第五十五話 幕を引くもの 糸を引くもの
「――ここから先は、ボクが引き受けよう」
そう言ってトゥルス兄様は私の前へと歩み出る。
まるで千万の軍を率いる司令官のように。
まるで逃げ惑う民を守る騎士のように。
「先に解説しておくと、『僕自身に関する記憶を消す』ってのは、今からやることの応用みたいなものだよ」
最初にトゥルス兄様はそう口にした。
「派手さにも欠けるし、いまいちヒーローって感じもしない。かといって悪役と言うにはしょっぱい力さ。無粋と言ってもいい。最高の舞台に冷や水をぶっかける、むしろ冷や麦の山で台無しにするような代物だよ」
お兄様は高く右手を掲げた。
親指と中指をくっつけて、パチリと指を鳴らす。
そして、ひどく冷めた調子でこう言い切ったのだ。
「――『人形が喋って動くとか、普通に考えてありえない』よね。『精霊が宿るなんて迷信だよ』」
……えっと。
言われてみれば納得できないでもない。
少なくとも"私"の現代人としての部分はうんうんと頷いている。
普通、人形は喋らないし動かない。精霊なんてものは存在しない。
けれど、ここはどこだろう?
そう、剣と魔法のファンタジー世界だ。
現代人にしてみれば不思議なことも、この世界の住人からすれば常識の範疇におさまるはずなのだ。
実際、人形魔法だって受け入れられていた。
「人形を精霊に宿す」ことを「すごい」と評価されても、「おかしい」と言われたりはしない。
それがこの世界のスタンダード。
けれどトゥルス兄様はこう続ける。
まるで呪文を詠唱するように、朗々と。
「『おかしいのは世の常識で、正しいのはボクの認識』だ。『だから』――『こんなのは作り話だよ』」
再び、指を、パチリ。
スピーチを終えた演者のように一礼する。
同時に。
パタリ、パタリ、パタリ。
近くのものから順番に、人形たちが倒れていく。
騎士も、メイドも、悪魔も、天使も、シロクマも、カメも、カタツムリも、消防車も、戦車も、怪獣も――。
一切の区別なしに動かなくなっていく。
中に宿っているはずの精霊が引き剥がされ、どこか遠い遠い彼方へ追いやられるのを感じた。
「アルティ」
私のほうを振り返るトゥルス兄様。
その表情はやや苦しげだ。魔法……? の反動だろうか。
「カジェロを砦の中に避難させるんだ。ここにいると彼も巻き込まれる。二度と動けなくなってしまうからね。それはとても悲しいことだろう?」
* *
言われたとおりカジェロを抱えて砦に戻る。
それと入れ替わるようにフロモスさんをはじめとした、ウイスプ家の騎士団が出ていった。
剣を佩いてはいるものの、それを動かなくなった人形に突きたてたりはしない。
まるでクリスマスにサンタクロースが抱えているような大袋を抱え、その中にヒョイヒョイと人形たちを回収していった。
気づいてみれば戦いは終わっていた。
トゥルス兄様の演説めいた言葉だけで、あまりに呆気なく。
私はカジェロを近くの椅子に寝かせてから、再び外へ出る。いつのまにか雨は止んでいた。
「人形たちはウィスプ邸へ輸送してくれ! 洗濯して干すのを忘れないように頼むよ! すべてが終わったらうちで働いてもらうか、領内の子供たちにプレゼントするつもりだからね!」
トゥルス兄様はそんな風に指示を出している。
その様子は、私の記憶にある冴えない風貌とも、さっき会議室で見たおしゃべりな姿とも、異なっていた。
ウイスプ家次期当主。
そう呼ぶに相応しい風格を漂わせていた。
おかげでちょっと話しかけるのが躊躇われてしまい、どうしたものかと私がタイミングを見計らっていると。
「やあアルティ、さっきは驚いただろう?」
ふっ、と柔らかい微笑みをこちらに向けてくれる。
「あれがボクの、異形の才だよ。――『否定魔法』。魔法というものを、いや、この世界そのものを否定するろくでもない力さ」
「……すごかった、です。私の人形魔法よりも、ずっと」
「いやいや、ボクはただ否定して壊すことしかできないからね。無粋な卓袱台返しだよ。アルティの人形魔法の方が遙かに素晴らしいし夢がある。どうして兄妹でこうも違う力を持ってしまったんだろうね?」
不思議ですね……と私は答えようとした。
けれどそれは、ぱち、ぱち、ぱち、という拍手に遮られた。
音の源は、さっき人形たちの開けた大穴。
誰かが、何かが、中にいる。
「アルティ、ボクの後ろに。――騎士団、並べ!」
トゥルス兄様が号令を告げると、すぐにあちこちから「はっ!」と頼もしい返事が返ってきた。
全身武装の騎士たちが三人一組の陣形を組んで左右に揃う。
いつでも戦える状況になった、ものの。
「――命じるわ。あなたたちは砦に帰りなさい。整然と、ね」
トンネルの中から、声が聞こえた。
それは声量としては決して大きくないけれど、よく耳に届いた。
「はっ! 承知いたしました!」
騎士たちは、隊列を保ったままの行進で砦に戻っていく。
当主であるトゥルス兄様の命令より、見知らぬ、敵と思しき誰かの言葉に従う。
信じがたい話だった。
けれど、私はそれ以上に別の理由で混乱していた。
なぜなら今の声は、とてつもなく馴染み深いものだったから。
普段から私自身がよく聞いている。
それどころか前世でも耳にした。この世界の原作、『ルーンナイトコンチェルト』で。
すでに雨上がりの空からは雲が去りつつあり、太陽が風を覗かせていた。
トンネルから、一人の女性が現れる。
その髪はまるで黄金を溶かしたかのように煌めき、瞳は深海の青を汲み取ったかのよう。
端正な顔立ち、すっと高い背。
全身から漂う気品が、豪奢な赤いドレスによって何倍にも引き立てられている。
私はこの立ち姿を――立ち絵で見たことがある。
いや、ゲーム中の姿よりもさらに大人びているだろうか。
同性ながらもはっとさせられるよな色香が漂っている。
「お久しぶり、そして、はじめまして。トゥルス兄様、そして、私」
優雅な所作でもって、頭を下げた。
私は彼女を知っている。
彼女は私だ。
やがてそうなるであろうはずの私だ。
ゲーム本編では自殺してしまったためになれなかった私だ。
私と、トゥルス兄様の前に現れたのは。
他ならぬ、私自身。
アルティリア・ウイスプだった。
ただし、ずっと大人びた姿の。
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