第三十四話 二心同体
十七話ぶりですが「俺も、君の人形になりたい」のフィルカ・ルイワスの話、主に彼視点です。
※ 前話の「* *」以降を改稿しています。今回の話に直接つながるため、お手数ですがそちらもお読みいただけると幸いです。
建国祭を7日後に控えたこの日、王都マルガレアは混迷と無秩序の嵐に呑み込まれていた。
無銭飲食に強盗殺人、サーカス団の象の暴走――数えあげればきりがないほどのトラブルが巻き起こり、しかも国の象徴たるガレット宮殿は一千を超える絡繰人形によって襲撃を受けていたのである。情報は錯綜し、当事者たちは場当たり的な対応に終始する他なかった。
当然ながら誰にも気付かれることなく悲劇的な結末を迎えた事件も存在し、それらと比較すれば"これ"はまだ幸福なほうだっただろう。認識されるのは遅かったとはいえ、手遅れにはならなかったのだ。
――若き天才錬金術師、フィルカ・ルイワスの誘拐である。
* *
……まるで脳みそをもうひとつ頭の中に押し込められたような圧迫感とともに俺は目を覚ました。
床と壁は冷たい石に覆われ、目の前には不愛想な鉄格子が立ちはだかっていた。
どういうことだ。投獄されるようなことをしでかした覚えは、ない。
記憶を辿る。
錬金術師協会の役員会に出席するため、朝早くから馬車に飛び乗った。
俺が5年前に発明した"万能ばね"のおかげで乗り心地はとても快適だった。ガタゴトと揺られるうちに瞼が降りていた。その間に何が起こったのだろう、目を開けば地下牢というありさまだった。
「おい、誰かいないのか!」
しばらく待ってみたが、返事はなかった。
ふむ。
以前、王都の牢獄を見学したときのことを思い出してみようか。
こんな粗末な部屋だったか?
違う。下手な安宿よりも立派なつくりをしていた。
寒い冬になるとくだらない犯罪をしでかして入獄したがる浮浪者が押し寄せてくるほどだ。
看守がいないのは不自然ではないか?
その通り。目の届くところに1人はいるはずだ。
なにより、ひとが眠りこけている間に牢に繋ぐというのはマルガロイドの法に反している。
状況証拠からすると逮捕の可能性は低い。
どこぞの犯罪組織に拉致されたと考えるべきだろう。
俺は数多くの発見や発明を成し遂げてきた。この脳髄を独占したがる奴はいくらでもいる。
やがてこんな日がくることは覚悟していたが、実際その通りになってみると……案外、心が躍るものだ。もしかすると俺は誘拐されたがっていたのかもしれない。
よし、今こそあれを使うべき時だ。
俺は袖をまくり、両腕に魔力を流し込んだ。
特殊な染料で彫られた刺青が淡く輝く。これはある種の方陣になっていて、腕を十字に組むことによって発動する。両手を一時的に高出力の錬金炉に変えてしまうのだ。
何者かに攫われた時の備えとして仕込んでおいたのだが、役に立つ機会がやってきて本当によかった。ひどい火傷を負ってしまうのが難点だが、まあ、そのへんの水で霊薬を錬成してしまえば問題ない。
鉄格子を分解して脱獄、目についたものを武器に変えつつ敵に一泡吹かせる。痛快な計画だ。
(お待ちください。切り札は最後まで取っておくべきかと)
俺を押し留めたのは、胸の中から響く声だった。
静まり返った冬の海のように平坦で、けれど抗いがたく力強い。
聞き覚えがある。
守護天使のごとくアルティに仕えているあの人形――カジェロだ。
(近くにいるのか?)
