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第三十七話 目覚め

8/21 若干改稿しています

 あと数秒遅ければ、まちがいなく私は跪いていた。

 相手がどんな思惑で甘い蜜を垂らしているのか考えることなく、みじめったらしく奇跡を乞うていただろう。




 ……寸前で踏みとどまれたのは、"彼女"のおかげだった。




(フェリアさんを帝国に連れていくって話は、どうするんですか)


 その声は間違いなく自分自身のもので、けれど私のものではなかった。


(フィルカさんとの約束もです。ルイワス家のみなさんとのカラアゲパーティ、忘れてないですか。

 "わたし"だったらきっと、まっくろこげになっちゃいます。

 せめて上手なやりかたを教えてからにしてください)


 自分の中にもう1人の自分がいるような感覚。

 直感的に理解していた。

 これは"彼女"だ。

 私の中に溶けたはずの、この世界にもともといたアルティリア・ウイスプ。



 朦朧としていた意識が、すうっと澄み渡っていく。

 自分のすぐそばに誰かがいて、見ていてくれる、支えてくれる。

 気付いたのはほんの小さなこと。

 でも、たったそれだけでぐらついていた心が安定していく。


 そうだ。

 私は自らの蒔いた種を刈り取らねばならない。

 やりたい放題の報いとしてプロフエン大司教から命を狙われるようになったこと。

 伯爵の臣従について曖昧にしていること。

 他にもフィルカさんの気持ちだとか赤毛さんの経過とか、いろんな問題が未解決のままだ。

 それを放り出して別の世界に行ってしまったら、どうなる。

 "彼女"にすべてのしわ寄せを押し付けることになる。

 あまりに、無責任。

 絶対に許されるはずがない。


 それに。

 カジェロやサボテンくんやヴァルフやワイスやソリュートお父様やフェリアさんやフィルカさんや伯爵やエルスやロゼレム公爵――みんなとまだ、私は一緒にいたいのだ。



 だから。

 

 頼らない。

 縋らない。

 宛てにしない。


 施しなんて、要らない。






 * *






 ……教室の風景に、罅が走った。ガラスのように崩れ落ちる。

 まわりに広がっていたのはどこまでも蒼く暗い空間。

 

 そこに1人の男が浮かんでいた。

 青と白の法衣を纏った神学者、アスクス。

 直接顔をあわせるのは初めてだけれど、千年ぶりの怨敵に出会ったかのような心地だった。

 神の遣いを自称する男は口の端をにいっと釣り上げている。

 その形は沈みつつある三日月に似てどこか不吉な印象だった。


「いやはや、見事、見事」


 クツクツ、と。

 傲慢に、不敵に、大胆に、嗤う。


「本来のアルティリア君が出てくるとは思ってもいなかったよ。

 どうやら大司祭のけしかけた暗殺者と人形師が予想外の作用をもたらしたようだな。

 闘争の中で自己を再定義した結果、融合していた"君"と"彼女"が線引きされたわけか。

 興味深い、実に興味深い」


 言葉とは裏腹、口ぶりはひどくどうでもよさげだった。

 青白い瞳は対岸の火事を眺める様に、遠い。


「だが本当に我輩を拒絶して善いのかね?

 あの悪夢はいずれも此処と似た世界で実際に起こった事、つまり君は何千何百もの哀れなアルティリアを見捨てるというわけだ。

 無慈悲の極みだな、我輩といえどそこまでの鬼畜にはなれんよ」


「その口でよく言えたものね。そもそも彼女たちを唆したのはあなたでしょう」


「我輩はあくまで現状を打破しうる手段を与えただけだよ。

 正しく用れば幸福を掴めたはず、破滅に至ったのは己の心の弱さゆえ。

 咎は彼女ら自身に帰されるべきだろう。


 とはいえ我輩にも多少は罪悪感もある。

 ゆえに君の精神世界に入り、救う手立てを示しているのだよ。


 ああ、言いたいことは分かっている。

 なぜ自分でやらないのか、だろう。

 時間と空間を超える秘術はひとの在り方を反映している。

 ただ進むのみ、一度訪れた世界には戻ることは出来んのだ。


 さあ、どうする。

 見て見ぬ振りを決め込むのもいいが、それで君は君を許せるのかね?」



 アスクスは芝居がかった早口で責め立ててくる。




 私は。

 私の答えは。

 もうとっくに、決まっていた。



「そうね、あれが現実なら何とかしてあげたいわ」


「ならば答えは一つだ。さあ、我輩の手を取りたまえ」


「勝手に選択肢を狭めないで頂戴。

 人を誘導しておいて決断の責任を問う。そういうのを小賢しいって言うのよ。

 去った世界には帰れない?

