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第二十七話

 ……それきりエスカさんは外に出てこようとしなかった。




「やっぱり、ね」


 フェリアさんのつぶやきは諦念を孕んで重い。


「わかっていたんだ、こうなることはさ」


 じっと冷たく閉ざされた扉を見つめている。それは何かを堪えるような様子だった。

 生みの親に無視されるばかりか露骨に避けられれば誰だって平気ではいられない。むしろその場で取り乱さなかっただけフェリアさんは大したものだと思う。


 フェリアさんは動かなかった。放っておけばそのまま何年も何十年も立ち尽くしていそうに感じられた。


 歩き出す気力も失ってしまっているのか。

 あるいは母親が再び出てきてくれるのを待っているのか。

 

 どちらにせよ、ここでじっとしていたところで何も変わらない。

 私としてはどうにかしてあげたいけれど……いっそ、フェリアさんとエスカさんを無理矢理に対面させてしまおうか。人形に手伝ってもらえば方法なんていくらでもある。

 間違いなく状況は動くだろう。

 でも、どんな結末になるか予想がつかない。

 事情も知らずに首を突っ込むのはリスクが高すぎる。


(カジェロ、聞こえる?)


 きっと近くに控えているはずの、一番頼りになる人形に念話を飛ばす。


(はい。お傍に)


(ひとまずここを離れようと思うのだけれど、どうかしら)


(現状では最善かと。フェリア嬢の借りている宿がよいでしょう。カラスに案内させます。私は少々席を外しますが、護衛にヴァルフをつけますのでご安心を)





 フェリアさんは驚くほどすんなりと私の申し出に応じてくれた。心の中の荒波を鎮めるのでせいいっぱいで、他のことに構う余裕もなかったのかもしれない。


 うつくしい二羽のカラスに連れられて辿り着いたのは『波止場のにぎわい』亭という名の宿屋だった。

 表には色とりどりの花が並び、中も埃ひとつないくらい掃除が行き届いている。部屋も清潔感があって居心地がいい。


 フェリアさんはおぼつかない足取りでベッドに近づくと、そのままうつぶせに倒れ込んでしまった。それきりピクリとも動かなくなった。すすり泣く声どころか息づかいすら聞こえてこない。

 白いシーツの海に浮かぶ麗人の遺骸。

 そんな不吉なフレーズが頭をよぎる。

 部屋は世界中のすべてから切り離されたみたいに静かだった。

 耳に入るのは私自身の心臓の音だけで、それがやけに騒がしく感じられた。


 ……しばらくひとりにしてあげたほうがいいかもしれない。

 

 私はベッドの縁に腰を下ろそうとしていたけれど、やっぱり出ていこうと思いなおす。


 と。


「……僕の話を、聞いてもらえないかい」


 フェリアさんが、手を伸ばしていた。

 指先は私に触れるか触れないかのところをかすめていく。


「少しでいい。嫌ならやめよう。ひきとめたりしない。7歳も年下の子にすがろうだなんて自分でもどうかしてると思う。でも――」


 わかってる。

 どうしようもないほど辛くって、誰かに吐き出さないと押し潰されそうなのだろう。

 人間は誰かに寄りかからないと立っていられない時がある。その相手として選んでくれたことをすこしだけ誇らしく思いながら、私は彼女の指に自分の指を絡めた。

 フェリアさんはすぐに握り返してきた。

 強く、強く、仮に振り払おうとしても離せそうにないほどの力で。


 ――ここにいてほしい。


 言葉にならない思いが痛いほどに伝わってきた。


「いいのかい。迷惑じゃないのかい」


「私だって、すごく気になってるんです。

 大事なフェリアさんのことですから。お願いです、教えてください」


 決してこちらが一方的に弱音に付き合わされるわけじゃない。

 言いたいあなたがいて、聞きたい私がいる。

 だから遠慮しないでほしい。


 そんな本音は届いただろうか。



 フェリアさんははじめこそためらいがちだったけれど、やがて胸の中のわだかまりをなにもかも吐き出すようにして話してくれた。



「前にも言ったけれど、マルガロイドじゃあ君くらいの年齢で結婚するのが一般的なんだ。

 平民はもうちょっと遅いけれど、やっぱり他の国と比べれば早い方さ。

 どうしてこうなったかというと50年前まで続いていた戦乱の話になるんだけれど、それはまた今度にしよう。

 10歳で結婚、12歳で出産がいわゆる名家の娘の"あたりまえ"だ。

 けれど僕はそいつにうまく乗っかれなかった。

 巡り合わせも悪かったし、自分自身も悪かった。

 

