一本の安打を全力で
第一話 絶望の組み合わせ
「俺の青春終わった……」
甲子園を目指す最後の夏。俺、田所亮介はキャプテンとして籤箱から籤を引いた時、血の気が引いて行くのを感じた。
昨夏甲子園優勝。この春のセンバツもベスト四だった須崎学園との対戦なのである。
高校球児として終わるだけでは無い。中学からの同級生で野球部の女子マネの涼子に告白した際に返された言葉は「初戦突破したら付き合ってあげる」だった。うちの学校は、毎年1勝できれば良いほうだ。須崎学園には全く歯が立たない。俺の初恋をも粉砕する組み合わせだったのだ。
「……ま、条件を変えるつもりはないから」
俺が肩をガックリと落としている所に涼子が冷酷にもそう言い放った。
「う……それは断られたと思っていいのか?」
「……別に、アンタのことは悪く思って無いから……マネとして全力は尽くすわよ」
「でも、あの新堂健治を打てるのかよ……。中学時代から更に鬼になったぜ……」
ちなみに新堂は中学の頃同級生だった。高校になって県下では強豪の須崎学園に進学した経緯がある。
「あ、ちなみにアタシは健治に今日、告白されたんだ――」
「な、何! だから条件を変えるつもりはないとか言ったのか!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ち、違うって! アンタのことがあるからちゃんと断ったわよ!」
「……マジか。でも、条件は変えるつもりはないのか? アイツの目標は知ってるのかよ? 甲子園優勝までの間にノーヒットノーラン五回だぞ? それを豪語できる実力も兼ね備えてる」
「あー、顔が近いっ! 分かったから、じゃぁ須崎に善戦したって認める試合内容だったら付き合ってあげるわよ。最低でもアンタが健治からヒット一本だね」
「分かった。それで頑張るよ」
だが、新堂からヒット一本も相当厳しい。アイツの七色の変化球をヒットにするどころかバットに当てることも難しい。どうやって攻略すればいいのか……。
第二話 空回り
組み合わせが決まってから亮介はチームメイトと一緒に練習時間を倍に増やした。マネのアタシも大変だ。でも……。
「おいっ! 何だそのプレイは! 脚を使え脚を!」
「もっと腰を入れてスイングしろ!」
「あーっ! そんなんじゃ須崎に勝てないぞ!」
とか言って、怒ってばっかりだ。元々うちの高校は緩い感じで野球をやってたのに、いきなりそんなことが出来るわけもない。他の野球部員もいきなり過酷な練習になって心が離れて言っているのが分かった。時期に離脱者が続出して試合どころじゃなくなるんじゃないかな……。とりあえず監督に相談だ!
「監督! このままじゃチームが崩壊します! もっと良い練習方法はありませんか!?」
「うーん、正直言って須崎学園に短期間で勝つ練習なんて無いと思う。常識的に考えて見ればコールド負けだろう」
「そ……そんな……アタシなんて条件を……」
「何、落ち込むことは無いさ。試合が終わるまで勝つ可能性はある。技術面で勝てないのならメンタル面で勝てばいいじゃないか。高校生同士がやることなんだメンタルの部分で大分変わってくるぞ」
「あっ! そうですね。で、実際にどうすればいいんですか?」
「おいおい、それはマネの仕事だろ? 頑張れよ。俺達はトレーニングメニューを考え試合の采配を振るうだけだ」
「えーそんなー!」
でも、何だか未来が明るくなった気がする。亮介にはキャプテンとしてチームを盛り立ててもらわなきゃ!
