表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/70

第三十二話 賢者の石

 私は窓から飛び降りた。

 迎賓室はガレット宮殿の2階、そこそこの高さだけれど風精霊のおかげで怪我はない。


 人形たちは一糸まとわぬ姿だった。体の継ぎ目からは球体関節や歯車構造が覗き、ガヂガヂガヂガヂとやけに歪んだ硬質の音を立てている。動きのひとつひとつが過剰なまでに鋭角的で機械じみていて、自らの意思をもたないことを強調しているかのようだった。

 

 そのうちの1体が、腰を抜かした貴婦人へと襲い掛かる。まるで死神の鎌のように腕を大きく振り上げていた。

 私は、間に合った。ギリギリのところで貴婦人と人形の間に割り込む。その勢いのままに剣を叩きつけた。斬るというより殴りつけるような形だ。我ながらやけに戦い慣れている動きと感じた。……これまで一度だって荒事なんてしたことはないのに。ワイスが補助してくれているからだろうか。


 刃はしたたかに白磁の胴を打った。横薙ぎに真っ二つとはいかなかった。表面に亀裂を走らせるのみ。

 けれど触れたところから氷結が始まる。あのヴァルフの炎剣を上回るほどの威力だ。すぐさま人形は氷漬けに――ならない。


 人形の左目が金色に輝く。その体に稲妻が走り、広がりつつあった氷を砕いてしまった。


(くそっ、"賢者の石"かよ! まずいぞこいつは!)


 ワイスは叫ぶとその刀身から魔力を放出した。衝撃で人形は弾きとばされる。


(アルティ、ここは逃げの一手だ。最悪だ。賢い俺様でもそれしか思いつかねえ)


(どういうこと、ワイス。"賢者の石"っていったい何?)


(俺様たち精霊にとって天敵中の天敵だよ。アレはヤバい。今みたいに無効化されちまうんだ)


(待って、氷結は魔法剣のそのものの力じゃないの)


(あとで詳しく説明してやるが、もともとこの剣にゃあ俺様の分霊が封じられてたんだよ。お前さんはその縁を伝って本体たる俺様を引っ張ってきたのさ、自覚はねえみたいだけどな。

 ……カジェロ、ヴァルフ、動けるか?)


(ええ。お嬢様を守りぬく程度ならばこなせましょう)


(突破口はひらいてみせる。まかせろ)


 遅れて2人が駆けつけてくる。

 賢者の石のせいだろう、かなり動きづらそうだ。

 ワンピースにつけていた加護も消えそうになっていた。

 

 私たちの前には何十もの人形が立ちはだかっている。

 いや、後ろにもいる。包囲されつつあった。

 そのいずれもが片目に妖光を湛えている。無表情なはずのその顔はどこか嘲笑っているようだった。


(お嬢様、上空を巡回しているカラスからの知らせです。他の場所にも絡繰人形の姿を認めました。総数はおおよそ1000、宮殿を包囲する形で無差別に人を襲っています)


 カジェロの声からはいつもの余裕が消えていた。


(……少しばかり苦しい状況かもしれません)



 * *



 アルティリアの周囲を除けばこの時代の情報網というのは決して完全なものではなく、ゆえに"悲観王"に届いた報せが真実からほど遠い位置にあったのは仕方のないことだろう。そもそも王都は相次ぐ事件で混乱の極みにあったのだ。


 ――人形の軍勢によりガレット宮殿は陥落寸前、王軍、近衛兵ともに壊滅状態です。


 レレオル王は顔色を失った。


(やはり人形姫は報復に出ててきたのだ。ヅダめ、ヅダめ!)


 あの腐れ外道のためにマルガロイド王国の歴史は今日で終わる。なんということだ。初代女王マルア様に申し訳が立たない。

 誰だ暗殺などけしかけたのは。自分にすべてを見通す目があれば、首謀者を探し出して即刻首を刎ねているだろうに。


 このとき悲観王の脳内に浮かんでいた光景はというと、何千もの人形を率いたアルティリアによって火の海に沈む王都であった。

 罪なき民が暗殺の代償として次々に命を奪われていく――。


(ああ、こんなことならば王になどならなければよかった。弟たちに押し付けていればよかったのだ)


 マルガロイドでは古くからの慣わしとして10代前半のものが王位につくことになっている。

 20代半ばのレレオルはというと、新王にしては老い過ぎているのだ。

 本来なら王位など望むべくもない年齢である。

 それでも八方手を尽くして玉座を奪ったのは、若すぎる王子たちに重責を背負わせたくなかったため。

 代々の王は幼いころからの並々ならぬ精神的負荷により30歳になるのを待たずに廃人へと追い込まれてしまっていた。


(そうだ、そうだった。

 自分はこの苦しみを背負うためにここまで登りつめたのだ)


 絶望に染まっていたレレオルの瞳に、かすかな光がともった。

 小さいながらも、強い意志である。


(ならば最後まで王として振る舞おう。

 可愛い弟たちではなく、この自分に亡国の王という役割が割り振られたことこそを幸福と思うべきだ)


 レレオルは顔をあげる。

 全速力で走る馬車の中は激しい揺れに苛まれている。

 壁の鏡はいつ落ちてしまってもおかしくない。


 ……そこに映った彼の表情は、動揺を通り越してもはや静謐としていた。



 * *


 私たちと絡繰は、少しの距離をおいて睨み合っていた。


 張りつめた緊張の糸を、夏の日差しがじりじりと焦がしていく。



(ワイス、賢者の石に弱点とかないかしら)


(あることはある。賢者の石は太陽光を取り込まねえと機能しねえんだ。だから目のところに埋め込んであるんだろ。

 ただ、今日は見ての通りの天気だ)


 雲ひとつない、にくらしいくらいに清々しい青空。


(アルティ、お前さん天気を操る魔法でも使えねえか?)


