第四十四話 その一 旅の終わり、旅の始まり
第三部エピローグ ひどく長くなったので分割
会議のあとすぐ伯爵には帝国へと発ってもらうことにしたのだけれど、その前に少しだけ話をした。
ルイワス邸の玄関を出た先、正門まで続く石畳の上。
ちょっと前までのうだるような暑さはなりをひそめ、秋めいた風が吹き始めている。この世界における四季の巡りはいつだって唐突だ。2年前、お父様からマルガロイドへの留学を提案されたころを思い出す。あの時は秋から冬に移り変わったばかりだった。虫たちのコンサートが急に開かれなくなったものだからひどく驚かされた。
「帝国でお会いするときには春になっているかもしれませんな」
ひどく待ち遠しげに、伯爵が呟いた。
「任を見事に果たし、万全の準備でもって姫をお迎えしましょう」
彼には先だっての情報工作を命じている。すべては腐敗貴族を打倒しようという皇帝の策略、お父様はあえて濡れ衣を被っているだけ、やがて"魔眼の人形姫"アルティリアが現れて600年前の再現を成し遂げる。そういう噂を流布する手筈になっていた。
……もともとの話では伯爵が騎士学校を卒業した時に臣従の可否を決めることになっていて、あと四年は猶予が残されている。
けれど、絶体絶命の危機を救われた上にこれだけの大仕事を命じているのだ。もう、曖昧なままにはしておきたくはない。
伯爵は気にしていないみたいだけれど、それに甘えていたくはなかった。
やがて私たちはルイワス邸の正門に辿り着く。頭上のアーチで羽を休めていた鴉達は、気を利かせてくれたのか静かにその場を飛び立っていった。
「貴方に告げることがあるわ」
伯爵の背は高い。私がつま先立ちで腕を伸ばしてもその顔には手が届かない。
2年前の私はその長身に怯む気持ちを抑えられなかった。
今は違う。
私は不遜に傲慢に、伯爵の目を見上げて――見下す。
「跪かなくていいわ。そのまま、聞きなさい。
貴方は私をラスティユ・ステイブルの生まれ変わりと言ったわね。今もそう思っているの?」
「はい。……むしろその確信を強める次第であります。今日の姫はまさに苛烈にして可憐、一千年前に戻ったかのような心地でした」
――ラスティユ姫を重ねるのではなく、アルティリア・ウイスプを見てほしい。
かつての私だったらそんなふうに反発していただろう。
けれどもう少女めいた感傷とは決別しよう。それが許されるほどこの世界は甘くない。
強い意志で突き進まなければ、誰かの思惑に翻弄されるだけなのだ。
だから私は口にする。
それは肯定にして否定、決別にして受諾の言葉だった。
「クリストフ・デュジェンヌ、貴方の臣従を認め、私の騎士に任ずるわ。
……動かないで、頭なんて下げなくていいわ。同じことを言わせないで頂戴。そのまま聞けといったでしょう。
貴方には亡きラスティユ姫の夢を見続けることを許すわ。
でも、私はそれに付き合うつもりはない。自分がしたいと思うことをするだけ。
幻滅する時が来たなら、何も言わずに去りなさい」
我ながらろくでもない物言いだと自覚していた。
それでも伯爵は離れていかないだろうという確信があった。脳裏には覚えのない記憶が蘇っている。いつかどこかで交わされたラスティユ姫と伯爵のやりとり。
――もう私は塔の中で助けを待っていたお人形さんじゃないわ。安っぽい英雄願望を満たしたいなら姉さま方のところにお行きなさいな。
――そんな姫だからこそ、わたしは命を捧げたいと思うのです。
妄想? それとも私はラスティユ姫だったことがあるのだろうか?
判らない。けれど構わない。私は私、生きていくにはそれだけで十分だ。
「いいわね?」
私の問いかけに。
千年もの間亡き主を求めつづけた伯爵は。
まるで永住の地を見つけた彷徨い人みたいな、泣き笑いじみた表情を浮かべて。
「――姫君の、御心のままに」
そう、答えたのだ。