第三話 肯定すること
私はそれから一晩かけてネットで何かメンタル面を強化――特にチーム全体が明るくなるような手法は無いか探してみた。
「ん。こんなのはいいかも」
ブレインダンプという方法が良いと思った。簡単に言うと自分の良い所と悪い所を全て書き出して、悪い部分を全部肯定する方法だ。これを野球のチームに応用させれば……。
翌日、監督に早速私なりのブレインダンプを伝えた。
「お、何だか面白そうな方法じゃないか。それならチームのムードが良くなること間違いナシだな。おーい田所!」
「監督なんですか?」
「うむ、最近練習に熱が入り過ぎてチームのムードが悪い。だから、涼子ちゃんがチームの雰囲気を良くする方法を思いついてくれた」
「え、マジですか? 今日もグラウンドにメンバー引っ張り出すのにめっちゃっ苦労したんですよ……」
「詳しくは涼子ちゃんが説明してくれる」
「簡単に言うと味方の良いプレーも悪いプレーも全部『良いよ!』って評価してあげるの。改善案を言う時も、初めに良い評価をしてあげてから優しく言ってあげるの」
「はぁ? そんな滅茶苦茶な方法で良くなるわけねーだろ」
「……須崎学園に勝つためには技術面で上回ることは無理だよ。だから、メンタル面で圧倒するしかないじゃない」
「でも、悪い部分は厳しく言わないとつけ上がるぜ?」
「じゃぁ、何でグラウンドにメンバーを無理やり引っ張って来ないと集まらないわけよ? あんたが厳しく指摘するからでしょ?」
「そ、それは……」
「短期間で出来ることは数少ないの。お願いっ! アタシを信じてっ!」
アタシは手を揃えて気持ちを込めて頭を下げた。
「あ、頭上げろよ。……分かったよ。やってみる」
「うん、ありがと。それじゃ、早速ミーティングをしましょ。今後の方針を確認しなきゃ。初戦まであと十日ぐらいしかないんだから。さっき言ったこと確立してもらうわよ!」
「そ、そうだな」
こうして、ひたすら皆のプレイを肯定することが始まった。
「取れないの良いよ! 踏み出すタイミングを早くすればもっと良いよ!」
「三振良いよ! ボールをよく見ればもっといいよ!」
そんな言葉がグラウンドに飛び交う。皆明るくなった。どんなにミスしても怒られることは無く明るく肯定される。そんな雰囲気が、ミスを恐れない積極的なプレイに繋がっていった。
そしていよいよ明日が決戦の日。私はDVDディスクを亮介に渡した。
「これは何のビデオだ?」
「それは、健治が打たれた試合を中心に編集したものよ。見て見て」
健治はほとんど打たれることが無い。そんな中で打たれるシーンを編集するのは大変な作業だった。でも何とか間に合ってよかった……。
「おおっ! 新堂がひたすら打たれてるシーンばっかりだ!」
「そうそう。だから、これを自分だと思ってイメージして見て」
「サンキュ! 早速みんなに見せてくるわ!」
圧倒的なチームに立ち向かうとは思えない位、明るい雰囲気になった。これならある程度は戦えるかも! 後は皆を信じるだけだね……。
第四話 一本の安打を全力で
俺、新堂健治は初戦がある球場に悠々と入った。そこで、田所亮介に会った。
「今日は涼子ちゃんを貰いに来たぜ。五回コールド参考完全試合でお前を叩きのめし涼子ちゃんを振り向かせてやる」
「やれるものならやってみな。俺達も全力で行くぜ」
なんだこいつ……組み合わせ抽選会の時は絶望的な表情だったというのにわずかな間で何があった……。
「ふん、そんな口が叩けるのも今のうちだ」
1回表、1死二塁で打席が回ってくる。相手ピッチャーはもちろん田所。
「もらった!」
初級の内角高めのボールを上手く捌いてスタンドに放り込んだ。
「はははは! 見たか!」
流石に田所は悔しそうに歯を食いしばりスタンドに消えていった方向を見つめていた。ここから一気に十点まで取るぞ!
