依頼
この女、一体どこまで調べが及んでいるのであろうか。
「それで、話は終わりか?」
「いや、まだだよ。いろいろな方面で調査を続けているとある人物に行き当たったんです。その人はある業界で『白い黒』と呼ばれている。奇しくも私がある人に付けたあだ名によく似た名ですよね。その人は表舞台には一切出てこず、裏世界でだけ幅を利かす『探偵』でした。どのような仕事をしているかは全く不明ですが、あくまで『探偵』らしいです。こちらの確かなスジで聞いた情報を統合すると私のよく知るある人物と容姿などが一致し始めた。ね、『白い黒』、黒羽十河さん」
「なるほど、よく調べているな。想像じゃこれは語れないよな。ただ」
ここまで信念のこもった瞳は初めてである。麻乃の覚悟というものは黒羽の想像を遥かに凌駕するのだろう。それでも聞かずにはいられなかった。「ここに来ることに躊躇いはなかったのか?」と。強めに言ったのに、彼女は間髪入れずに答えた。
「絶対大丈夫だと信じてたんです」
なんでかは分からないけど、と数秒してから付け加える。頭を掻きながら告げた麻乃は照れ臭そうだった。フワッとした浮遊感を黒羽は感じた。何故なのか救われた気分になった。
「そうか、ならお手上げだ。そこまで信頼されたなら無下にできないよ」
口角を緩め、笑いかける黒羽。その表情をみて麻乃は溜まっていたわだかまりを一気に吐き出した。返すように溶けていくような笑みを零した。ここに来た時から薄く張り付いていた緊張も解けだしていくようだった。
まだ問わないといけない事がいくつかあるが、今聞き出すのは酷だろう。
さて、と手を叩き区切りを入れる。黒羽は頭を切り替えていく。
「さあ、本題に入ろうか。麻乃明涙さん、依頼は身辺の護衛ということでよかったかな」
「は、はい。そうです。簡潔に言えばそういうことです。ただ、こちらから頼み込んでおいてあれなんだけど、その、おかね………」
「分かった、引き受けよう」
と、明涙が何か言いかけるのと被せるように黒羽は二つ返事で承諾した。これには依頼者の明涙は目を大きく見開き尋ね返してきた。
「え、ええ? そんな簡単にオッケーしちゃって良いの? 今更だけどこんな見ず知らずの人間の頼みを」
「別に見ず知らずという訳では無いだろう? そもそもこの事務所…、ここは一応事務所的な扱いだったんだが、うちは来る人拒まずの気持ちでやっているんだ。麻乃もさっき言っていた通り、表には出ないから普通の人はまず来ないけど、訳あり人物は結構尋ねてくるんだ。それもあまり公に明かすことのできない案件を抱えている人だったり。そんな人は他に頼れる場所など無いから、うちまで見捨てる訳にはいかないのさ」
だから、断らない。はっきりとした口調を明涙に返す。ビクッと体を揺らし、少し戸惑いながらもそうかと頷いてくれる。
「確かに麻乃みたいな一般人、ましてや同級生なんて、絶対にないと思っていたね。それと費用のことを言いかけてたが、麻乃がどういう人間なのか知らないが恐らく一生かけて払っていってもらう額を請求することになるだろう」
そ、そうですか。と沈みに沈んでしまう麻乃。サラサラとした前髪が顔に深い影をつくる。
「大丈夫だ。言っただろう、うちは来る人拒まず。例えそれが甲斐性のない学生だろうと同じさ。こちらからはいくつか条件を出させてもらう。それを承諾してくれたら晴れて制約成立だ」
「条件、ですか? ひ、必要とあらば私の調べた情報を世界に発表するぞって脅そうかなと思ってたのに」
「脅迫しようとしてたのか! 時々見せるけど、恐ろしい思考の持ち主だよな、麻乃は。なに、そこまで身構える必要はない、簡単な条件だ」
手帳を胸に両手で抱え震えている明涙。安心しきっているが、自身の手の内を簡単にさらすような行為は慎むべきだと咎めたくなる。これは社会を渡るうえでの鉄則だ。
「まさか、身売りしろとか? 噂で聞くラグーナ七不思議のひとつ、旧七区の空きビル群にひそかに営業されているという大人のゴルフ場ですか!?」
「一言も言っていないだろう、そんなことは! それになんだ大人のゴルフ場って」
「君のホールにホールインワン、的な?」
「卑猥さこの上なしだな、それは! 違う、もっと簡単で危険のないことだ。それはこの部屋に通いうちの雑用係として働いてもらう、あくまで費用の肩代わりだから給料は出ないがな」
そうしていると、不意に部屋のドアが勢いよく開かれた。そこに現れた人影は常軌を逸する巨大さで、たじろぐ明涙の姿を目尻が捕えた。
それは巨漢の男であった。眼光は鋭く、鈍い輝きを宿らせた細く切れ長。口の周りには無精ひげを蓄え、口元は歪に歪んでいる。頭部には一切黒地はなく、光を照り返す眩いまでのスキンヘッドであった。
ようするに非常に強面である。加え筋骨隆々で腕は丸太さながら、逞しい胸筋は初見の人は間違いなく子犬のようにフルフル震えるだけになってしまう。
ただそれだけでも恐ろしいのに、生い茂る胸毛を存分に見せつけるがごとく開かれたピチピチの真っ赤なシャツはこの男の醜悪さを数割増に強調している。
「んん?」
強烈な視線が明涙を捉えた。明涙は呆然自失、目を真ん丸に見開き不動となってしまっていた。
俺は大きな欠伸を一つ、ああ今日も日差しが眩しい。