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第三十話 死者蘇生

 赤毛の青年はヒウヒウと浅く激しい息を何度も繰り返している。いつ命の灯が消えてしまってもおかしくない。右胸からは血が溢れ続けている――。



(カジェロ。すぐに来て。手を貸してほしいの)


 ……ん?


 おかしい。

 

 間違ったアドレスにメールを飛ばしてしまったときのような、予感めいた手ごたえのなさ。


(何かあったの、カジェロ?)


 返事はない。それどころか届いてすらいないようだった。


 最後に念話を送ったのは数分前、その時はいつも通りだった。

 このわずかな間に何か起こったのか――考えるのは後だ。

 1秒でも惜しい。とにかく動こう。

 

「誰か、治癒魔法が使える人はいませんか!?」


 声を張り上げつつ、私は首のペンダントを外す。

 ありったけの魔力を中に注ぎ込んで水精霊に呼びかける。


(方法は任せるわ。この人を助けて!)


 私の手の中でペンダントが力強く跳ねた。任せろと頷いているかのように見えた。 



 ――茶髪の魔法使いが駆け寄ってきたのは、ほぼ同時だった。


「クレイ! しっかりしろ、クレイ!」


 彼の顔にも見覚えがあった。さっき赤毛と一緒に話しかけてきた男だ。

 あの軽薄そうな雰囲気はどこにやら、左右にわけた髪型が乱れるのも構わずに赤毛の肩を掴んで叫んでいた。


「おい、何か言えよ! なあ!」


 冒険者とは思えない取り乱しぶりだった。

 いや、親しい友人が死に瀕しているとなれば当然の反応か。

 でも――


「落ち着いてください。無理に揺さぶれば傷が開きます」

 逆効果なことはやめてほしい。 

「この人を殺したいんですか」

 焦りで苛立っていたせいだろう。睨みつけてしまっていた。


「あ、ああ、すまない……」

 我に返ったのか、茶髪はおずおずと赤毛から手を放す。

「え、えっと、その」やけに怯えた声だった。今の私はそんなにおっかない顔つきをしているのだろうか。「オレ、元神官だし治癒魔法も使えるんだけど――」

「わかりました。もうしばらくだけもたせてください。薬が届きますから」

 手配は済ませてある。

 ルイワス邸の私の部屋にはもしもの時に備えてありったけの秘薬を買い込んであり、既に動物たちに持ってくるよう命じていた。

 やがて。

 ねことアヒルとニワトリという統一性のない軍団が砂煙をたてながら私のところに辿り着く。茶髪が「ひっ」と身を竦めたのは、先ほどの事件を思い出したからだろう。


 よし。

 手札は揃った。

 カジェロはやっぱり来ない。

 心配だけれどひとまず措いておこう。

 目の前のことに集中だ。



 水精霊と茶髪の魔法で出血はひとまず抑えられていた。

 でも傷を塞がないことにはどうにもならない。


 まず私が使ったのは"グラニウの聖餐"だ。

 グラニウというのはマルガロイド南部の地名で、ここに住む錬金術師が製法を見つけ出したのだ。ホムンクルス研究の副産物らしい。網目状のシートなのだけれど、血を浴びるとみるみるうちに膨らんで肉の代わりになるのだ。1枚あたりの値段はかなりのもので、マルガロイドの平民が1か月遊んで暮らせるだけの額になる。

 次に手を伸ばしたのは"リンガル族の葡萄酒"、この赤紫の液体は人の体内で血液に変わる。言うまでもなくかなりの高級品だけれど、それがどうした。宝の持ち腐れよりよっぽどいい。

 そのほかいろんな錬金術の霊薬を片っ端からつぎこんでいく。

 

「すげえ、あんた、すげえよ……」


 茶髪なんかはそう声を漏らしているけれど、実際のところ特に私が何かをしているわけじゃない。傷を治しているのはあくまで薬なのだ。


 それに状況はまだ予断を許さない。

 脈はすぐにでも消えてしまいそうなほどか細いし、呼吸だってまったく安定してこない。

 体はほとんど元通りに癒えているのに、どうして?


(そいつは魂が肉体から剥離しかかってるからだな、うん。賢い俺様には判るぞ)


 頭の中に響いたのは、過剰なくらいの自信に満ち満ちた声。

 念話だ。

 誰だろう。

 カジェロともヴァルフとも、ましてやサボテンくんとも違う。 

 ……ああ。ここにはもう1人、精霊がいるじゃないか。

 今しがた通り魔の剣に宿らせたばかりだ。


(アルティ、よーく聞けよ)


 まだお互い挨拶も何も済ませていないのに、その精霊はやけに馴れ馴れしかった。


(俺様や他の精霊どもを降ろす時と同じ要領だ。

 この赤毛野郎の魂を体にぶちこんでやれ。

 さっさとやんねえと手遅れになるぞ。急ぎな)