悠々とベンチに戻ってきた所でベンチで異変があった。
「お、おい新堂。あれを見て見ろよ……」
田所達はタイムを取ってマウンドに集まっているところだった。しかし、普通ならば本塁打を打たれてこれから切り替えようと神妙に話しているところなんだろうが……。
「何だあれは……」
俺達のベンチは先制したにもかかわらずマウンドの異様な雰囲気に言葉を失うしかなかった。
早速本塁打を打たれてしまった。よりもよってあの新堂にだ……。
「打たれて神妙な亮介マジイケメン~!」
「打たれ過ぎるとイケメンすぎるから。少しは抑えてくれよ~」
「もっと腕を振れば良い球投げられるよー!」
皆が打たれたことを批判せずに口々にそんなことを満面の笑みで大声で言ってくれる。涼子ありがとう……お前がいなかったら俺はここでくじけていた。
「よっしゃ! それじゃ、お前ら俺がこれから抑えるか打たれるかどっちか賭けてみないか?」
「そりゃ、打たるイケメン何だから打たれるだろ~」
「いやいや、俺達のキャプテンだぞ! 抑えるって!」
「あっ、そうだな! 頑張ろうぜ!」
そんな会話をして別れた。須崎学園ベンチは俺達の会話を見て呆然としているのが分かる。よし、気持ちの上では有利だ!
そして、須崎学園の四・五番は俺の何の変哲もない球に連続三振。俺達のテンションは最高潮に達していた。
な、何なんだよあいつらは……。
俺たち須崎学園はリードしている。俺もヒットを一本も許していない。それなのに完全に飲まれて押されている……。
俺が奪三振をしようものなら。
「三振するお前最高!」
「次はもっと良いスイングをな!」
とテンションが上がるし。フォアボールで歩かせようものなら。
「よっしっやぁぁぁぁぁ」
「選球眼最高ぅぅぅ!!!!!」
ともう勝ったかのようにお祭り騒ぎだ。最初は見栄を張った演技なのかと思っていたが、どうにも違うらしい。
一方の俺達はリードをしているにもかかわらず生気を吸い取られたようなスイングで凡打と三振の山。普段は横綱野球で圧倒しているのだが、ようやく九回まで辿り着いた感じになってしまった。俺も須崎学園のキャプテン何だが相手に圧倒されていてこれじゃ失格だな……。
俺は無安打に抑えてノーヒットノーラン継続中だが普段のペースだと六試合分位の八四死球与えて九回裏を迎えた。既に投球数は百六十球を超えたが、田所達の状況から控えの下級生に任せられるような状況では無かった……。
「フォアボール!」
とにかくこの悪夢から早く逃れたかったが焦りが生じて連続四球で、二死一・二塁で田所を迎えた。
「ぐっ……なんということだ」
田所は一発長打があるから敬遠して次の打者と勝負した方が良い。だが、ここで敬遠したら勝っても涼子ちゃんに合わせる顔が無いし、今日の疲れ具合からして暴投もあり得た。
「よしっ! 新堂、涼子を懸けて勝負だ!」
その田所の一声で俺は目を覚ました。そうだ、涼子ちゃんを渡すわけにはいかない! ノーヒットノーラン五回と甲子園優勝のためにはここで負けるだなんて論外だ!
「臨む所だかかって来い!」
須崎学園は本来の力を全く発揮できていなかった。だが、俺が打席に入って叫んだところで新堂の顔に生気が宿った気がした。やはり、俺が相手だと燃えるか……。実際にこれまで全打席三振だ……。いや、三振する俺もかっこいいんだ! 次に打てば更にかっこよくなってやる!
