せ、3月で学生と言う肩書き(なんと21年間も名乗っていた!)が無くなり、無職になるので、信用があるうちに作っておこうとも思っていたのである。


 目的地をヨーロッパにしたのは、やはり、ブランド的な憧れと、その歴史に対する興味のためだろう。同期で、アメリカの大学に行っていた某氏は、アメリカ、特にハリウッドのすばらしさを強調していたが、僕は、自然や長い人の歴史によってつむがれたものをこの目で見てみたいと思う。それに、アメリカに行く機会はこれからたくさんあるだろうから。加えてヨーロッパは、比較的、経済的治安的にも安定しているということも判断材料に加わっていたことは言うまでも無い。危険な目に会うなど論外だ。いずれにせよ、今この瞬間が長期に旅行できる数少ないチャンスであることは間違いないのだから、それを楽しめるような場所にしたかった。

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