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閉ざされた世界に僕は一人  作者: 安康平
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ママ登場

眉間に深い深い堀が生まれている。その表情から彼がご立腹なのは明白である。

 ふいに彼は俺に顔を向けた。首だけを音もなく動かすもので下手なホラーより恐怖できる、こいつの顔面は文字通り凶器となれるからだ。

 口が開く。どんなどすの利いた低音アルトが響くのだろうと、身構える明涙が目の端でとらえる。

「トオちゃん⁉ 何なの、この子? ソーマちゃんから聞いたのだけれど、あたしに黙ってしれない女の子を連れ込んでるって⁉ どういうこと、説明なさい!」

 自身の気を疑うまでの高温ソプラノが鼓膜を穿つ。突き刺さった音そのまま脳内を無茶苦茶に暴れ回る、あまりに暴力的な声量であった。相変わらず騒々しいおっさんだ。

「麻乃、彼はグリズ=マザー。と言っても本名ではないだろうけど、本人の希望はママと呼ばれたいらしい。性別は不詳だ、まあいわゆるオカマさまだよ。このビル一階でやっているバーのオーナーだ」

 簡単に説明する。けど、明涙のことだ、またぼうっとして気絶でもしているだろう。が、その想像は覆った。明涙は祈り子のごとく両手を胸で組み好奇で満ち溢れた、熱い目線を惜しみなくグリズへと向けていた。

「ちょっと、あたしの質問に答えなさい! 誰、この子は?」

 はあ、こいつに絡まれるとめんどくささこの上なしなのだからあまり気乗りしないのだが。この甲高いソプラノで攻められたら、耳が幾つあっても足りない。つく溜め息はひどく硬く、大きな塊となって喉から漏れた。


「『私たちの愛利巣』のオーナー兼ママ、グリズ=マザーよ。よろしくね、明涙ちゃん♡ 可愛らしい子がまた増えて嬉しいわ」

 小一時間の説明で何とか納得してくれた。このおっさん、ほんと面倒な質だ。

 片手を頬に置いて、満面の笑みを浮かべる。その姿は化生そのもの。剃り残され青くなった髭に逞しい二の腕に逞しい腕毛。全身は鍛え上げられた筋肉を隠しきれないほどの起伏に富んだ肉体。眼光鋭く、加えてスキンヘッドときたら誰がどう間違おうとそっち方向の人間とは思うまい。

「ハートでも、嬉しいでもねーよ。きめぇよ。そもそもトオちゃん何て呼ぶなと言ってるだろ。そもそも何一人だけ茶なんか淹れているんだ」

「いやだ、別に自分だけ淹れたわけじゃないわよ、元々淹れてたの」

「客人に茶を出すのは礼儀だろうが」

「そもそもトオちゃんのお客じゃなくて?」

 ルールでしょう、と言って横目でこちらを流しみるグリズ。妙に姿勢よく、裂ききれるかのように口角を吊り上げるその姿は慣れた十河自身でも卒倒するほどの不気味さであった。これ以上相手をしていたら精神がまいると予感し、会話を切り上げ二人分の茶を用意するため席を立つ。この青ダルマめ、と悪態をつきながら。

「ゆっくりしてね」

 高音といっても地を這う低音を無理やりオクターブ上げて放たれているので、明涙の持つ清廉な声音とは比べ物にならない。聖水と泥水だ。

「まさか私に加えて新しい美女が増えるなんて感激だわぁ」

「誰が美女だ。醜女め」

「あらぁ、トオちゃんたら、私を女と思ってくれてたなんて、嬉しいわ」

「語弊があった、お前は醜男でも醜女でもなかったな。『醜』だ。醜さの権化め」

「ああー、感激だわ!」

「どこにそこまで身をくねらせる要素があったんだ!?」

「トオちゃんのお声で罵られるだけで、私のロマネ・コンティが全身を駆け巡り、脈打ちそして乱れるぅ!」

「意味不明な乱れ方だな、おい」

 不謹慎な発言に一喝し、止めていた手を再び動かす。目の前で身悶えしている汚濁の毒には目を向けずに、作業に没頭することこそ最大の自衛だと考える黒羽。これ以上身を侵されたら完治は困難だろうから。

 にも関わらず、陽を冠した少女は臆することなく、泥水へと飛び込んだ。自らの手で浄化せしめんとするそれに神々しさを伴った母性を垣間見た。実際は底なし沼へ何も考えず飛び込んだ馬鹿な小動物なのだが。

