第三十九話 神話
数百年や数千年という単位では足りないほどの遠い遠い昔――。
天には神々が住まい、地に生きるものたちを眺めたり慈しんだり、時には弄んだりしていたという。
(俺様が言うのもなんだが、神族ってのはわりとどうしようもない連中の集まりだったな。
酒をかっくらった勢いで人間どもの戦争に殴りこんで皆殺しにしてみたり、雨乞いされたのをいいことに大洪水を起こしてみたり、ああ、腹が減った腹が減ったってうるさいヤツがいたから触ったものをぜんぶ砂糖菓子にする力をくれてやったりもしたな。でも人間、やっぱ野菜と肉をちゃんと食わねえと駄目だわ。1年くらいで死んじまったよ)
(ねえワイス、話を聞いてると古の神々って退治されても仕方ない気がするのだけど……)
(ああ、全くもってその通りだ。神族は人族を舐めてたんだよ。あいつらが俺様たちに勝てるわけがねえ、って。
で、余裕ぶっこいてたらとんでもねえことになっちまった。
人族のやつら、異世界に繋がる扉をこじ開けたんだよ。どうか自分たちを救ってくれ、ってな。
そうやって現れたのが腐れ賢者のアスクラスアだ。
真の悪党ってのはああいう奴を言うんだろうな。
あいつはまず自分を召喚した国の王を疑心暗鬼に追い込み、忠臣たちを次々に処刑させた。最後に国王本人を自殺に見せかけてぶっ殺すと、すべての罪を神族になすりつけやがった。
そうしてからぬけぬけと宣言したわけだ。『ひとの心を玩具にする神族を許すわけにはいかない。志あるものは我輩とともに戦え』ってな。
腐れ賢者はあっちこっちで同じ手を使って人族をまとめあげ、神族との戦争を始めたんだ。
10年か20年か、それとも100年か。ちっと記憶が怪しいが、とにかく長ったらしい争いだったな。
これまでだったら神族が速攻で勝ってたんだよ。隕石を落っことすなり地震を起こすなりすりゃいいんだからな。
だがアスクラスアのやつは"賢者の石"をあっちこっちにばらまいたんだ。どういう理屈かわかんねえが、神族はもとの力の半分も発揮できなくなっちまった。おかげで戦線は膠着状態だ。
そのあいだ腐れ賢者は何をしてたかって?
あくどいことだよ。
死に瀕した戦士、両親を亡くした村娘、父親が神族であるために迫害されたガキ――そういった連中の心の隙間に忍び込んでは唆し、破滅するさまを楽しんでやがった。
で、だ。
ある時、急にあいつ1人で最前線に出てきやがった。
神族としては逃せない好機ってやつだった。腐れ賢者さえ倒せばほとんど勝ったようなモンだからな。全戦力をそこに集結させたよ。
……そいつが間違いだった。
腐れ賢者の魔法一発で神族は全滅だ。
なんの冗談かと思ったよ。
あいつはその気になればいつでも戦争を終わらせれたんだ。
腐れ賢者の野郎、何を考えてるんだろうな。
賢い俺様でもさっぱりわかりゃしねえ。
ともあれ、この時に神族は一柱残らずその格を奪われて精霊に落っことされちまった。
ここまではいいか?)
要するに。
神々の暴虐に耐えかねた人間は異世界から救世主を召喚したわけだ。
ところが現れたのは神々と同じくらいタチの悪い賢者アスクラスア、彼のせいで人族と神族は延々相争うことになる。
そして最後は他ならぬ賢者自身の手で幕が引かれた、というところか。
気になる点、もとい確認しておきたいことがあるので尋ねることにする。
(一応訊いておくけど、ワイス、あなたも神族だったのよね)
(おうよ。元々の姿はな、ふわっふわでもっさもさの丸い感じのやつだったんだぜ)
どうしよう、何を言っているのかさっぱりわからない。
でもなんだかワイスが誇らしげにしてるので「すごいのね」と褒めておくことにする。
(へへん。いつか夢の中で見せてやるから楽しみにしてろよ。
よし、話を戻すか)
上機嫌になったのかして弾んだ声でワイスは続ける。
(そもそも俺様たちが神族だったころから精霊ってのは存在してたんだよ。
アルティ、前に赤毛野郎を助けた時のことを思い出してみな。
魂が抜け出しかかってただろ、あれを放っておいたらどうなってたと思う?
