第三十三話 いにしえの魔法
二十話ぶりくらいにあの人の登場です。
※1/2 2:00 「* *」のあとを大幅改稿。
がむしゃらに剣を振り回し、次々に絡繰人形たちの糸を切り落としていく。
70、71、72――。
まだだ、まだ足りない。
私たちの周囲には山ほどの絡繰人形が集まってきている。
いい加減な見当だけれど200体は超えている。
対抗するには相当の数が必要だ。
83、84、85――。
だんだん視界がぼやけはじめる。危険域に入り始めた。
100の大台に乗っておきたかったけれど、そろそろ退き時だ。
無茶をし過ぎて気絶だなんて目も当てられない。これは反撃の始まりに過ぎないのだから。
――90。
魔法を解除、音速の世界から帰還する。
激しすぎる動きに全身の筋肉が断裂しているのだろう。立っていることもできなかった。痛覚を遮断しておかなければ気絶していたかもしれない。
倒れ込む。
私を受け止めたのは、夏の熱射に晒された地面ではない。
ひんやりとした誰かの腕だった。
「遅参のこの身をどうかお許しください、我が姫君」
少し聞き取りづらい、古語交じりの特徴的な喋り方。
2年前に聞いたものと少しも変わらない。
"彼"は旧ヴィオール朝仕立ての黒い外套を木陰に敷くと、私の体をやさしく横たえた。
「……どうして、ここに?」
騎士の叙勲を受けるまでは会いに来ないのではなかっただろうか。
「ソリュート殿に頼まれましたがゆえ。
曰く『こうも長く帝国に引き留められるのはあまりに不自然だ。娘を頼む』と」
クリストフ・デュジェンヌ。通称、彷徨える伯爵。
顔色の悪さは、相変わらずだった。
(……アルティ、おまえさん、ロクでもねえ奴を配下にしてんだな)
ガダガダガダ、と手の中でワイスが震えた。
(伯爵を知ってるの?)
(そんな浅い付き合いじゃねえ。
こいつはな、千年前だったかに俺様を出し抜いて"腕"をもぎとっていった大泥棒なんだよ)
なるほど。
伯爵も伯爵で常識外れな氷結魔法を扱うけど、もともとはワイスのものだったらしい。
「ふむ。その剣からは随分と懐かしい気配がしますな。
とはいえ昔語りは後とさせていただきましょうか。
相手が賢者の石となれば我が苔生した魔法も役に立つというもの。
――いざ、ご照覧あれ」
そして伯爵は詠唱を始める。
2年前と変わらず、朗々として美しい声。
自分が歌劇の中にいるような錯覚を覚えるほどだった。
(チッ、この魔法に騙されなきゃ俺様が勝ってたんだ)
苦い思い出を刺激されたのだろう。
ワイスはへそをまげるように寝返りをうった。
剣ってどっちが背中なんだろう。まあいい。
……古の魔法が目を覚まし、世界が塗り変えられていく。
青空と緑の庭園が消え、闇に閉ざされた渇きの荒野が現出する。
そこに太陽の姿はない。
賢者の石は輝きを失う。
人形たちの体を守る様に包んでいた雷が霧散した。
綺麗な風景を見せるだけの魔法と思っていたけれど、こんな形で役に立つなんて。
(感謝します、伯爵。これで我々も存分に戦えるというもの)
カジェロを中心として強い風が巻き起こる。
賢者の石による枷がなくなったためだ。
(よくやったぞ、わるい伯爵)
さっきまではレイピアのようにか細くなっていたヴァルフの炎剣だけれど、今は大鷲が飛び立つがごとく噴き上がっていた。
圧倒的だった。本来の力を取り戻した精霊たちにとっては草むしりをするより簡単なことだったらしい。十秒と経たないうちに戦いは終わっていた。
伯爵の魔法が解け、私たちは嫌気がさすほどの夏日の中に戻ってくる。
(計272体……戦果は上々、あとは詰めだけかと)
服の埃を払いながらカジェロが言う。
(すでに鳥たちが敵人形師の位置を把握しています。
少なくない数が守備に回ってはいますが、賢者の石を無効化できるのであれば大したことはありません。
4名でもって急襲をかけるのが最善かと)
私はカジェロの策に頷いた。
* *
……後世の記録によれば、襲撃によるガレット宮殿の死者は皆無、怪我人も数えるほどでしかなかったという。
これは誇張でもなんでもない。
宮殿の人々はみな、このような証言を残している。
「ネコやネズミが同じ方向に逃げるものだからついていくことにした。
