第十話
カジェロが思いのほか反響を得ていて驚いています。同じ趣味の方がたくさんいて嬉しいです。
その時の私はカジェロとの念話に気を取られてしまっていて、他のすべてについては全くをもっておろそかになってしまっていた。
あとでロゼレム公爵に教えてもらったけれど、どうやらこんな感じだったらしい。
「とつぜん立ち止まったかと思えば、虚空を見つめて身動きひとつしなくなったんだ。……いやいや、気にしなくていい。小さいころは誰しも不思議な行いをするものだよ。
それよりあの時の君だが、表情がすっと抜け落ちていてね。かの炎刃帝が東の国より持ち帰ったとされる陶器人形のようだったよ」
* *
(話はそれで終わりかしら、カジェロ)
(ええ。お伝えすることは以上です、しかしながらお嬢様と囁き合えるこの時間をほんの少しでも長く味あわせてはいただけないでしょうか)
(うーん、気持ちは嬉しいけれど2人を案内しないといけないの。後で訪ねるから我慢してもらえないかしら)
どのみちカジェロと話す予定ではあった。今後どう騎士団と接していくべきか。"24人の姿なき幹部"の筆頭、それどころか人形たちの中で1番の切れ者である彼の意見が聞きたかったのだ。
(わかりました。しつこく追いすがるのは無粋というもの、ここは引き下がりましょう。ああ、そうそう。1つだけ未確認の情報なのですが――)
私はカジェロの言葉を最後まで聞くことはできなかった。
「……っ!」
突如として裏路地に引っ張り込まれ、驚きのあまり回線を維持し損ねてしまったのだ。
「ちょ、ちょっと! どうしたのよエルス」
8歳の彼はまだ子犬じみた容貌の少年だったけれど、どうしてかこの時だけは野生の狼のような雰囲気を発していた。
「うまく説明できないんだが……何か悪いものが来ている。たぶんアルティを狙っている。逃げた方がいい」
説明にもなっていない説明だ。
普通なら「わけわかんない!」と叫んで振り払っているところだろう。
けれども私は頷いていた。
「わかった。どっちに行ったらいいかしら」
「こっちだ」
なぜかといえば似たようなシチュエーションが原作ゲームにあったからだ。
……それは甘酸っぱいデートの途中のことだった。
エルスタットは主人公をいきなり裏通りへと引っ張り込む。
急にどうしたのかと思いきや「俺もわからない。だが嫌な予感がする」と意味深ながらも曖昧な答え。
実際のところはというと、なんと2人は取り囲まれつつあったのだ。
主人公へのドス黒い感情に憑りつかれた原作アルティリアが、ごろつきどもを雇って襲わせようとしていた……。
この他にもエルスタットは野生動物じみた危機察知を発揮することが何度もあった。剣に生き剣に斃れるなどと口にしているだけのことはある。
彼のカンに逆らう選択肢はたいていバットエンドのフラグだ。
ちなみに『ルーンナイトコンチェルト』の設定資料集ではこれに関する裏設定が色々書いてあるのだけれど、それはさておき。
* *
「ぜぇ、ぜぇ……」
「エルス、少し休む?」
「まだ、まだいける……」
まさに青息吐息といった様子、どうみてもこれ以上は無理だ。
「悪い感じはなくなった?」
「ああ、大丈夫だ……」
「それじゃあ休みましょう。少し疲れたもの」
「助かっ……いや、俺はまだまだ走れるよ」
その強がりは体力で女に負けてたまるかというプライドなんだろうけど、うん、ごめんなさい、私はずるをしていたりする。
今着ているワンピースは自分で作ったものだけれど、魔法人形を作るわざを応用して風精霊の加護を付与したのだ。
素早く走るのは朝飯前、その気になれば空だって飛べる。
「とりあえず、そこに座りましょうか」
私はポケットからハンカチを取り出した。
通りの隅にある木箱をそっと撫でれば、それだけで汚れやほこりが消えてなくなる。ありがとう水精霊。便利だけれど私が使ったときしか効果が出ないのが難点だ。
「よいしょ、っと」
2人で並んで木箱に腰かける。
「けっこう走ったわね」
「スピリルは広いんだな」
「帝国でも有数の港町だもの。普通の街の2倍か3倍くらいの大きさがあるわ」
「すごいな……ところでアルティ、さっきはどうしたんだ。
なんだか急にぼうっとしたりして」
「人形と話してたのよ」
端的に答えてみたものの、これではただの不思議ちゃんだ。
もう少し説明を足そう。
「人形たちの何割かには街で暮らしてもらってるのだけれど、そのうちの1人が会いに来てくれたの」
「建物の陰にいたヤツか」
「気づいてたの?」
「ああ。……あいつもかなりの腕前だよな。実際に戦ったわけじゃないけど、雰囲気が他と違うし」
たしかにカジェロは強い、おそらく高位精霊なのだろう。
