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リグレット・コレクター  作者: 天そば
第二章 文化祭一日目
8/42

嵐のような朝

1(川口柚香2)


 文化祭当日。

 わたしの寝覚めは最悪だった。昨夜柚希にイラつきながら寝たから、気持ちよく起きられなかったというわけじゃない。肉体的に最悪だったのだ。

 まず、朝練がないから普段より一時間半は長く眠れたにも関わらず、身体が異常に重い。それから、間接の節々と腰が痛い。最後に、身体のあらゆる部分が熱い。

 要するに風邪を引いていた。たぶん熱も出ている。あまりにも身体が重いものだから、ベッドから起き上がるのだけでもかなり時間がかかってしまった。


「……嘘でしょ」


 そう呟いて口から吐き出される息すら熱を持っていた。最悪だ。

 ちょっと前から体調が良くなかったのは確かだけど、よりにもよってこんな日に熱が出なくてもいいじゃない。ふざけてんのかこれ、とやり場のない怒りを感じながら、ぎしぎし痛む関節に鞭打ちってベッドから出る。もうこれだけでしんどい。次いで、机の上のペン立てにささっている体温計を取り、ベッドに戻る。

 わきにはさんだ体温計は三十秒もかからずに熱を測り終えた。表示を見る。三と七、そのあとに小数点を挟んで、六があった。

 三十七度六分。文化祭当日の朝に、三十七度六分。もうなにかの嫌がらせとしか思えない。変な笑いが喉の奥からせり上がってきた。どうすんのよこれ。


 ……いや、とりあえず落ち着こう。冷静に一つずつ考えていこう。まず、この体調でわたしはこれから文化祭に行けるか? 答えは、「頑張れば行けなくもないかもしれないけどたぶん文化祭は楽しめないし、最悪途中で帰ることもありえる」だった。なら、文化祭は諦めてゆっくり休んだほうがいいかもしれない。けど、他のクラスはいいとして、嶋くんの演劇を観られないのは嫌だ。でも、無理に行ったところで、この体調だと楽しめないだろうな……。

 どうしようかと考えて、そう時間がかからず結論が出た。

 わたしはベッドから立ち上がり、柚希の部屋へ向かった。


     *


 柚希の寝覚めは素晴らしく良かった。瞳を開けてわたしを見るなり、どうしたの、とぎょっとしたような声で言い、ベッドから身体を起こした。寝起き特有のぼうっとした感じはまったくない。たぶん、眠気を吹き飛ばしてしまうほどの病人オーラをわたしが放っていたためだろう。

 ベッドの縁に腰を落として、わたしは事情を説明する。


「見ての通り風邪引いたのよ。よりにもよってこんな日に……。だから、作戦変更。今日は柚希が文化祭に行って。わたしは今日のうちに風邪治して、明日行く」

「う、うん。わかった。……でも、柚香は今日どうするの? 家で休めるの?」

「そりゃ休めるでしょ。わたしの家なんだから」

「あ、そういうことじゃなくて。あの、父さんと母さんに、文化祭行かなくていいのかって言われない?」


 ……ああ、そうだ。その問題があった。

 入れ替わりのことは父さんと母さんにも内緒にしてるから、替わりに柚希を行かせた、なんて言えない。かといって、風邪引いたから今日は休むなんて馬鹿正直に言うと、母さんが学校に欠席の電話を入れるだろう。欠席の際には保護者が連絡するのが校則だ。そんなことされたら、今度は柚希が文化祭に行けなくなってしまう。


「……柚希。父さんと母さんの今日の予定ってわかる?」

「えっと、父さんは普通に仕事あるって言ってた。母さんは、午後から出かけるって」


 午後から出かける。まさか、公星の文化祭に来るんじゃないでしょうね。いや、でも、来るなら父さんと一緒か。……よし。


「じゃ、こうしましょ。熱を出したのは柚希ってことにして、わたしは今日あんたの部屋で休む。で、あんたは普通に文化祭に行く」

「えっ。母さんたちの前で入れ替わりするの? ばれるんじゃ……」

「風邪うつすのが嫌だから入ってこないでって言えば大丈夫よ。ほくろもマスクで隠せばいいし。とりあえずこっちはこっちでなんとかするから。あんたはそろそろ準備しないといけない時間じゃない?」


 そう言いながらわたしは時計に目をやって、驚きのあまり大きく目を見開いてしまった。時計の針は、あと五分ほどで家を出ないと間に合わない時刻を差していた。いつの間にこんなに時間がたっていたんだろう。柚希の部屋に来てからそう時間はたっていないから、わたしが部屋でぼうっとしすぎていたんだろうけど。

