前日の報告会
5 (川口柚希2)
今夜の「報告会」はわたしの部屋で行われた。柚香は床に座ってベッドにもたれ、わたしは勉強机に座るという体勢で、今日一日あったことを報告しあった。
武広高校でのことは特になにもなかったから短く済ませたけど、柚香のほうは文化祭前日だけあって、話はなかなかに長引いた。
「こんなところね」
柚香がそう終わりを告げたのは、十一時を回ったころ。オッケー、と返事して、わたしはノートを閉じた。
いつもなら、話が終わると柚香はさっさと部屋に帰っていく。だけど今日は、こめかみの辺りに指を置いて、なにか難しい顔で座り続けてる。どうしたんだろ、もしかして。
「柚香、頭痛いの?」
今日の部活中、柚香は隣のクラスの村中くんとその友だち(名前は知らないけど、お互いタメ口だったから二年でしょうと柚香は言っていた)が自主練してるところを通りかかったとき、サッカーボールが頭に当たったらしい。そんなに大したことはなかったって言ってたけど、いまごろになって痛くなってきたのかもしれない。
柚香は気だるそうに指を顔にもっていって、眉間を揉むようにした。
「ちょっとね。身体もだるいし」
「だ、大丈夫?」
「疲れてるのかな。ま、寝れば治るでしょ。……それより柚希、一つ気になることがあるの」
「な、なに? 文化祭のこと?」
「違うわ。あかりのことよ。……もしかしたらあかり、わたしたちのことに気づいてるかもしれない」
え、とわたしは声をあげる。
「わたしたちのことって、この、入れ替わりのこと?」
「他にないでしょ。さっきも言ったけど、今日のホームルームの前に、夕子ちゃんたちとちょっと話したのよ。あかりも一緒だったんだけど、そのときの様子がおかしかったっていうか……」
そのまま、柚香はホームルーム前にあったということを詳しく説明してくれた。
夕子ちゃんたちとの会話中、話がわたし――妹の柚希のことに移ったところで、あかりが数学の問題を教えてくれと誘い出した。だけど、柚香の目にはあかりが本当に問題に苦戦しているようには見えなくて、しかも最後に、次はユズの得意な話題で夕子ちゃんたちと話しなよと言ってきた……。
「柚希はどう思う? 偶然だと思う?」
「……ううん、どうだろう? でも、あかりに助けられたこと、わたしも何回かあるよ。柚香に言われるまで偶然だと思ってたけど……」
いまの話を聞くと、確かにちょっと、偶然で片付けるには無理があるかもって気になってきた。夕子ちゃんたちともっと話してみたらって言ったのに、そのチャンスを奪ったっていうのは変だし、次はユズの得意な話題で、って言葉も意味深だし……。
けど、もしあかりがわたしたちのことに気づいてるとしたら。
「……あかりは、わたしたちから入れ替わりについて話してくるのを待ってるのかな?」
柚香は眉を寄せ、小さな声で答えた。
「わたしたちのことに気づいてるけどなにも訊いてこないんだとしたら、そうなんでしょうね」
「だよね。……そうなるよね」
わたしたちから話してくれるのを待ってる。それはつまり、わたしたちを信頼してくれてるからだ。けど、わたしたちはあかりになにも話していない。
思わず顔が下を向いてしまう。
あかりは優しい。大抵のことなら、しょうがないなーってにこにこ笑って済ませてくれるし、わたしが困ってたらすぐに助けに来てくれる。前に、あかりはなんでそんなに優しいのって訊いてみたことがあるけど、
「長いあいだベイスターズファンを続けてるとね、ちょっとやそっとのことじゃ怒らないし動じなくなるんだよ」
と、悟りを開いた僧侶みたいな笑顔で言われた。いまにして思うと、あれはあかりなりの照れ隠しだったのかもしれないけど……。
とりあえず、わたしはそんなあかりが大好きだった。そしてそれは、柚香も同じだと思う。
柚香は友だち関係には少しドライな面があるけど、あかりに対してはそういうのがぜんぜんない。報告会でわたしがあかりの話をすると、あかりらしいわね、なんて楽しそうに笑ったりする。こうやってわたしたちが共通の話題で楽しく雑談するなんて、これ以外だと「藤井はウザイ」トークしかない。あかりのことを特別な友だちだと思ってるんだろうなっていうのは、見てて伝わってくる。
だからこそわたしも柚香も、あかりを裏切ってるような現状には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しばらく続いた気まずい沈黙の中に、お互いのそういった気持ちが溶け込んでいた。
わたしは意を決して顔をあげる。
「ねえ、柚香」
――あかりに本当のことを話そうよ。あかりならきっと、嶋くんみたいに誰にも言わずに黙っててくれるよ。
そう口にしようとした。でも、
「なに?」
柚香と目が合ったとき、ある考えが頭をよぎった。
いまでこそあかりはわたしと仲良くしてくれてるけど、真実を知ったらどうなるんだろう? 急に、実は双子の妹でした、と出てきたわたしの存在を受け入れてくれるんだろうか。もしかしたら、なんとなくよそよそしい感じになるかもしれない。もう、いまのような関係でいられなくなるかもしれない。
わたしは喉元まで出かかった言葉を寸前で飲み込んだ。
「あ、ごめん。……なんでもない」
「そう? なら、いいんだけど」
柚香は小さく息を吐いて、続けた。
「とりあえず、あかりが本当に気づいてるのかどうかまだはっきりしないから、いまここでぐちぐち考えててもしょうがないわ。でも今後は、あかりの前ではより一層気をつけるってことで」
「うん、わかった。……あの、それと柚香」
あかりの話は一段落した。けど、わたしにはもう一つ訊きたいことがあった。
「……本当に、わたしが文化祭に行って大丈夫なの? こんな状況なのに」
柚香の顔から表情が消えた。
「それ、どういう意味?」
「えっと、だから、あかりがわたしたちのこと気づいてるかもしれないのに、文化祭中にも入れ替わったら、なんていうか本当に気づかれないかなって。たぶん一日中あかりと一緒にいるわけだし……」
「そうね。確かに大丈夫じゃないかもね」
「う、うん。だよね」
わたしがそう返すと、無表情だった柚香の眉が見る見るうちにつりあがっていった。やばい、と思ったときにはもう遅い。
「なに? あんた、わたしにどうしてほしいわけ? やっぱり入れ替わりはなしにしようって言ってほしいの? そしたらすんなり諦められる? それで後日わたしが文化祭のこと報告しても、嫌そうな顔は一切しないって約束できる?」
「あ、えっと、それは……」
「即答できないならそんなこと言うな」
これ以上ないほどぶっきらぼうな口調。完全に怒らせてしまった。ごめんなさい、とごにょごにょ謝るわたしを完全に無視して、柚香は立ち上がった。
「寝る。おやすみ」
それだけ言って、さっさと出て行った。ドアの閉まる音を聞きながら、誰もいなくなった部屋で、わたしは大きくため息をついた。
昨日までは散々、文化祭に行けないことを不満そうにしてたくせに、いまになってあんなことを言ったら怒るのも当然だ。それに、柚香はたぶん相当の葛藤の上でわたしを文化祭に行かせるって決めたから、余計に腹が立ったんだろうな。あの様子だと、今日のうちはもうなにを言っても無視される。
「はあ、もう……」
机に顔を突っ伏す。あかりのことといい、いまの文化祭のことといい、なにもかも中途半端な自分が嫌になった。
ひんやりした机の感触を頬に感じながら、わたしは、せめて二日間の文化祭が何事もなく終わりますようにと祈った。