 せきたてられるように私は力を行使する。

 息を吸い込み瞼を閉じる。吐きながら目を開く。

 頭の中のスイッチを切り替え、人形魔法を使う時の私になる。

 周囲の喧騒も真夏の暑さも気にならなくなる。

 五感が消え、六つ目の感覚が研ぎ澄まされる。

 大気の中をまどろみながら漂う精霊の気配が伝わってきた。

 その中にひとつだけ、異質なものがある。

 敢えて言葉にするなら"騒がしく若々しく生っぽい"だろうか。

 それは苦痛と恐怖に喘ぎながら赤毛の体から離れようとしていた。


(戻りなさい)


 命じる。精霊と違って聞き分けはよくなかった。


(戻れ)


 強い意志を込めて、もう一度。

 その時だった。

 私の体からすうっと目に見えない透明な手が伸びた気がした。

 なんだろう、これは。


(よーし上出来だ、アルティ。"手"で赤毛野郎の魂を体に押し込みゃあいい)


(ありがとう、やってみる)


 剣のアドバイスどおり、"手"で魂を掴む。あとはこのまま体に戻すだけ――



 *  *



 初めてのことをしたせいか、私はしばらく前後不覚に陥っていたらしい。


 我に返ると、たくさんの歓声が投げかけられていた。


 身を起こし、戸惑ったようにあたりを見回す赤毛。

 泣いて喜ぶ茶髪。

 固唾を呑んで見守っていた人々は、今では拍手やら何やらで忙しい。動物たちも楽しげに走り回っている。まるでおとぎの国のお祭りだ。


 これでひと段落だろうか。

 ヴァルフは炎剣を出して自分を包む氷をじりじりと溶かしている。もうすぐ自由に動けるようになるだろう。

 そうだ、通り魔をどうしようか。ほんとうにマルガロイド王家が私の殺害を黙認しているのなら引き渡すべきではないかもしれない。こういう時にカジェロがいてくれればいいのだけれど――


(アルティ、こいつの記憶なら全部読み取ってあるからな。

 さすがは俺様、やることが早いな、うん)


 剣が話しかけてくる。彼にも早く名前をつけてあげないといけない。


(俺様のことはワイスタール、愛を込めてワイスと略してくれ)


 自分で名乗る精霊は少ないけれどいないわけじゃない。ヴァルフだってそうだし、他にも何人かいる。


(こいつの処遇は賢い俺様に任せてくれよ。お前の損にはさせねえよ)


(わかったわ。お願い)


(……ずいぶん簡単に信用してくれんだな。まだ知り合ってすぐじゃねえか)


(赤毛を救う方法を教えてくれたじゃない。

 それにあなたを喚んだとき、おどろおどろしい空気はあったけど、嫌な感じはしなかったもの)


(ふーん。なるほど、今はカジェロって名前だっけか、あいつがめろめろになるわけだ)


(カジェロのこと、知っているの?)


(勿論だ、ありゃあ千年前だったか一万年前だったか――)


 ワイスが語り始めた矢先だった。



(人の過去を気軽に掘り返さないでいただけますか、ワイスタール殿)


 さっと私の目の前に降り立つ黒い影。ソフト帽に折り目正しいスーツ姿。

 カジェロだった。


(遅れてしまい誠に申し訳ございません、お嬢様。……少し、不測の事態が起こったもので)


 声にはどこか疲労の色が混じっていた。珍しい。いつもの余裕が崩れかかっている。


(何者かが精霊としての私を召喚しようとしたのです。

 術式を振り切るのに時間を取られてしまいました。面目ありません)


(それなら仕方ないわ。相手の逆探知はできそう?)


(相手も中々の手練れであり困難かと。

 ですが第二、第三の召喚が執り行われる気配があります。

 その際には必ず突き止めてみせましょう)


(わかったわ。……私への襲撃と同時にカジェロを引き離そうとするだなんて、まるで示し合わせたみたいね)


(可能性は高いでしょう。さて、あの下手人をどう扱うかですが――)


 カジェロが目を向けたのは、ワイスに操られている通り魔だ。


(ワイスタール殿はどうなさるつもりですか?)


(こいつの握ってる情報はぜんぶ俺様のものになっているからな。

 うまみとしちゃあ政治的なものしか残ってねえよ。

 ま、追放処分を食らってるとはいえ王族の血をひいてるわけだ。そこそこ役にはたってくれるだろ?)


(どうやら考えていることは同じようですね。では、そのように)


(ああ、いつも通りに、な。

 ……まさかまたオマエと組むなんて、賢い俺様でも予想できなかったぜ)


 いつのまにか話は私を置いてけぼりにして進んでいた。

 2人の間に流れるやけに分かりあった雰囲気に挟まれ、私はちょっとした疎外感を覚えていた。


 というか。

 千年前とか一万年前とか、いったいなんだろう。

 精霊だから長い時間を生きているのは不自然じゃないとしても……ちょっと、気になる。


作者はエリクサーやラストエリクサーを最後までとっておいて使わない人です。

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