別編その二 12歳の春と、15歳の春
引き続き原作アルティの物語です。
神学者アスクス様は応接間で静かに目を閉じて待っていらっしゃいました。
その姿はまるで宗教画のような崇高さを帯びていて、わたしは思わずひざまづいて祈りをささげそうになってしまいました。
「久しいな、アルティリア君」
ゆっくりとアスクス様の瞼が開かれました。その奥の瞳は深い青色を湛えていて、ふとすると吸い込まれてしまいそうな気すらしてきます。
「前にもまして可憐になった。3年という歳月はどうやら君という花を美しく育てたようだ。舞踏会でも話題の的になっているのではないのかね?」
悪気などないはずの褒め言葉に心がちくりと痛みます。
ここ最近はパーティの誘いもすべて断って魔法の練習に取り組んでいたからです。
けれど暗い顔をお客様に見せるわけにはいきません、わたしは微笑みを作って答えます。
「他にも素敵な方がたくさんいらっしゃいますし、わたしなんてとてもとても……。アスクス様はお変わりないようでなによりです」
「たしかに変わっていないが、変わっているよ。我輩は変わり者だからな」
「はあ……」
言葉遊びなのでしょうが全く意味がわかりません。
まあ、アスクス様は言えただけで満足という様子ですからよしとしましょう。
「つい先月まではマルガロイド王国にいたのだがね、ひどく息苦しい土地だったな。人々はみなぎらついた目をして殺気立っていた。まるで狩りを前にした獣のようだったよ。商人たちは"悲観王"レレオルが海を越えて帝国に攻め入るつもりだと噂している。その通りかもしれん」
「恐ろしい話ですね……」
「このままの帝国ではいいように蹂躙されるだけだろう。
誰かしら力あるものが貴族たちをまとめあげねばならんだろうな」
今の帝国のありかたについてはわたしなりに思うところがあります。
もうずっと昔から帝国は帝国としての体をなしていません。各貴族を君主とする小さな国々が乱立しているような状況になっています。
頂点には皇帝が立っていることになっていますが、実際は力なんて何も持っていません。権威を都合よく利用されているだけなのです。こんな状況でマルガロイド王国と戦争になってしまったなら、きっと――。
ですが、わたしは自分の考えを口に出したりはしません。女の身で政治を語るだなんて出過ぎた真似だからです。
殿方を癒す蝶であり花であること。それが貴族の女に与えられた義務であり権利ではないでしょうか。
「ふむ、ひどく退屈な話をしてしまったようだ。すまないな。
そろそろ本題に入るとしよう。
アルティリア君、魔法はどれくらい身についたかね」
「えっと、学院でいうと3年生のなかばくらいまででしょうか」
つい、願望混じりの見栄を張ってしまいました。
本当のところは2年生くらいの腕前に過ぎません。
「成程、成程。容易ではないようだな。
だが大丈夫だ。
実は先日、我輩の夢に主神ロキソス様が現れてな、そして君を導くよう仰せになったのだ」
わたしは「あっ」と声をあげずにいられませんでした。
やっぱり神様はきちんと見てくれていたのです。
人形魔法という呪いを捨て去った努力を認めてくださったに違いありません。
「まずはこれを見てもらおう。南のドエルグ辺境伯領で手に入れた魔法の品だ」
アスクス様がテーブルの上に置いたのは、その瞳と同じ青色の水晶玉でした。
大きさは赤ちゃんの頭ほど、表面はつややかで光沢を放っています。
今にも転がっていきそうなのにピタリとその場にとどまっています。不思議です。魔道具だからでしょうか。
「もっと顔を近付けたまえ。
仮に君が人形魔法を受容していたらどうなっていたか。
有り得たかもしれない可能性を覗くことができるだろう」
* *
後から振り返ってみると。
ここでわたしは断るべきだったのです。選ばなかった未来に興味なんてない、と。
それができなかったのは心のどこかに後悔が残っていたから、人形魔法に未練を残していたせいかもしれません。
わたしは操られるように水晶玉へと引き寄せられていきました。
* *
視界が青一色に染まったかと思うと、頭の中にたくさんのものが流れ込んできました。
それはもう1人のアルティリア・ウイスプ、人形魔法を選んだ"ワタシ"の物語です。
"ワタシ"はもともと人形魔法師としておとなしく暮らしたいと考えていました。
ですが大きすぎる力を危険視され、何度となく命を狙われるようになります。
そして安住の地を求めてあちこちを転々とするうち、ある結論に辿り着いてしまうのです。
「迷信と身分制度に縛られた帝国。
早すぎる結婚と重すぎる地位で足枷をかけるマルガロイド王国。
異常な長寿と絶対的な年功序列で硬直しきったコアーグラ共和国。
他の国だって似たようなものだったわ。みんな若いうちに可能性を潰されて、その怨念をさらに若い人で晴らしているの。
……こんなの、絶対に間違ってる」
"ワタシ"のタガが外れ、"冥府魔道の女王"アルティリアが生まれた瞬間でした。
彼女は不死にして不滅の精霊人形を率い、世界各国を次々に攻め落としていきます。
圧倒的な蹂躙劇でした。
奇策も陰謀も必要とせず、ひだすら無尽無限の物量でもって踏み潰していきます。
そうやって地上のすべてを平らに均したあと、自分の望む世界を作りあげたのです。
