第一話
私が記憶を取り戻したのは、ばあやに縫い物を教えてもらっているときのことだった。
「お嬢様、どうかいたしましたかの?」
気づかわしげな声に、けれど私は答えられない。
それどころじゃなかった。
決壊したダムみたいに溢れだしてきた記憶の奔流で、頭の中がぐちゃぐちゃにかきまわされていたのだ。
今日までの"わたし"と前世の"私"が混じり合っていく。異なる世界を生きた2つの意識は、けれど反発し合うことはなかった。自分でも驚くほどすんなりと馴染んだ。まるで最初からそう定められていたみたいだった。
……前世の私は4人兄弟の3人目だった。
上も下も男ばかりだったせいか、女の子女の子した性格にはほど遠かった。
男友達はそれなりにいたけれど彼氏ができたことはなかった。告白? されたことはある。ただし私より可愛い女の子ばっかりだったけどな! バレンタインは渡す方じゃなく貰う方だった。
女らしくしてみようと思ったことはあったのだ。けれど長続きしなかった。
結局、私に根付いた女の子成分はたった2つだけ。
まずは手芸。凝り性だったこともあってかなりの腕前だと自負している。なにせ親友たちの結婚式のドレスはすべて手作りだ。……私自身が着ることはなかったけれど。
もう1つは乙女ゲー。これがほんとうに女の子成分なのかって? 文学少女が恋愛小説でときめくのと似たようなものだ、たぶん。
さて。
前世の記憶を取り戻したところである重大な事実に気付いた。
聞き覚えのある人名、地名、魔法の設定……それは私のプレイした乙女ゲーのひとつと完全に一致していたのだ。
『ルーンナイトコンチェルト』
中世風ファンタジーの魔法学院を舞台にした物語で、わりと熱い展開もあったことから男性にもそこそこウケがよかったらしい。
「アルティリア様、アルティリア様」
ばあやに肩をゆすられて我に帰る。
「だいじょうぶよ、ばあや。すこしぼんやりしてただけ」
そうか、私はアルティリア・ウイスプなのか。
……って、冷静に受け止めてる場合じゃない。
これはまずい。まずいぞ。
彼女に転生するくらいならモブのほうがはるかにマシってもんだ。
アルティリアはいわゆるライバルキャラだ。
一言にまとめるとヤなお嬢様、古から続く魔法使いの家系にして公爵令嬢である彼女はとてつもなくプライドが高い。
それゆえポッと出の平民でありながら自分以上の才能を持つヒロインには激しい嫉妬心を抱いていた。
取り巻きを使っていじめは当たり前、さらには教員を動かして退学に追い込もうとしたりもする。
はっきりいってろくでもない人間だ。
けれど正直なところ、私はアルティリアがそんなに嫌いじゃない。
この作品の主人公はどんな逆境でもめげないいい子なんだけど、あまりにも心が折れなさ過ぎて共感しきれないのだ。
散々いやがらせをしてくるアルティリアに対してもずっと仲良くしようと試みていた。その姿に最初は感動したり勇気を貰ったりしたけれど、最後にはもう不気味さすら感じるくらいだった。
それに比べると毎日のちょっとしたことで苛立ったり悩んだり、誰かに当たり散らしてしまったり、その後の仲直りに困ったりするアルティリアには人間くささがあった。どこか憎みきれないのだ。
あと、趣味が手芸ってところもポイントが高い。
設定資料集によると彼女の部屋は手作りのぬいぐるみで一杯で、ひとりひとりに名前をつけていたらしい。私そっくりなのだ。
さらに言うとアルティリアには人形姫という異名があって、なんと自らの意思で動く人形を作り出せるという。なにそれちょっと楽しそう。
じゃあ彼女に転生できて嬉しかったかというと……それはそれ、これはこれ。
最後の最後でアルティリアはとてつもない報いを受けることになる。
悪事が露見した結果、魔法を封印された上で学院を追われることになってしまう。しかも婚約者からは見放され、実家のウイスプ家も他国と通じていた罪が明らかになって取り潰される。
要するに、何もかもを失ってしまうのだ。公式サイトの後日譚によると主人公を逆恨みして暗殺を試みるのだとか。あまりにもひどい転落人生だ。
折角の第二の人生、そんなのは勘弁してほしい。
その日から私はいかにして将来ふりかかってくるであろう不幸を回避するかばかり考えるようになったのだ。