おかげで無事だった」
……実のところ、カジェロが動物たちに避難誘導を命じていたのだ。
伯爵の登場によって事態がすぐさま収束したことも大きい。
発生から人形師が投降するまでの時間は、四半刻をわずかに過ぎる程度でしかなかったのだ。
* *
ろくに鍛えもしない体で無茶苦茶をやったせいで私は寝返りすら打てなくなってしまっていた。
「ほ、ほんとうにもうしわけございません。わたくしがひとりで庭園など散歩してしまったせいで……」
両目を真っ赤に泣き腫らしながら回復魔法をかけてくれているのは、さっき人形から助けた貴婦人だった。
レレオル国王とどこか似た印象があるなあと思っていたけど、それもそのはず、3つ違いのお姉さんだった。身分は第三王女。
「命を助けていただいたご恩はかならずお返しします。
ですからどうか、死んだりしないでください」
超高速戦闘の反動か、私の四肢は内出血やらなんやらでひどいことになってしまっていた。
……実際のところ霊薬がぶ飲みでどうとでもなるのだけれど、ちょっと言い出しにくい雰囲気だった。
「ああ、ごめんなさい。ごめんなさい――」
動物たちは薬をもってきてくれたものの、近寄りがたい空気を感じてか遠くで一塊になってしまっている。
やがて、カジェロたちが人形師を捕まえて戻ってきた。
そいつは手にワイスを握って、というか握らされていた。身体のコントロールを奪えるし、下手な手錠よりもよほど有効だろう。
人形師を一目見た印象としては、痩せぎすの修行僧といったところだ
頭は禿げ上がっていてやけに難しそうな表情を浮かべている。褐色の肌に襤褸をまとっていた。
「これで勝ったと思うなよ、小娘!」
私を見るなり人形師は咬みつかんばかりの表情でそう怒鳴りつけてきた。
「貴様は人形姫などと呼ばれてのぼせあがっているようだが、強力な精霊をたまたま味方にしているだけではないか!
純粋な人形使いとしてはおれの方がはるかに上を行っておるわ、お前に1000を超える人形を動かせるか? 無理だろうな!」
視線でカジェロが「黙らせましょうか」と問いかけてくる。
私は首を振る。
戦いは普通の人形魔法を使うまでもなく終わってしまった。そのせいで不完全燃焼な気分だったのだ。
折角だからちょっとやってみよう。
軽く息を吸う。
頭のてっぺんからたくさんの糸を飛ばすイメージ。
人形師との繋がりを失って倒れている1243体の絡繰人形を私に接続する。
――全員、駆け足でこの場に集合。整列。
5分とたたずにその命令は実行された。
「ふん、その程度なら駆け出し程度でもこなせるわ!」
人形師はまだ何かわめいていた。
「ならばこれよりおれが人形を奪ってくれよう、もしも守り抜けたなら一人前の人形師として認めてやろうではないか。
だが今のままでは魔法が使えん。戒めを解いてもらおう!」
……何を言ってるんだろう、この人。
どうして捕まえた敵をわざわざ自由にする必要があるのやら。
逃走されたり逆襲されたり、リスクばかりが高い選択だ。
「さあ、このまま似非人形師よわばりでいいのか!」
なんだか付き合うのも面倒くさくなってきた。
(カジェロ、後は任せたわ)
(承知いたしました。情報はすでにワイスが読み取っています。
利用価値もありませんし、この国の司法に引き渡しましょう)
すぐさま連れていかれる人形師。
色々と口汚い罵りの言葉を撒き散らしていたが耳に入らなかった。
* *
ここで記憶はいったん途切れる。
絶体絶命の危機を潜り抜けて気が抜けてしまったこともあるだろうし、自分自身を対象とした人形魔法によって心身ともに疲れ切っていたこともある。いつしか長い眠りに誘われていた。
やけに鮮明な夢の中で私は思いがけない遭遇を果たし、目が覚めた時には数日が過ぎてしまっていた。
幸いなことに3度目の襲撃はなかった。
だが何事もなく過ぎていったわけではない。驚くべき事件が起きていた。
敵が二度目の召喚術を行使したのだ。
カジェロは敢えてそれに応じた。相手の正体を暴くためだ。
後に残ったのは彼の抜け殻、物言わぬイタリアン・マフィアのぬいぐるみだけだった。
次回は別人物の視点から。