「行くぞ! これでどうだっ!」
外角低めの際どい所にこれまでに無い速球が投げ込まれる。
「ストライク!」
電光掲示板を見ると、これまで百三十キロぐらいだったのが、いきなり百四十八キロだ。ヤバい……本気にさせちまったか……。
「キャプテン、見逃し方がイケメンすぎるから、振ってくれないと眩しいよ!」
「亮介負けないでーっ!」
ベンチの皆や涼子からの応援は最大のエンジンになる。
そうだ。アイツを本気にさせるだけ俺に力があるってことだ! 俺は気合を入れ直した。
次に投げてきた球は外の変化球。しかし、これは思ったよりも変化せずに当てることが出来た。外野まで到達する大きめのファールだった。流石の新堂もこの炎天下でいつもより多い投球数で疲れたのだろう。
「ぬ……」
新堂もそれに気づいたのか少し焦りが表情に出た。
三球ほど真ん中にストレート。それを何とか当ててカットした。だが、新堂の球威にいよいよ腕が痺れてきた。俺の方も炎天下で投げてきただけあってボロボロだ。
「よし、次で最後だ!」
お互いにそんな声が出た。共に全力だ。俺の方はもはや前に飛ばすことが出来ないから、長打を狙うよりゴロを打って内安打を狙った方が良い。
「勝負だ!」
高めに来たボールを上手く沈めてピッチャーと三塁手の方に上手く転がった。
恐らく三塁手は動きが悪いから新堂が取るのだろう。俺はそれを思いながらわき目も振らずに一塁に飛び込んだ! 涼子、俺の全ての集大成を見せてやる!
俺は頭からダイブした。全てを尽くした後は結果を待つのみだ。
「アウトー!」
しかし、現実は無常だった。どっと歓声が各地で上がった。
「よっしゃぁぁぁぁぁ!!!!!」
何より喜んでいるのは須崎学園だ。普段ならボコボコにしているレベルの相手だから全く嬉しくないだろうに、死闘を切り抜けたかのように解放感に満ち溢れた笑顔だ。
一方の俺達は声にならない声を出しながら泣いている。涼子も眼を潤ませてているように見えた。
挨拶の後、片付けを終えて俺は涼子の下に一目散に向かった。
――涼子の前には既に新堂がいた。
「いやぁ、流石だな新堂! あの状況下でも冷静だもんな。これで涼子も安心して新堂を選べるな。」
フォアボールを十与えながらもノーヒットノーランをやってのけたこんな奴は後にも先にもコイツぐらいしかいないだろ。
「ふん……俺に嫌みを言いに来たのか。戦力的にはコールドに出来なかった時点で俺の負けだ。少なくてもキャプテンとしての対決はお前の方が上だったと言うことだ。さて、邪魔者は去るかな……」
意味深なことをサラサラと述べた後、新堂は立ち去って行った。
「そ、その。今日は良く頑張ったね」
涼子がいつになくしおらしくそんなことを言った。
「ああ、でもヒットを一本も打てなかった。全力でやったんだけどな……俺はお前に相応しくないんだろうな」
「そ、そんなことないよっ! アタシ、昔から亮介のことが好きだったのっ! 今まで素直になれなくてごめんなさい」
涼子が俺の腕に飛び込んできた。
「な、何だよ。俺なんかのどこがいんだよ……」
「いつも一生懸命だし、今回のことから皆に好かれるリーダになったよ。だから、これからも一緒に乗り越えていこう?」
「そうだな。これからもよろしくな涼子」
「うん。よろしくね」
END
その後 甲子園決勝試合終了後のインタビューにて
「さぁ、予選から十三試合中八試合に登板し何と無失点! そのうちノーヒットノーラン五回の新堂君に来てもらいました! 優勝おめでとう!」
「ありがとうございます」
「決勝も一二対〇と大差だったけど全ての試合が余裕だったんじゃないですか? あえて一番苦労した試合はどの試合だったでしょうか?」
「そうですね。甲子園に来てからは余裕でした。一番苦しかったのは県予選の初戦の二回戦でしたね」
「ほぅ……データを見ると今大会で一番球数を投げていて四死球がなんと十もありますね。調子が悪かったんですか?」
「いえ、むしろ気合十分で調子が良すぎたぐらいでした。相手チームの雰囲気にのまれてしまって、キャプテンである僕が上手くチームに流れを呼べなかったんです。あの試合の失敗があったからこそ甲子園二年連続優勝があったんだと思います」