第五十九話 聞くはずのない名前
ここから帝都メデスまではいくつもの山を越えなければならない。
ただ、幸いにして今回はトンネルがあった。
アルティリアの人形たちが掘ってきたものだ。
私たちはそこを通り、南に進む。
他の顔触れはトゥルス兄様のほか、カジェロ、ワイスタール、フィルカさん、フェリアさん、フロモスさんをはじめとしたウイスプ家の騎士たち、それから、人形騎士団――。
トンネルはかなり大きなもので、馬車が何台も横に並んで進むことができた。
私はどうやら昨日の疲れが残っていたらしく、いつのまにか座席で眠りこけていた。目を覚ましたのは、ちょうど、トンネルを出たあたり。
空は朱色で、山の端に夕陽が沈もうとしている。
明け方の出発だったから、たった半日で帝都メデスに到着したことになる。
「静かね……」
正直、すこし拍子抜けだ。
ここまであっという間にたどり着けたこともそうだし、帝国軍が迎撃に出てくることもなかった。すんなりと帝都の城壁に辿り着く。
門を守る兵たちは、みな、
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
眠たげな瞳で空をぽけー、と見上げるばかり。
意思のない人形という言葉がよく似合う。
彼らもまたアルティリアの被害者なのだろうか。
帝都の中も同じような状況だった。
生気のない人々が、まるでゾンビのようにうろついているだけ。
「これはまた、面妖ですな……」
団長のフロモスさんが、不気味そうに身を震わせた。
まわりを警戒しつつ、大通りを進み――
「あら?」
急に、馬車が止まった。
「うわっ……!?」
私の左斜め前に座っていたフィルカさんが、つんのめるように席から投げ出される。
「おっと、大丈夫かな」
「ああ、すまない」
フィルカさんを受け止めたのは、トゥルスお兄様だった。
席としては向かい側、私の左隣。
『……少し、外を見てまいります。何やら悪い予感がしますので』
私の膝上にいたカジェロが、すっ、と馬車から出ていく。
さらにフェリアさんも、
「ボクも行くよ。アルティ、ワイスタールを手放さないようにね」
どこか緊張した面持ちで後を追った。
『姫さん、いつでも逃げれるようにしておいたほうがいいぜ』
柄を握ると、魔法剣のワイスタールがそう呼びかけてくる。
『もともと妙な気配がしてやがったが、今はピリピリきやがる。
戦場のにおいだ、こいつは』
やめてほしい。
このところ荒事に首を突っ込んでばかりだけど、本来、私は非戦闘員のはずだ。
十歳そこらだし、公爵令嬢だし。
今回の一件が片付いたら、そろそろ平穏な生活に戻りたい。
前世の記憶を取り戻してからずっと忙しかったぶん、年単位でゴロゴロさせてもらおう。
――窓の外を見れば、雪が降っていた。
「え?」
にわかに、戸惑う。
季節は秋のまっただなか。
帝都が白く染まるには、まだ、早すぎる。
『……おいおい、マジかよ』
「どうしたの、ワイスタール」
『気配だ、気配がしやがる』
「誰の?」
『雪といえば決まってるだろ、そりゃ、クリストフの馬鹿――』
「アルティ!」
いつになく切羽詰まった、トゥルス兄様の叫び声。
グイと持ち上げられたかと思うと、宙を舞っていた。
しばしの浮遊感の後に、着地。
「すまないね、乱暴なマネをして」
「大丈夫です。えっと、一体何があったんですか?」
「それは――」
と、トゥルス兄様が言いかけたのと同時――
轟音が響いた。
「なに、これ……?」
呟かずにいられない。
私たちが乗っていた馬車は、巨大な氷柱に押し潰されていた。
『姫さん、構えろ。いまは俺様があんたの命綱だ』
ワイスタールに言われるまま、鞘から剣を抜き放つ。
吹雪は勢いを増し、あたりを昏い灰色で塗り潰していた。
寒い。
けれど、それどころじゃない。
遠くから、ゆっくりと、人影が近づいてくる。
スラリとした長身。
金色で縁取られた、古い軍服。
歩く姿は流麗で、さながら動く芸術のよう。
青白い肌は不健康さを通り越し、凄絶な美、というべき域に至っていた。
「……伯爵」
クリストフ・デュジェンヌ。
通称、“彷徨える伯爵”。
その表情はふだん私に向けるような柔らかいもの、ではない。
瞳も虚ろで、夢遊病患者に似た空気を漂わせている。
「未来の私も、とんだ置き土産を残してくれたものね」
伯爵は一足先に帝都へ潜入していた。
おそらくそこでアルティリアと遭遇し、意思のない人形に変えられてしまったのだろう。
「ミツケタゾ」
抑揚の欠けた声で呟く伯爵。
そこに感情はまったく感じられない。
……続いて紡がれた言葉に、私は耳を疑った。
「アルティリアヨ、ルトネのノタメニ、コノヨカラタイジョウシテモラウ」
ルトネ。
ルトネ・クレーブス。
『ルーンナイトコンチェルト』の主人公であり、アルティリアの生み出した人造生命。
ただ、この世界では私がアルティリアで――ルトネなど作っていない。
ゆえに彼女は存在せず、伯爵がその名を知るはずもないのだ。
なのに、どうして。
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