 秘術というからどんなものかと期待していたけど、随分と不自由だこと。

 半端者のあなたにお似合いだわ」


 わざとらしくため息をついてみせる。

 安い挑発だが、乗ってくれるだろうか。


 神学者アスクスを無事に帰すわけにはいかなかった。

 放置すればまた誰かが涙を流すことになる。

 できれば仕留めてしまいたい。



 ここは私の内面世界、地の利はこちらにある。

 数でも優っている。3対1だ。


 まず、"彼女"――本来のアルティリア。

 アスクスの死角にそっと潜んで隙を伺っている。

 おしとやかに見えて実にしたたかだ。

 ……こんな子だったろうか。私が悪影響を与えてしまったかもしれない。

 

 次に、ワイス。

 どうやら現実世界の私は剣をそばに置いて眠っていたらしい。おかげでリンクは保たれている。

 合図一つで召喚できる状態だ。



 わたし自身の実力といえば、現実世界ではとても1人では戦えるものではない。でも内面世界なら別だ。

 カジェロが精神攻撃を得意としていることもあり、これまで何度となく"練習試合"につきあってもらっていた。実力については太鼓判を貰っている。


 ――お嬢様ならば"誘いて惑わす万魔の王"にも互することができるでしょう。


 古い言い伝えに出てくる大精霊にも負けない。

 さすがにお世辞だろうけれど、今はそれを本気にしておこう。

 心と心のぶつかりあいを決するのは思い込みの強さだ。

 私は勝てる。絶対に大丈夫だ。そう信じる。

 まあ、最悪の場合は水精霊のペンダントに逃げ込み、アスクスをこの肉体もろともに粉砕すればいいだけだ。

 

 


 私は神経を逆撫でするような口調で話を続ける。



「本当に彼女らに対して申し訳ないと思うなら、秘術を改良して自分で行くのが筋じゃないかしら。

 反論はいらないわ。

 あなたが器用なのは口先だけ、研究なんていう真っ正面からの頭脳労働なんて荷が重すぎるのは分かってるもの」


 "彼女"やワイスの奇襲に気付かせないため、なにより戦う気にさせるために煽り立てる。

 しかしながらアスクスの表情は揺るがない。

 それでもなお言葉を重ねたのは、私自身を奮い立たせるため。

 沸き立つ心を、魔力へと練り上げる。


「あなたでは私に勝てない。

 慈悲をあげる。惨めな姿を晒す前に跪き、その粗末な秘術を捧げなさい。ちゃちな詐欺師には過ぎたものだわ。

 伯爵か誰かに任せれば、きっと使い勝手のいいものに変わるはずよ」


 拳を握る。私の力は爆発寸前まで昂ぶっていた。

 もう相手の出方なんて関係ない。

 一気呵成に攻め立て蹂躙する。

 今ならそれができる。




 そして――




「ふむ。これでは逃亡の猶予もなく滅されるのみか」



 アスクスは諦めたように目を伏せていた。



「君が興奮のあまり自分を見失う隙を待っていたのだがね。

 こうもうまく己を保たれては付け入ることも出来ん。

 我輩の負けだ、認めよう」



 なんのためらいもなく、むしろ小馬鹿にするような軽やかさでもってその場に膝を着く。



「誇るがいい。君は我輩という試練を乗り越えた。

 今より一人の従僕として仕えることをーー」




「仕えなくて、いいわ」




 どうせろくでもない腹づもりで降伏を偽っているに決まっている。

 そうでなくても無事に済ます気はなかった。


 私はアスクスの頭を踏みつける。

 踵から魔力を流し込んで動きを封じる。

 手で触れるのも、汚らわしい。

 顎先を蹴り飛ばし、一歩飛びのいて距離をとる。


 力を解放した。



 光芒。

 超新星爆発のような。

 白銀の巨大な槍が、隕石の如き速度でもって遥か彼方より飛来する。


 審判のように。

 あるいは鉄槌のように。


その切っ先は狙い違わずアスクスへ。


 刺し貫き――押し潰す。


荒れ狂うエネルギーは圧倒的という言葉を超えて絶対的というべきもので、もはや主たる私ですら制御しきれないほどだった。


 弾き出される。

 内面世界から、現実世界へと。


 その、間際。

 祟りのような呪いのような、あまりに不吉すぎる嘲笑が響き渡った。

 


「流石に容赦がない。まるでもう1人の"女王"ではないか。

 ようこそ、そして、おめでとう。

 冥府魔道の先達として君を心から祝福しよう。


 我輩は深手を負いすぎた。

 永き眠りにつかねばならんのが残念この上ない。


 せめて置き土産をしていこう。

 陳腐だが愉快なものだ。是非、堪能してくれたまえ――」




 

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