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第三十六話 偽りの救済

本編に戻ります。アルティリア視点。

フィルカが賢者を取り逃がした後あたり。

 人形師の襲撃を退けたあと、私は泥のように眠りこけてしまっていた。

 あとしまつをカジェロと伯爵に丸投げしての気楽な身分……というのは表面上の話、たしかに肉体はぐーすかぐーのおやすみ姫だったけれど、意識の方はあいかわらずの大忙しだったのだ。

 



 不思議な夢を、見た。




 その中で私は"わたし"だった。

 現代日本での記憶を持たない、原作通りのアルティリア。

 彼女はひたむきでまっすぐで、けれども進んだ先に待ち受けていたのは悲しすぎる未来だった。

 ルトネ――原作主人公の姿は、あるいは手にしていたかもしれない理想の自分そのもの。

 それを目の前にして"わたし"が冷静でいられるはずもない。行き場のない感情を持て余し、捩じれ歪んで崩れてゆく。数少ない友人を失って学院では孤立し、婚約者のエルスタットから見放される。さらに示し合わせたかのようにソリュートお父様が暗殺され、アルティリアはどうしようもなく追い詰められてしまった。

 押し潰されそうな絶望の中、彼女はひとつの選択をしてしまう。





 ――ルトネを殺して自分も死ぬ。


 "わたし"はお父様の形見の剣を手に、「仲直りしましょう」の手紙で呼び出した場所へと赴く。人通りの少ない新月の日、学院の裏庭。

 ルトネの姿はあった。数年ぶりに訪れた和解の機会に心からの微笑みを浮かべている。慈愛の精霊が宿ったかのようなやわらかな表情。

「誰も見ていないですし、大丈夫ですよね」

 ルトネは首の青白いペンダントを外す。姿と声にかけられた魔法がとける。

 かつて"わたし"たちは瓜二つ、鏡合わせの存在だった。

 けれど今はもう、悲しい位にかけはなれてしまっている。

 暖かな人の輪の中心にいるルトネはますます美しさを増し、月のない夜だというのにあたりを照らすかのようだった。

 "わたし"は、みじめなものだ。食事だってもう何か月もろくにとっていない。顔は痩せこけ、髪だってばさばさだ。きっと幽鬼じみた姿に違いない。

 羨望と、嫉妬と、よくわからないぐちゃぐちゃした感情に突き動かされて剣を抜く。

 やり場のない哀しみを叩きつけるように刃を振り下ろした。



 殺す、つもりだった。

 人を信じ切ったあの聖女みたいな顔を砕いてやりたかった。



 けれど切っ先は逸れて地面に突き立ち、その勢いで剣は折れてしまっていた。



 逃げるなり抗うなりしてくれていたら、きっとうまくいっていた。

 けれど。 

 ルトネはそっと微笑みを浮かべ、すべてを受け入れる様に両手を伸ばしていた。

 そのせいで、ためらってしまった。

 12歳の冬の終わり。

 身の不幸をルトネに押し付けようとしてできなかったあの日と同じだった。


 ああ、もう、まったく。

 "わたし"の人生は、なんだったのだろう。

 間違い。

 間違いしかない。

 人形魔法を捨てたこと、ルトネを生み出してしまったこと――数え上げればきりがない。

 もうひとつの可能性に思いを馳せる。

 果断にして壮烈な、人形魔法を選んだ"ワタシ"。

 きっとあちらこそが正解だったのだ。


 ――次に生まれてくるときは、もうすこしましな選択ができますように。


 "わたし"は中ほどで折れた剣をもう一度強く握る。残った刃を首にあてた。

 切り裂く。

 ルトネに手を下すことにくらべれば、はるかに簡単だった。

 自分自身のことだからかもしれない。

 なら。

 ルトネに躊躇を覚えてしまうのは、どうして?