領内に盗賊団が出たときはたった一人で壊滅まで追い込んでいた。
そういえばあの盗賊団、ルティーア・ファミリーに組み込まれたって聞いたような聞かなかったような……などと考えていると。
「アルティ、オレの後ろに隠れろ」
エルスは私をかばうようにして前に立っていた。
顔やら腕に刺青を入れた浅黒い肌の男がこちらに近づいてきていた。
例えるなら筋肉の巨木。鍛え抜かれた体はどこもかしこもはちきれそうなほどに膨れあがっていた。
そんな男が一直線に向かってきたら、まあ、警戒するだろう。
けれど。
「大丈夫よ、エルス。知ってる人だもの」
私は軽く会釈する。
向こうは立ち止まると深く丁寧に頭を下げた。
「お嬢。お迎えにあがりました」
彼の名はエドモン。
かつてウイスプ領を荒らし回った盗賊団の首領だ。
今はカジェロの片腕となり、"姿なき24人の幹部"の正体を知る者として人形と人間の橋渡し役を担っている。私の存在についても聞かされているようだった。
「ご安心ください、帰り道はファミリーのものが護衛します。
……それから、この手紙を渡すように、と」
それはカジェロからのものだった。
『パーティでお会いできるのを楽しみにしています。最近は物騒なのでお気を付けください。隣の野蛮な番犬、そして"彷徨える伯爵"に』
番犬というのはエルスのことだろう。
ずいぶんとカジェロに嫌われてしまったらしい。
剣バカと腹黒インテリ……確かに仲良くできる気がしない。
水と油だ。
エルスの安全を考えると、もう二度とスピリルには連れてこないほうがいいかもしれない。
けれどまあ、そのあたりは後で考えよう。
もっと重要なことがある。
"彷徨える伯爵"。
それは『ルーンナイトコンチェルト』の攻略対象であると同時に、エルスタットルートにおける敵役の二つ名だ。
――エルスタットを英雄になれなかった少年とするなら、"彷徨える伯爵"は、怪物になりきれなかった青年である。
前世、どこかでそんな文章を読んだ覚えがある。
* *
悪いものが来ている。
エルスタットと同様、カジェロもそう感じ取っていた。
首すじが毛羽立つような、いやな空気。
(あの子供がお嬢様を連れて逃げてくれたのはありがたい話です。
ですが強引なところはいただけませんね)
白磁のような肌に痕がついたならどうしてくれよう。
償いとして灰になってもらうほかあるまい。
物騒なことを考えつつ、ルティーア・ファミリーの若頭として指示を飛ばす。エドモンにはお嬢様の迎えを命じる。あの子供の体力を考えるに5番街で立ち止まることになるだろう。
彼自身が向かわない。他にすべきことがあったからだ。
(幹部に通達。本日のパーティには全員出席のこと。動員可能な構成員は、会場の守りに)
念話にて指示を飛ばす。
仮にどんな存在に襲撃されたとしてもお嬢様が無事でいられるように準備をしておく必要がある。
妙な予感ひとつにやりすぎだろうか?
だがしかしこんな情報を聞いた後では過敏にならざるを得ない。
――隣のラジレス領にて"彷徨える伯爵"が目撃された。
("彷徨える伯爵"は異形の才をひどく愛好していたはず)
"人形姫"の噂を聞き、ウイスプ領へと向かっているのではないだろうか。
(さっきの異様な気配……この場に"彷徨える伯爵"が居たということでしょう。みすみす逃してしまうとは……)
お嬢様に害をなすものには容赦などしない。
彼の脳裏では着々と"彷徨える伯爵"を惨殺するための計画が編まれつつあった。
* *
永い、永い旅路だった。
人として50年、人ならざる何かとしてもう50年、怪物と成り果ててからの年月は数えていない。
かつて賢者はわたしに告げた。千年を経て人は生まれ変わる、と。
わたしは彷徨いながらその時を待ち続けた。
仄暗い記憶の底に沈んでしまった愛しきあの人に会うためだ。
わたしは執着を糧に千年の時を生き続けてきた。
そして今日、約束の日が訪れた。
無数の足音が秩序なく交錯する貿易都市のなか、彼女は足を止めて空を見上げていた。
その姿はかつて東の国で眼にした陶器人形に似た美しさを孕んでいて――正直に告白しよう、心を、奪われた。
わたしが愛しきあの人以外に胸を高鳴らせるはずがなく、ならば彼女の生まれ変わりとはすなわち"人形姫"アルティリア・ウイスプなのであろう。
すぐに声をかけたかった。
けれども邪魔が入った。
やけに勘のいい子供。だがけして侮るまい。英雄の素養がある。
そしてひどく頭の回る人形。精霊を宿しているものの、本質は私に近い。怪物の側の存在だ。
まあいい。
わたしの力が増す夜に、改めて会うこととしよう。
Q 空気と化したロゼレム公爵はどうなったの?
A 帰り道がわからなくて迷子になりました。