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第十二話 その三

お待たせしました。

 これが乙女ゲーだったならエルスタットの相談に乗るのは私なわけで、攻略対象キャラが主人公の知らないところで人生を変えるようなイベントに出会うだなんておかしなことのはずなのだ。


 でも。


 これはゲームじゃない。現実なんだ。

 主人公がいないと成長できない"攻略キャラ"なんていない。


 それはとても大事なことに思えて、できれば明かりを落とした部屋の中でじっくり考えたいところだった。


 と。


「アルティ、カジェロ。気をつけろ。……来る」


 静から動へ。


 エルスの貴公子然とした微笑みが、隙のない引き締まったものに変わる。


「……? おかしいな。昼と同じ気配なのに、いやな感じが、ない」


(外の人形たちはまだ姿を見ていないとのことです。……視覚遮断の魔法でしょうか)


 和やかなパーティ会場のなか、私たちの周囲だけが緊張を高めていく。


 と。


「ははっ、2人とも楽しんでいるかな」 


 そんなこともつゆ知らず、カラッとした日差しみたいな声と表情でロゼレム公爵が話しかけてくる。


「ええ。普段は関わらないような方たちばかりで興味深いです」


 私はこわばりそうになる顔に必死で愛想笑いを浮かべながら受け答えする。


「それは素晴らしい。出会いはどんな宝よりも価値あるものだからな。


 実は先ほど道に迷っていた時、偶然にも有名な人物と出会ったのだよ。

 これぞ神の導き、せっかくだからと声をかけさせてもらった。


 このサプライズパーティにふさわしい、驚くべき出会いになるだろう。そろそろ着くころと思うのだが――」


 ええとロゼレム公爵それってもしかしてまさか千年くらい生きてる方だったりしませんか。


 そう問う前に。


「おお、来た来た。待っていたよ」


 まるですり抜けるように音もなくドアを開けて、伯爵が姿を現したのだ――



 * *



 「斯様に美しき姫君を祝う場に招かれるとは、千年の月日を重ねてきた甲斐もあったというものです」


 それは夜闇という夜闇を凝縮させたような瞳と長い髪を持つ男だった。

 いっぽうで肌は万年雪をまぶしたように白く、そのコントラストがいっそう彼の存在感を強いものにしていた。


「初めまして、人形姫。わたしの名はクリストフ・デュジェンヌ、彷徨える伯爵と言えばお分かりいただけるでしょうか」


 旧ヴィオール朝の礼服を身に纏い、今ではおぼろげにしか伝わっていない古王朝式と呼ばれる作法でもって私の前に跪く。

 完成されきって隙のない所作は誰もが感嘆の溜息をもらさずにいられないような優雅さと気品に満ち満ちていて、彼が千年の長きに渡って生き続けてきたことを頷かせるに十分なものだった。


 今やパーティの主役は私から伯爵へと移ってしまっていた。

 人々は彼から視線をそらすことができないでいた。

 私もそうだった。目を動かせない。

 けれども。

 それは興味ゆえじゃない。


 衝撃だ。


 まさか堂々と正面から接触してくるなんて思ってもみなかった。

 スピリルのあちこちに張り巡らせた策はなにもかもご破算だ。


 まさか大勢の目の前で私をコレクションに加えようというのだろうか。

 異形の才たちを永遠に氷の中に閉じ込める――その歪んだ蒐集欲は隠し通しているはずだ。

 少なくともゲーム本編ではそうだった。

 その矛盾は絶対零度の吹雪のごとく私の心を凍えさせる。

 頭が、ついていかない。


 伯爵は細長い指で私の左手をそっと握ると首を垂れた。


「慮外の事にて戸惑われているとお察ししますが、姫、お名前を頂けないでしょうか」


 私は動揺しきっていて、はじめそれが自分に向けられている言葉だと認識できなかった。


「……アルティ、しっかりしろ」


 我に返ることができたのはエルスのおかげだった。

 そっと手をひっぱってくれなかったなら、そのまま世界が終わるまでだって立ち尽くしていたかもしれない。


「ええ、ちょっとぼうっとしてしまっただけよ、エルス。


 ……お見苦しいところを申し訳ありません、伯爵。私はアルティリア・ウイスプ、ご存じのとおり人形姫とも呼ばれております」


 口を動かしているうちに頭も回り始める。


 これは現実なんだ。ゲームじゃない。


 私の知識と食い違うことなんていくらでもあるんだ。


 大事なのはひとつひとつ対応していくことだ。


(……やっと落ち着かれたようですね)


 カジェロからの念話が届き始める。心に余裕がないと受信できないのだ。


(勝手ながら策を変更させていただきました。街中の人形をここに集結させています。父上や客人たちの安全についてもご心配なく)


 さっと視線を走らせれば、ルティーア・ファミリーの人形たちはいつでも動き出せるように身構えていた。お父様の足元には2匹のねこ。馬車で連れてきた子たちだ。眠そうだった目を今はカッと見開かれ、ニヤリとふてぶてしくも頼もしい笑みを浮かべていた。


(お嬢様は独りではありません。たとえ世界中のすべてが命を狙う刺客に変わり果てたとしても、我々は最後の最後まで味方であり続けましょう。どうかそのことを忘れないでください)


(……ありがとう)