"ワタシ"の生き方はあまりに苛烈で過激で、けれど綺羅星のように輝いていました。
これが別の誰かだったなら、きっと冷静でいられたでしょう。
他人は他人、わたしはわたし。いつもの割り切りができたはずでした。
けれど。
"ワタシ"はありえたかもしれないわたしなのです。
かたや世界を手にした革命女王、かたや劣等感に塗れた公爵令嬢。
何が違ったのかは言うまでもありません。
心臓を抉り取られたような心地でした。
普通の貴族として生きていく。幼い日の決断は間違っていたのでしょうか……。
「そもそも一般魔法も満足に扱えないというのに、普通の貴族も何もあったものではないだろう?」
どこからか、低く這うような囁き声が響いてきます。
「君はよく頑張ってきた。我輩は知っているよ。
同年代の少女たちがきらびやかなドレスでパーティに繰り出すのを横目に、ずっと魔法に勤しんできたのだろう。
学院の2年生どまり? 考え方を変えたまえ、逆なのだ。
非才の身ながらよくもここまで辿り着けたものだ。
"冥府魔道の女王"と同じ鋼の意思を感じるよ。
だからこそ告知しよう。引導を渡そう。
君自身も薄々気づいていることだろうが、我輩が代わって明確な言葉にしよう。
アルティリア・ウイスプ。
君は絶対に"普通の貴族"になれない。
どれだけの努力を重ねようが、これ以上魔法を使えるようにはなれん」
それなら。
それなら、それなら、それなら。
それならば、今日までの。
今日までの、わたしは。
わたしは、いったい、なんだったのでしょうか。
「だが安心したまえ。
主神ロキソス様は救済を用意してくださっている。
人形魔法という誘惑を克服した君には転生の恩寵が与えられた。
これより我輩は人造生命の製法を教授しよう。設計図も材料も用意してある。
人造生命は君と同じ鋼の精神を宿し、わずかな間で赤子から君と瓜二つに育つ。
異なるのは、そう、一般魔法について並々ならぬ素養を有している点だけだ。
そこに君の魂を移し換える。
新しい身体でもってこれまでどおりアルティリア・ウイスプとして生きるがいい。
喜びたまえ。
理想の自分に変わることのできる唯一無二の機会、正真正銘の奇跡が舞い降りたのだよ。
ああ、そうだ。
ひとつ注意しておくがいい。
人造生命を誰にも会わせぬことだ。
他者の影響が混じれば魂の移動はうまくいかん。
念のためだ。人目から隠すための魔道具を渡しておこうではないか」
* *
アスクス様の言う通り、人造生命はあっというまに大きくなりました。
赤ちゃんだったのは半刻ほどのこと、すぐに立って歩きだし、夜にはすっかり言葉を覚えていました。
彼女との関係は不思議なものでした。
親子のような姉妹のような、それでいて親友のような。
魔法に打ち込んでばかりで友達のいなかったわたしにとって、彼女はかけがえのない存在になっていきました。
誰の邪魔も入らない2人きりの世界で、顔も声もそっくりのわたしたちは着せ替えっこやお手玉をして遊びました。
やがて桜が芽吹き始めるころ、アスクス様は再びウイスプ邸を訪れました。わたしと彼女の魂を取り換えるためです。
「心を落ち着かせるのだ。魂の水面に波が立てば、転生の儀式は失敗に終わる。ゆめゆめ忘れんようにな」
アスクス様は事前にそう忠告してくださいました。
そして。
これから何が起こるか知らされたとき、けれど彼女は微笑んでそれを受け入れました。
「しあわせに、なってね。
ずっと、ともだちだよ」
その表情は聖母のような慈愛に満ち満ちていて、同じわたしの顔とは思えなくって――。
わたしは迷いを抱いてしまいました。
いえ。
今日まで眼を逸らし続けていた罪を直視してしまったのです
――わたしは自分の不幸を大切なひとに押し付けようとしている。
気がついたとき、わたしは自分のベッドで眠っていました。
あの子もアスクス様も見当たりません。
魔法は……相変わらず使えないままでした。
悪い夢を見ていた、と。
そう信じることにしました。
自分は自分のまま生きていくしかないのです。
転生なんて、あるわけない。
入学してからも夜な夜なひとりで練習を続けました。
成果は、ありました。
少しずつですが3年生の魔法も習得できたのです。
――どれだけの努力を重ねようが、これ以上魔法を使えるようにはなれん。
耳にこびりついた、アスクス様の言葉。
あの方が嘘を吐くとは思えません。
やはり幻かなにかだったのでしょう。
やがて時は流れ、4年生に進級した、最初の日。
「編入生のルトネと申します。平民の出ですがよろしくお願いいたします」
魔道具によるものでしょうか、声も顔も名前も別のものになっていました。
けれど目と目が会った瞬間、直感的にわかってしまったのです。
彼女だ、と。
なりたかった自分が、そこにいました。
息をするように魔法を使いこなし、明るく前向きで誰からも好かれる理想の存在。
3年前にわたしが手に入れるはずだったその場所に、彼女が立っていたのです。
他人は他人、わたしはわたし。
割り切れるわけがありません。
だって。
彼女はわたし、わたしは彼女なのですから。
以上、原作ゲームの冒頭部に至るまでのアルティの話でした。
私:本編アルティ
わたし:原作アルティ
ワタシ(冥府魔道の女王):???(※本編アルティとは別人)
お分かりとは思いますがルトネは原作主人公です。