(無理よ。やっぱり正面から打倒するしかないわね)


(おいおい、俺様たち精霊はかなり力を削がれちまってるんだ。

 包囲の薄い部分を突き破っての撤退しかねえだろ。

 後ろの女は諦めるこったな。連れて行ってやるだけの余力なんざありゃしねえ)


(ううん。ひとつだけ、手があるわ)


(アルティ、意固地になっちゃいねえか。なまっちょろい正義感なんて捨てちまえ。

 人間、生き延びていくらだ。雪辱を晴らす機会なんていくらでもある。

 ここであの女を見捨てたところで誰も後ろ指を指しやしねえよ。それくらいヤバい状況なんだ)


(ワイス、馬鹿にしないでくれる?

 気にかけているのは後ろの人だけじゃないの。

 ガレット宮殿にはフェリアさんとフィルカさんのお父様もいるのよ。他にも私に巻き込まれた人がたくさん、とても数えきれないくらい。

 彼らを放り出すなんて、最後の最後まで選びたくない手段だわ)


 さっき赤毛の人を助けることができたこともあって、ちょっと増長してしまっているのかもしれない。

 我ながら随分と偉そうなことを言ったものだ。

 けれどこれが今の正直な気持ち。

 打つ手があるのに最初から諦めたりしたら、私はきっと自分を許せないだろう。


(ハッ、俺様の千分の一も生きちゃいねえお嬢ちゃんがよく吠えたもんだ。 

 だいたいそういう奴は早死にするんだよ。短い付き合いになりそうだな、ったく。


 ……でもな、そういうのは嫌いじゃねえ。

 いいぜ、絞りカス程度の力しか出ねえが最後の一滴まで出し尽くしやる。


 おいカジェロ、お前の主、いい女じゃねえか)


(いまさら気づいたのですか? これだから貴方は愚昧なのです)


 ハッと嘆息するカジェロ。堅かった声色もやわらいできていた。


(たとえわたしが諦念に陥ったとしても引っ張り上げてくださる。

 主と仰ぐにこれほどふさわしい方はいらっしゃらないでしょう)


 それはちょっと持ち上げ過ぎじゃないだろうか。

 まあ、今に始まったことではないので流しておこう。


(へーへー、ごちそうさまでしたー、っと。

 さてさて、怖れを知らぬ我が主サマよ。具体的にゃあどうする気なんだ)

  

(まずは手駒を増やすわ。今のままじゃ多勢に無勢だもの)


(さっきみたいに血を供物に精霊でも降ろすか?)


(無理だし、無駄よ。意図せずに流れた血液じゃないと魔法的効力は生じないし、喚べたとしても賢者の石のせいで戦力にならないわ。

 だから今日だけは基本にもどるつもり)


 時々忘れそうになるけれど、本来の人形魔法は精霊に頼ったりしない。

 魔力の糸で人形を動かすもので、私がやっているのは応用編にあたるのだ。


(絡繰どもを奪い取るってわけか)


(ええ。そのためには術者から伸びている"糸"を切る必要があるの。ワイス、できる?)


(とーぜん。絡繰に直接触らないでいいんなら、さっきみたいに派手な弾かれ方はしねえだろうしな)


(カジェロとヴァルフもいける?)



 2人は頷く。



 ちなみに長々と会話しているように思えるかもしれないけれど、実際のところほとんど時間は経っていない。

 念話による意思疎通は音声よりずっと早い。文字通り、以心伝心といってもいい。


 それにこの速度についていけないようじゃ、今から私がやろうとしていることなんて到底実現できっこない。


(こうしている間にも犠牲者は増えてるわ。時間との勝負よ。

 今回は私も前線に出るから。"あれ"を使うわ)


 カジェロもヴァルフも反対することが判っていた。

 だから一方的に宣言して私は深く息を吸い込んだ。


 これは二年前、対伯爵戦に備えて編み出したものだ。

 正面からの対決になった場合、永久凍結の魔法が発動するまでの僅かな時間が勝負どころだ。

 その短すぎるチャンスを可能なかぎり引き延ばす裏技。

 当時はリスクばかりが大きい最後の手段だったけれど、霊薬をふんだんに蓄えた今ならそれほど大きな博打じゃない。


 人体には無意識のリミッターがかかっていて、本当の意味での全力を出すことはできないようになっている。

 そこまでやってしまうと自分で自分の体を破壊しかねないからだ。


 けれど私は、意図的にその上限を解除できる。


 人間なんて所詮、神経という糸で脳に操られているだけ――そう、見立てる。


 人形魔法:対象;自分


 脳と神経を通さず、魔力でもって意識と身体をダイレクトに結びつける。

 これでリミッターは無視できる。しかも思考と動作のタイムラグもほとんどゼロにできる。


 地面を蹴った。

 瞬きするほどの時間で絡繰たちの真っただ中に飛び込んでいた。

 急加速に意識の方がついてこない。つんのめり、踏みとどまる。

 戸惑いは刹那のこと、すぐに身体との同期が整った。


 そして私の1秒は、永遠に等しくなる。


 斬る、切り刻む、切り裂く。

 薙ぐ、薙ぎ払う、薙ぎ倒す。

 突く、突き刺す、突き通す。


 1体、また1体と絡繰が倒れていく。

 戦い方はきっと無茶苦茶だ。

 速度でもってそれを無理に補っているだけ。


 とてもじゃないけど公爵令嬢のやることじゃない。

 こういうのは剣士とか騎士の仕事のはずだ。

 どこで何を間違えたんだろう。

 ううん。

 何も間違っていない。

 自分にできることをやる。

 前に進めるなら進み続ける。

 昔からずっと変わらない、これが私なんだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