「仲がいいんですね、お二人」

「そうなのよ、相思相愛。愛し愛され望み望まれる。死ぬ瞬間は道連れにふたり仲良く、殺してくれと言われれば私が躊躇なく首を落としてあげるほどの関係よ」

 その発言は聞き捨てならない、とグリズにひと睨みを利かす。あまり効果は無いのだが。

「あはは、二人が知り合ったのって何がきっかけだったんですか?」

「そうねぇ、そこまで大した話じゃないのだけれど。まあ話せば長くなるかなー。あれは、雨の降りしきる夕暮れ……」

 と遠い過去をうっすら望み見る様子でしばし目を閉じたグリズ。長くなると言いながらも話そうとする奴はタチが悪い奴が多いと脳内統計を弾き出してみる黒羽。

黙ること数十秒。たっぷりと与えられた時間で瞼に映るモノを見終え、グリズは言葉を発する。そこから語られるものはどれほどの重厚なストーリーが語られるのかと、固い唾を飲み込む麻乃。

「大衆の道端に捨てられていた私を、奴は足蹴にしやがったから呪殺するためにとり憑いたのが最初ね」

 流石の俺でもこれは首を傾げるしかないなと、十河は息を落とす。呆れを通り越して無感動の極みへと到達した気分だった。

「と、唐突すぎる内容です! いくつか聞きたいことが多すぎて! え、あの物思いに耽っていた時間はなんだったんですか、ものすごく長い話かなと思っていたのに肩透かしくらった気分です。けど、結構濃い内容を詰め込んでますよね? 呪いとか捨てられていたとか突飛すぎて付いていけませんよ!」

「おい、どうしてそんなに好評なんだ」

「鬼畜野郎は黙ってな。あの恨み忘れたわけじゃねーんだぞ」

 思い切り凄んできたグリズ。その迫力はそれだけで人を殺せるかもしれない。そもそもいきなりのキャラチェンジについて行けないのだがと、苦笑いを浮かべる黒羽。

「話がぶっ飛びすぎだ」

「けれど事実でしょう。身を汚した女性を放っておくなんて紳士のする行いじゃないわ」

「安心しろ、お前は既に道端に捨てられた軍手の毛玉についた塵ほどの価値しかない」

「それはもう無価値と言い換えられるわよね」

 確かにグリズが語った言葉に嘘偽りはないだろう。当時は今ほど表情を作れたわけでもなく、ましてや道の端にゴミのように捨てられていく人々を数え続けるのを諦めるほどに見てきた黒羽十河にとって、過去の経験と同じように転がっていた人間に目をくべる道理はない。彼にとってそれは路傍に転がる空き缶のようなもの、わざわざ拾うでもなく、避けて通ることが当然の在り来りな存在。その空き缶が自発的に「捨てるな、拾え」としがみついて来ただけの話。

「なるほどなるほどなるほど。それについては追々聞いていくとしましょう」

 いつの間に出していたのか付箋だらけの分厚い手帳へ殴る様に何かを記していく。そもそもどこからあのはち切れんばかりに肥大した手帳を取り出したのだろうか、カバンは手元に無いはずなのに。

「そういえば、黒羽くんてトオちゃんって呼ばれてるんですね」

顔を上げ、などと他愛のなく訪ねてくる明涙。十河は余計な話に首を突っ込んだため中断していたお茶の用意を再開させたため、答える人物は自然とグリズだ。

「ふふふ、可愛らしいでしょう。彼に似合った呼び方の方が良いかなってね、考えたらパッとね、頭に思いついたのよね」

「へー、そうなんですか。けどちゃんづけってあんまり黒羽くんのイメージらしくない気がするんですけど」

「けどね、彼結構子供っぽいところもあってね。何だか小さな息子みたいで、自然とね」

 ふふふ、と頬杖を突きながら語るグリズは、差し込む夕日を後光とし、それはそれは母性に満ち溢れた表情をしていたそうだ。想像するのは精神衛生上不健全であろう。

「それで、『とおが』だからトオちゃんですか。安直この上なしですね! 全くのひねりがかんられないどストレートなあだ名ですね!」

「あら少しトゲのある言い方のような気が」

「嫌だなー、気のせいですよー。でも、しっくりきますよね。私にはこれ以上にないネーミングだと思いますよ。私もそう呼ぼうかな」

 不満を満面に溜めたグリズであったが、麻乃の同意で直様に表情を晴らす。

「そうよね! いやー、我ながら自身のセンスにびっくりしちゃったわぁ。ビビビってね、天啓が下ったみたいだったわ」

 だよねぇ、と嬉しそうに手を合わせる二人。徐々に話があってき始め、危機感を覚える黒羽。明涙には不純に汚されて欲しくないと切実に願う。それでも会話だけ抜き取れば、後ろにあるのはどこにでもある日常。誰もが持ち得る当然の生活。振り向き、一歩で届く距離にあるもの。

遠いなと呟き、彼女の前に淹れたての茶を出す。

「ふん、グリズのボロ雑巾のような表情は見飽きた。グリズに天啓なんて与える神様の顔を拝んでみたいよ」



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