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第三十五話 その二 天才の決断

 ぱち、ぱち、ぱち。

 乾いた拍手はやけに近い。


 いつの間に現れたのか。

 鉄格子を挟んで手が届きそうなところにアスクラスア氏は立っていた。

 暗闇が支配する洞窟の中、彼の姿だけが異様なまでに鮮明だった。

 洗い立ての陶器じみたつややかな肌と、青白い燐光を纏った長い髪。

 同じ男の俺ですら息を呑むほどの美しさだった。


「心の壁を溶かす権能。邪な囁きで染め上げるための力とばかり思っていたが、なるほど用い方ひとつで善にもなるということか。覚えておこう」


 カジェロにとっても旧知の相手なのだろうか、しかし決して良好な関係ではないらしい。胸のあたりを刺々しくざわついた感覚が覆った。


「久しいな、フィルカ君。父上は壮健かね」


「ええ、まあ」


 俺は戸惑っていた。

 先の口ぶりからするにアスクラスア氏は"相乗り"に気付いている。

 そもそも。

 ここにいるということは、誘拐犯の一味ということだろうか。


「ああ、その通り、その通り。全くもって君の想像は正しい」


 すべてを見透かしたように頷くアスクラスア氏。


「とはいえこの組織は沈む船、一足先に抜けさせてもらうがね。

 君達の力を持ってすれば構成員のことごとくを無力化し、首領たるプロフエン大司祭を捕縛することなどたやすかろう。

 ……カジェロ君、そういきりたたずとも善い。

 今はひととひとが言葉を交わしているのだ。怪物は黙っていたまえよ」


 と。

 アスクラスア氏の青い瞳が金色に塗り替わる。

 その途端、俺の中に"相乗り"していたカジェロの存在がやけに淡くなっていた。


「安心したまえ。少し静かにして貰っただけだ。

 我輩は君達を害するつもりは一切ない。

 むしろその逆、降伏を申し出ようとしているのだよ。

 アルティリア・ウイスプ。彼女はもはや面白半分で搔き回せる存在ではなくなってしまった。平身低頭して許しを乞う他あるまい。

 今の我輩は惨めな敗残の身、せめて心証をよくしようと"お詫びの品"を携えて来たのだ。受け取って頂きたい」


 アスクラスア氏は言うが早いが俺の手を握っていた。

 冷たい感覚が腕から脳にのぼり、弾ける。


 脳裏に浮かぶのはいくつもの錬金式、これは、まさか……。


人造生命(ホムンクルス)の設計図だよ。

 本来なら君が十年後に発見することになっているのだがね、"お詫びの品"としては申し分ないだろう。ぜひこれを足掛かりとして更なる先へ進んで貰いたい」


 満足げな笑みを浮かべるアスクラスア。

 俺はその横面を殴りつけたい衝動に駆られていた。


 なにが『受け取って頂きたい』だ。ろくでもないものを押し付けられてしまった。 今後の楽しみを奪われたようなものだ。

 俺のような人間にとって結果などどうでもいい。過程において生まれる着想こそが重要なのだ。愚にもつかない思い付きを取捨選択し、誰の想像も及ばない発見や発明の域にまで育て上げる。その中でまた新たな着想を得る。これこそが生の喜びだというのに。


 だが、俺の気も知らずにアスクラスアは詩でも吟じるような軽やかさで言葉を続ける。


「そうだ、"誘いて惑わす万魔の王"に倣って我輩もひとつ君を導くとしようか。

 行き先が善か悪かは知らんがね」


 その口元が歪んだ笑みを浮かべる。蛇が這いずる様子を思い起こさせた。

 怖気が、走った。


「少々心を覗かせて貰ったが、何故『君の人形になりたい』なのかね?

 暖かい家庭、絆、愛情――それらを欲するなら『君と結婚したい』で構わないだろうに。

 ああ、答えなくとも好い。

 親切な我輩が代わりに言葉にしよう。これも"お詫びの品"だ。


 君はその明晰な頭脳で無意識のうちに理解してしまっているのだろう。



 アルティリア・ウイスプは人形姫としての力と引き換えに、その生から恋愛の二文字を排除してしまっている。



『君と結婚したい』は永遠に叶い得ない。

 ゆえに『君の人形になりたい』なのだろう?