 柚希が慌ててベッドから出る。


「すぐ準備する! 柚香、ケータイ持ってる?」


 枕元にあったケータイを差し出しながら訊いてくる。わたしはそれを受け取り、ポケットから自分のケータイを取り出して柚希に渡した。


「ありがとう。じゃあ、わたしは準備するから、柚香はもう寝てて」

「うん。あと、鞄は部屋じゃなくて玄関にある。なんも今日の準備してない」


 昨日のうちで必要なものは鞄に入れておくつもりだったけど、昨夜の柚希とのやりとりで頭に血が上ってすっかり忘れていた。


「荷物はエプロンだけでいいんだよね?」

「うん。母さんのやつ借りてって」


 オッケー、と返事し、柚希は慌しく部屋を出て行った。わたしは――いますぐにでも寝たいけど、その前に薬を飲まなくちゃ。

 けっきょく、柚希のあとを追うように部屋を出て、一階に下りる。食欲はないけど、薬を飲む前になにか食べないと。

 観る余裕もないのに癖でテレビをつけたあと、冷蔵庫にあったフルーツゼリーをどうにか胃に収めて粉末の風邪薬を水で流し込む。そうしていると、支度を整えた柚希がばたばたとリビングにやってきた。左目の下にしっかり付けぼくろを付け、公星の制服を着た柚希は、手には通学鞄ではなく脱いだばかりの黄色いパジャマを持っている。それをそのまま洗濯かごに入れようとする妹を、わたしは慌てて呼び止めた。


「待って柚希。パジャマはわたしが着るから、洗濯には出さないで」

「あ、そっか。パジャマも替えないといけないんだもんね。……ごめん。じゃ、ここに置いとく」


 ソファの上にパジャマを置き、キッチンの壁にかかった母さんのエプロンを適当な紙袋に入れてから、


「行ってきますっ」


 と告げて、柚希はリビングから出て行った。慌しく家を出て行ったのが、ドアの閉まる音でわかった。

 大丈夫かあいつ? なんかトラブル起こさないといいけど。そんなことを思うわたしの横で、朝のニュース番組では、昨日の夕方から大型の台風が直撃して、いまも暴風域から抜けられていないという沖縄県の様子が映し出されていた。レインコートを着たアナウンサーが風に吹かれながら、今日は一日大荒れで、休まる時間はないでしょうと強い口調で告げている。

 ……ははは。なんか嫌なもの見ちゃったな。

 どうかこっちはなにも面倒なことが起こりませんように、と願い、わたしはテレビを消した。


2 (川口柚希3)


 なんて馬鹿なことをしたんだろう。でも、気づいたときにはもうどうしようもなかった。いまから家に戻ったら間違いなく遅刻だ。「川口柚香」はいまのところ無遅刻無欠席。それをこんな形で終わらせるわけにはいかない。

 でもほんとに、こんなミス考えられない。

 電車のドア近くの壁にもたれながら、わたしは深々とため息をついた。手に持った鞄は、公星高校の指定バッグではなく、そこら辺の鞄屋さんに売ってる灰色のスクールバッグだ。


 朝のゴタゴタで慌てすぎていたわたしは、柚香の鞄ではなく、その隣にあったわたしの鞄――「川口柚希」として武広高校に行くときに使用するスクールバッグを持って家を出てしまった。形は似てるかもしれないけど、柚香のは紺色で、こっちは灰色。見てすぐ違いがわかるのに、なんで間違えたんだろう。しかも、駅の改札をくぐろうとしたとき、鞄についたキーホルダー型のパスケースの位置が違うなあと思ってやっと気づいたっていうのも間抜けすぎる。なんでもっと早く気づかなかったんだろう。


 だけど、まあ、今日が文化祭だったからまだよかった。教科書を使うことはないし、文化祭では各クラスに荷物置き用の空き教室が割り当てられてて、貴重品を取り出したあとはみんなそこに鞄を置く。一日中鞄を持って移動するわけじゃないから、別に目立たないよね、うん。


 そう言い聞かせてはみたけど、電車を下りて公星高校に向かって歩いてると、やっぱりどうしても周囲の公星の生徒に目がいってしまう。文化祭当日だけあって、テンションが高かったり髪型をちょっと奇抜にしてる人がほとんどだけど、それでもみんな学校指定のスクールバッグを持っている。指定外の鞄を持っているのは、いまのところわたしだけ。なんかやだな。一人だけ違う鞄なんて。誰かに笑われたりなんかしたら、優等生の名前を傷つけるなって、ぜったい柚香にも怒られるし……。