 そうだ。


 私は独りじゃない。


 当たり前のことかもしれない。

 けれど改めて言葉にしてもらうだけで、すごく暖かなものがこみあげてくる。


 私は伯爵と対峙する。


 立ち上がった伯爵は聳え立つ塔のような長身だった。偉丈夫といわれるロゼレム公爵よりも頭一つくらい大きい。まだ子供の背たけでしかない私は一歩後ろに下がってしまいそうになる。

 負けるものか。

 私は腕の中のカジェロをぎゅっと強く抱きしめて踏みとどまる。


 見下ろしてくる目は深淵みたいにどこまでも暗く暗く、ふとすると魂を飲み込まれてしまいそうな気すらしてくる。

 逃げ出したかった。

 けれども気づかわしげなエルスの視線が勇気をくれた。

 どうしようもなくなったら頼ればいい。

 だけど、だからこそ、できるところまでは頑張ろう。


 まずは、うん、相手の意図を探るところからだ。


「本日は私のような者のために足をお運びいただきありがとうございます、伯爵」


 当たり障りのない会話から、始めよう。


「いえ、今回はわたしの方からロゼレム公爵に懇願したのですよ。

 どうか麗しきアルティリア様のご尊顔を拝し、魔法を捧げさせてほしい、と」


 伯爵は左手に輝く白瑪瑙の指輪を右手につけかえた。

 それは魔法の品なのだろうか、途端にまばゆい閃光を放ち始める。

 仕掛けてくる気だろうか。私は人形たちに指示を――


「違う。そういうのじゃない」


 小さな、けれど力強いエルスの言葉。

 私は踏みとどまる。


「やっぱり、昼みたいな悪い気配はしない」


 果たして、その通りだった。


「これより披露するは古の魔法、遥か遠き日、愛しき我が姫君のために刻んだ起源の呪にございます」



 伯爵は詠唱を始める。

 それは低く這うような声とも、押し潰すような重い声とも違った。

 朗々と軽やかに響き、耳に心地よさを残す。

 素晴らしい歌劇を見ているような錯覚すら覚える。

 魔法の呪文というには、あまりにも清らかで美しすぎた。 

 


 そして、奇跡が現出する。


「雪……」


 誰かが小さく呟いた。


 そう。


 白い粉が舞っていた。


 柔らかく優しく、雪が降り積もる。


 私たちはいつのまにか『波止場の借宿』亭ではなく、銀世界の中にたたずんでいた。


 どこまでもどこまでも、白い平野が広がっている。


「……すごい」


 毛を逆立た獣のように伯爵を警戒していたエルスですら、心を奪われていた。



 やがて太陽が傾き、世界を橙色に染めていく。わずかな物悲しさを残して夕陽は去り、夜が訪れる。


 青い流星が空を横切った。オーロラが浮かびあがる。緩やかにゆらめきながら、徐々に色を変えていく。



 まさに幻想的としかいいようのない光景だった。



 伯爵は誇らしげな、けれどどこか物足りない表情だった。

 わずかに口元が動き、言葉を紡ぐ。

 かすかな言葉だったけれど、それは確かに私の耳に届いた。

 

「いかがですか、我が姫君。これが貴女の望んだ雪というものです」

  

 聞き覚えのあるセリフだった。


 ああ、そうだ。


 ドラマCD。それは伯爵の若き日を描いたものだ。


 ……千年の昔。伯爵が一介の帝国騎士に過ぎなかったころ。

 彼は幽閉された姫君のため、禁術を用いて魔人と成り果てたのだ。 

 


 ええと。


 姫君はなんて答えたんだっけ。


 このCDは受験勉強中に擦り切れるくらい聞いたじゃないか。


 思い出せ。


 たしか――



「『いいえ違うわ。だって冷たくないのだもの』」



 これで、合っているはずだ。


 どうだろう。


 ……伯爵は、大きく目を見開いた。


「どうかお許しを。御身を寒さに震えさせるくらいならば、わたしはこの喉を切り裂くでしょう」


「『優しいのね。それなら約束して頂戴。いつかわたしを連れていってくれると』」


 これがきっかけとなり、伯爵は反乱軍に身を投じる。革命は成功して今の王朝に取ってかわるわけだけれど、それはともかく。


「必ずや、この魂にかけて」


 伯爵は声を震わせていた。


 無理もないだろう。


 誰も知らないはずの姫君の言葉を、見事に再現してみせたのだから。


 ここまでずっと伯爵に驚かされっぱなしだったから、小さいながらも反撃ができたのはちょっと嬉しかった。


「……ッ」


 って、やりすぎた?


 伯爵は目をかたく瞑ると肩を震わせていた。


 いやいやいやいや、泣くほどのことじゃない……わけでもないか。


 本編でもよく亡き姫君への思いに身をよじっていたし。


 私の遊び心は伯爵の感傷を刺激してしまったらしい。


 そうだ。


 いっそこのまましょんぼりして帰ってくれないだろうか。


 仕切り直しというのが一番ありがたい展開だ。


 そんな甘いことを考えていたのが悪かったのだろうか。


「――アルティリア様」


 伯爵が、跪いていた。


 さっきのとは意味合いが違う。

 頭がほとんど床についている。

 私の足を舐めんばかりの体勢だった。


「やはり貴女は我が姫君の生まれ変わり。先の言葉にて確信いたしました。

 冥府魔道に堕ちた身なれど、今一度、貴女に仕える栄誉を許してはいただけませんか――」


次は夜の予定です。


ちなみに原作ゲームの場合、アルティリアは自分の才能をあまり伸ばさなかったので伯爵の目に入りませんでした。

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