発見
Prologue
単刀直入に言うね
それは光をまとっていた。眩しくそれでいて優しい、包容の光。
君のことが知りたいの
引き寄せられる、引力とは違う本能に呼びかけてくる声音は自分の内深くに閉じ込めていたものを呼び起こす。
そばに居させて欲しい
その瞬間は何も考えることはできなくて、けれどどこかで理解している自分もいて。もどかしくも悪くない気分で。
どうか付き合って欲しい。
この時、世界を回す歯車は動きを止めた。
この出会いが全ての生活を乱し、壊す。そして新たなる歯車を生み、自然と繋がり、また動き出す。
その出会いに『偶然』という単語は当てはまらない。
それはあまりにも細い糸だった。目に見えぬ、足場なく宙を渡る綱渡りのようなものだった。しかしこれは奇跡でなく定められていた必然であり、世代を飛び越えてなおも紡がれた物語。
この出会いは世界を巻き込み、うねりを上げて未来へと向かってゆく。
1 . 行きかい逅い、巡り邂う
巨大浮遊都市『ラグーナ』
いつの時代にどこでどうやって生まれたのかさえ不明な土地。誰もが生まれた時からそこに住んいた。生活を送っていた。住むのは全て人間、後は少々の愛玩用ともされる少々の動植物のみ。そしてその土地全てを覆い尽くすのが街であった。いくつもの技術の粋を結集した巨大な街であった。
人口約百三十万人、総面積二十二万平方Kmである。なお、突出して述べるべき事柄、それは人口の半分を二十歳以下の子供が占めているということ。もう半分は社会を支える大人たちだ。そして、おかしなことに老人というカテゴリーに含まれるであろう年齢の人々は皆無であり、ラグーナ都市部に住む老人は一人もいない状況だ。
都市部と呼ばれるラグーナ中心部付近は天を仰ぎみるような高層ビルが建ち並ぶ摩天楼となっており、いくつもの技術開発機関が日夜新商品また、新たな技術の開発に勤しんでいる。
ラグーナ内の頂点に立っているのは『眞光』の一族である。幾つもの名家が出そろいラグーナの政治を取り仕切るなかで最大の権力をもつのが過去全てを通してこの眞光の家系である。
トップの席は「眞光舜惇」へと引き継がれ、ラグーナの都市は過去最高水準の平穏さとなっており、いまだラグーナは『平和の象徴』という外面を常に保ち、示しているのだった。
*
陽は傾きかけ、一日の終わりを告げる橙光が窓を透かして薄暗い部屋を染めていた。午後五時をまわり、下を見れば帰宅途中の学生が連なりながらそれぞれの道を歩んでいる。友と語り合い、笑顔の絶えないグループ。一人本に没頭し続ける男子学生。クレープを手に並んで歩く女子学生の一団。それを地上二八mの高さから見下ろす。
第三区の中心部に建築された新設のオフィスビル。その最上階のである八階から葉・隆祺はあてもなく一望していた。
ビル最上階の一室に設けられた大会議室。つい先ほどまで行われていた討論のおかげで気圧されるほどの熱気に包まれていたがそれもお開きとともに一気に熱が下がっていた。人のいなくなった部屋は冷たさをまとった静寂に包まれている。
眼鏡の向こうから差し込む夕日に目は焼かれる。が、それは部屋を暖めるには少しばかり力不足だ。
そもそもあの太陽に恵みある暖かさを求める方が間違いか。
当てのない視線を天に向ける。
「そら、か」
視界には艶やかに染まったオレンジの天。大小さまざまな雲に影がかかり、その黒色がより深みを出していた。描き上げられたキャンパスの絵は美しいという形容を見事に表現している。
「全く見事、ここまで精巧に作り上げるのだから」
感嘆の息を落とす。頭上に広がるものは過去から変わらない様相で自分たちを覆っている。いくら眺めていても飽きないのだからこれ以上の有益な浪費はないだろう。
「あら、相変わらずの独り言タイムかしら? リュウ」
「………。相変わらずとは、失礼な物言いですね。それとも貴女の中では僕は残念な人間だとでも、片樺和さん」
自身の真後ろ、部屋の出入り口から声をかけられゆっくりとした動作で振り向く。
片樺和茅智は開かれた扉から入ってくる途中だった。右手には紙コップを持ち、空いた左手は腰に手を当てている。切り取られた一つの絵画のように思えた。