念話を飛ばしてみる。
最近は使い慣れてきて、話し相手の居場所を探知できるようにも……いや、やっぱり無理だ。傲慢が過ぎたようだ。
出てきたのは奇妙な結果、これを信じるなら俺とカジェロは寸分変わらぬ場所に立っていることになる。だが姿はどこにも見つけられない。
(いいえフィルカ様、何も間違ってはおりません)
俺は右手の親指で自分の額をはじいていた。疑問が生まれた時の癖だ。
カジェロからの念話は何かがおかしかった。
いつものような、"外"から入りこんでくる感覚とは異なっていた。
自分自身の"内"から湧き上がってくるようだ。
(まさかとは思うが、カジェロ――)
(お察しの通りかと。
主に頂戴した布の身体を抜け出し、フィルカ様の肉体に"相席"させていただいております)
カジェロの説明では――
俺が王都を離れた後、アルティは2度も命を狙われたらしい。
首謀者はなかなか狡猾で、召喚魔法でもってカジェロを引き離そうと試みたようだ。
(振り切ろうと思えば振り切ることもできました。しかしながら大きな問題が明らかになったのです)
生贄が捧げられていたのだ。
(フィルカ様、他ならぬ貴方です)
馬車から地下牢までの間にそんな大事が挟まっていたなど誰が思いつけるだろうか。
我ながらよく目を覚まさなかったものだ。
毒でも盛られていたのかもしれない。
(つまりカジェロは俺を助けに来てくれたのか。すまない、迷惑をかけた)
(……礼は不要かと。貴方が亡くなればお嬢様が困りますし、敵の喉元へ迫る絶好の機会でもありました。ただそれだけのことです。
状況次第ではフィルカ様の血肉を糧とし、私本来の姿で顕現することも躊躇わなかったでしょう)
普段より少しだけ早口だった。照れ隠しだろうか。
ありえないわけではない。
カジェロは冷徹な印象が強いが、それと異なる面も多く有している。
動物たちの世話を焼いている姿を何度も目にした。犬の身体を丁寧に洗ったり、親なしの仔猫に食事を持って行ったり。根の部分は優しいのだろう。
(話を戻しましょう。相手は"相乗り"に気づいておりません。2回目の召喚も失敗に終わったと勘違いをしております。フィルカ様を牢に戻し、明日、3回目の召喚を行うつもりかと。
機を伺って奇襲を仕掛ける予定ですが、協力してはいただけませんか)
(答えるまでもなく肯定だ。俺を攫った連中に一泡吹かせてやろう)
(頼もしい返答ありがとうございます。とはいえ少々お待ちいただけませんか)
(準備でもあるのか)
(ええ。召喚の術式そのものはかなりの手練れが組んだのかして見事なものでしたが、実際に運用を行った術者はあまりに未熟でした。
そのために"出口"がおそろしく狭く固定され、通り抜ける際に力を大きく削がれてしまったのです。とはいえ、この暗闇の中でなら四半日で回復できるでしょう)
(なるほど、な)
カジェロの話を聞きつつ、俺は敵の姿を想像する。
召喚魔法でもってアルティとカジェロを分断する。
ずいぶん突飛な発想をするものだ。
……俺に近い"におい"がした。
敵は同種の天才かもしれない。
ならば召喚魔法を未熟者にやらせたのはわざとに決まっている。
ここまでの流れはすべて相手の予想範囲内なのだろう。
ならば、どうする。
いかにして想定外へと飛び出していく。
久しぶりに脳が熱を帯びて回り始めるのがわかった。
* *
……ここでフィルカが思い描いていた敵は過大評価の虚像でしかなかった。
そもそもプロフエン大司祭たちはカジェロの存在を知らず、したがってアルティリアとの分断策など思いつきもしていなかった。ヅダとの戦闘にカジェロが駆けつけられなかったのはただの偶然である。
またカジェロの言う「あまりに未熟な術者」とは、実際のところ帝国有数の魔法使いであった。プロフエンとしては最高の人材を集めて召喚を行ったつもりだったのだ。
もちろん、彼らは"相乗り"の看破などできていない。休憩を挟んで3回目の召喚を試みようとしていた。
要するにフィルカのひとり相撲でしかなく、おのれの同類を欲するあまりに抱いてしまった幻想なのである。
もしもこのまま何事もなくカジェロが全快していたなら、圧倒的な蹂躙劇の後にフィルカは深い失望に苛まれていただろう。
だが。
ふとした問いかけが、未来を変えた。
(カジェロ)
(何でしょうか)
(――あの子の人形でいるのは、どういう気持ちだ。
よければ、教えてくれないか)
次回、ただの人形になりたがる人間とただの人形におさまらない人形の話。
ちなみに時系列としては建国祭7日前の夜くらいです。