 どうか誰も気づきませんように。そう祈りながら校門を抜け、始業五分前ぐらいに二年四組の教室へ着いた。おはよう、とすぐに近づいてきたあかりは、そのあと続けてこう言った。


「ユズ、その鞄どうしたの?」


 ……やっぱそうなるよね。


     *


 朝のホームルームはびっくりするぐらい簡潔だった。先生が教室に来はしたけど、荷物置き場に指定されている教室を連絡したあと、それじゃあ開会式に遅れないように、とだけ言って終わった。八時五十分に校門前で開会式とオープニングセレモニーがあって、出席はそのときに取るらしい。去年の文化祭に参加してないわたしは、一分もしないで終わったホームルームにちょっとびっくりしてしまった。


「いよいよって感じだね」


 荷物置き場に指定されている地学室に向かう途中、隣を歩くあかりが、にこにこ笑いながらそう話しかけてきた。


「ユズ、緊張とかしてる?」

「緊張よりは、不安かなあ……。お店のウエイトレスさんとか見てると、忙しいときは本当に大変そうだし。なんかミスしそうで怖いな」

「もー、なに言ってんの。文化祭の喫茶店なんだからさ、そんなこと考えないで楽しめばいいんだよ」


 笑いながら、背中をぽんと叩かれた。痛くないようにちゃんと力を加減してくれているところに優しさを感じる。


「私は、なんだかんだでけっこう楽しみだよ。ウエイトレスするのも、そのあといろんなところ回るのも。嶋君の劇のときは、頑張って前のほう行きたいね」


 屈託のない笑顔を向けてくる。わたしの知ってる、いつも通りのあかりだった。わたしたちの秘密に気づいてるような言動がないか注意して見聞きしてるけど、いまのところそういう雰囲気は感じられない。やっぱり考えすぎなのかな?

 地学室に着いたときには、もうけっこうな数の生徒がいて、それぞれ思い思いの場所に鞄を置いていた。わたしとあかりは、教室の後ろに並べられた木製ロッカーの上に鞄を置いた。


「あ、ちょっと待ってねユズ」


 あかりが財布から学生証を取り出して、鞄についたキーホルダー型のパスケースに入れる。

 公星高校の生徒はみんな、学校指定の鞄を使っている。そのため、こうやって鞄が一箇所に集まると、他人の鞄を自分のと間違えるってことがよくある。キーホルダーなんかで差別化を図っても、似たようなものを付けてる人がいると、やっぱり間違えてしまう。それを避けるための対処法として普及してるのが、あかりがやったように、学生証をパスケースに入れることだった。これなら一目見て誰の鞄かわかるし、仮に誰かが間違えて鞄を持っていっても、学生証にクラスが書いてあるからすぐに返しに行ける。

 行事とかで鞄を一箇所に集めるとき、こうやって学生証をパスケースに入れるのは決まりごとみたいになってて、やらない生徒はほとんどいないと言っていいと思う。現に、目の届く範囲の鞄を見ても、ぜんぶパスケースに学生証が入ってるし。


 ――と、そこまで思ったところで気づいた。

 そうだ、わたしの鞄のパスケースにも入ってるんだ、学生証。定期の裏にあるから見ただけじゃわからないけど、武広高校の「川口柚希」の学生証が入ってる。

 わたしと柚香が入れ替わるとき、お互いのケータイや鞄は交換するけど、流石に財布までは交換できない。でも、定期や学生証は交換する必要があるので、この二つは財布じゃなく鞄についたキーホルダー型のパスケースに入れることにして、お互いの鞄を交換するときに自動的に交換できるようにしている。だけど今日は、肝心の鞄の交換が行われていない。わたしの学生証まで間違えて持ってきてしまった。

 このままだとまずい?


「うわ、もうこんな時間! ユズ、そろそろ行こうよ。遅刻するよ」

「あ、うん。ごめん」


 考えをまとめる間もなくあかりに急かされて、地学室を出る。

 どうしよう、学生証。取りに行ったほうがいいかなと思ったけど、学校指定の鞄じゃないから、誰かが間違えて持っていく心配はない。それに、定期の後ろにあるわけだから偶然目にとまるってこともないはず。……でも、やっぱり不安だな。

 そうは思ったけど、思った以上に時間がぎりぎりになって焦るあかりに待ってもらうこともできず、わたしはそのまま校門前に向かった。

 まあ、たぶん大丈夫……かな。

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