第六話
よく寝ました。
どうやら8歳のエルスタットは剣に生きることへの憧れは抱いているものの、まだ剣に斃れる未来を望んではいないようだった。
ゲーム本編に登場した15歳のエルスタットはどこか破滅願望めいたものを抱いていて、展開によっては主人公とともにどこまでも堕ちていくような恋愛模様を見せてくれる。
――おまえを攫ってどこか遠くに逃げてしまいたい。
彼と手に手を取り合っての逃避行ENDは、他と違ってエピローグが描かれない。たぶん、心中したのだろう。
少なくとも今の彼からはそういった退廃的な"におい"はまったく感じられなかった。
「ごめん。こんなことはもうしないよ」
私の知るエルスタットは、わざわざ部屋を訪ねてきて素直に謝ったりなんてしない。せいぜい学院ですれちがった時に『……もう君の前には姿を現さない。夢という名の呪いに憑かれている限り、俺は同じことを繰り返すから』なんて自己完結的なセリフを置いていくだけだ。
「オレにできることがあったら何でも言ってくれ」
本編とはかけ離れたまっすぐな姿に……ちょっと、悪戯心が沸いた。
ゲームでは彼の言動に振り回されまくったし、その復讐(?)ということで。
「……でしたらひとつお願いがあります」
「ひとつでいいのか?」
「ええ、とてもとても大きなお願い事ですから。
私にあなたのいちばん大事なものをください。剣を捨ててください。二度とこんなことが起こらないように」
エルスタットの表情のかわりぶりは連続写真におさめたいくらいだった。
何を想像したのか『大事なものをください』のところで真っ赤になったかと思ったら、急転直下で驚愕に塗りつぶされ、そして――
「剣を……捨てる……」
視線は床に落ちる。
握りしめられた両手はかすかに震えていた。
瞳を潤ませた様子はまるで雨の中に捨てられたチワワのようだった。
たしか前世で二番目の兄がこんな風になったことがあった。お母さんにフィギュアを全部捨てられたときだ。
……からかうつもりが大打撃を与えてしまったらしい。
「ごめんなさい、冗談です」
「よかった」
エルスタットはぱあっと晴れ空のような笑みを浮かべた。
「本当に剣が好きなのですね。今にも泣きそうな顔をしていらっしゃいましたし」
「違う。次は槍にするか斧にするかで悩んでたんだ」
なんという強がり。
まあ、当然か。
女の前で泣いてたまるかっていうプライドもあるだろうし。
というかエルスタットがひたすら平謝りする流れになってるけど、もとはといえば私が騎士団を掌握しきれてなかったから起こったことなわけで……。
「こちらこそ申し訳ありません。今回の件はこちらの不手際、むしろ頭を下げるべきはこちらですわ。どうかお許しください」
「いやいや、気にしないでくれ。いい鍛錬になった。感謝しているくらいだよ」
「ありがとうございます。それにしてもあれだけの数の人形騎士をたった1人で退けられるなんて、エルスタット様はまるで昔話の英雄のようですわね」
「大したことじゃない。向こうは手加減してくれてたしな」
と言いつつもエルスタットは表情を緩ませている。どこか誇らしげだ。
「ところでアルティ、やっぱりまだ怒っているのか?
なんだかよそよそしいというか、前はエルスと呼んでくれてたと思うんだけどな」
んん?
たしかにアルティリアとエルスタットは知り合いって設定だけれど……これが初対面じゃないのか。
会った記憶はないのだけれど……前世のことを思い出した時に抜け落ちてしまったのだろうか。ソリュートお父様とロゼレム公爵は仲のいい友人同士だ。もっと幼いころに子供を紹介しあっていてもおかしくない。
「ああ、ごめんなさいエルス。久しぶりだからうまく距離をつかめなくって」
とりあえず言い繕っておくことにした。
「それで、人形を直すのを手伝ってくれるのかしら」
「ああ。手先は器用なんだ。見てくれ」
エルスは右腕を掲げる。その手首には木彫りのリング。複雑な楔形模様が刻まれている。
「オレが彫ったんだけど、初代皇帝ヴァルト様が身に着けてたやつと同じ模様なんだ」
前世で言うならサッカー部やバスケ部の男子が有名選手とお揃いのバッグやシューズを欲しがるようなものだろうか。ヴァルト様って炎剣帝なんて呼ばれてるし。
えーと。
エルス君これを自慢したいだけだったんじゃないんですか。
とはいえかなりのクオリティだ。数ミリと幅を開けずに平行な溝をいくつも彫っている。しかも腕輪という曲面の上。
これなら人形の1体や2体、任せてもいいかもしれない。
でも。
「ごめんなさいエルス、もう縫い終わってしまったの」
ウエディングドレスを一週間で完成させたことのある私を舐めないでほしい。あれくらい朝飯前だ。
「そうか……でも、それならよかった。こんなことを言うと怒られるかもしれないけれど――」
「なにかしら」
「騎士団の中に明らかに動きが違うヤツがいたんだ。
一度、立ち合いをさせてくれないか」
「……そんな子、いたかしら」
覚えがない。
「たぶん、すごい達人だと思う」
なにそれこわい。
ボツ原稿では人形の手当てを一緒にしているうちに指と指がふれあったりしていました。