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第十二話 その一

想像以上に長くなったので分割します。

 彷徨える伯爵について話す前に、少しだけ時間を遡らせてほしい。



『波止場の借宿』亭に帰りつくなりエルスは眠り込んでしまった。走り過ぎてよほど疲れていたのか、それとも起きていられないほど辛いことがあったのかはわからない。

 目が覚めてからは口数も少なく、なんだか考え込んでいるような様子だった。

 話を聞いてあげられたらよかったかもしれないけれど、この時の私は彷徨える伯爵のことで頭がいっぱいだったのだ。


 私の誕生日を祝うパーティは宿屋の1階で催された。

 いわゆる立食形式でテーブルには色とりどりの料理が並んでいる。


 この店の名物は3つ。

 まずは温野菜のクリームチーズドレッシング和え。口の中では湯気に乗ってさわやかな風味が広がるだろう。どうにも手がとまらなくなるかもしれないが、なんとかその誘惑を断ち切ってほしい。

 次はオムレツのデミグラスソース添えだ。口の中でふわりと溶けるたまごもさることながら、仔牛の肉や玉葱をじっくりと煮込んだ琥珀色のソースはあなたを虜にするだろう。

 最後は、そう、テーブルのど真ん中に山のように積みあげられたキツネ色だ。

 漂う生姜とサウサー(醤油に似た調味料)の香りは、それだけで食欲を高ぶらせてくれるだろう。噛むたびに爽快な音を立てる衣と豊満な鶏肉は、きっとその期待を裏切らない。


 どれもこれも、前に食べた時よりも各段においしくなっている。

 私は、厨房からこちらを不安げに覗きこんでいるコックたちに向かってウインクをした。

 意図は伝わったようだ。

 コックたちはまるで何かの大会に優勝したかのように歓声をあげて抱き合っていた。


 この3つは私の得意レシピだったりする。以前、ここのコック長が看板料理に悩んでいた時に吹き込んでみたのだ。あれから約半年、さすが本職というべきだろうか、私よりもはるかにおいしく仕上がっていた。


「わしはこのカラアゲとかいうのがずいぶん気に入りましてな、家でも食べたいと思うのですがレシピを隠しておるのですよ」


 そう呟いたのは招待客のひとり、大商人のタルボ氏だ。ちょんと押せばどこまでも転がっていきそうな樽ボディ、これでよく世界各地を駆け巡れるものだ。


「金ならいくらでも積むというのにコックどもは強情で……アルティリア様はご存じないですかな」


 これはもしかしてカマをかけられているんだろうか。


(お嬢様、それは考え過ぎというものですよ。適当にあしらっておけばよろしいかと。)


 迷っているとカジェロがアドバイスしてくれる。


 というわけで。


「存じ上げませんわ。もしレシピを手に入れたら私にも教えてくださいませ」


 当たり障りのない返答をしておく。


 別に教えてあげてもよかっ……だめだ。


 タルボ氏は名前のとおり樽のような肥満体、これ以上太ったら命にかかわる。


 レシピなんかよりメタボの危険性を伝えるべきだ。


 けれどもこの世界の医学は未発達だから理解してもらえそうにないし……そうだ。


「タルボ様、ここでお会いしたのも何かの縁、ひとつ占ってさしあげますわ」


「ほほ、かの人形姫様は占術も嗜まれるのですか」


「まだまだ未熟ですが……ええと、タルボ様、お言葉ですが食事は腹八分目に抑え、お酒も控えた方がよろしいかと。さもなければ思いがけない不幸に見舞われるかもしれません」


 * *


 ……タルボはこの一か月後、胸の重苦しい感じを訴えて急死することになる。

 

 パーティに参加者していた者たちは口々に囁きあった。


 どうやら人形姫は未来を見通す魔眼を持っているらしい、と。


 これはまったくをもって勘違いなのだが、修正されることなく噂として広まっていくのだった。


 * *  


 ところでさっき私に助言してくれたカジェロだけれど、どこにいるかといえば、なんと私の腕の中だ。ただの人形のふりをして抱きかかえられていた。

 ――彷徨える伯爵が会場に襲撃をかけてくる可能性も皆無ではありません。すぐ傍に護衛を置くべきかと。

 何度も何度もそう主張されたものだから、私としては受け入れざるを得なかったのだ。


 ……片時も人形を手放せない幼い少女。そんな風に誤解されそうで嫌だったのだけれど、振る舞いや受け答えの相談に乗ってくれたりするし、まあ、差し引きゼロといったところだろうか。



 主賓である私のもとには次々と人が訪れる。評議会議員とその関係者たち。

 石工ギルドの若き代表、宿屋連合の女主人、スピリル冒険者ギルドのギルドマスター、ロキソナ教大司祭……すごい顔ぶれだ。

 最後に話しかけてきたのは、わずかな間にスピリルの暗部を掌握したマフィア、ルティーア・ファミリーの"長"だった。


「おじょ……アルティリア様、お、お初にお目にかかりますです……」


 それは例えるなら浅黒い肌をした筋肉の大木。


 さっき会った気がするが気のせいじゃない。宿屋まで私とエルスを送ってくれた人物だ。エドモン。かつてカジェロにコテンパンにされた大盗賊だ。首領としての経験を買われ、今では表向きの顔役として活躍している。その振る舞いはまさに裏社会の帝王といったものらしい。


 ただこの時ばかりはそこらの子悪党のほうが立派に思えるくらいに委縮してしまっていた。


 無理もないだろう。


 私の腕の中にはファミリーの真の長であるカジェロ。


 そのうえ会場のあちこちには他の"姿なき24人"が潜んでいるのだから。


 20人以上の上司にジッと監視されながら働くところを想像してみてほしい。普通の神経なら普段の実力など出せるはずがない。


 しかも話す相手は私、要するに幹部たちの生みの親だ。

 きっとエドモンの胃は穴が開きかかっている。

 可哀想なのではやく逃がしてあげよう。

 

「ごめんなさいエドモン様、私、おなかが空いてしまったの。先にご飯を食べさせてもらっていいかしら」


 私は彼の瞳をのぞき込む。どうやら意図は通じたらしい。

 小さく一礼すると遠くの席へと逃げるように戻っていった。



 * *



 ……新参者であるルティーア・ファミリーは当然のことながら注目の的であった。ボスであるエドモンは領主の娘に対してどう接するのだろう。へりくだって機嫌をうかがうのか、それとも威厳を見せつけようとするのか。


 会場の人々は驚愕した。


 かの傲然たる闇の帝王が、まるで怒れる母親を前にした息子のように怯えきっていたからだ。


 これは魔眼の噂とともに広がり、現実とはかけ離れた人形姫の虚像を作り上げることになるのだが、それはまた別の話である。

 


 * *



(エドモンめ、お嬢様が食事を望んでおられるときに話しかけるとは……罰が必要ですね)


(意地悪いわないの。あんまり部下をいじめちゃだめよ)


 というものの、カジェロも本気で言っているわけではないだろう。


 カジェロなりにエドモンのことは親しく思っているらしい。

 街を2人で歩いている、というかカジェロがエドモンの肩に乗っているのをたまに見かけることがある。


 頭脳派の小人と肉体派の巨人。


 正反対だけど、それだけにかえって相性がいいのかもしれない。


エドモンと一緒に街を歩いていたことを指摘したなら、きっとカジェロは「さあ、なんのことですか。彼は従順な部下にすぎません。プライベートでの付き合いはありませんよ」などと早口でまくしたてることでしょう。たぶん。

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