「あらら、気を悪くさせちゃったかしら? それはごめんなさい、私の勝手な思い込みだから」
「なら、そのような思い込みは今ここで捨ててください。僕には見えない友人などもっていないのですから」
溜息をつきながら文句を告げる。ただ、彼女相手に口を尖らせたところで効果は薄い、いや無いのだから。
ふふふ、と子供をたしなめる母親の様な笑顔を保ちながら横に並び立つ。
大人の女性という言葉がよく似合うヒトだと常々思い知らされる。
彼女は背が高く、一八〇を越すリュウと並んでも見劣りしない女性はそう多くないだろう。加え、出るところは出て締まるところは締まる、過不足なく磨かれた肢体。スーツのスカートは彼女のボディラインを強調する小道具となり、胸元が僅かにはだけたシャツからは女性の色香がじんわりと漂ってくる。堅物で通る彼から見ても彼女は人を『魅せる』身体だ、と感心せざるを得ない。艶よく手入れの整ったブラウンの髪は巻かれ背まで伸び、嗅覚をくすぐる甘い香りは主張し過ぎていない。しかし、それがより彼女の気品さを際立たせていた。
「いい景色じゃない、ここ。高さは本社とは比べ物にならないけどあっちは周りも負けないぐらいの高さだものね。窓からの景色は隣のビルか隙間から見える小さな街並み。そもそもこんな大きいガラス張りの部屋なんてないものね」
この会議室は外との境界となる壁を全面ガラス張りにしていた。ビルの隅に設けられているため二面もガラスなので、その開放感に一瞬空中に浮いている感覚に陥る。
第三区は中央にあたる第一区から少し離れ、郊外に位置しており、オフィス街というより学生街といった様相となっている。またラグーナの北東部は森林も多く、そこまで高層な建造物はなく夜中の活動は中心に近いにかかわらず静かなのが特徴である。
従ってここから楽しむ景色は人工の明かりが作り出す夜景ではなく、今の黄昏どきであったり、明け方であったりが作り出す巨大な自然のキャンパスだ。そもそも二八mの高さからならある程度遠くまで見渡せ、奥行も加わる。
「確かに。しかしこんなものいくら見たところでいくらも心は動きませんが」
「ほんと、君って堅物っていうか無感動だよね。これみたいに『わあ、きれい!』ってなるもの見ても眉一つ動かさないんだから」
つまらなそうに漏らす茅智。手を頬にあてている姿は知的な印象を与える。この手の女性は行う動作のどれをとってもプラスにしか働かないのだから世の中は不平等であるようだ。いや、これは彼女の努力の賜物か。
「そんなことはありませんよ。ただ僕は色々なものを見てますからね。基本一区のビル群を生活拠点にしている人からしたら新鮮かもしれませんが。この景色には無感動だと主張しているだけで、何も心がない訳ではありません」
心揺さぶれるものにはそれ相応の評価は行います、と僕は機械人形ではないと確言する。それを聞いて茅智はリュウを正面に見据える形に顔を向け微笑んだ。
「あら、ならその心揺さぶられるものとはどういうものなのかしらね」
先程までとは違い、声音に妖艶な甘さが混ざる。リュウもまた振り向き、お互いの視線が交差する。
シルクにも言い換えても良い肌だった。
派手すぎない化粧は彼女が仕事人である証拠だろう。手を抜いているのではなく、あくまで素材を活かす調整。元から完成されていた彫刻に余計な手加えは不要なのだ。
そして口元に塗られた薄い紅は彼女の白い絹をより引き立たせる。まるで新雪の上に振った鮮血さながら、その色は艶やかで妖しく麗しく、逃れられない魔性の呪い。
「まずはコーヒーですね。様々な店舗をまわりましたが、美味しいものを提供する店舗にはある法則が見つかりました。それの美しさは実に素晴らしかった。数学者もきっと驚くでしょう」
そう、と呟いて茅智は腕をリュウの首に回した。細い指先が唇、頬、耳となぞって行く。ひんやりとした彼女の五指は滑らかに顔を這い、耳元の眼鏡フレームを取り、机の上へ。
綺麗な顔、と声をも用いて撫でる。優しい囁きだった。
「しかしインスタントといっても馬鹿にはできない。稀ではありますが自家焙煎と遜色ないものも存在します。飽くなき探究とはこのことなのでしょう」