 簡単な話だ。


 どうしてこれまでずっと認められなかったのだろう。

 "わたし"とルトネは異なる人間なのだ。

 そんな、とても当たり前の、事実。


 今ならルトネと友達に戻れるかもしれない。

 けれどもう何もかも遅すぎる。

 雪が降っていた。ひどく寒い夜だった。

 けれどもう、風の冷たさを感じない。

 何も聞こえない。

 見えない。


 終わる。





 * *




 

 はじめはもう1人のアルティリアの人生を眺めているような感じだったけれど、気づけばいつしか"わたし"と一体化していた。その苦しみが、嘆きが、私のもののように感じられた。"わたし"が自らの命を絶った時は同じ思いだった。

 やっとこれで生き地獄から解放される、と。


 甘かった。


「編入生のルトネと申します。平民の出ですがよろしくお願いいたします」


 15歳の春。

 時間が巻き戻っていた。原作ゲームで言うなら冒頭にあたるシーンだ。

 "わたし"の心の動きを見るに、私の意識だけが時間を遡ったようだった。


 悲劇の、再演。


 少しばかり異なる点はあった。

 ルトネと恋仲になる男性だ。エルスタット、彷徨える伯爵、フィルカ、それから他の2人の攻略対象――けれど、行き着く先はすべて同じ。

 アルティリア・ウイスプは没落と孤独の中で死に沈む。


 何度も、何度も。

 私は"わたし"が壊れゆくさまを見せつけられる。




 100年か、200年か。

 



 無間に続くかのような業苦の日々の涯て。

 それは福音のように差し伸べられた。



(これが本来のアルティリア・ウイスプが辿った運命だ。

 悲しいだろう。痛々しいだろう。

 "君"の気持ちはわかる。我輩も同じ思いだとも)


 囁きは甘く這い寄るようで、それに耳を貸している間は他のすべてを忘れることができた。


(憐憫、悲嘆、哀惜。

 行き場のない感情は渦を巻くばかり、何もできずに眺めているだけで悔しくはないのかね?

 そんなはずはあるまい。

 我輩は理解しているよ、"君"がどういう人間なのかをね。

 安心したまえ。これより道を示そうではないか。


 この世界のアルティリアならばもう大丈夫だろう。

 人形魔法の粋を極め、さらには錬金術までも学び取った。何があろうとひとりで生きていけよう。

 ガレット宮殿の一件なら心配するまでもない。君が助けた女性はマルガロイドの王女だ。カジェロ君も伯爵もうまくやってくれた。

 いまやアルティリア・ウイスプはガレット宮殿の危機を救った英雄だ。揺らぐことのない名声を手に入れた。このままここを安住の地とすればいいだろう。


 だから、だ。

 そろそろ次へ行きたまえ。

 7歳の半ばで人形魔法を手にしたアルティリアを"君"は救った。

 神学者アスクスに惑わされそうな12歳のアルティリア、ルトネと名を変えた人造生命(ホムンクルス)と再会した15歳のアルティリア――すべて同じように幸福へと導いてやれば善い。

 それこそが"君"の使命なのではないかね?

 さあ、我輩に祈りたまえ。乞い願いたまえ。

 時間と空間を超える秘術を授けようではないか)




 この声は何者だろうか、とか。

 "私"とアルティリア・ウイスプが別の存在であることをどうして知っているのだろう、とか。

 疑問はいくつもあったけれど、脳の奥がじいんと痺れてうまく考えることができなかった。

 

(どうしたのだね? 早く決めたまえ。我輩の気が変わらぬうちにな)


 一言一言が響くたび、とろける様な心地よさが広がって思考が曖昧になっていく。

 頭の中に直接麻酔を注がれたような感覚。










 たぶん、このままなら私はすべてをゆだねてしまっていた。

 この声が神学者アスクスと同じものと気付くこともなく、いいように遊ばれてしまっていたことだろう。










 けれど、そうならなかった。






 私を引き止めてくれるものがあった。



 それは今日までの自分の行いに対する責任感であり、カジェロやヴァルフやサボテンくん、フェリアさんやソリュートお父様といった皆との絆であり、そして――




 かつて"私"と混ざり合って溶けたはずの、この世界の"わたし"の叫びだった。


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