 予言しておこう。

 君の恋は失意に終わる。

 必ずだ。

 その瞬間から新たな欲望に苛まれるだろう。

 今以上に歪んだ感情に苦しめられる。


 だが安心したまえ。

 

 先の設計図が君を救う。

 人形姫としての力を持たず、ゆえに恋と愛を知るもう1人のアルティリア・ウイスプを生み出すことができるだろう。


 彼女と同じ気高き鋼の精神を有する理想の妻だ」


 



 ……この抑えがたい感情を何と呼べばいいだろう。

 

 憤怒や激昂という言葉では物足りない。

 目の前で囀るこの存在を全否定し、叩き潰し、初めから居なかったことにしてしまいたい。同じ空気を吸うのも耐えられないという言い回しがあるが、同じ瞬間を生きていることそのものに嫌悪感を覚えていた。


「馬鹿にするなよ、アスクラスア。


 恋が失意に終わる? 理想の女を作ればいい?


 くだらない、ああ、くだらない。


 アルティリアの世界に恋が欠けているのなら、もたらせばいいだけだ。

 今だかつて存在しなかったものを存在せしめる、心躍る挑戦だろう。


 まして、自分に都合のいい女を創造すればいいなどとは笑わせてくれる。

 失恋ひとつ正面から受け止められずして、何が天才だ、何が男だ。


 貴様との縁も今日限りだ。8年前の助言には礼を言うが、もう俺には関わらないで貰おう。去ね、さもなくば無事では済まさん」





 だが。

 アスクラスアは俺の言葉など聞いていないかのように肩をすくめると。


「だが君はすでに設計図を手に入れてしまった。

 どれだけ強がったところで追い詰められれば縋るものだ。

 吠えたまえ、吠えたまえ。

 それだけ後の懊悩は深く美味になる。精々我輩を愉しませて呉れたまえ」


 口の端をわずかに釣り上げて、嘲笑してみせた。


「そうだな」


 俺も負けじと歯を見せた。


「人の心は弱い。あるいは前言を翻して設計図に救いを求めるかもしれない。

 だから、破棄させてもらう。人生の楽しみを取り戻すためにもな」


「ほう、どうするというのだね?

 すでに設計図は君の脳髄に刻んだ。簡単に捨てられるものではなかろう」


「……ひとを舐めるな、愚者」


 腕を十字に組んで錬金炉を起動する。

 

「お前の渡してくれた設計図だが、分析はあらかた終わった。

 早いだろう、俺は天才だからな。

 人間の脳とはこういう仕組みだったのだな。興味深かったよ。おかげで素晴らしい着想を得た。記憶のいじり方だ」


 左手を側頭部にあてた。

 失敗すれば廃人になるかもしれない。

 だが恐れるものか。その時はその時だ。楽しもう。


 ――錬成:対象;自らの脳,消去;情報(設計図について)


 3、2、1、0。


 ついでに他の思い出も巻き添えにしたかもしれないが、まあ、いい。

 概ね上手くいった。満足のいく結果だ。


「これで俺はもう設計図のことを思い出せないだろう。

 ああ、無駄な努力はやめた方がいい。

 防壁の構築も並行して済ませている」


「それは興味深い。ひとつ試してみるとしよう」


 アスクラスアは俺の右手を強く握りなおした。

 神経が凍りつくような感覚が頭へと迫り、けれど、途中ではじけて消える。

「なるほど、こけおどしではなかったのだな。

 ……大したものだ」


 俺は眼を疑った。

 アスクラスアはやけに満足げに頷くと、これまでとはうってかわった真摯な顔つきになっていたからだ。


「謝罪しよう。フィルカ・ルイワス。

 誇るがいい。

 降伏を偽った我輩に君は勝利したのだ。

 "毒"の悉くを克服してみせるとは恐れいった。

 さらばだ、もう会うこともあるまい」


「何を言っているんだ。

 お前みたいな危険人物、逃がすわけがないだろう」


 俺の右手は奴に掴まれている――奴に繋がっている。

 絶好の、機会だ。

 アスクラスアと地面を対象として錬成を発動する。

 融合。

 ここを一歩も離れられないようにするつもりだった。

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