「そう、ならこの味は?」
彼女は言葉を切ると同時に、リュウの唇に自分のものを重ねていた。柔らかく、若干湿った感触は暖かく心地よい。ただその味を噛み締める。
数秒合わさった二つは一度間を置いた。しかし今度は彼の方から間髪入れずに重ねていく。唇の重ね合いで留まった先程とは違い、今回は舌を絡ませる。より濃密な粘膜同士の接触。彼女からは微かなコーヒーの香りが漂い、それに伴った独特の苦味が混同している唾液を舌が知覚する。
茅智の口内を犯していく。舌を使い唾液を交わす。彼女の中に自身を移し、内部に自身、葉・隆祺を染み込ませる。絡みあうねっとりとした感触はより濃く、より明確にするためにうってつけであった。
時間にして1分少しであったろう。離着を繰り返し、その度に顔を確認しあう。互いの口内を蹂躙した。茅智の白い肌には朱がかかり始めたころだ。目元はまどろみ恍惚とした表情から彼女が快感を覚え始めている事を知る。
そこで顔を離す。伸ばした舌は微かに痺れ、顎はだるく口を閉じることが億劫だった。自然と唾液は糸を引き、西日に照らされ二人を結ぶ細い光糸となった。
しかし、あくまでここまで。これ以上先には進まず体の密着をやめ、乱れた体裁を整える。
ドライ、そう取られる関係だろう。ここに恋愛感情はない。とりわけこの男には。女はこのことを承知している。
一度現実に戻れば、元の仕事関係に戻る。
「最近、つれないのね」
「そうでしょうか、それに現在はあくまで職務中です。それに、じき会長もお戻りになられますから」
「そう言えばもうそんな時間か」
左にはめたレディース用の腕時計を確認し、忘れてたと顔を覆う。
「そんなことで良く秘書官が務まりますね」
らしくない軽口だった。どうやら快楽を得ていたのは自分も同じだったようだと解釈する。
茅智は一瞬目を丸くした。が、すぐに戻し、「で、どうだった? 探求者さん」とリュウに問いかける。彼は一言。
「いつも通りでしたよ」
しばらく待とうが待ち人が来る気配はなかった。
時間を持て余し、何気なくガラスの外を眺める。陽は地平にその尻を浸け始めている。未だ絶えず流れる学生の波。
「ん?」
ふとリュウの視線が捉えたものは一人の学生であった。ある学校の制服に身を包み、人の作る波に乗っていた。ただそれだけなら別に気にもとめないのだが、その学生の格好が気になってしまったのだ。
学生はちょうどビルの真下を歩行中であった。
その少年が纏う雰囲気は異質、そのものだった。
ほかの学生となんら変わらない服装。振る舞いに可笑しいこともなく、ただ歩行しているだけである。至って『普通』の学生だ。それなのにリュウが異質だ、奇妙だと受け取ってしまうわけ。
それは彼が『普通』であり過ぎる、『普通』を周りに強制的に押し付けているかのようだ。それが違和感の正体。まるでいつも近くで過ごしてきたような親近感さえも覚える。恐らく周りの学生たちも同じような感覚に陥っているはずだ。リュウはその思い込ませていることに異常さを感じ取った。
「(この感じ、どこかで?)」
思い当たる節は無くはないが、それはないだろうと結論付けた。独特過ぎる様相に目が離せなかっただけなのだと。
ただ、その後ろをついて行くあの少女は何だったのだろうか。少年のストーカーだろうか。
だが、彼の思案はそこで途切れる。いつの間にか席を外していた片樺和茅智が待ち人を連れ戻ってきたのだった。
振り返り、一礼。そして労いの言葉を掛ける。
「お疲れさまでございました、会長。長らくのご会談、いかがなものでございましたか」
「うむ、実に意義のあるものだった。これでプランを次の段階に進められるというものだ」
もう一度頭を下げ、「では」と相手を促す。
彼は「ああ、もどろうか」の一言とともに踵をかえし部屋を後にする。リュウは茅智の後ろへと続く。リュウのポジションは常に変わらずこの位置。彼の斜め右後ろ。主君に一生の忠誠を誓った男の定められた場所。
不満なし、いつもの変わらぬ世界が広がっている。
その頃には眼下に眺めた二人の学生については頭の隅へと追いやっていた。