肉体と記憶の束縛を離れた魂は、他の魂と溶け合いながら地上を漂う曖昧な存在になる。こいつが本来の精霊ってやつだ。
賢者のやつはそこに神族をぶちこみやがったんだ。
俺様みたいに高い神格を持ってた連中はなんとか自分を保てたが、他は悲惨なもんだったよ。他の精霊と混ぜこぜになって、自分が神族だったことすら忘れちまった。俺様としちゃあ消滅するよりひどい仕打ちだと思ってる。
だからな、アルティ。腐れ賢者ってのは神族の、そしてなにより俺様自身の仇なんだよ。
感謝してるぜ。あいつの顔を蹴っ飛ばした時は最高だった。
つうか惚れたな、うん。
神族に戻れたら結婚……っておいおいカジェロ、そんな睨むなよ。冗談だよ、冗談)
今のカジェロはぬいぐるみの中に戻っている。
表情が動くわけではないので目つきもなにもあったものではないと思うが……昔からの知り合いならではの通じ合い方なのだろうか。
まあいい。
それよりも気になるのは、だ。
(ねえワイス。そもそも賢者は何がしたかったのかしら?
人族と神族を争わせたり、神族を精霊にしたり、それから私や他の人たちを騙そうとしたり――色々とろくでもないことをしでかしてるのは判るのだけれど、目的がまったく見えてこないのよ)
(うーむ。さっきも言ったが賢い俺様といえどちょっと答えれそうにねえ。
カジェロ、おまえさんはどうだ?)
(そうですね……お嬢様の話では、賢者アスクラスアはここと似た世界をいくつも巡っては"アルティリア・ウイスプ"を破滅に追いやっていた、と。ここに何かしら鍵があるのではないでしょうか)
(どっかの世界のアルティリアにべた惚れして、フられた腹いせを別の世界で晴らしてるのかもな)
ヒャヒャヒャとおどけた様子でワイスが笑う。
(ま、腐れ賢者もやっつけたことだし、他の世界のおまえさんがこれ以上ひどい目にあうことはないだろ。
つうかアルティ、もっと自慢していいんだぜ?
俺様たち神族が束になっても敵わなかった相手をたった一人でのしちまったんだからな。すげえよ)
確かに。
あらためて考えてみると、相当とんでもないことを成し遂げてしまったわけだ。
一番の決め手は……たぶん、相手が"賢者"だと知らなかったことだろう。
もし知っていたら「伝説の英雄に敵うはずがない」と諦めていたはずだ。
内面世界の戦闘は強気がすべて、弱気が混じれば敗北する。
向こうを"自称神学者でちゃちな詐欺師のアスクス"と見下しきっていたからこそ勝てたのかもしれない。
なんだか変な感じだ。傲慢が敗因じゃなくて勝因になるなんて。
いや。
本当に私は勝ったのだろうか?
――陳腐だが愉快なものをお渡ししよう。是非、堪能してくれたまえ
賢者は最後の最後にとんでもない呪いを残していった。
"人形姫"である私を根底から覆す、とんでもない置き土産だ。
それはたしかに陳腐かもしれない。
現代日本で触れた物語を振り返れば、こういう展開はちらほらと見られた。この世界の英雄物語でも多用されるシチュエーションだ。
今の私は親指サイズの人形ひとつ満足に動かせない。
不意に流した血があっても精霊を呼ぶことすらできない。
人形魔法を、失っていた。
不幸中の幸いといえば、近距離なら念話が可能なことと、サボテンくんやカジェロ、ワイス、ヴァルフは変わらない忠誠を捧げてくれていることくらいだ。
でも、ウイスプ領に残してきた子たちはどうだろう。
明日、定期の連絡がくることになっている。
別に魔法の力で服従させていたわけではないから大丈夫だとは思う。
それでも、一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
ちなみに、アルティが賢者に勝ててしまった理由は、あくまでも本人の推測に過ぎません。