第四十七話 ウイスプ領出兵
お忘れかもしれませんが、アルティリアには兄がいます。
いろいろな意味で激動だった初日が終わり、船旅は二日目へ。
カジェロもワイスタールも自重してくれているらしく、甲板から外の眺めを楽しむことができた。
「どこを向いても水平線、なんだか世界にこの船しか存在しないような心地になるよ」
芝居がかったセリフを口にするのはフェリアさん。
三半規管も調子を取り戻したらしく、この日は朝から元気だった。
兄のフィルカさんは、まだ、復帰していない。
「いずれ人類は、この大自然すら支配するだろう……」と壮大な負け惜しみを呟きながらベッドに沈んでいるらしい。
「ところでアルティ、伯爵はちゃんと帝都に入れたのかな?」
「順調にいけばそろそろ到着しているはずよ。……あの伯爵だから、断言できないのは辛いところね」
千年もの時間を生きているせいだろうか、伯爵はいい意味でも悪い意味でもマイペースなところがある。
帝都に向かう途中で何か興味を惹かれるものを見つけたとすれば……散歩の途中でちょうちょを追いかけ始めたネコみたいなことになるかもしれない。気付くと知らない森の中で迷子。伯爵なら十分ありうる。
……結論から言えば、それはただの杞憂に終わった。
船旅三日目。
連絡役の忍者人形いわく、伯爵はちゃんと帝都に入ったらしい。
ただし、それとは別で気になる報せがひとつ。
『官軍がウイスプ領に向けて進軍、ですか……』
カジェロは難しい表情で俯いた。
官軍。
要は帝都の防衛を務め、近隣の貴族が反乱を起こした際には鎮圧に向かう軍隊のことだ。
確かにお父様は大逆者なわけで、ウイスプ領に兵が向かうのは自然な流れかもしれない。
ただ。
「皇族は私たち側の立場みたいだし、兵を動かしたのは宮廷貴族かしら」
『ええ。それは間違いないでしょうが……少々、不可解ですね。
ウイスプ領には数多くの人形が常駐していますし、戦力としてはむしろ帝都を攻めて余りあるほどかと。
貴族たちもそれを分かっているはずですが……』
『逆に言やあ、戦力差をひっくり返せるだけの何かを手に入れたんじゃねえのか?』
ワイスタールなりに思考回路をフル稼働させている証拠だろうか、その刀身はクエスチョンマークを描いていた。
『つうか姫サンの親父が大逆かましてからまだ十日と少しだろ?
たったそれだけの間に軍を動かすとか、あの平和ボケした国にしちゃ早すぎじゃねえか。
コレ、どう考えても裏があるだろ』
「裏って、何か心当たりはあるの?」
『さすがの俺様でもそこまでは分からねえ。ただ、悪い予感がするんだよ。寒気が止まらねえ』
「それは身体が氷でできているせいでしょ」
『だったらいいんだけどな……』
さらに翌日。
新たな情報が、ワイスの予感を裏付けることになった。
『お嬢様、火急の知らせです』
まだ夜も明けきらぬ時間、固い声でカジェロが部屋を訪ねてきた。
『帝都内の忍者人形、ならびに伯爵と一切の連絡が取れなくなったとのことです』
「どういう、こと……?」
『詳細は調査中、と。加えて官軍はデルイル山脈の南側に布陣したとの話です』
「ウイスプ領側は?」
『騎士人形を中心として警戒に当たっています。……山を挟んで睨み合う形ですね』
ここで少し地理の話をさせてほしい。
私の実家、ウイスプ公爵領はメデア帝国の北東に位置する。
国境北部を守る要であり、東には国内最大の貿易都市スピリルを抱えている。
さらに南端ではデルイル山脈を境にして皇帝直轄領と接しており、現在、ここが戦端になりかかっているわけだ。
『大逆者ソリュート・ウイスプの引き渡し。それが官軍側の大義名分になっています』
「お父様はウイスプ領にいらっしゃるの?」
『人形たちも全力で捜索に当たっていますが、現時点では報告が入っておりません。
帝都、あるいは他の貴族領に潜伏している可能性が高いかと……』
「ありがとう、分かったわ」
もはや眠気など吹き飛んでいた。
私は長い金髪をくしゃくしゃと掻き上げながら考える。
現状で打てる最善手は、何か。
……ドクン。
脳内で血管が跳ねる。痛むほどじゃない。一瞬の違和感。
「カジェロ、貴方だけウイスプ領に先行してもらえるかしら。人形たちの指揮を執ってほしいの」
彼が抜けると船の速度が落ちてしまうが、今はそれどころじゃない。
優先順位で考えればしっかりとした指揮官を早急に配置するべきだろう。
『ご安心ください、お嬢様。それには及びません。
むしろわたしはこのまま船を担当する方がよいかと思われます』
どうしてだろう。
人形というのは基本的に天真爛漫なスタンドプレーヤーだ。
軍隊めいた作戦行動とは対極の位置に立っていて、指揮官としての適性でいうと1位がカジェロ、2位がサボテンくん、まあ、ここまではいい。
問題は次だ。ここに越えられない壁が存在している。マンガの人気投票に例えるなら、得票数が4ケタくらい違う。さて、問題の3位が誰かと言えとヴァルフだったりする。お気楽で気ままなあの子ですらマシな方と言えば、人形たちがどういう性格かよくわかるのではないだろうか。
そして現在、サボテンくんはお父様とともに行方不明。ヴァルフも武者修行に出てしまっている。
つまりウイスプ領にいるのは小学生の仲良しグループくらいのリーダーシップすら怪しいメンバーばっかりなわけで、正直、いつ暴発して官軍に殴りかかるか分かったものではない……はずなのだけれど。
『現状、人形たちはデルイル山脈の北部に即席の城塞を築いて様子見に徹しています。
ウイスプ家の騎士たちも共同して動いているようですね』
「騎士って、人形騎士のことじゃないわよね」
『はい、人間の騎士です』
余計に謎が深まった。
人形たちを動かすだけじゃなく、人間にも影響力を及ぼせる誰か。
そんなのはお父様くらいしか思い浮かばないのだけれど……。
『お嬢様、さすがに血の繋がった肉親のことをお忘れになるのは薄情かと』
「肉親って、お父様は行方不明でしょう? お母様はもうずっと昔に亡くなってるし……」
他に誰か居ただろうか?
まさかのここで隠し子登場、とか?
首をひねる私に、カジェロは小さく嘆息し――。
『お嬢様の兄君、トゥルス様です。……たしかに影の薄い方とは思いますが、さすがにその忘れっぷりはどうかと』