第十五話
第一部のエピローグです。
伯爵、それからロゼレム公爵、エルスタットが去り、すべてにひと段落がつこうとしていた夜のこと――
ソリュートお父様が私の部屋を訪ねてきた。
何かしでかしてしまったのだろうか。
やわらかな日差しを思わせるお父様の表情が、この時ばかりはわずかに曇っていたからだ。
「アルティ、僕は明日にも仕事に戻る。次に会えるのは春になる頃だろう」
私たちが貿易都市スピリルから帰ってきたのを合図にしたかのように季節は切り替わっていた。
虫たちのコンサートはめっきり開かれなくなり、響き渡るのは強い風の音だけになっている。
「その前に一度ちゃんと話をしておこう。これからについてだ」
これからのこと。
おそらく魔法学院のことだろう。
いずれ、と思いつつも機会を逃し続けていた話題だった。
普通ならば12歳で帝都の魔法学院に通うことになるのだけれど、私にはそのつもりなんてなかった。
魔法学院は一般魔法を教え込む機関であって、けっして個性を伸ばす場ではない。
むしろ潰しにかかっていると言ってもいい。
設定資料集に書いてあったことだけど、一般魔法を習得すればするほど特有魔法の才能は鈍っていく。しかも私の場合は一般魔法に全く向いていないというやっかいな事情もひっついているのだ。
原作のアルティリアを見てほしい。血のにじむような努力を重ねてやっと"普通の魔法使い"をほんの少し追い越したものの、人形魔法についてはかろうじて使えるだけというレベルに転落してしまっていた。"人形姫"だなんて呼び名は"公爵閣下のご令嬢"へのおべんちゃらが半分以上だった。
要するに、私が魔法学院に行って得することなどなにもないのだ。
けれどもこれは貴族の常識に反している。
普通はこんな反論が飛んでくるところだろう。
――昔からよく言われているではないか。
『少々の壁で潰えるような才能は才能ではない。
誰もができることができる上で、誰にもできないことができる。それが貴族というものだ。
誰もができることができない貴族には、自らを誇る資格などない』
まずは魔法学院で、公爵家の娘として恥ずかしくない実力を身に着けるべきではないのか。
これに対する答えはすでに用意してあった。
――その言葉は第三代皇帝フイクスのものですね。彼が尊敬してやまなかった初代皇帝はこうおっしゃいました。
『貴族の本道は民と土地を慈しむことにあり』
私は人形魔法でもってこのつとめを果たしています。
騎士団は危険な魔物を狩って民の生活を守っていますし、カジェロたちはスピリルの治安維持に大きな役割を果たしました。他の人形たちも多くの成果をあげています。
この才を損なうのは、民と土地、ひいては帝国に対する裏切りではないでしょうか。
どうだろう、納得してもらいたいところだ。
ダメなら昨日編んだてぶくろを見せるとしよう。
これがあれば一般魔法のまねごとができる。精霊が宿っているからだ。
他の手札としてはこんなのもある。
――お父様だって学院はほとんど行かずに冒険者稼業にかまけていたのでしょう?
とまあ私なりに準備に準備を重ねてきたのだ。
ロゼレム公爵の時も、伯爵の時もそうだった。
事前にきっかりと用意はしていた。
……けれど、思いがけない事態になにもかもを弾き飛ばされる。
今回もそうだった。
お父様の発言はまったくもって予想外だった。
「実は近いうちにマルガロイド王国に駐在することになるのだけれど、アルティも一緒にどうかと思ってね。
あそこは錬金術の総本山、人形魔法の才能を伸ばしていくならきっといい刺激になるだろう。トウルスも会いたがっているよ」
"これから"というのは、私が想定するよりももっと近い未来のだったらしい。
ん?
マルガロイド……?
錬金国家マルガロイド!
それは海を挟んで西に位置する"姉妹国"だ。
800年前、皇位争いを避けて帝国から出た第二皇女マルアが建てたと言われている。帝国とマルガロイドは長きに渡って友好関係にあり、お互いに貴族の行き来も盛んとなっている。私の兄トウルスも留学中だった。
願ってもみない話だ。
もともと私は錬金術を学ぼうとと思っていた。等身大の陶器人形やからくり人形を作ってみたかった。
行く、行きたい、行かせてほしい。
夢がものすごい勢いで広がっていく。
私の頭の中から魔法学院のことなんて弾き飛ばされてしまっていた。
* *
――今日もまたきみに言えなかった。
マルガロイドへの留学に喜ぶアルティを見ていたら、ひとまずこれでいいかと妥協してしまったんだ。
他にも伝えたいことがあった。
きみは魔法学院になんかいかなくていい。
のびのびと才能を伸ばしてくれればいい。
ぼくだって魔法学院のお世話になっちゃいない。
ひたすら冒険者稼業に精を出していた。
一般魔法なんてひとつも学んじゃいない。
固有の魔法を応用して、一般魔法のまねごとをしているだけなんだ。
けれど、口にできなかった。
学院に通わないと決めたきみがどんなふうに生きていくのか。
それが想像できなくって怖かったんだ。
結局、僕もふつうの親だったということだね。
目が届くところに子供を引き止めてしまう。
自分の生み出した人形をあちこちに送り出しているきみとは大違いだ。
正直、我が子ながら大したものだと思っているよ。
シュアラが生きていたら、あるいは再婚していたら違っただろうか。
もっと立派な親としてきみに接することができたかもしれない。
……けれどぼくはそんな悩みなんて押し隠す。
子供の前では強くありたいんだ。
親というか、男の自尊心、かな。
トウルスとマルガロイド王国は第七話でこっそり出てきていたり。
次は人物紹介を挟むかも。