 ……実はね、僕には婚約者が4人もいたんだ」


「多夫一妻ってことじゃないですよね」


「随分と難しい言葉を知っているね。やっぱり10歳とは思えないよ。

 今のマルガロイドは一夫一妻さ」


 ということは、フェリアさんはこれまで4回も結婚のチャンスを逃していることになる。


「最初は6歳の時だ。婚約者の乗る馬車が崖から落ちてしまったんだ。

 そこそこ権威のある家の息子さんでね、たくさんの冒険者が遺体の捜索に駆りだされたよ。何か月にもわたってね。

 でも、見つからなかった。きっと獣の腹の中だろうね。


 次は7歳。婚約披露パーティでのことさ。

 天井からヒュッと何かが落ちてきたと思ったら、婚約者の首がゴロリと足元に転がっていたんだ」


「それはずいぶん……衝撃的ですね」


「腰を抜かしたのは後にも先にもそれっきりだよ。

 這って逃げることもできなかった。

 幸い、暗殺者の狙いは婚約者だけだったから助かったけどね。

 真相は闇の中だけれど、次期皇帝をめぐるいざこざが関係していたみたいだ。


 僕としてはこの時のことが忘れられなくってね。

 自分や家族、あるいは次に婚約する人が命を狙われるかもしれない。

 そんな矢先だよ、老師に出会ったんだ。

 君には話したかな。こう見えて僕はちょっと変わった剣術の使い手なんだよ。


 もともと体を動かすのは好きだったし、現実逃避したかったんだろうね。

 文字通り寝食を忘れるくらい熱中したよ。家に帰らない日もあった。

 父上も母上もそれで気がまぎれるなら、と黙認してくれてたんだ。


 3人目の婚約者ができたのは12歳だったかな。

 そのひとはなかなかの強くってね、御前試合にもお呼びがかかるくらいだったんだ。

 初めて会ったときに言われたよ。

『あなたは珍しい剣術を修めていると聞いています。披露してはいただけませんか?

 もしもわたしに勝てたなら、結婚生活では奴隷のように付き従いましょう』

 あからさまに見下したような口調だったよ。

 こっちが小娘だからと舐めていたんだろうね。

 かっとなった僕は手加減なしで突っ込んでいったんだ。

 我ながら捨て身同然の荒々しい戦い方だったと思うよ」


「勝ったんですか?」


「もちろんさ、完勝だった。

 相手は手も足も出なかったよ。

 ……そのせいで、婚約破棄になった」


 プライドを傷つけられた腹いせだろうか。

 器が小さいというかなんというか……。


「しかもその次の年、彼は肺の病気で急死したんだ。

 街中で突然血を吐いてそのままだったらしい。


 こうなると噂が立つわけだ。


 ルイワス家の娘は呪われてる、ってね」


 最初は事故、2人目は暗殺、3人目は病気。

 フェリアさんには何にも関係のないところで起こった死だ。

 けれども何にでも説明をつけないと安心できない人がいて――呪いだなんて言いだしたのだろう。


「そんな僕と結婚しようなんて勇者はいなかったよ。

 こうして嫁き遅れになってしまったわけさ」


「でも、もうひとり婚約者さんがいたんですよね」


「15歳、老師が亡くなった直後のことだよ。

 何代か前に王族から分かれた家の次男坊、格としちゃあ破格さ。

 見てくれも悪くなかった。あっちこっちの令嬢たちの心を鷲掴みにしていたよ。

 しかも僕と同じ流派の剣士だった。時期はずれていたけれど、老師のもとで修行していたらしい。

 子供をすぐに産まなくていい。しばらくはやりたいことをしてかまわないとまで約束してくれた」


「ぴったりの条件じゃないですか」


 それなのに、どうして。


「性格がね、どうしようもなかった。

 表面上は穏やかなんだけれどね、何かひとつ気に食わないことがあると豹変するんだ。すぐに物や人に当たり散らす。殺されたり孕まされた使用人もいたみたいだ。そんな男とは結婚できないよ。

 約束も僕を釣るための餌くらいにしか考えてないみたいだったしね。


 けれど相手は元王族だからかな、父親も母親も助けてくれなかった。兄様も当時は王都の外に出てしまっていたしね。

 僕はひとりだった。

 毎晩のように部屋で膝を抱えて考えて考えて考えて――この家から、飛び出したんだ」


 それは孤立無援のフェリアさんにとって仕方のない選択だったのだろう。


 ……決して望んだものではないことが、表情からありありと見てとれた。


「半年前だったかな。悪行がばれてあの男が放逐されたという話を聞いてね、実家に戻ってくることにしたんだ」

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